#1 亡国の白日
来たるべき時代。現代の延長線上にある未来。
血で富をあがない続けた近代イデオロギーはついに破綻をきたし、秩序の寄る辺は民族主義と宗教へ退行した。
思想統制と民族浄化を推し進める各国は、もはや大義名分に寄ることも無く、ただ利益と野望のためだけに終わり無き殺戮の応酬を繰り広げている。資源の枯渇と環境の汚染を押しとどめる手だては失われ、歴史の余命は尽きつつある。
人類は終わりの時代を迎えていた。
幾度かの致命的な内戦を経て七つの軍閥に分かたれた中華諸国は、太平洋進出のイニシアチブを握るべく先を競って日本への上陸を敢行する。
この亡国の危機を目の当たりにした日本の支配層は、日本国内のあらゆる資産を携えて海外へ逃亡してしまう。政治の中枢を失ったことで国家としての統制力を喪失した日本は、なすすべなく中華諸国に蹂躙されることとなるが、しかし統治者の不在は講和への道しるべが失われたことをも意味していた。
日本全土に割拠する抵抗勢力を制圧すべく兵力の逐次投入を強いられることとなった中華諸国と、欧米の支援を取り付けた日本の戦力差は徐々に拮抗し始め、やがてこの国は絶えることのない戦火に覆われた紛争地帯と化していった。
脳裏に蘇るのは、まず、熱気。そして狂騒。
居間の向かいにある玄関から、父が急かす声が聞こえる。
母に手伝われて着替える幼い立木は、窓の外から差し込む赤い夕日に目を細める。いや、それは夕日ではなかった。幼児である彼には想像もつかないほどに巨大な、世界全てを飲み込むような炎であった。
戦火である。
夢見の悪い眠りから目覚めた立木は、頭上で鳴り響くタブレットのアラームに気づかないフリを決め込もうと努力を試みたが、すぐに諦めて上体を起こした。立木のタブレットは軍の放出品であり、そのメール着信音は起床ラッパをサンプリングしたものである。それは従軍経験者の神経をどうしようもなくささくれ立たせる効果があったのだ。
窓から吹き込む夏の熱気に煽られ、額に汗が伝う。ソファの脇の時計に目をやれば、時刻は正午に近かった。
若さを失いつつある身にとって、夜となく昼となく、前触れも無く狂ったように喚き立てるノイズまじりの起床ラッパの騒音は、色々と堪えるものがある。立木は起き抜けのたびにこの忌々しい着信アラームの音源を変えてやろうと心に決めるのだが、いつも仕事に追われて忘れてしまう。
床に散らばる装具やバッテリーなどといったガラクタを蹴り飛ばしながら、立木はタブレットの置かれたデスクへ向かうと、メールの送信元を確認する。仕事の依頼である。シンプレックス仲介人を経由した、自衛軍からのオファーだ。
シンプレックスの仲介人に依頼を受諾する旨の連絡を行うと、立木は仕事の準備へとりかかった。
アビエイタージャケットに袖を通し、仕事場周辺の地理を地図で確認する。大雑把に頭の中で段取りを組み立てる。どうやって仕事を達成するのか、必要な道具は何か、仕事を達成したあとはどのように撤退するのか、などだいたいのスケジュールを整理する。
「おっと」
忘れぬうちに、窓辺の棚に並んでいる水耕栽培器の養液を補充した。もう少しでレタスやミニトマトが収穫できる頃合いである。まだ青い実を眺めていると、立木は左胸の銃創のうずきを感じた。
立木は家事や戸締まりを手早くこなすと、道具の用意を始める。
助手が欲しい、一人でやって行くのは厳しい、とこぼしつつ、立木は弾薬をせっせと倉庫からガレージの運搬車へ運び込む。立木のオフィスたる古い貸し倉庫は、間取りが広くて快適では有るが、個人で活用するにはその広さが不便になることもある。ガレージと弾薬庫をつなぐ区画に事務所を配置してしまったため、リフト車を走らせる訳にも行かず、立木は仕事の度に素手で重い砲弾ケースを持ち運びしなければならない。
疲労困憊で運搬車に荷物を積み終えると、ガレージのシャッターを開いた。軋んだ金属音と共にシャッターがせり上がり、正午の日差しが立木の陰鬱な瞳を灼く。
立木の眼前に広がるのは高層ビル群の廃墟と朽ち果てたアスファルト。鼻を突く悪臭は、廃墟に潜む貧しい人々やその死体に由来するものである。抜けるような夏の空には幾筋もの黒煙が立ち上っていた。
静岡県東部、駿河湾に面した名も無き小さな街が立木の生きる世界である。この近隣で生じる争いのおこぼれを狙うことで、立木は糊口を凌いでいる。
二十一世紀初頭に開発された、山岳地や市街地といった不整地を縄張りとする神出鬼没の歩行砲架“KRV”。そのKRVが、まるでパンデミックのごとく世界中にはびこり、進化し、社会に食い込み、社会を破壊しだしてすでに四十年の時が経過していた。個人経営のPMCが保有するには未だ経済的なハードルが高いものの、紛争地帯では戦車以上の頻度で姿を見かけるほどには普及しており、ある意味では二十一世紀の戦争を象徴する兵器であるとも言えた。
立木は個人経営のバウンサーではあったが、国内最大手のPMCであるシンプレックスとフランチャイズ契約を結んでおり、高価なカスタムKRVを所有する経済力があった。KRVは戦車すら圧倒する強力な兵器であり、四メートルもの巨体を維持するための膨大な金を工面する事が出来れば、荒事を生業とする者にとってこれ以上無い優れた商売道具となり得たのである。
自衛軍からの依頼の内容は、自衛軍領へ向かう難民たちを乗せたトラックを迎撃しろ、というものであった。難民達は武装しており、すでにいくつかの集落で略奪を行っていたことが確認されている。制度上、自衛軍は保護を求める難民の申し出を断ることができないため、こういった危険な無法者に対しては、非正規戦力、すなわち立木のようなベンダーPMCを雇って対処を行うことが通例となっていた。
夕刻。
立木は、難民のトラックが通過するであろう地点を予測し、その場より五百メートルほど離れた陸橋の上に愛機たる濃緑の41式改を待機させる。セーフハウスからほど近い、十キロメートルも離れていない、立木にとっていわば庭のような地域での仕事である。今後もこの地域で心穏やかに生活していくためには、後腐れのない仕事にしなければならない。
主兵装であるレールガンを構えた体勢でアクティブ迷彩を展開し、透明化する。
運搬車は陸橋のふもとに隠蔽しておき、弾薬や電力を直ちに補給できる状態にした。
難民のトラックが現れるまで十五分から二十分ほどの猶予がある。立木は41式改の操縦席に待機し、ジャケットの胸元から財布を取り出した。財布からカードを引っ張りだし、残高を確認する。
「あと少し、か」
シンプレックスのプロパーへと至るまでには金がいる。その金を得るために、立木は生死の瀬戸際で食いつないでいる。そして、金は必要な額に達しつつあった。あと少しの忍耐で、立木はこの社会の底を這いずり回る生活から逃れる事ができるのだ。
操縦席のモニターには、夕暮れの朱色に染まる、荒廃した町並みが映し出されていた。かつてはオフィスや工場、店舗、そして民家であった建築物も、今や正当な住人の姿は無く、難民や軍隊崩れの野盗の住処となっている。
陸橋の正面に横たわる六車線道路も、かつてこの地方の交通の大動脈を担っていたが、もはや見る影も無く荒れ果てていた。
開戦前夜、反体制ゲリラによって日本各地の主要な幹線道路は大部分が破壊された。自衛軍の迎撃行動と市民の避難を阻むためである。それから五年を経た今も、交通網は修復されること無く放置されている。
警報が鳴った。
索敵範囲内に標的が現れたのだ。
陸橋から一キロメートルほど離れた、住宅街と隣接して設けられた片側四車線の国道に、荷台に幌がかかった大型トラックが三両と、それを前後で挟むように装甲車が二両、車列を成して走行している。車種は統一されており、テクニカルは無い。
立木は即座にトリガーを弾き、レールガンを投射した。狙いは先頭の装甲車である。側面に被弾した装甲車は爆発四散し、後続車の道を塞いだ。
楽な仕事だ、と陰気にほくそ笑む立木の耳朶を、ロックオンアラートが叩く。
立木は反射的に操縦桿を倒しペダルをベタ踏みする。サーボモーターとジェットエンジンが唸りを挙げると共に、41式改が真横へ弾かれたように跳躍した。その直後、一瞬前まで41式改が佇んでいた陸橋のアーチの頂点部が爆発する。爆圧に晒された41式改のアクティブ迷彩が過負荷でシャットダウンし、濃緑の地肌が露わとなった。
立木の全身が総毛立ち、冷たい汗で凍える。心臓が破裂せんばかりに脈打つ。あと十分の一秒、判断が遅れていれば死んでいた。いつものこととは言え……。
立木は41式改のジェットエンジンを噴射し、陸橋のたもとへ着地させる。陸橋の巨大なコンクリート製の足を遮蔽物として利用しつつ、索敵を行う。
「陸自の戦車か」
41式改へ発砲したのは、二両の33式戦車であった。33式戦車は難民のトラックの車列から距離をとって追走していたため、捕捉できなかったのである。
なぜ自衛軍の戦車が武装難民と行動を共にしているかは立木に知る由もないが、碌でもない事情が有るのだろうという事を察することはできた。
立木はコンソールに視線を走らせる。レールガンの装填と砲身冷却にはまだ四秒以上要する。しかし、この場で身を潜めていても、ほどなく33式戦車の主砲による追撃が来ることは確実であり、頭を押さえられる前にこちらから打って出るしか生き残る方法は無い。
立木は腹をくくった。
住宅街によって視界が遮られているため、二両の33式戦車からは陸橋の下に潜んでいるであろう41式改の姿を直視することはできない。しかし、先ほどの回避機動から、41式改のおおよその着地地点は予測することができた。二両の33式戦車は面制圧用の榴弾を装填し、二秒間隔で交互に陸橋のたもとへ投射する。
轟音が灰色に荒れ果てた市街地を揺るがし、陸橋は天をつく黒煙に飲み込まれた。
重砲でめった打ちにされればKRVなどひとたまりも無い。
爆炎が濁流となって陸橋を覆い尽くすさまを垣間見た33式戦車の車長は、41式改の残骸を確認すべく双眼鏡を覗く。その視界いっぱいに、車長を睨み付ける巨大な単眼が広がった。その単眼の正体に車長は心当たりがあった。MAT(対戦車ミサイル)のシーカーだ。シーカーは夕日を反射して鈍く光り、車長の目を眩ませた。
それが車長にとって人生の最後に見た景色となった。
着弾直前に跳躍回避した立木の41式改は、飛散する瓦礫と爆煙に紛れながら二基のMATを投射した。耐レーザー・耐EMP処理を施された二基のMATは、戦車からの近接防御用迎撃レーザーをものともせずに突進し、二両の33式戦車へそれぞれ襲いかかった。
先頭の33式戦車に狙いを定めたMATは、不用心にも司令塔から身を乗り出して双眼鏡を構えていた車長の肉体を粉々に打ち砕きつつ車内へ飛び込み、炸裂する。砲手や運転手もろとも内装が吹き飛んだ先頭の33式戦車は、あえなく沈黙した。
後方の33式戦車へ放たれたもう一基のMATは、標的の履帯と起動輪を側面から破壊したが、擱座させるまでには至らなかった。
被弾した33式戦車はスモークを展張し、破損した履帯をパージすると、道沿いの廃屋を踏みしだきつつ脇道へ後退して行く。その次の瞬間、正面装甲へレールガンによる大穴が穿たれ、33式戦車は爆発炎上した。
二両の33式戦車を撃破した41式改は、陸橋の残骸の直上に滞空したまま、残りの獲物を走査する。
武装難民を乗せた大型トラックの車列と、そのしんがりをつとめる装甲車が、全速力でその場を離れようとしていた。41式改から直線距離で四百メートルほどの距離である。
大型トラックの荷台の中で渦巻いているであろう死への恐怖は、41式改のモニターに映し出される事は無い。
死の恐怖。立木自身も幾度となく味わってきた苦しみ。立木が初めて死の恐怖を抱いたのは、まだ幼い日のことであった。その日以来、立木は孤独の中で常に死と隣り合わせに生きてきた。
死の恐怖は、他者と共有する事によって克服できるものだ。孤独の中で生きてきた立木はそれを知っている。そこを踏まえれば、仲間や家族、友人、恋人らと共に死ねるモニターの向こうの難民たちは、むしろ自分より幸せなのではないかと、立木の脳裏に詮無い考えがよぎった。
立木は無慈悲にトリガーへ指をかけ、機関砲を放つ。35ミリ砲弾の豪雨が、装甲車と大型トラックを千々に引き裂き、アスファルトの路面を砕く。
立木の仕事は終わった。
追っ手や尾行を撒くため、立木は一息つく間もなく、41式改に搭乗したまま速やかにその場を後にする。海岸沿いを大回りで移動し、クライアントである富士駐屯地へ向かった。
宵闇が地平線の向こうから迫ってくる。
その日の夜。
月明かりは淀んだ大気に阻まれ、街灯も朽ちて久しいこの街で、暗闇に息をひそめる二つの小さな影があった。野盗が跋扈するその地で生き抜くにはあまりに頼りない小さくやせ細った影は、互いに寄り添い、飢えを癒すための糧を求めて、アスファルトとコンクリートの深淵をさまよい歩く。
やがて、その二つのみすぼらしい影は、幸運にも一夜の軒へたどり着く事となる。