冬のベランダ
奥手な男は、大学生になって一人暮らしを始めるまで彼女がいなかった。彼の両親とも、そんな話は滅多にしないような家庭だった。木枯らしが吹きはじめたころ、彼女が初めてアパートの3階にある男の部屋へやってきた。話も盛り上がってきて、二人で楽しく話していた。
『ピン、ポ――ン』
突然、インターホンが鳴った。
「おーい、いるの?開けて」
男の心臓が跳ね上がった。それは、彼の母親の声だった。連絡もなしにやってきたのだった。男は、すぐさま彼女の靴を隠した。キョトンとしている彼女をお嬢様抱っこし、ベランダに隠した。その早技は、後に彼女に聞いてみたところ、あっという間の出来事で、何をされたか分からなかったらしい。
『ガチャガチャ』
用心のためと母親が半ば強制で作ったスペアキーで、ドアを開けようとしている。しかし、チェーンをかけていたので、入れないようだ。
「はやく、開けて。はやく」
「はいはい、ちょっと待って」
うるせぇよ。せっかくの雰囲気、ぶち壊してんじゃねぇよ。と、男は内心憤りでいっぱいだったが、しぶしぶドアを開けた。
「近くを通ったもんだから、様子を見に来ちゃった」
そんな息子の心情も露知らず、母親が顔を出した。
「はい、これ。お米とか」
偶然にしては計画的だな、おい。と、男は思った。
「ちゃんと、掃除もしてるのね」
母親が入ってきた。辺りを見渡す母親。なんで、抜き打ち検査みたいなことになっているのだろうと男はいらだった。
「寒くても、ちゃんと換気ぐらいしなさいよ」
いそいそと母親がベランダの方へ向かいだす。焦る男。
「急に来るなよ。なんで連絡もなしに来てんだよ」
男は、無理やり話題をつくって、ベランダへ行くのを阻止した。
「まあ、いいじゃないの」
こっちを振り返り、話を始める母親。
「おれはよくねえよ。急に来られるとビックリするだろ」
その後、男は母親を早く帰そうとした。しかし、なかなか帰らなかった。その間、男は近所の息子さんが来月結婚するとか、カラスがゴミをあさって困ったとか、そんな話ばかりを聞いた。
「じゃあ、帰るから。正月ぐらい帰ってきなさいよ」
「わかった、わかった。正月には帰るから。じゃあ」
どれだけの時間が経ったのか男が、よくわからなくなってきたころ、母親は帰っていった。男は母親が帰ったのを確認した後、すぐさまベランダへと向かった。
ベランダを開けると、彼女が「ブルブル、ブルブル」と言いながら、震えるしぐさをした。男は、その可愛さと愛おしさで「ごめんね」と、彼女を強く抱きしめた。