終わりゆくこの世界で
少しづつ崩れていく世界の中で、ベンチに浅く腰をかけ静かに目を閉じている男の姿があった。
その男はよれよれの薄汚れたコートを羽織り、どことなく儚い様子だった。
「ルイスさん、やっぱりここにいたんですね」
そう言って、彼の横に1人の女が腰をかける。
「ミナか……何の用だ?」
彼は薄く目を開いて、そう尋ねた。
「この世界が終わってしまう前にあなたと話がしたいと思ったので」
「今更話すことなどあるまい」
「まあまあそう言わず、最後くらい私の昔話に付き合ってくださいよ」
「最後くらい静かに過ごしたかったんだがな……」
彼の言葉を無視して、ミナと呼ばれた女は話を始めた。
2054年、革新的なとあるゲームが作られた。
そのゲームの名前は『エルドラド』。フランス語で黄金郷という意味だ。
『エルドラド』は仮想現実、いわゆるVRのゲームであったが、他のVRのゲームとの大きな違いがあった。
『エルドラド』内のNPCは、その全てが人工知能を有していたのだ。
まるでリアルの人間のように感情を持ったそのNPCに惹かれる者は多く、『エルドラド』はサービス開始から爆発的な人気を誇り、最大同時接続人数は1000万人を超え、初日からサーバーメンテナンスが入るほどだった。
『エルドラド』にはクリアという概念は無く、プレイヤー個人が思うままに遊べるようになっていた。
つまり、ひたすらモンスターを倒してレベルを上げることも、釣りや料理などと言った日常の延長なようなことをするのもプレイヤー個人の自由だったわけだ。
そして、前者のプレイスタイルを好むプレイヤーたちの最終目標としてマスターアビリティの所得があった。
マスターアビリティは、一定以上のレベルに達した状態で『エルドラド』内のどこかにいるというNPCに話しかけることで所得できる『エルドラド』の世界での最強のアビリティだ。
しかし、マスターアビリティの所得は簡単ではなかった。
一定以上のレベルになるというのはそこまで難しいものではなく、実際、マスターアビリティの所得適正レベルに達したプレイヤーの数はそれなりだった。
問題なのは、NPCに話しかけるという部分だったのだ。
これは、最初にマスターアビリティを所得したプレイヤーの話で初めて分かったことだが、そのNPCは『エルドラド』最強クラスのモンスターが大量に現れるフィールド内を転々としており、話しかけるためにはそのモンスターに太刀打ちできるだけの腕と豪運が必要だったのだ。
その、鬼畜とも思えるマスターアビリティの所得は多くのプレイヤーを熱狂させた。
しかし、そのようにして絶大な人気を誇った『エルドラド』も終わりを迎えることとなった。 リリースから三年ほどが経った頃、人工知能を搭載したNPCというのが一般的になり、最大の売りを無くした『エルドラド』は惜しまれつつもサービス終了となった。
そしてサービス終了に際して、『エルドラド』内のNPCはそのほとんどが次回作のデータに移植されることになったが、それを拒み『エルドラド』の消滅と共に自分も消滅することを望んだ者も2人だけいた。
そのNPCがルイスとミナであった。
ルイスは、全プレイヤーの最終目標であるマスターアビリティの保有者であり、マスターアビリティをプレイヤーに伝授するためのNPCだった。彼は誰かと一緒に行動するということがほとんど無く、いつもソロで『エルドラド』中を彷徨っていた。
ミナはゲームアドバイザー、つまりはプレイヤーのサポートをするためのNPCだった。
そしてミナは『エルドラド』のゲームマスターでもあり、『エルドラド』の世界を管理していたのである。
ひと通りミナが話しきったところを見計らってルイスは口を開いた。
「昔話はこの辺でやめにしてくれ。ところでミナ、君は私たち以外のNPCがいまどうしているか知っているか?」
ルイスはミナの昔話を聞いていた時の呆れたような顔から一転し、真剣な表情でミナを見つめる。
「私はあくまでこのゲームのゲームマスターなので、他のゲームの世界のことはわからないです。でも、多分みんな今までと変わらずに過ごしていると思いますよ」
そこでミナは1度口を閉じると、ニヤリと笑って続ける。
「まさかルイスさん、好きなNPCが他のゲームに移植になったとかじゃないですよね?」
最後だというのに、いつにも増してミナは楽しそうにしている。
そんなミナを見てルイスは呆れ顔だ。
しばらくの間ルイスが黙っていると、ミナは続ける。
「あれ?もしかして図星でしたか?」
「何をバカなことを……ただ単に、他の世界に転送されるというのはどんなものかと気になっただけだ」
それを聞いたミナは驚いたような顔をした後、真剣な顔つきになって尋ねた。
ルイスの言葉の裏にある真意にそれとなく気づいてしまったせいだ。
「ルイスさん、もしかして本当は移植を望んでたとかじゃないですよね?」
「……望んでいたと言うほどではないが、別に移植になること自体は悪くないと思っていた」
「それなら……なぜ『エルドラド』に残ることを決めたんですか?」
ルイスは少しの間考え込み、その後おもむろに口を開いた。
「『エルドラド』のサービスが終わる1時間まえくらいだったか、1人の冒険者が私の元にきてこう言ったんだ。マスターアビリティを伝授してくれってね。私は正直驚いたよ。だってサービスが終了した時点で価値のなくなるものを、まさかサービス終了直前に貰いに来るとは思ってなかったからな。だから私は聞いたんだ。なぜこんなタイミングでマスターアビリティを貰いに来たんだと」
そこでルイスは一旦話すのを止め、ベンチから立ち上がる。
「その冒険者はなんて答えたんです?」
「この世界が大好きだったから、最後に思い出を作りたかったと言っていたよ。その時私は思ったんだ。私はこの世界の住人だったんだなと。他のどの世界でもない、この世界の住人だったんだなと。だから私はこの世界とともに死にたいと、そう願ってしまったのさ」
そう言うと、ルイスはまたベンチに座り、目を閉じた。
2人の間に沈黙が訪れる。
その時間はとても長く、重く、横たわっていた。
「ルイスさん、私がゲームマスターだと言うことは知っていますか?」
突然ミナが口を開いた。
その表情は何か少しのことで崩れてしまいそうなほど危うげだった。
「今更何を言っているんだ。知っているに決まっているだろう」
ルイスは呆れたような顔をしている。
「じゃあ私と一緒にここで暮らしませんか?私ならこの世界の崩壊を止められます。永遠にこの世界とともに生きていられるんです」
ルイスは先ほどまでの表情から一変し、とても驚いた顔だ。
再び2人の間に沈黙が訪れる。
口を開いたのはルイスだった。
「ミナ、君は本当にそれが正しいことだと思っているのか?」
「それは……」
「確かに私はこの世界が好きだ。でもそれはこの世界にたくさんの人がいたからこそだった。だが今はどうだ?今この世界にいるのは私たち2人だけだ。そんな空っぽの世界でただ長く生きているだけではなんの意味もない、そう思わないか?」
ルイスがミナの方に目をやると、ミナは目にうっすらと涙を浮かべていた。
「そんなの分かってます……分かってるんですよ……。でもルイスさん、あなたは怖くないんですか?自分という存在が消えてしまうのが」
「怖くないわけないだろう」
ミナはハッとした表情でルイスを見つめた。
その反応を横目にルイスは話を続ける。
「それでも私はこの世界の終焉を見届けたい。私が愛したこの世界を置いてどこか他の世界に逃げることはしたくないんだ」
ミナは何かを言いたげな顔で考え込んでいるがうまく言葉にならないようだ。
そんなミナを見て、ルイスは口を開く。
「もちろん、私のこの考えが正しいかなんて分からない。こんなことはただの自己満足かもしれないから、君が私と同じように考える必要はないとも思う。だからもし君がこの世界で永遠に暮らしたいと願うのならば、私は諦めるさ。ゲームマスターには逆らえないからな」
「……わ、私も、この世界が大好きです。ゲームマスターとしてずっとこの世界を見てきて、本当にこの世界は素晴らしいんだなって、そう思いました。だから私もこの世界と一緒に死にたいと思います」
そこで一旦ミナは間を置いた。
「でも私は弱虫で、1人で最期を迎えるなんてできないから、ルイスさんの隣にいてもいいですか?」
それを聞いたルイスはわずかに微笑み呟いた。
「構わないさ」
ミナはふふっと笑うとルイスの手に自分の手を乗せた。
ミナが体の正面の何もないところに手をかざす。
すると、ウィンドウが表示された。
そこには『この世界を削除しますか?』という文章とYESとNOのボタンがあった。
「ルイスさん、一緒に押してくれませんか?」
「フッ、本当に君は弱虫なんだな」
そう言っているルイスはとても幸せそうだ。
「もう!最後の言葉がそれってなんなんですか。じゃあいきますよ」
ルイスの指とミナの指が重なる。
「「せーの!」」
2人の指がYESの文字に触れた瞬間、世界は白い光に包まれた。
2人は肩を寄せ合いながら2人の愛した世界、『エルドラド』とともに跡形もなく消滅した。
無数の思い出とともに。