闘争
試験当日の朝、私は机の上で目を覚ました。
昨日は遅くまで資料を眺めていた。試験に備えて一通り中身を覚えた頃に急に眠くなり、コーヒーでも淹れようかと考えた所までは覚えている。さて、今何時だろう。
昔は天に昇る太陽という奴が明るさでなんとなく時刻を教えてくれていたらしい。今は時計だけが私達に昼夜を教えてくれる存在だ。私は卓上の小さなデジタルウォッチを探した。
「8時2分かー・・起きたほうがいいわよねー・・」
確か試験は9時半からだったはずだ。私はとりあえずシャワーを浴び、服を着る事にした。
クローゼットを開け、中にずらりと並んだスーツを眺める。今日着るスーツはどれにするべきか。迷った結果、ネイビーに灰色のピンストライプのジャケットとパンツ、中には同色のベストを着ることにした。やはりちゃんとした格好をすると目も覚めるものだ。私の朝は着替えから始まる。シャワーを浴びているときはまだ始まっていないのだ、レンタルした映画の冒頭に挿入されるCMのようなものだ。
キッチンに行くと、先に起きていたのか昴と出くわした。
「おはよ。コーヒー飲む?」
昴がポットにコーヒーを落としながら聞いてきた。
「いただくわ」
「首尾はどうよ?いけそう?」
「強豪スラッガーの気分よ」
「三割位かよー大丈夫ー?」
「大丈夫よばっちり出塁するから。それより問題は試験前よ」
私は言った。
「何か仕掛けられてるかも」
「手紙の主に?」
昴はポットから自分のカップにコーヒーを入れ、こちらにポットを差し出した。
「いや、違う。私以外の緑。競争相手を減らそうとしたりする奴絶対いるわよ」
いくら何でも試験を受けるのが私だけって事はないだろう。私以外の緑が少ないだろうがいるはず。そいつらから妨害工作を受ける可能性は高い。
「昴」
ポットを受け取り、コーヒーをカップに入れながら言う。
「何?何?」
「ちょっと試験会場までエスコートして貰えるかしら?」
「勿論!おっけー。」
昴が答える。
「いいけどー。なんで?」
私は台所によりかかり、コーヒーを啜った。白い湯気が鼻先に立ち上る。暑いコーヒーが何も入っていない胃袋にじん、と染み渡った。
「大勢から一人を選ぶ試験なら、大勢が少ないほど自分が有利になるわよね?その事に私だけが気づいているとは思えない」
「了解。怪しい奴は?どうする?」
「どうするも何も相手が撃って来たらやることは一つでしょ」
「おっけ」
朝ご飯を作るのも面倒なので、そのまま台所で昴と二人でその辺にあったクッキーを齧った。しばらく二人で試験会場までに発生しえるもしもについて話し合い、それが終わる頃にはそろそろ9時になる頃だった。
「じゃあ私たち行ってくるから!準備よろしく!」
ソファに転がる透華が、毛布の中から返事のようなうめき声を返した。
事務所から高速歩道で試験会場のある第1区B-5の旧霞ヶ関エリアに移動する。多くの人が歩線に乗っており、対向歩線の人々が次々と後ろへ飛び去っていく。私の頬を冷たい風が吹きぬけ、束ねた金色の髪をなびかせた。
「朝からみんなご苦労な事だよね」
「私達はいい方よ。この仕事いつの日までに終わらせろって指示が来ることはあるけど、時間指定までされること少ないし。早朝に何かしろって仕事がきたら透華はあてにならないわね」
その時私の携帯端末に着信が着ている事に気づいた。透華からだ。通信端末を耳に当て、ダイアルを回す。・・・ところで回すってどこから来てる言葉なのかしらね?
<通信端末をつけてくれたまえ>
私はポケットから小型のイヤーピース形の端末を四つと,銀色のピンマイクを二つ取り出して装着し、昴にも装着してやった。くすぐったいのか照れなのか、胸元でキャーキャー言ってる昴を無視し、ピンマイクについた小さなボタンを三回タップして通信機を事務所に繋げる。
「おはよう透華」「おはー」
『おはようばか者共。先回りして監視カメラで試験会場の様子を見てきてやったぞ、感謝したまえ。それで会場の状況について報告が2つある。いい報告と悪い報告があるけどどっちから聞きたい?』
端末からやや掠れた透過の声が聞こえてきた。
「いい方かしらね」
『まず、いい報告だ。私が起きてから今に至るまで、試験会場には1人しか入ってない。カメラのログを漁ったが、やっぱり来たのはこの一人だけだ。つまり試験を受ける人数は非常に少なく、無事に行けば譲葉が試験に受かる可能性が高い』
「やったじゃん!豊かな生活が近づいてる!私エスップレッソマシンが欲しい!」
「まあまあ待ちなさいよ。・・・で悪い方の報告は?」
『さっきの一人が試験会場に入った後、試験会場に近づいた奴が10人ほど居たけど、全員謎の軍人達に射殺された』
耳の端末から深いため息が聞こえた。
「やっぱり戦いになるわよねー」
「任せな!」昴が親指をぐっと立てた。
「きゃー!頼もしい!!」
『頼むから真面目に仕事してくれ』
透華が呆れたように言った。
『マジで』
高速歩道のうちっぱなしのコンクリート壁面に「霞ヶ関→200m」の文字が白いゴシック体で表記されているのが見えた。私達は早い車線から遅い車線に一段ずつ移動していき,出口を示す白いプラスチックの看板が見えた所で降りた。
私たちが試験を受けるB-5霞ヶ関エリアは公的な試験や、管理システムの統合からあぶれた簡単な事務手続きを行う場所や資格試験の会場が立ち並ぶエリアである。私達の住むエリアの商業地的な感じとは打って変わって無機質で事務的な印象を与える。私はこの空間があまり好きではなかった。あまりにも生活観の見えない空間はSFの悪趣味な管理社会を連想させるからだ(実際それ以外の何者でもないが)。
駅の出口である鉄骨でできた無骨な門扉を抜けると,そこはもうオフィスだった。
霞ヶ関エリアの廊下は灰色で毛先の短い固めのカーペットが敷き詰められ、いかにも事務的な印象を強めていた。フロア内のテナントは全て白い壁で仕切られており、無個性な扉が一つづつ付随している。扉の上には白いプラスティックのプレートに、ゴシック体でその部屋の仕様用途が書かれていた。
廊下には地味な緋色の制服を着た事務員達が忙しそうに行き来している。どの顔も一様に暗いが、その様子はここのフロアの雰囲気とよくマッチしていた。サバンナにはライオンがいたように、北極には白熊いたように、この飾り気の無いフロアには不機嫌な事務員が居るのだ。
「税務室A-11、財務管理A-3、事務質・・・試験場ってどこなのさ?」
「試験室はA-7よ。」
廊下にあるフロアマップを見ながら現在地を確認する。
「部屋番号A-7。A-7・・A-7・・。あった。B-4との吹き抜けになってる大広間の前だ」
昴が試験室を見つけたようで、フロアマップを指差した。
「大広間か。射線が開けるわね」
『ご明察だ。しかもそこに入る通路は左右の2本しかない。まったく、二箇所から入ってくる人間を全員撃てば防衛成功とはとんだクソゲーだな』
透華が無線越しにぼやく。
「こっちの射線も開けるとポジティブに考えよう!」
昴が言った。
「そういえば謎の軍人達って言ってたけど何人いるの?」
『6人だ』
「チクショー結構いんな」
「昴。口調が汚いわよ。突破する方法ありそう?」
『奴ら結構散らばってる。纏めて倒すのは難しいんじゃあないかと私は思うね』
つまり、状況から考えて強行突破は困難であると言う事だ。しかし誰だか知らないが随分直線的な手に出たものだ。だがわかりやすい事は嫌いではない。この手の手合いは分かりやすく処理してしまえばいいのだ。
「一つ聞きたいのだけど、その試験会場前の死体の中に事務員の死体ってある?」
『無いように見えるが・・なぜかね?』
「いや、この区画の人たちはこの行為を知っていて黙認しているのかしらねー、と」
『事務員が試験会場前の大広間に近づいてきていない以上手は回してあるだろうね』
背後組織に手を回すことが出来る人間が関わっていると言うことだ。厄介な事である。試験に受かったら受かったでどこかの上位クリアランスから恨まれるのか、私は軽くため息をついた。
「はいはい!質問!」
唐突に昴が手を上げた。
「はい、園原隊員」
「ええと・・・軍人さんとぐるって事は事務員さんは悪者って事でいいですか?」
「悪者・・悪者か・・・」
はて、どうだろう。
「ちなみに悪者だとどうなるの?」
「撃ってもいいかなって」
昴が真顔で言った。
昴はこう見えて、緑一の狂犬と呼ばれている。一見すると優しく穏やかそうな印象であり、実際性格も温厚なのだが、何事に対しても少々割り切りすぎてしまうふしがある。
『君はそういう所本当に容赦が無いよな』
透華が引き気味にコメントする。
「んー。いや、多分彼女らは事情を殆ど知らないだろうから、やっつけるのはナシだ」
「わかった。・・・ねね、提案があるんだけど聞いてくれる」
「聞こう」『聞こう』
「彼らにとって事務員さんは見方なんだよね?だからさ・・・」
昴は考え付いた作戦を語った。それは非常にシンプルな作戦だったが、その分とても分かりやすく説得力を伴っていた。私達は数分簡単な会議をしたのちに、作戦を採用するか決を取り、二対一で見事採用が決まった。
『頭の悪い作戦だが』
一のほうがぼやく。
『君らがやるというならしかたがないだろう!』
「じゃあ私は右の通路に」
「私は左の通路に。合図が出来たら連絡するねっ!」
昴が耳に入れた通信機をトントンと叩いた。
・・・・時刻:9時20分、私は大広間に伸びる通路の脇道に隠れながら、試験会場前の様子を伺った。透華の情報の通り6人の男がおり、油断無く周囲を警戒している。男達はブルージーンズにTシャツを着ており、大きなバックパックを背負っていた。全員比較的ラフな格好をしているが、その体格や姿勢、歩く姿から軍人であることは疑いようも無い。全員の武装は統一されており、手にはSCAR-L、Mk16アサルトライフルを構えており、さらにはベルトにつけたホルスターにポリマーフレームのベレッタまで持っていた。これはどちらもアメリカが三次大戦で使っていた装備で、一番良く見かける実弾兵器の一つだ。
男達の周囲には試験を受けに来たであろう人々が、物言わぬ状態で転がっていた。まるで部屋の隅にうちすてられたバービー人形みたいに。ふむ、ともすれば私もあの愉快な輪に仲間入りする訳か。
「昴、そっちの様子は?」
私は襟元のピンマイクを引き寄せて言った。
『・・って・・。・・・』
遠くで何かごそごそと音がするが、昴の声は聞こえなかった。
「ちょっと?大丈夫?」
『っと、大丈夫大丈夫!ごめん着替えてた』
「準備いい?」
『おーけー』
『任せたまえ』
「じゃあ、作戦開始!」
さて、とりあえず私は、すぐにでも走り出せるような姿勢を取りつつ、大広間の様子を伺った。すると、向こうの通路から昴が堂々と歩いてくるのが見えた。・・・ただし、彼女はこのフロアの事務員の格好をしている。
・
・・・
・・・・・
「事務員の格好をしたらどうかな?それならとっさに撃ってくることはないでしょ」
昴が言った。
「その隙をついてやっつけよう」
「悪くないアイディアね。事務員の服なら、体格が合いそうな人から剥ぎ取れば、簡単に入手できるだろうし」
『6人もか。不可能だ。ちょっとは躊躇してくれるかもしれないが、撃ってこないとは限らない、と言うか撃ってくるだろうよ』
透華が言った。
『無い』
「じゃあさ・・・こんなのはどうかしら?・・・」
私は計画を話した。
・・・・・
・・・
・
男達は一斉に昴に銃を向けた。ただし、発砲した物はいない。昴は手を後ろで組んでおり、驚いたように一歩後ろに下がった。
「あ、あのっ・・私・・」
昴が戸惑うように言った。
「どうしますか?士長」
男の一人が指示を仰ぐ
「撃・・」
その瞬間、視界が暗転した。
・
・・・
・・・・・
「昴が事務員の服をきて、全員の注意を引き付けた所で、フラッシュバンを炸裂させるのはどうかしら?」
『ダメだ。軍属の奴は体を機械化してる事が多い。目を改造されてたら聞かないぞ』
「それに、そんな注目の中ピンが抜けるかな・・・」
昴が自身なさげに言った。
『待てよ』
透華が何か思いついたように言った。
『周囲の状況を弄れば、あるいは・・・』
「何か思いついたのかしら?」
『あー・・オススメはしない。私は少なくとも私の案に反対だ』
「早く言いなさいよ!」「はーやーく」
『あーまず、私が大広間の電源を全て落とす。すると完全な暗闇になるな・・するとだ・・・』
透華は計画を話した。
・・・・・
・・・
・
完全な暗闇の中、機械化された男達の目に変化が生じていた。彼らの目に搭載された機能のうち、今起動したのは赤外線カメラだ。彼らの目は暗闇の中、しっかりと昴を捉えた。しかしそれよりも先に、昴はフラッシュバンのピンを引き抜いていた。そして発光。暗闇の世界が一瞬白く染まる。その光は私のいる通路の奥まで照らし出す程だった。・・直後、電源が回復。世界が再び明かりを取り戻す。
機械化された目は厄介だが、何か二つの事態に同時に対応することはできない。通常時にはフラッシュバンをものともしなくても、暗視モード中はしっかり効く、むしろ通常以上に効くはずだ。暗視装置を目に入るサイズに小型化する際に、保護回路を外したという噂があったが、どうやら本当だったらしい。
『私右!』昴の声が通信機から響いた。
私は、右に固まった3人に光線銃を向けた。スーツのポケットから引き抜いたそれは、
銀色に輝くボールペンのような形をしており、一見武器には見えない。むしろ、その滑らかな造形は高級筆記具を思わせる。私は男の額に照準を合わせ、側面の滑らかなボタンを押した。
光線銃は銃声がしない。しかし、放たれた熱線が壁に当たると金属が切断される音がする。ぎゃいーん。ちなみに人にあたるともっと変な音だ。電動ノコギリで木材を切り損なったみたいな音がする。
額を熱戦が貫き、男が倒れた。そのままなぞる様に照準を移動させつつ、ボタンを2回押す。ぶぶぶっ、と嫌な音が2回。こうして3人の軍人は一発も発砲する事無く地面に転がった。
「決まったぜ!」
昴も自分の担当分の敵を倒したようで、向こうから無事歩いてきた。
「あのね、私と向かい合った状態で右って言われてもどっちかわかんないから!」
「そりゃ私から見てでしょ」
昴が悪びれなく言った。
「以心伝心!譲葉とは心で繋がってるから大丈夫なのさ!」
『何が大丈夫だアンポンタン!』
透華の声が通信機から響いた。
「まあ昴の事なんて何でもわかってるんですけどね」
私は後ろから昴を抱きしめた。
「おっ言うね」
「以心?」
「伝心!」
「いえーい」「いえーい」
二人でハイタッチした。
『・・・あ、仕事の話していいですかー?』
透華が無線機ごしにぼやく。
「何かしら?」
「区画警邏隊が来てる。昴は速やかに撤退してくれたまえ。あ、高速歩道が2分前に封鎖されたから、帰りは徒歩(かち)で素早く帰ってくるように。今着てる服は霞ヶ関を出たら、適当に着替えて燃やすこと!以上!」
「了解」
「じゃ、私はここで。ばいばーい!」
昴が踵を返して駆けていく。その後姿を見送って、私は試験会場に入った。
試験会場は割と広く、階段状に合板の机と椅子が備え付けられていた。正面には大きな液晶モニターが据え置かれ、その上に小さな半円形の監視カメラが鈍く光っている。まるで、獲物を狙う鷹のようだ。
試験会場には一人の男がいた。年のころは30歳中盤位だろうか。黒く短い髪に、屈強そうな体。垂れ目だが目つきは鋭く、口には顎鬚を蓄えている。その姿は一見すると雄々しい肉食獣の様だが、その実爬虫類のような狡猾さが全身から滲み出ていた。嫌なタイプだ、私は思った。
そいつは私に気がつくと苦虫を噛み潰したような顔をした。
「・・・白野譲葉ァ」
男は唸るように言った。
「名前を知られているとは光栄ね。私はあなたを知らないけど」
「警備の連中はどうした?」
「倒した」
男は声を出して笑った。
「あの人数をか・・・普通あの死体の山見て戦うか?・・噂どおりイカレてやがる。普通撤退するぜ、命が惜しく無いのか?・・・あーあ、結構ちゃんとしたPMCだったんだがな。まあいい、テメェ死んだぜ」
「試験会場内での発砲は反逆よ?」
「そんな事しねーよ。だが俺は「上から」指令を受けてここにいるんだぜ。上の連中が計画を邪魔した下の連中をどうすると思う?PMCの身元をもっとよく調べるべきだったな」
「上ってどれくらい上なのよ」
「白」
「なんでそんな奴が小遣い程度の仕事に必死になるのよ」
「はァ?テメエ本当に何も知らねえのかよ。じゃあなんで危険を犯してまでここに来た?それにだ、そもそもこんな試験、受かりっこねえと思ってるはずだ」
「勝算があるのよ」
「まあ試験にはどうせ受からないだろうが、もし受かったらテメエは苦しみながら死ぬ事になる。落ちても死ぬだろうけどな」
どうやら想像以上に厄介な事態らしい。UV?何故一介のメンテナンス係のポストにこんな労力を裂く?今は試験室にいるので、通信が遮断されており、透華に情報収集を頼むこともできない。試験に受かって外に出たら蜂の巣にされる可能性だってある。と、いうよりその可能性が最も高い。
私が、目の前の男をどのように人質に取ろうか思案していると、試験問題を持ったボットが部屋に入ってきた。
「着席してください。繰り返します、着席してください」
私は渋々席に着く事にした。ボットが私の席に近づき、机の上に試験問題を置いた。その後ボットは反転して正面の液晶モニタの前にそそくさと戻っていった。
「試験時間は、2時間です」
ボットが話すと同時に、モニタに時計が表示された。
「では、初めてください」
正直試験より考えたいことが山ほどあった。