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手紙

 その場で端末から試験のエントリー申請を出し、二瓶氏と別れる頃にはもうお昼になっていた。昴にお腹が空いたと訴えられたので、出店で馬拉糕(マーラーカオ)をふたつ買う事にした。これは卵をたくさん使った中華風の蒸しカステラで、マレーシアから中国に伝わった。ポルトガルから日本にカステラが伝わったように、カステラの類というのは大概どこの国でもよそから伝わっているようだ。だとしたら、一体オリジナルはどこにあるのだろう?あるいはカステラは無から突然生まれたものなのだろうか?


「甘くてうまい。」


 昴が言う。


「文化大革命を生き残っただけある。」

「じゃあ老兵って訳ね。」


 私は頬張りながら答えた。

 

「消え去らなくて良かった。」

「どんなに世界が変わっても食品って奴は変わんないよね。昔の資料映像と今の食卓、対して違い無くない?もっとこう、ハイテクなドリンクで全部の栄養を摂取できるー、みたいな奴ができてもよくない?」

「多分作ったけど売れなかったのよ。おもむきがなくて。」

おもむきね。」


昴は顎に手を当てた。


「なるほど。」


 地下街の食糧事情だが、それほど悪くは無かった。海水の濾過技術を基盤とする水源の確保、様々な食料を作るプランテーション技術、それに高度な品種改良によって、地下街の住人九千二百万の食料が賄われている。

 

 実際地下への避難計画が始まった当初は、食糧確保が最も問題となったという。当時の計画によれば、虫や微生物を主食にするための研究が真剣に行われていたようだ。しかし、それらは世間に受け入れられなかったし生産コストの問題や技術面で乗り越えるべきハードルが多すぎた。結果普通に食糧生産を行った方が良いという事になり、関東地下街をぐるりと囲むように地下プランテーションが作られた。


「それで試験だけど。受かったらどうする?」


 昴が聞いてきた。


「取らぬ狸の皮算用。鬼が笑う。」

「いいじゃん計画をたてるくらいさー。受かったら月いくら貰えんの?」

「45万クレジットよ。」たしか募集要項の待遇欄にはそう書かれていた。

「45×12はー・・年440万クレジットかー。」

「540よ。間違ってる。」

「とにかく!」


 昴は少し大きい声で言った。


「ついにクリアランスを上げる時か来たんじゃないかな!」


 地下街のシステムはシンプルだ。より金のあるものがより多くの情報を得ることができ、より多くの特権を行使できる。その中核を成すのが、セキュリティー・クリアランスと呼ばれる身分制度システムである。年ごとに一定の金額を納めることで、金額に応じたセキュリティー・クリアランスを購入することができる(購入自体は義務である)。購入時に渡されるカードの色によってクリアランスを見分けることができ、100クレジットで購入できる黒いカード、クリアランスインフラレッドを底辺とし、レッドオレンジイエローグリーンブルーインディゴヴァイオレッドウルトラヴァイオレッドの順番で身分が高くなっている。

 

 元々地下暮らしの計画が発表された当初に、暴動を抑えたり、情報を統制するために作られたシステムだが、その内容は横暴そのものだ。文書の閲覧権限から、一日の電力・水・ガスの使用量、より設備の整った階層に住む権利・・・・果ては上位のクリアランスには、電子制御機構が搭載されている火機(我々市民を守るべき、区画警邏隊シティイウォッチ光線銃レーザーハンディとかだ。)の場合、通路に埋め込まれた装置により攻撃不能など、やりたい放題だ。


ブルーのクリアランスになるためには1人あたり年間200万クレジットかかるけど、私とあんたともう一人、私の事務所にはいるでしょ?3人合わせて年600万クレジットかかる訳。」


 私は手元の携帯端末の電卓機能を立ち上げた。


「トラブルシューターの稼ぎ、3人の年平均合計が1500万クレジット。でも、今の生活だと月の余剰クレジット、つまり貯蓄分は30万クレジットしかないわけ。440万+30万で470万クレジット。月々の貯蓄ナシでもちょっと厳しいわね。」


 電卓に打ち込みながら私は言う。


「っていうか昴。あんたクリアランス上げたいの?」


 たしかにクリアランスを上げることで様々な特権や恩恵に預かることができるだろう。しかし、上位クリアランスになることで生じるデメリッドもあった。まず、クリアランスが高いほど、法令を遵守しなければならない。地下街では管理システムによって、3ヶ月ごとに新たな法令が公布される。細かな日常生活レベルの細則から、企業運営、課税制度、反逆に当たるため使用できない言葉・・・などなど様々な法令ルールを守らなければ、通報によってクリアランスを落とされる可能性があるのだ。

 

 法令遵守における、管理システムや区画警邏隊の監視の目は一般的にブルーからインディゴが最も多いとされ、逆にヴァイオレッドウルトラヴァイオレッドは様々な免責があるためほとんど監視されない。

 現状私達のクリアランスである、グリーンは階級的には中間層であり、比較的生活しやすいと呼ばれている。監視の目もちょっと工夫すれば掻い潜れるため、違法なハッキングによって様々な情報を得たり、様々な武器を作ったりすることで、私達は危ない仕事も安定してこなすことができた。しかし、クリアランスを上げた場合様々な法令ルールの中で戦う必要があり、そのような戦い方について私達は知らない所があまりにも多すぎた。私はルールを知らない賭け事に挑むほど無鉄砲ではなかった。


「いやー。それでも憧れはあるなー。上層階は食べ物も美味しいらしいよ。建物もピカピカだし。」

「いらない見栄を張るより、堅実に幸せを掴みましょうよ。大体今の生活そこそこ満足じゃない?クリアランスグリーンの所得平均は国民全体の上位40パーセント位らしいわよ。」

「そんなに豊かには感じない!」

「ごもっとも。上位クリアランスの連中が物凄く貰ってて、あとは地味な差だから平均は当てにならない。ウルトラヴァイオレッドの連中ってどんだけ貰ってるのかしらね?」


 もっともブルーインディゴの連中も同じ事を言っている気がする。自分より大きな金貨袋を持っている人間がいた場合、自分が持っている物はいかにも小さく見えるものだ。その小さな中身で変える幸福よりも、もっと大きな幸福をもっているかもしれない物を羨み、妬む。金貨袋で買える幸福などたかが知れていたとしてもだ。どんなに大きな金貨袋でも、宿屋で飲む分には使う金額などさして変わらないというのに。


 食事を終えた私達は、駅のある五階に向かった。最も駅と言っても電車が来るわけではない。

 

 東京地下街には主に二つの交通手段がある。一つは電車。第二層では旧JR線にそって電車が稼動しており、上層部に住む上位クリアランスの主な移動手段となっていた。第二層の進入制限クリアランスは(インディゴ)であるため、残念ながら私達は「正規」の手続きを踏んで乗ることはできない。

 

 そしてもう一つの移動手段が五階層を走る「高速歩道(ハイウェイ)」である。「動く歩道」と言うやつは前世紀からすでに存在していたが,これを単純に高速化したものだ。高速歩道(ハイウェイ)の駅は電車の駅と異なりフラットな構造なので、駅と言うよりは通路と言ったほうが近い。乗り込み口である手前から順に速度が速くなっており,大きな5つの動く歩道が灰色の虹のように並んでいる。最も早い再奥の通路には蒼いゴムでできたベルト式の手すりが取り付けられており,それを挟んで対向歩線の人々が見える。ここではごくたまに派手に転倒して死んだり大怪我をしたりする人間がいるそうだが、あいにくと安全性が向上する動きは見られない。

 

 高速歩道ハイウェイは、今日も浅い溝の入った金属製の板をつなげたコンベアがひたすら回転させ、工場から製品を出荷するかのごとく人々を運んでいた。これができた当初は私も胸が躍ったものだ。わかりやすい未来の乗り物に、最初は興味深々だった。しかし時が過ぎ、新鮮さが失われ、憧れていた未来が日常になると何の感慨も無い。SFというのは実際には起きない出来事を空想するから楽しいのであって、実際に体験するものじゃない。


「速く帰らないと3人目が怒るよ」


 昴は滑らかに第一歩線に乗りながら言った。


「食べた後すぐ動くとお腹痛くなるわよー?」

「子供じゃあるまいし大丈夫だって。ほらほら・・先いっちゃうよー」


 昴が第二歩線に乗り換えながら答える。時速15kmで小さくなっていく彼女を追いかけて、私はあわてて第一歩線に乗り込んだ。


 高速歩道を乗り継ぎ、第一区旧神保町エリアB-5にある我が事務所に戻ってきたころには、ようやく体が昼食をエネルギーに昇華したらしく結構働く気になっていた。二瓶氏の言っていた試験の件もあったし、ポストに届いていた手紙についても考える必要があった。

 

 私の事務所は高速歩道(ハイウェイ)駅前のテナントの一つを間借りしたものだ。このあたりはちょっとした商店街になっており、今日も多くの人が訪れていた。

 

 駅を出て正面の通路奥を右に曲がり、右手側二件目が私の仕事場だった。通路に面した窓は一応毎日磨いており,今日も人工的な光を浴びて鈍く輝いていた。窓はスモークガラスで、表面に面白みの無い白いゴシック体で「譲葉事務所」と書かれおり、その下に白いアンダーラインが引かれていた。よく観察すれば「譲葉事務所」の「譲葉」の下に小さくマジックで「すばる」と書かれているのに気づく事ができるだろう。

 

 ちなみに向かい側の店は不動産屋で、太った無口な男が経営している。右隣は電子部品の専門ショップで狭いテナントに所狭しと様々な部品が並べられている。職業柄便利なのでよく利用するため、店主とは良好な関係を保っている。左隣はパン屋。惣菜パンはいまひとつだがここの食パンはおいしい。ともかくそんな愉快な立地に私の事務所はあった。


「ただいまー」「ただいま」


 チリン、チリンとドアベルを鳴らしながら、私と昴は事務所の扉を開けた。


「随分遅いじゃあないか。何かあったら一報入れてくれたまえ、昼食を待つか食べてしまうか迷うじゃないか。もう少しで捜索隊を派遣しようと思ったよ」


 鈴の鳴るような涼しい声が、そう返してきた。彼女は事務所でオペレーターをしている諸星透華もろぼしとうか。うちの居候その2である。

 

 長く黒いまっすぐな髪に、細い体に白い肌、鋭い切れ長の目に長いまつげ・・・彼女に美しい服を着せればいかにも立派に見えるだろうし、誰だってどこかのご令嬢だと思うだろう。だが彼女は大抵の場合、履き古したホットパンツにへヴィーメタル系の黒いTシャツを着ている。今日のTシャツも、銛が天に向かって突き出された禍々しいイラストの下に「The Child Must Die」と書かれたものだ。その姿は一見すると、育ちのいい少女が無理をして非行に走っているように見えるかもしれない。

 

 彼女はいつも何台ものパソコンがコの字型に配置された一角に座っていた。机の上は散らかっており、何本ものエネルギードリンクの缶が無造作に転がっていたり、電子部品が無造作に置かれ、なんだかわからないボタンやレバーが飛び出したりしている。彼女はここをコックピットと呼んでいるが、操作次第では本当に動き出しそうな趣があった。

 

 彼女はここで情報収集や、監視カメラのハッキング、敵の動きの観察などをしている。トラブルシューターというのはいきなり戦闘に巻き込まれることが少なくない。そこで、多くのトラブルシューターは外出時に自分の周囲の様子を監視カメラ等で先回りして確認して貰うためオペレータを雇う。オペレータが居れば戦闘を有利に進めるための周囲の状況判断や地区警邏隊(シティウォッチ)の足止め、現場からの迅速な逃走をサポートして貰えるのだ。戦闘が無さそうな日には勝手に仕事を放棄し、その間事務的な仕事もせず、日なが一日FPSでキルレシオを淡々と上げ続ける用な事があったとしてもだ。肝心なときに役に立てばいいのだ。


「ごめんなさい。色々あったのよ」

「これでも、高速歩道ハイウェイを疾走して帰ってきたんだよ!」


 昴が弁解するため口を開いた。


「申し訳ないけど、君達の速度がデータの通信速度を上回れるとは思えないんだが?」

「申し訳ありませんでした。色々あってすっかり忘れてました」私は素直に謝った。

「むう・・・。まあいい。私もどうせ忘れられてるだろうと思って待つことすらしなかったからね」

「ひどーい・・・そだ、透華も馬拉糕マーラーカオ食べる?」


 昴が聞いた。


「いただくよ」


透華は上機嫌でそれを受け取った。居候同士仲がよろしいことである。


 私はそんな二人を尻目に、自分の机に向かった。脚は細いが、マホガニーでできた機能的なこの机を私は気に入っていた。


「さて。仕事仕事。」


 とにかく、この豪奢な封筒の中身を確認する必要がある.私はペンたてにある真鍮製のレターオープナーを手に取った。封蝋が押された手紙をはじめて貰ったので、正直あけ方がわからなかったのだ。端から刃先を入れ手紙を開封すると、中からデータチップと手紙が出てきた。次のような内容だ。


 ----------------------------------------------------------------------------

 2081/4/9・譲葉事務所御中


 有機的な貴女へ。本状は友好の意を示すものです。


 同封


 ・設計計画書

 ・設計仕様書

 ・施工工程表

 ・運用計画(基礎計画)

 ・テストレポート


 雛鳥より、趣を込めて。


 追伸:もっと私を知りたければ、試験をパスしてください。

 ----------------------------------------------------------------------------


 なんだろうこれは、私は首を傾げた。まず誰が送ってきたのかがわからない。内容も意味不明だ。最も譲葉事務所御中、となっているので間違いではないのだろう。とにかく、これだけではよくわからないという事がわかった。と、言うことはこっちのデータチップが本題なのだろうか?私は手紙から出てきた、最新式のデータチップを手にとってしげしげと眺めた。


「これ見て貰える?正体不明の誰かさんが送ってきたんだけど」


 私はデータチップを透華に投げ渡す。透過は馬拉糕を頬張りながら起用に手でキャッチした。


「まったく。出所不明のデータはなるべく勘弁して貰えないかい?この小さなデータチップには時としてとんでもない怪物が住んでいるという事を君はわかっているのかね?」


 透華がぼやく。


「怪物の足元には大抵沢山の金貨があるものよ」

「そりゃ犠牲者のものだろう。私達も宝の一部にされたらどうするんだい・・・さて。これはもう使わないだろう」


 昴は机の上の電子機器の山から、少し古いノート型の端末を取り出した。


「たしかこの端末のデータは・・ふむ、フォーマットしてある」


透華は端末を起動し、手際よく中のファイルを確認した。


「それでこれが読み取って欲しいデータチップか。形式はナノ粒子クラスタタイプ、新しい物だな。通常のデータチップと同じく内部の液体にデータを保存するんだが、これは外部からの攻撃でデータが変質しないように細工してある。こいつは随分高価なものなのだが、どこで見つけたんだい?秋葉原地下街ジャンクヤードでも滅多に見ないぞ」


透華が問い詰めるように言った。


「ポストに入ってたわよ?」


私は答えた。


「何かまずかったかしら」

「君がどう考えているのかは知らないが、それが事実だとするならばポストに大量の現金がねじ込まれているような物だよ?」


 透華はこちらの目を見て真剣な顔で言った。かわいい・・・じゃなくて。


「いいことじゃない!」

「馬鹿なのか君は!」透華は怒って言った。「世間ではそれをトラブル発生って言うんだ!」

「私、とらぶるしゅーたー」


 昴が自分を指差して言った。


「私もよ」


私は胸を張って言った。


「頼むからお互いを射殺シュートしてくれ」


 そう言いながら彼女は仕事を進めていた。彼女はため息をつきつつ、端末に汎用データチップリーダーを突き刺した。


「ええと・・・形状・内部解析・・・・・変なものは付いてない。ウィルスチェック・・・・・敵性反応なし。外部送受信監視・・・監視者なし。」


 透華が次々とセキュリティチェックをこなしていく。もし何かあった場合はデータチップに強制パージがかかるし、何かあっても古い端末一つ惜しくはないが、外部通信機能や情報収集機能が付いていると厄介なので慎重に行って貰った。


「何もヤバイ物が出ないな。むしろ怪しいのでは・・・」

「大丈夫だって!きっと普段の行いがいいから天からの贈り物だよ!」


 昴がはしゃぐ。


「文書ファイルが5セット。総ページ数2530。紙がもったいない。デジタルデータで呼んで貰えるかな」

「わかったわ。」

「なんなんだい、これは?ミケ?公共システム?」

「ミケ?」


 何の話だろう。猫だろうか。飼い主が愛猫の姿を永遠に保存する為に高級データチップに写真を詰め込んだんだろうか。透華の背の後ろから端末の画面を見た。


「えーと、MIKEの仕様について・・・・!?」


 ミケ・・・MIKE・・MIKE(マイク)!?MIKE(マイク)って明日の試験に出るあの管理システムのマイク?


「<MIKEは次世代型管理統合システムとして2076-2081の5年間において企画・設計・建造されたものである.大きな特徴として自ら情報を収集し整理・最適化する事故学習能力を備えている.本計画は管理システムの人員削減および合理化を目的として行われ・・>これは序文か。で仕様。ラック、CPU、メモリ、FLOPS、消費電力・・・」


 妙な気分だった。まるで自分の夢の中に入ってしまった気分だ。この世界は私が眠っている間に生み出した明晰夢で、自覚した以上これからなんでも思い通りになるのかもしれない。あるいはこれは罠で、欲望に従ってチーズにありついた場合には、後ろで重たい鉄格子が閉じしまうのかもしれない。悲しいことに哀れな鼠は、そのチーズが偶然落ちた物なのか意図的に落とされた物なのか判断できない。

 

 これが偽者という可能性もある。だが使用書には消費電力が書いてあった。これがあるという事は本物の可能性が高い。ざっと見た感じ、そこに書かれた数値はあまりにもリアルすぎた。素人が偽造できるような感じではなかった。

 

 管理システムの消費電力情報は最高機密の一つだ。理由は簡単で、消費電力が知れると周囲の電力網をどの程度破壊すれば管理システムが止まるか知れてしまうからだ。予備電源に切り替わった所で電源が切れる前に問題を解決できなければ管理システムは止まる。するとどうなるか。あらゆる施設が停止し、問題が起こるのは想像に難くないが、最も問題なのは換気である。地下10階まである関東地下街に十分な空気がいきわたっているのは換気システムのおかげであり、これが止まると下層から徐々に空気が薄くなり皆窒息して死ぬ。下層の住人が死に、上層のわずかな人間が屋外に脱出した後は、下水道・地下水・海水の排水システムの停止によって現れた大量の水で、あっというまに関東地下街は冠水し、全ては水底へ沈む。

 

 要するに管理システムの停止は国家の終わりに等しい。ゆえにそれらの情報は最高機密として扱われていた。


「なんだいこれは?何か大型の端末に関する使用書の様だがね・・」

「新型管理システムのすべてね。使用書とか。」


 透過は薄く笑った。これは単純に冗談だと受け止められてしまった様だ。


「なるほどそいつはいい。持っているだけで処刑されるようなデータがポストから出てきたと。出番だぞトラブルシューター、このファイルをどこか遠くにやってくれ」

「言っとくけどギャグじゃないわよ。」


 私は真顔で答えた。


 透華は私の顔を見て、また画面を見た。それからまた私の顔を見て、また画面を見た。彼女の顔は文章をスクロールするごとに青くなったり、白くなったりしていた。その後彼女はまったく信じられないと言った面持ちでこちらを見、それからまた画面に向き直った。

 

 彼女は腕を素早く動かし、キーボードを叩いた。一切の無駄の無い洗練された動きだ。ショトカット・キーを使って全てのファイルを選択し、そのま最速でDeleteキーに指を・・・


「待っ・・ちなさいよ」


 私はキーが押されるギリギリで透華の腕を掴んだ。


「消させてくれ!頼む!後生だ!」


 透華が叫ぶ。


「これは絶対にマズイ!」

「ばれなきゃ大丈夫よ」


 透過は観念したのか、諦めたように脱力して言った。


「古今東西昔から、知っていたら殺される情報というのは存在するんだ。知ってるだけでヤバイ。一般人が格ミサイルの発射番号を知っているようなものなんだ。・・・この情報はUV権限でも見られないぞ。ごくごく一部のシステム管理者連中が知ってる超極秘事項、いわゆる頂上権限者(オーバーロード)しか知らない最高機密・・・・ばれたら銃殺じゃすまないだろうね」


 頂上権限者(オーバーロード)。このディストピアに君臨する絶対者。


 人類が地下で暮らすことになり、効率化と集約が進められる中誕生した管理システム。その計画立案者および製作者たち。この世界の全容を知るもの。最もこの名称は正式名称ではなく、白(Ultra-Violet)権限(UV権限)でもアクセス不可能なファイルが管理システムに存在することからこう呼ばれる。名前はおろか、全部で何人いるのかすら不明であり、実態は完全に隠されている。


「やっぱり殺されるかー、野蛮ね。<幼年期の終わり>が来ないはずだわ」


私は言った。


「最もそのほうがずっといいけれど」

「まったく同感だね」


 そんな連中しか見られない超極秘事項を(グリーン)程度が閲覧したと知れれば即銃殺である。最も、セキュリティクリアランス以上の情報を除いた時点で罪に問われるのだが。


「まあ見ちゃったものはしょうがないわよ。利用する方向で行きましょ。」


 見てしまった物はしかたがない。それにこんな面白そうな情報に飛びつかないほど私は無欲ではなかった。偶然にせよ誰かの意図があるにせよ、この情報が私の手に入った意味は非常に大きい。後に起こるであろう様々な問題は柔軟に解決していけばいい。 


「ちょっとー。二人で何やってんのさー」


 昴が退屈したのかこちらに来た。かまっって欲しい犬のようである。


「何々・・・ミケのー」

「マイク」「マイクだ」


 私と茜は同時に突っ込みを入れる。


「細かいなあー、まいくの運用について?ああ、風間さんが言ってたやつ?何?資料もらったの?」

「君は気楽でいいな・・・」

「あなたもこれ位軽く考えてくれていいのよ?」

「そんな事したら事務所が10回は家宅捜索されてるぞ」


 私と透華は顔を見合わせて笑う。きっと昴はこれが拙いデータであることすら認識していないだろう。知らないと言うことは気楽なものである。


「おお、これ見れば明日のテストは完璧!ラッキーじゃん!」


 昴は跳ねるようにはしゃいだ。


「そうね!」

「待ちたまえ!何?テスト?」


 透華が聞いてきた。


「何のことだ?」

「言ってなかったかしら?私、明日新型管理システムの整備係の試験を受けるの」

「まさかとは思うが新型管理システムとはここに書かれたMIKEの事かね?」

「そうよ」

「で、この手紙を受け取ることは君の計画の内なのかね?」

「いや?全然。今日急にポストに入っていたわ。」

「チクショー!罠だ罠!絶対罠だ!」


 透華がまたDeleteキーに指を伸ばしたので、腕を掴んで全力で止めた。


「君だって罠なんじゃないかとは思っているんだろう?」


 透華が手に力を込めながら問う。


「100%罠だとは思ってない。誰かが私達を利用しようとしている可能性は高いけど」

「罠でない根拠は」

「この使用書を本物だと仮定して考えるわよ。これをどこかの誰かさんが手に入れる過程では多くの人員や装備、技術が必要になったと思うわ。つまりこのファイルを手に入れるのに多くのコストが掛けられた可能性が高い訳ね。・・・正直に考えて、そんな大金があれば殺し屋を1ダースばかり雇って私達を始末するほうが簡単だと思わない?なぜそんな回りくどい事を?」

「君を操ることが目的なら?」

「望む所ね」


 これを使えばば明日の試験の勝率は大きく跳ね上がるだろう。しかし、このブッチギリのタイミングで送られてきたこの手紙の主をまだ信用する訳にはいかない。が、文面から察するに、この手紙の主は一応我々に試験に受かって欲しい様だし、誰かさんの意図に乗ってみるのも悪くないと私は思ったのだ。


「はあー・・・まあいいだろう。」


 透華が言った。


「少し面白そうだしな」

「おお!分かってきたね!私は嬉しいよー!」


 昴が透華に抱きついて言った。


「やめたまえ!暑い!苦しい!」

「ま、なるようになるわよ。・・・なるようにしてみせるわ」


 さて、とりあえずこの使用書を明日までに覚えてしまおう。

 ゲームを制するのはいつだって情報を多く持っている方である。







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