状況開始
日の光はある日突然高級品になった。
三次大戦後疲弊した日本に、民主化して着々と力をつけていた中国が戦線布告してきたその日、イエローストーン国立公園が吹っ飛んで全ては台無しになった。地上は灰という灰に覆われ、世界は泥の中に沈んだ。
それでも人類は地下で生きる。いつの日か外に出るために、穴の中で朽ちていかないように。
最も私には、地下以外の場所で暮らしていた記憶が無いため、地上に対して郷愁とか憧れとか言った感情を持ってはいなかった。幼い頃に地上の様子を写した資料映像を見せられた時には多少は興味深いと思ったが、同時にさっぱり現実感がなく、どこか遠くの惑星を説明しているかの様だと感じた。何というかその行為は、絶滅した動物の映像を眺めるのによく似ていた。私にとって地上は失われたものなのだ。もし地上が永遠に失われても少しも困りはしない、そう思う程度にはこの地下暮らしに満足していた。
4月のある日、私は石川町エリア・横浜地下街の最下層であるB-10階に来ていた。
不快な湿気があたりに立ち込めており、私は思わず眉をしかめた。この地域は欧州戦争で受け入れた移民や、元々居た華僑が多く、管理者の嫌がらせでエリアの換気能力が著しく悪いのだ。
この地区では現在の世界の歪みをそっくり全部見ることができる。21世紀初頭から続く様々な戦争、それによって発生した問題、そしてそれらの解決策を誰も考え付かなかった結果の集積・・・・それが横浜地下街最下層だ。
この区画の天井は非常に低く、太く短い柱が並んでいる。少し手を伸ばせばも天井に届きそうな位だ。無機質なコンクリート打ちっぱなしの天井は、居住区や工場町から出る排気ガスで湿ったように変色しており、その下にトタン屋根の建物がお互いを支え合うように建っていた。それは建物が建っていると言うよりも、建物が通路に詰まっている、と言ったほうが適当な気さえした。
実際上層階の上位クリアランスの連中はここをゴミ貯めだと考えているようで、この階層には基本的に近づいてこない。緑以上のクリアランスでここに来るのはよっぽどの変わり者か、私のようなトラブルシューター、それにお仲間のトランスポーターだけだ。
ただここには、上の階層には無い活気がいつもあった。今日も狭い路地には大いに賑わっており、移動式の屋台が大勢出店していた。食べ物と人、汗や廃棄物の匂いが周囲に漂っており、原始的な食欲を喚起させる。屋台の周囲では子供達が笑いながら走り回っており、移動式屋台の痩せこけた中年の女が睨めつけるような視線を彼らにぶつけていた。
私は屋台の立ち並ぶ通りを素早く抜け、より細くなっている脇道を曲がった。道といっても建物と建物の間にできた裂け目みたいなものだ。建物を形作る廃材の鉄筋やら、破れたトタンやらがそこかしこから飛び出していたり、通路に引っかかるように道を塞いでいたりする。通路のあまりの狭さに,新しく仕立てたスーツをどこかに擦って汚しやしないかと少し心配になった。ここに住む彼らほど貧しくは無いが、彼らの2倍豊かな訳ではない。
だから、しばらく狭い道を歩いてようやくお目当ての、赤い屋根の古い養鶏場を見つけ出した時には、ほっと胸を撫で下ろした。ここには何度来ても慣れない。ここを探している者がこの周辺の地図を持っていたとしても、何度かここに来た経験のある者が一緒でなければ来るのは不可能だろう。通路を構成する建物は一週間もあれば全て変わるし、そのたびにここへのルートは変化する。
何度か後ろを振り返って尾行が無いことを確認し、足を踏み入れる。荒れ放題の養鶏場だが、中は無臭だった。理由は簡単で、本当は鶏などここには一匹だっていないからである。
使われた形跡の無いケージが続いており、通路の片隅には申し訳程度に鳥の餌が積まれている。部屋の赤い壁には白いゴシック体で大きく「横浜養鶏」と書かれている。からっぽの養鶏施設が連なる道を進んでいくと、朽ちかけた木製の赤い扉が見えた。良く見ると扉には、強化シリコンで補修された跡が何箇所か見られる。
この扉に入るには合図がいる。まず扉に近づき、4回ノックする。するとすぐに、中から1回ノックが聞こえるので、素早く3回ノックする。
「誰だ?」
中から割と若い、精悍な声がした。
「白野譲葉。事務所宛てに何か届いてないか見に来たのよ」
「譲葉か。」
ブザー音とともに扉が開き、中から重装甲の歩兵が一人出てきた。分厚い装甲に守られた彼はロバート・A・ハイラインの「宇宙の戦士」に出てきそうだった。彼は向平利己。この部屋の管理人だ。
「いつも思うけど」
私は顎に手を当てて言った。
「何と戦うつもりなの?」
「戦うんじゃない、この場所を守ってるんだ。俺はさながら、押し寄せる蛮族たちから民を守る堅牢な砦って訳だな。」
利己は私に自分の武装を誇示するように見せ付けた。
「地下10階まで攻城兵器を持った蛮族が攻めてくるとは思えないけど?」
「大は小を兼ねる、って言葉が日本にはあるんだよ。お前のような金髪の外国人にはわからんだろうけどな」
「私は8分の1よ。外国人じゃない」
私のひいおばあさんは欧州戦争が起きた時、ドイツから難民として日本にやってきた。私は彼女の血が濃く出たらしく、灰色の目に金色の髪という姿でこの世に生まれる事となった。
「怒るなよ。俺も16分の1だ。先祖にドイツ人がいるらしい。今の時代純正が何人居る?そしてそれに何の意味がある?」
「上位クリアランスは純正が多いって言うじゃない?」
私は彼に尋ねた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
利己は静かに言った。
「だが結局真実は誰にも分からない、そこにたどり着かない限りは何も分からないんだ。残念ながら俺達のクリアランスじゃ正確な情報なんて分からない。10クレジットで回せるガムボウルのガチャガチャがあるだろ?俺らは2回廻して2つとも赤いガムボウルだったら中身が全部赤なんだと思っちまう。だが実際ガムボウルには様々な色があるだろ?何色に偏っているかは全部引いてみないとわかりっこない。だが、俺達は残念ながら全部引く金なんて持ち合わせちゃいないんだ。それで全てだ。わかるか?それですべてなんだ」
「何か悟ったのかしら」
私は笑った。
「一理ある」
「警備ってのは暇でね」
彼も笑った。
「色々な事を考えるんだ。本当に色々なことを、今日の晩飯から、政治、哲学についてまで。だが最近考えすぎて同僚が欝になり、仕事を辞めちまった。俺はますます考える時間が増えたって訳さ」
「・・・中々面白かったわ。じゃあそろそろ通してくれる?哲学者さん。そろそろ仕事に戻らないと」
私は扉を潜り、中に入った。
中はここが地下10階層とは思えないほど清潔だった。白に黒い縞模様の入ったタイル張りの床はピカピカに磨き上げられ、天井には白く清潔なLEDの間接照明が取り付けられている。壁には複数の柱がならび、それらには温かみのある茶色でアールヌーボーの植物の柄がプリントされていた。柱と柱の間は15メートル程で、その間の壁一面に銀色のポストが備え付けられていた。
ここは「行き場の果て」と呼ばれる未認可私書箱である。通常、正規のルートで運ばれる郵便物は、運輸局によって全ての中身を検分され、クリアランス違反や反逆に該当するものが無いか細かなチェックが入る。また、管理者所管の郵便ポストは個人のものでも法人のものでも全て監視されており、運輸局から発送された荷物以外がポストに投函されるとクリアランス違反で区画警邏隊に自動で通報される。そこで登場したのがトランスポーターである。
トランスポーターは基本的に何でもやる私達トラブルシューターとは違い、郵便の輸送を専門に行う集団である。彼らは依頼主から荷物を受け取り宛先に届けるのだが、その際の届け先に未認可私書箱が使われるのだ。機密性が高く、摘発のリスクの低いここは、トランスポーターの連中も重視しているようで、警備にも施設にもえらく金がかかっている。
ここにはいつも厄介そうな連中がたむろしていた。例えば、黒いコートに黒い帽子を目深に被った外国人らしき男、妙に目つきが悪く右ポケットに手を突っ込んで周囲を警戒している物乞い、ラフな私服を着ているが妙に姿勢がいい軍属らしき男など、様々な人種が剣呑な雰囲気を醸し出していた。いつでも暴れだしそうな人々が、いつでも集っており、自由に観察できる事から、私はこの場所を文化的サファリパークと呼んでいた。
そんな剣呑な連中と顔を合わせないように、自分の契約しているポストの前に足早に向かう。a-13番、入り口から入って右側、三つ目の柱の手前側、上から三番目が私の小さな領地だ。私は念のため周囲を警戒し,レトロな黒いダイアル錠のついたノブを手際良く回す。横開きの扉を開け,屈むように中を覗き込むと,1通の封筒が確認できた。
それは無地の封筒だった。ポストの中央にぽつんとあるそれは奇妙な存在感があった。封筒は普段見ないような上質なもので,分厚くしっかりとした紙が使われている。私はそれをつまみあげ、しげしげと眺めてみた。立派な封蝋が押してあり、見覚えの無いエンブレムが赤く輝いている。封筒に使われている紙は立派なだけでなく、透かし彫りで周囲に美しい模様が施されていた。まるで小さなウェディングドレスみたいに。ただしそのドレスはいかにも古めかしく、中世の御伽噺から現れたようだった。
「まったく検討がつかないわね・・・」
いったい誰がこんな時代錯誤な物を送ってきたのだろう。私の所に届くのは大抵トラブルを解決する旨の書いた依頼書だが、大抵もっと薄くて、もっと質素な紙に書かれている。こんな未認可私書箱に、ましてやクリアランス緑程度の私に誰がこんなものを送ってくるというのか。要するにあまりにも場違いなのだ。近所の公園にモーニングのコートを着て、アスコットタイを締めていくような物である。そのような物はしかるべき時に、しかるべき場所で使われるべきなのだ。それ以外は悪い冗談以外の何者でもない。
「何々?面白そうな仕事でもきてるの?」
急に私のすぐ後ろから声がした。私は思わず胸ポケットに手をいれ振り返った。
「って、うわ!何よ昴!急に出てくるとびっくりするじゃない」
私は後ろから声をかけてきた昔馴染みの相棒の姿を見て警戒を解いた。園原昴。私の相棒だ。彼女の顔は優しい動物のようだ。変な表現だがそれ以外に言いようが無い。丸く大きな栗色の瞳は、生命のエネルギーに満ちており、肩口までかかる深い茶色の髪は太く、少し硬そうな感じで、所々うねって曲線を描いている。今日の彼女は黒ベースに細いグレーのウィンドペンチェックのズボン、長袖の白いシャツにサスペンダーを付け、金属の付いたモンクストラップの革靴を履いていた。正直彼女の靴の趣味だけは理解できない。一度彼女にその靴はもっと年配の男性が履くべき物だと主張した事があるが、一笑に付されてしまった。
「いやー譲葉の素敵な金の髪がみえたもんでさー、いつ気づくかなーと思いながら後つけたんだけど全然気付いてくんないじゃん?いやー昴さんは悲しいよ。愛が足りないんじゃないかな」
そう言いながら自然に背中に抱きついて私の束ねた髪をいじってくる。
「悲しみを抱えて生きて行ってはどうかしら」
私はできるだけ素っ気無く言った。
「わかってないな」
彼女が笑う。
「悲しみを乗り越えるためにはやっぱり愛がいるじゃないか!」
彼女の笑顔が私は好きだった。それはきっと彼女がどこか妹に似ているからだろう。あの日から10年も経つが未だにあの夜の夢を見た。あの夜は私の中で呪いなのだ。あの男、オオトリを縊り殺す事ができたら、少しは楽になるのだろうか?それはないだろう。だが私はあの男を必ず見つけ出し、殺す。
「ほいで?誰からの依頼なの?その舞踏会の招待状見たいなやつ」
昴は興味深深といった様子でこちらを見た。
「誰だろう?まったく検討がつかないわね。封蝋の印も記憶にないし・・あるいはカッコいいからと理由で押してなければだけど・・・こんな上質の紙を使える連中はかなり高位のセキュリティー・クリアランスだと思うけど?心当たりある?」
「ない!譲葉は?」
「私もないわよ」
仕事をくれるお客さんの中で一番高いクリアランスは藍、緑の私達の二つ上だ、それ以上の紫・白は居ない。彼らが私に仕事を頼むとしたら直接私の電話に連絡が来るだろう。この私書箱は比較的新規の顧客にいきなり電話番号や事務所の住所を教えるのは躊躇われる、という理由で借りているものだ。だから誰かから私達を紹介された新規の顧客の可能性もある。
「じつは私は偉い人の私生児で、ついに私を引き取りたいという連絡では!?」
「無いわね」
「にべもないね」
とにかく帰って開けて見なければ何もわからないと言う事になったが、私達はしばらく手紙の内容について妄想と妄言を垂れ流していた。
「舞踏会の招待状?」
「ナンセンスだよ。大体、お城が無いし、あったとして何着ていくのさ?スーツ?」
「それじゃ、SPじゃない」
「私は間違えて投函された恋文だと思うな」
「こんな物騒な所を借りてる人に対するアプローチとしては少女趣味がすぎるんじゃないかしら?」
何にせよ、妄想の広がる手紙だ。これで中に入っていたのが電気料金の請求書とかだったら軽い眩暈を覚えるかもしれない。
そうしている内に通路の向こうから背の高いハゲ頭の男がこちらに向かって歩いてきた。こちらも知った顔だ。全体的に無骨な印象で,顔の中央にある強さを示すような鷲鼻が特徴的だ。やや白の混じる髪に、同じカラーリングの眉は、古びて塗装が剥げていく看板のようだった。その厳しい体つきは昔の映画で見た鉱山作業員を連想させるが、その無骨な印象とは裏腹に、彼は洒落たネイビーのダブルスーツを着ており、少しだけちぐはぐな印象を醸し出していた。彼はこちらを黒目の少ない鷲のような目でこちらを見やると,少し表情を緩めて声を掛けてきた。
「よう、お前ら!また女同士でいちゃついてんのかよ?変な噂が経つぜ?」
彼の声は彼の格好ほど洒落てはいない。前世紀の酒場に響く飲んだくれの焼けたしゃがれ声だ。
「煩い、風間」
昴が一蹴する。
「あら、二瓶さん。久しぶり。調子はどう?」
私は友好的な同業者に機嫌よく声を掛けた。
風間二瓶は腕の立つトラブルシューターだ。同じトラブルシューターだが年齢層が上なので、荒事よりも違法な機械修理やちょっとした裏工作を仕事の主としている。要するに彼と顧客の奪い合いになることは滅多に無い。こういった事情から利益が被りやすく同業者に容赦ないこの業界では珍しく友好的な関係を保っていた。
「今仕事帰りだ。今週忙しくてな。非合法の機械の修理が7件。犯罪者の捕縛が3件だ。そっちは?」
「機械修理0、犯罪者の捕縛7」
私はうんざりしたように言った。
「いやー若いっていいねえ。俺はもう人追いかける系の仕事しんどいからやりたくないんだよねえ。でもお前本業プログラマだろ?腕が錆びちまうんじゃねえか?」
二瓶氏が笑う。
「本当よ。若いから舐められてるの。年齢偽って50才とかって設定にしようかしら?」
「この業界は年功序列感があるからな・・・。簡単な仕事ならある程度古い知り合いに頼むもんだ。若いトラブルシューターはすぐ死んじまうし、この業界前払い以外認めねえからな。ちなみに若い別嬪のトラブルシュータの知り合いは過去3人いたが、お前以外みんな死んじまった」
「笑っていいのかしら?ねえ、笑っていいの?」
二瓶氏は豪快に笑った。私としては全然笑えない冗談である。トラブルシューターの平均寿命は統計としてデータに無いが、私の知る限り35才以上で現役の者は目の前の爺(50才くらいだろうか?)と、他数人しかいない。私の同期・・といっていいのかわからないが、同年代のものが山ほど居る現状から考えてこの職業の生存率は非常に低い。給料は悪くないが。
コンピュータプログラムのできるトラブルシューターとして、数年前に開業してから幾許かの日々が流れたが、入ってくる仕事は肉体労働ばかりだった。地下街で若くして活躍しているプログラマは高位クリアランスであり、専門の養成所で訓練を受けたエリートである。当然私もそうである、と言いたい所だが、もしそうならトラブルシューターなどやっていないだろう。あのクリスマスの夜の後、疎開先で出会った科学者の叔父から機械工学やロボット工学、プログラミングの基礎を教わったが、いまいち日の目をみない。
最も、二瓶氏も同様にモグリだが年季が違う。同じ位の技術を持っていても信頼性が大きく違うため、機会修理の仕事もそこそこ入る。そうして安全な仕事を増やしてていき、危険な仕事を減らしていく事で、年をとったトラブルシューターは徐々に引退していく。
「この界隈でお前さん程機械に詳しいやつもいないのにな」
二瓶氏が気の毒そうに言った。
「このままじゃ宝の持ち腐れ、ってやつだよねー・・・」
昴もそれに同調し、深く頷いた。
二瓶氏と昴が二人してこちらを見やる。同情の目だ。真に不本意である。
「二瓶さんも、そう思うなら何か仕事ないの?ご飯の種くらいでもいいのよ?」
「同情で腹は膨れねえってか?」
「同情でも食べていけるわよ?でも同情で食べていくのって難しいの。私の立場がどんなに悪いか知って貰うためのショーを開く必要があるし、そのためには私が貧しい客観的な証拠を集めないといけない。それにサクラや・・・観客も集めないと」
「そんな力があるなら恵まれてるって言わない?」
昴が素朴な疑問を投げてきた。
「真に恵まれていないということは、誰からも見えていないと言う事なのよ。だれも見えない、見たくないという状況の人間は誰も救えないし救いたくない、つまりお金にならないの」
「・・十階層に住んでる連中とかな。まあ与太話はいい。そんなお前にいい話があるんだ」
二瓶氏は急に真剣な顔になり、口に手をあてる。私達は話を聞くために彼の近くに詰め、頭を合わせた。
二瓶氏は周囲に聞き耳を立てている人間ががいないことを確認し、口に手を当て小さな声で話し始めた。実に古典的な内緒話をするものだな、と私は思った。
「近々、新しい区画管理システムが導入されるらしいぞ。MIKEとか言ってな、何でも一般公募で整備係を一人重用するってもっぱらの噂だぜ」
管理システムは現在の地下街の心臓と呼ばれている。元々人類が地上から地下に居住場所を変えるにあたって、あらゆるインフラや物流、交通、公的な手続き、裁判やセキュリティなど様々なものを自動で管理・処理する高性能コンピュータが開発された。10階層全域に張り巡らされた様々な計測装置から情報を読み取り、監視カメラで人々を見つめる地下の守護天使にして看守である。
これを保守点検するのは整備係、正式には「管理システム調整権限資格保有者」と呼ばれる存在だ。地下街の区画毎に幾つか存在する管理システム1台毎に各1名ずつ配備する事が法律で義務付けられている。
少ない人数での管理だが、管理システムは滅多に壊れる事は無いし、点検するのだって一週間に一度やれば十分だ。自己修復プログラムもあるし、バグだって自分で修復、処理、最適化してくれる。
要するにお飾りのポストだ。だが、待遇はいい。給金も気前がよく、一線を退いた上位クリアランスの老後の仕事や金持ちの息子の小遣い稼ぎの仕事として人気を博している。そのため我々のような緑には関係のない話だと思っていたのだが・・。
「一般公募?珍しいわね。そういう席は上位クリアランスの皆様が内々で廻す物だと認識していたけれど。どう公募するのかしら。プログラミング・コンテストでもやるわけ?」
「譲葉の腕の見せ所じゃん!」
昴が嬉しそうに跳ねる。
「いや、そうじゃねえ。ペーパーテストだ。MIKEに関する知識と技術に関わる問題が出る」
二瓶氏が答える。
「やっぱり内々で廻すつもりなのねー。最新型管理コンピュータの情報なんて上位クリアランスの権限がないと調べられないじゃない。紫以上の連中のためのポーズすら公平じゃない試験」
私は、またか、と笑った。
「その通り。出来レースだった。上位クリアランスの奴がコネで仕事を手に入れるって話だ。システム開発者の息子が試験を受けるって聞いて俺たちも察したね。だがここからがいつもと違う」
二瓶氏がより声を落とす。
「そのシステム開発者の息子を出し抜けるとか?」
「試験の間に縛って何処かに監禁するとかよくない?」
昴が物騒な提案をする。
「よくねえ。まあ聞け、ここだけの話だ。3時間前、その開発者の息子が電車に轢かれて死んだ。東京地下街第二層旧銀座エリア。」
「第二層、下位クリアランス制限地域。私たちは侵入不可」
旧銀座エリアは下位クリアランス制限地域の中でも特に警備が厳しいエリアだ。大型の区画管理システムと大量の食料や資源・物資の管理センターがあるため,暴動やテロ・強盗の類を防止するため緑以下の黄、橙、赤、黒の市民は立ち入れないエリアになっている。
「事故か事件かはまだわからねえ。さて、今回のテストだが、緑以上の市民を対象とする、と公式ページに書いてある。」
二瓶氏は端末を取り出し、試験の概要が書かれたwebページを見せてきた。
「だが今回の事件のせいで上位クリアランスである青、藍、紫、白の連中は試験を受けづらい。もし試験に受かってみろ、あいつが殺したって噂が立つかもしれねえ。足の引っ張り合いだけは熱心な連中だしな。さっき上位クリアランスの専用掲示板を覗き見させて貰ったが、誰が殺したかの話題で持ちきりだったぜ。」
二瓶氏唇の片側を歪めて笑った。
「上位クリアランスの連中は試験を受けづらい。が、幸いな事に奴は監視の厳しい駅で死んでくれた。俺達には関係ねえ」
「なるほど。期せずして私達に有利になっている、ということね」
「試験を受けるなら、ウェブサイトで受け付けてる。締め切りはあと3時間、轢死事件が緑専用掲示板のニュースで流れる頃には受付は終了してるってわけだ」
「たしかにおいしい話だけど・・・」
話ができ過ぎているように感じた。まるで緑の誰かのためにお膳立てしたみたいだ。もしかしたらその轢死した開発者の息子以外の誰かを整備係にする必要のある人間がいて、その人間が私と同じ緑の所属だとすると厄介な事になるだろう。最悪試験を受ける前に殺されたり、敵が答案の答えを入手している可能性は十分にある。そうだった場合危険だし時間と労力が無駄になってしまう。・・・・・しかし、思考とは逆に、私の腹はもう決まっていた。
「なんだよ?受けないのか?」
「いいえ。受けるわ。危険は多そうだけど」
「そうこなくちゃな!」
たしかに危険は大きい。しかし、何か仕掛ける人間がいたとしても、彼らにとって私の存在はイレギュラーなはずだ。わたしはそう簡単に殺されないし、彼らの想像以上にプログラムの知識がある。さらに言えば、国営の管理システムなら採点はコンピュータが行うので、試験さえ受けてしまえば不正のしようが無い。十分に勝算のあるゲームだ。勝てばほぼ無労働で安定した収入が保証される。やるしかないだろう。
「そうえば二瓶さんも試験は受けるのかしら?」
私はふと疑問に思った。
「いや、俺はいい。最近機械修理の仕事も軌道に乗ってきたしな。お前に知識量で勝てるとも思わねえし、そもそも俺は権力の下で働くような柄じゃねえよ。俺は弦のように這い上がるのは得意じゃねえ、だがお前なら上に伸びていけるかと思ってな」
「あら嬉しい。でも私は他人頼みの弦は御免だわ。菩薩樹とまではいかないけれど、痩せても枯れても一人立ちなの」私は腰に手をあてて胸を張った。
「ならいいが、どこまで伸びられる?お前はもっと器用なタイプだろ?こんな地の底に根を下ろしちゃ腐っちまうよ。管理者側になるのは気にいらねえかもしれないが、給料はいいぜ。俺なら貰った給金でクリアランスを上げるがね。日の光をもっと浴びれるし、広い家にも住める。いつか綺麗な嫁さんと暖かい日の光を浴びながら、プール付きの家で酒でも飲みながらのんびりと暮らしたいね、俺は」
「この娘と二人でクリアランスを上げてそれを維持できるほどは貰えないし。それに・・」
私は昴を胸元に抱き寄せる。
「この生活気に入ってるの」
「早死にするぞ」
彼は少しさびしそうな、あるいは悲しそうな無表情でそう言った。
「お互い様よ。試験の情報ありがとう。装備を整えて明日に備えなきゃ、荒れない理由がないわ」
二瓶氏は呆れたように笑うと,煙草を咥えて去っていった。銘柄はキャスター。服と同様に、彼には柄じゃなかった。