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始まりの日

 それは2073年の冬のことだった。私が家族とともに地下で生まれてから丁度8度目のクリスマスを迎えた日だ。

 

 その日は父が珍しく仕事から速く帰ってきて、珍しく一家そろって夕食を食べた。微生物の合成肉ではあったが、大きな七面鳥の丸焼きに、カボチャのポタージュスープ、それに温かいパンと、普段は見ない豪華な食事に私と妹は大はしゃぎした。


譲葉ゆずはさくら、落ち着いて食べないとサンタクロースのおじさんは家に来るのをやめてしまうかもしれないよ?」


父が上機嫌に言う。その日は珍しく、普段あまり飲まない酒を飲んでいた。


「それはやだ」


妹の桜が七面鳥を頬張りながら言う。


「サンタさんに言わないで」

「どうしようかな?」

「パパがくれるわけじゃないんだから!黙っててくれてもいいじゃん!」

「落ち着きなさいよ、桜」


私はまだ12歳になったばかりだったが、彼女の前では大人であろうと勤めていた。


「きっと大丈夫よ。それに普段はもっと静かに食べているし、今日ぐらい見逃してくれるわよ」

「そう、今日ぐらい」


桜は二枚目の七面鳥に手を伸ばした。


「許してくれるよね!」


 母はそんな私達を、微笑みながら静かに見守っていた。


 その時は愚かにも、そんな日常の幸せが未来永劫続くものだと信じていた。私達が世界の中心で、全ての物事は自分の思い通りになると信じて疑わなかった。

 

 父や母が何をしていたのか、よく観察していれば少しは分かったのかもしれない。・・・要するに当時の私達は、まだ目に入るはずの多くの出来事が見えていなかったんだと思う。その代わりとして私達が信じていたものは、目に見えない様々な秘密の生き物達だった。神様に幽霊、抜けた乳歯を枕の下に入れておくと幾許かのクレジットに変えてくれる歯の妖精・・・・・それに、サンタクロース。


 私はその夜、サンタクロースの正体を暴いてやろうと意気込んでいた。いったいどんな人物なのか?はたしてその目的は?空を飛べるというソリに乗せてくれる?外国ってどんな感じ?聞きたことは山ほどあった。そこで当時妹と一緒のベッドで寝ていた私は、彼女が起きないよう細心の注意を払いながらそっとベッドを抜け出し、部屋の隅にある小さなクローゼットに隠れた。クローゼットの扉には木製のブラインドが付いていて、私はその隙間から目を爛々と光らせ、獲物を狙う猫のようにサンタクロースを待った。

 

 しかし、サンタクロース氏は予想に反してなかなか来ることは無かった。時間とともに私のまぶたは段々重くなり、体は徐々に傾いていった。私は夢の支配者モルフェウスと懸命に戦ったが、好奇心の弓は折れ、体力の矢は尽き、最後には彼に跪いた。


 ・・・ちん・・ぱちん・・・ぱちん。


 私は遠くで小さく硬質な何かがぶつかり合うような音で目を覚ました。目が覚めた時、一瞬自分がどこに居るのかわからなかった・・・・ああそうか、私はクローゼットの中に居たのだ。薄手のパジャマしか着ていなかったので、体は冷え、折り曲げていた手足は痺れて感覚が無くなっていた。まるで、自分がゴム人形になったみたいに。

 

 正直な所、もうサンタクロースなんてどうでもよかった。ただ、暖かいベッドで眠りたいとそう願った。だから、外の音が何なのかそれほど興味も無かった。もしかしたら、父や母に私がベットに居ないことがばれたのかも知れない・・当時はそう思った。とにかく部屋には誰かがきているようだ。私はそっとブラインドから室内を伺った。

 

 もしそこで私がプレゼントを持った両親を発見していれば、ちょっとした笑い話になっただろう。実はサンタクロースはお父さんだった、なんて安っぽい魔法の、それも幸福な魔法の種が割れても、私達は幸せでいられただろう。しかし、その夜消え去ったのはもっと大きな魔法だった。


 クローゼットの外には、見知らぬ男が立っていた。

 

 年頃は青年といっていいほど若く、背はかなり高い。少し浅黒い肌に、年齢に合わない白い髪。彫りの深い、彫像のような整った顔をしている。針金のような細い体に、シャドーストライプのスーツを着ており、そこに白とグレーのダイヤパターンのネクタイを締めている。襟元には細い銀色のチェーンに、銀の薔薇のついたラペルピン。洒落ているな、とは思ったが私の趣味ではなかった。それにここはパーティの会場ではなく、一般的な地下街市民の一般的な子供部屋だ。その浮いた存在は部屋で静かに佇んでいた。まるで、閉館後の美術館に置かれている彫像のように。


「誰だろう?」


 第一印象はそんなものだった。お客さんだろうか?だが、我が家ではあまり見ないタイプだった。我が家によく来るのは、父が仕事帰りに連れてくるもっと年のいったおじさん達だった。それに彼らは私達の部屋に断り無く入ってくるほど無作法ではなかった。

 

 私はそのとき、ふと、自分が怯えている事に気が付いた。動物見学施設で猛獣の檻にうっかり近づいてしまった時のような、そんな落ち着かない気分だった。格子を隔てて、向こう側で私を大きく超える暴力が静かに爪を研いでいる。


「悪いね」


 男は唐突に言った。彼の声は低く、何か変に甘い、危険な感じの響きだった。何かとても楽しいことがあった時のような、それでいて内心はどうでもいいような、そんな声だった。


 男は銃を構えた。私はそのとき初めて、その男が銃を持っている事に気が付いた。黒い鉄の塊。銃は当時12歳だった私の拳くらいしかない小さなものだった。それの先端には不釣合いなほど大きな黒い筒が付いていて、まるで男の子向けの玩具のように見えた。


 ぱちん、ぱちん、ぱちん、という音とともに銃火で一瞬部屋が明るくなる。


 当時の私は大抵の子供がそうであるように銃と死について深く考えたことはなかった。どちらにも漠然と恐ろしく忍び寄るような冷たさを感じてはいたが、その二つがどのように結びついているのか本質的には何も知らなかった。最も死と言うものは今でもあまりわかっていない、あるいは死とは永遠に理解できない難解な詩であるのかもしれない。だが銃は違う。その晩私は銃について初めて学ぶことになった。

 

 部屋が橙色に明るくなり、銃から弾丸が妹に向かって発射されたのを見た。しかし、心はこう囁く「だからどうしたというのだ?」銃弾が当たれば人は死ぬ事は知っている。だが大事な妹が撃たれているのにも関わらず私は悲しくも無く、動揺もせず、ただ黙って隙間からそれを見ていた。ただ、それを見ていた。

 男は屈みこみ、散らばった薬莢を床からつまみ上げた。それから、ポケットに手を突っ込み、小さな電話を取り出して、どこかに電話をかけ始めた。


「オオトリだ」


 男は深く静かにそう言った。


「・・・・・。・・・・・。」


 電話口から声が漏れていた。声は掠れていて、男か女か、それすらも聞き取れなかった。


「3人しか居ない」

「・・・・。・・。」

「いや、探したとも。誠心誠意ね。だが、残念ながら・・発見はできなかった」


そういう男、オオトリの口調はちっとも残念そうでは無かった。


「・・・・・・・。・・・・・・・・。」

「ああ、そっちはもう処分した。全部だ。これで・・我々は小さな楽園の王様という訳だ」

「・・・・・?・・・・・。」

「別に皮肉じゃない。全員にとっての楽園なんて存在しない・・・誰かにとっての楽園は誰かにとっての退屈で、そしてより多く(・・・・)にとっての地獄なのさ。私はただ権利が欲しいだけなんだ」

「・・・・。・・・・。」

「ああ。では戻るとしよう。もう一人が気になる?・・もう一人はきっとクリスマスに誰かの家に呼ばれたのさ。彼女の幸運に祝福を。では、また掛ける」


 オオトリは電話を切った。部屋には静寂が戻り、私の中で響く小さな胸の音と、男の静かな息遣いしか聞こえなくなった。夜がまた一段、深く、暗くなったような気がした。

 

 オオトリは私達の寝室を出て行き、しばらく他の部屋でがさごそと何かしていた。彼は結構歩き回っているようで、少しくぐもったコツコツという音がしばらく響いていた。


 私は妹が撃たれたその瞬間よりも、オオトリが我が家に留まっていたこの時間が一番怖かったのを覚えている。見つかるかもしれないという考えは、銃で撃たれて死ぬ事実よりずっと怖かった。心臓に弦が絡まり、ゆっくりと巻き付いていくように。実際彼が本気で私を探せばすぐに見つかってしまっただろう。

 

 しかし、彼の足音はある地点でどこかに吸い込まれていった。直後「がちゃん」と玄関の閉まる音がして、静寂が訪れた。

 

 私はすぐにはクローゼットを出なかった。男が引き返してくるかと思ったからだ。それに腰が抜けていた。着ていたパジャマが尿でじっとりと湿り、肌に張り付いていることにその時気づいた。それから、少したってから、私はクローゼットから這い出た。震える足を地面につける様は生まれたての雌鹿の様だっただろう。


「・・・さくら?」


 私は妹にそっと声をかけた。返事は無かった。


さくら?」


 私はもう一度声をかけた。やはり返事は無かった。

 

 私はそっとベッドに近寄り、布団をそっと捲った。


 真っ赤だった。赤。一面の赤だ。妹の体はただただ真っ赤だった。その場面の写真を見せられ、安らかに眠る彼女に誰かがペンキをかけたのだと言われたら信じただろう。だが強烈な錆の匂いがそれを否定していた。

 

 何かから上がってくる、不吉なその匂いが。どこかに向かって走り出したい気分だった。どこか明るい場所に、仄暗いトンネルを抜けて。


 あんなに楽しかったダイニングからも、そしてそこに倒れる父と母からも、その匂いがした。


 私はきっとその時、初めて銃について理解した。

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