親友と戦友
「……警笛?」
リョウがはっとして建物の外へ目をやる。
駐屯所で警笛が鳴るなんてはじめての体験だ。
それに、あの軍隊が攻めてきたにしては早すぎる。
この都市にへ来る途中で確かにリガトルとヴァニタスの軍を追い越したがそれはまだかなり離れた南方だった。
「ああ、あなたはご存じないですね。ここにきて少し軍の方針が変わったんですよ。見張りの兵士はかなり遠くまで警戒する技術を伸ばしましたし、危険を感じれば真っ先にこういう守るべき弱者のいるところに警告が出されるんです」
アルフォンスがそう言って周りに目をやるので、リョウもつられて周りをぐるっと見渡す。
なるほど、患者の治療に当たっていた衛生兵は手の止められそうな者から順次、警護の態勢に入っている。
アルフォンスの台詞に続いてザイラもリョウの耳元で。
「こうやって前もって知らせてもらえていれば下手に命を落とす患者も少なくてすむでしょう? 多分、実際の襲撃が始まるまでまだ少しあるはずよ」
……こんなことが、ここでは繰り返されていたのか。
周りの手慣れた対応を見た限りでは一度や二度の経験に基づくとは思えない。
あの、ヴァニタスの王に納まっていた者。組織したリガトルを実際に何度、そしてどのくらいの規模で送り出してきたのだろう。
その間にどれほどの犠牲者が出たのだろうか。
この都市の心優しい人たちが、どれほど傷つき、涙を流し、苦しんだのだろう。
そしてこの都市の名の下に集まってくれた人々がどれほどの苦しみを経験させられたのだろうか。
そう思うとリョウは怒りが込み上げてくるのを感じる。
ふと、ここに来るまでに見た、散らされた連合軍や戦場に散らばっていた屍を思い出す。
無惨で、無慈悲で、残酷きわまりない光景。
それが、それと似たようなことが、ここでも起こっていたのかもしれない。
そう思うとリョウの肩がわずかに震えた。
「……リョウ……!」
ザイラの声に、リョウがふと我に返った。
怒りのせいで、条件反射で髪の色も瞳の色も変わってしまっていたのだ。
しまった! と思いながらも、でも、今さらもとに戻したところで意味はない、と、リョウは思い直す。
「……ごめんね、ザイラ。友達がこんな化け物じみた格好で……」
笑ってみせる。
その笑顔は、ちょっとした諦めと、悲しみの混ざった笑顔。
「……ともだち……なんかじゃ……ない!」
ザイラの口からそんな言葉がこぼれて、リョウは目を伏せた。
ああ、もう、彼女の目を見ることは出来ないかもしれない。
そう思った瞬間。
柔らかいものが首に巻き付いた。
「……バカね! 親友だって言ったじゃない!」
リョウが言葉を失う。
ザイラがぎゅっと、首に抱きついてきたのだ。
そしてその腕を一度緩めてリョウの紅い瞳を覗き込む。
「あたし、そのリョウの姿好きよ! 何でもっと早く見せてくれなかったのよ! ずるいわ」
そう言って拗ねたように口を尖らせる。
「ザイラ……」
リョウはもう次の言葉がでなかった。
でも、この思いは確実。
絶対に守る。
あなたも、あなたを育み包んでくれていたこの都市も。
「ほら、リョウ、そろそろ行かないとあなたのファンがもっと増えてしまいますよ?」
アルフォンスの声にザイラがリョウから身を離し、リョウが顔をあげる。
そして、自分の置かれている状況を再確認する。
都市を、守るために、私はここにいる。
「ありがとうございます!」
リョウはそう言うとくるりと向きを変え、もと来た方向へ走り出す。
建物を出るとそこにはハナ。ところ狭しと並ぶ仮設テントを蹴散らして走る必要もなさそうだ。
ハナは既に燃えるような光を放つ有翼獣の姿である。
リョウはハナに飛び乗って振り返ることもなく駐屯所を後に飛び立つ。
城壁の南側に向かって。
駐屯所にいた衛生兵の視線。
不思議なことにその視線にも嫌な感じを受けなかった。
アルフォンスが言った「あなたのファンがもっと増えてしまいますよ」という言葉。そりゃ、大袈裟だとは思ったけど……でも。
今まで受けてきた扱いとはまるで違う。
こういう経験をしてしまうと。
リョウは本気で、全力を尽くしたくなってしまう。
どこまでできるか分からないけど。
あとから来るグウィンたち。
彼らはやはり陸路で来ると考えて、もう少しかかるだろう。
下手したらリガトルの軍の方が先にここに到着するかもしれない。
そんなことを考えながら、都市の南側の城壁の外に降り立つ。
そこには司からの指示を受けて出陣を控え、都市を守るために城壁を囲むように配置された騎士隊が隊列を組んでいる。
その前方に着地して、隊列の方に向き直る。
ざわっ、と。
隊がざわめく。
そりゃそうだ。こんな姿の生き物なんか誰も見たことないだろうし。
リョウはちょっと笑みを浮かべる。
でも、それは今までならこういう状況で浮かべていたであろう自嘲の笑みではなく、単なる、薄い笑い。
そして。
「隊を、城壁の中に入れなさい! ここは私が守る!」
声を張り上げる。
喉から出す声ではなく、腹の底から出す声。この方が声量が増す。
この都市を、騎士隊も、兵士も、この都市の名の下に集まった援軍もすべてひっくるめて守ってやる。
そう思った。
「……リョウ、バカなこと言わないでくれる?」
唐突に、知った声が響いた。
リョウがハナごとそちらに身を向ける。
「あのさ、俺たちこれでも都市を守るのが仕事の、騎士なんだよね? ここでハイそうですかって大人しく城壁の中に入るやつなんかいると思ってんの?」
鎧を身に付けてはいるが、その上からでも体格の良さが窺える、馬上でもやはり美しい姿勢を保っているのが印象的な男。
「……ハヤト」
「リョウさ、カッコ良すぎなんだよ。俺たちにもカッコつけさせてもらわないとね」
ハヤトがニヤリと笑う。
「ああ、そうだね。……で、レンは?」
馬に乗ったまま近寄ってくるもう一人は。
「クリス……」
リョウは呆気にとられる。
こんな姿の私に、よくも平然と、今まで通りに声をかけてなんてこられる……!
「だから言ったろハヤト。リョウはカッコいいんだって」
得意気ににやにやするクリストフは……一度リョウが戦う姿を見ていたせいか、そう言いながらリョウの隣に並びハヤトに向かい合った。
それはまるで友達をあからさまに自慢しているように見える。
そんな二人の様子に一度呆けてみたが、リョウは「呆けてる場合じゃない!」と自分に言い聞かせるように背筋を伸ばし。
「レンも他の竜族の頭もあとから来るけど……多分先にリガトルの軍が到達すると思う。 そのあと、ヴァニタスの軍が来るわよ」
二人にそう告げる。
「ヴァニタスの軍……?」
クリストフがまず顔色を変えた。
「……だそうですよ、指揮官」
ハヤトが自分の後方を振り返る。
そこには第三駐屯所の指揮官。
そのメンバーを見て、リョウはああそうか、と納得する。
リョウが西の都市を出る前までの都市の周りの警備が割り当てられていたエリア。第三駐屯所はこの南のエリアだった。
後ろに隊列を組んでいるのは援軍も含めた大きな部隊だが、元々このエリアを担当していた第三駐屯所のメンバーがそのまま責任者を勤めているのだろう。
それで、このメンバーが隊の先頭にいるのか。
「では、リョウ殿、作戦がおありか?」
指揮官が尋ねる。
以前言葉を交わしたときとは口調がまるで違う。「守護者」を相手にしているからなのだろう。
「あの……『殿』はいりませんよ。恐縮しちゃうからやめてください」
リョウはほんの少し笑みを浮かべてそう言ってから、都市の外、その南方に流れている川の方向に目を向ける。
東の森へと都市を回り込むように流れているその川は川幅もかなり広く、それを渡るとしたら騎士隊もそれに続く兵士もかなり戦力を落としてしまうだろう。
「私が正面を行きますから、部隊を川の手前で待機させてください。私が逃したものをお願いします。……それと」
ちょっと指揮官の後ろに目を向けて。
「本当に命を懸ける覚悟がない人がいるなら、先に城壁の中に入らせてください。このあと、中には何者も入れなくなります」
「……それは、大丈夫です。そういう者だけがこの隊に参加するようにとの司殿よりの通達済みですから」
指揮官は誇らしげに目を細めた。
……さすが。
リョウはグリフィスの考えの深さに思わず感服する。
そして。
「そうですか。……それなら」
城壁にしっかり向き合う体勢をとり、一度目を閉じる。ゆっくり息を吸って、吐く。
こんなに一度に、この力を使ったことなんか、ない。
両腕を広げて両手のひらは城壁に向けて。そして、目を開ける。
空気がわずかに、振動した。
同時に。
「……ぅあ……っ」
リョウがハナの上で軽く後ろによろけた。
「リョウ?」
「え……おい!」
すかさずハヤトが近づき、クリストフが馬上から腕を伸ばそうとする。
クリストフの腕は宙を掻き、リョウはすぐに体勢を建て直した。
「あ、ごめん。大丈夫!」
と、笑ってみせてから。
「ほら、早く隊に戻って!」
そう付け足すとリョウは何事もなかったように、ハナの向きを変えさせる。城壁に背を向けて、敵が向かってくるだろうと思われる南方に向き合う。
そんな様子を見て、指揮官は安心したように二人の隊長に指示を出し始める。ハヤトもクリストフもすんなりとそれに従っているので、リョウは安堵する。
……良かった。
さすがに、都市全体に結界を張るなんてやったことないし、張るだけでこんな衝撃が来るなんて思わなかったけど……そんなのがバレたら相当心配かけちゃうもんね。
それに。
向かってくる敵の軍勢。相当規模が大きいとはいえ本来リガトルだけなら確実に焼き尽くせると思うんだけど。結界にこれだけ体力を使っているとなると、ちょっと怪しいかもしれない。
だから、司殿が本当に覚悟の出来ている者だけを使っている、という現状で良かった。もしかしたら全滅させられずに多少は取りこぼしてしまうかもしれないのだ。
万が一取りこぼしても、結界はしっかりしているので敵が都市に侵入することはないだろうが、恐れをなした騎士や兵士も都市には入れないのだ。
城壁の外に今いる者たちは、敵を全滅させるか自分が討ち取られるかの二者択一を迫られる。
命懸けとはどういうことかを理解している者にしかここにいてほしくない。
……私も、同じ覚悟で戦うから。




