第三駐屯所
第三駐屯所。
ここ西の都市において、本来、駐屯所とはもともとそのための施設ではない。
都市が建設された古代において使われていた施設を、仮に使用しているものである。
第三駐屯所は、もとは教育のための施設だったらしい。子供が減りそういう施設の必要が減ってきたことから騎士隊の駐屯所として利用されていた。
そういうやり方が西の都市らしい。
そして、その柔軟性が今またこの施設の形を変えたのだろう。
リョウが門を入るとまず目に入ったのは仮設テントの群れ。
下級騎士や訓練生が訓練のために使っていた中庭は仮設テントで埋まっていた。
そして、その中にはひしめき合うようにしてベッドが並び、負傷兵が休んでいる。
そしてそのテントを出入りしている衛生兵と思われる若者たちがいる。
「さすが、司殿……」
思わずリョウは独り言を漏らした。
一目見て分かる。
ベッドで休んでいるのはこの都市の者ばかりではない。よそからの援軍で来た兵士も平等に治療を受けているのだ。
東の都市とは大違いだ。
……それにしても。
「これじゃあ人探しは難しそうね……」
焦る気持ちを落ち着けようと、あえて声に出してみる。
ザイラを探しているとはいえ、この感じではまずここの責任者を探して教えてもらった方が効率が良さそうだ。
そして、責任者といったら……。
「あれ?」
複数のテントを出たり入ったりしている一人の衛生兵にリョウの目が留まる。
知った顔だ。
自分自身も止まることなく動いているのに周りの衛生兵に的確に指示を出している。恐らく、責任ある立場についているのだろう。
「……シン?」
「……わぁ! リョウさん?」
シンが顔を上げたとたん満面の笑みを作る。
「なんでここにいるの? あなた、準一級の騎士でしょう?」
リョウがそう訊くとシンは満面の笑顔のまま。
「はい! だってここの人材が不足していたんです! それにちゃんと騎士としても働きますよ。もしここまで敵が入り込むようなことがあったら、ある程度腕のある者がいないと患者は全滅しちゃいますからね」
そう言うと腰に差している剣をリョウの方に向けて見せる。
「……そうか。シン、医学の勉強していたって言ってたものね」
リョウが納得する。
あらゆる人材が無駄にならないようになっている。これももしかしたらこの都市のやり方かもしれない。
「……あ! リョウさんって今、守護者なんですよね。こんな口のきき方して良かったのかな……?」
思い出したように小声になるシンに。
「……知って、たの?」
リョウが少し目を丸くする。
「え、有名ですよ? てゆーか、司殿から軍を通して通達されてるんです。『我が西の都市には親愛なる最強の竜族が守護者に就任している。この都市の命運はこの者にかかっている』って。司殿がそこまで信頼するんだからって皆、リョウさんに期待してるんですよ! あ、俺はもともとリョウさんを信頼してますけどね!」
シンがはにかむようにそう言うと。
「で、こんなところで何してるんですか?」
と付け足す。
「あ! そうだった! あの、ここの責任者ってあの軍医の先生? どこにいるか分かる?」
本来の目的を思い出してリョウも真剣な眼差しに戻る。
「案内します!」
シンが持っていた器具の類いを近くにいた衛生兵に手渡すと歩き出す。
彼もまた、状況を把握して最小限の受け答えで済ませてくれているようだ。
それにしても。
リョウはこんなときではあるが、わずかに頬が緩むのを隠せない。
だって「親愛なる竜族」って。
司殿の気遣いのほどが分かる言葉遣いだ。
きっと単に「竜族」とか「最強の竜族」なんて言ったら都市の人たちは恐怖心を抱くだろう。そのくらいのこと、今までの経験からして容易に想像がつく。例え、戦いで混乱していて勝利にだけ思考が向いているから今のところはそれで良いという状況だったとしても、いずれ冷静になったときにその反動が来る。
それを見越して、そんな言葉を選んでくれたのだろう。
都市の軍に属する者の大半は、司であるグリフィスを高く評価している。信頼もしている。その司が「親愛なる」と呼ぶ者であればまず軍に属する者からの信頼を得られる。
そういう者たちの都市の住民への影響力は強い。それもうまく利用しているのだろう。
私がここに居づらくならないように。
案内されたのは以前医務室として使われていた部屋。
そこは相変わらずベッドの数が多かったが、今となってはそれでも少ないくらいだった。
「アル! 患者の数が多すぎて収容しきれない! 軽傷者は自宅に帰らせるか?」
「バカなこと言わないでください! ここでいう軽傷者は一般レベルの軽傷者じゃない! 二階の資料室を使いなさい。今役立ちそうにない資料は給食部門に持っていって焚き付けにでも使ってもらえばいい」
そんなやり取りが慌ただしくなされている。
そこへ。
「アル! お客さんです!」
シンが叫ぶ。
「お客さん……って! ここは大衆食堂じゃないんですよ! 患者以外は受け付けなくていいと言っているでしょう!」
ベッドの脇で治療に専念しながら、こちらを見もせずにそんな声が返ってくる。
リョウはその、あまりに忙しそうな様子に、シンの取りつぎを待たずに並んだベッドの間を通って軍医の方へ歩き出した。
「お客って……守護者のリョウさんです!」
背中から追いかけてくるシンの声にリョウは、うーん、その取りつぎ方……なんか間が抜けている……とかなんとか思いながら。
シンの声でちょうど顔をあげてくれた軍医と目が合った。
「お忙しいところごめんなさい先生。お尋ねしたいことがあって」
一応軽く頭を下げてみる。
「……っと! ええ! リョウ! あなたでしたか!」
軍医は近くにいた衛生兵に処置の続きを手早く頼むと一旦手を洗いながら。
「どうしました? ……帰還しているとは聞いていませんでしたが」
と言って顔をあげる。
「ええ、今戻ったところです。ザイラがここにいると聞いたんですが」
リョウの真剣な目に軍医も何かを察したようで。
「ザイラ! いますか?」
と、いきなり声を上げた。
……うわ、この人声をあげるとまた、張りがあってよく通る、いい声だわ。
なんて思いながらリョウが辺りを見回すと。
「はい! ……って、あれ? リョウ!」
わりと近くでザイラが声を上げた。
なので。
「良かった! ザイラ! 無事ね!」
とりあえず急いで駆け寄り、はたとリョウの動きが止まる。
彼女を守るのはいい。
でも。
周りにいる身動きのとれない人たち。彼らを見捨てることもまた、出来ない。
それに。
ヴァニタスが彼女を狙ってやって来る場合、どこに彼女をつれていけばいいんだ?
「……リョウ?」
ザイラが心配そうにリョウの顔を覗き込む。隣で軍医も同じような顔でリョウに目を向けている。
「ザイラ、ヴァニタスがあなたを狙ってる。とにかく私が守るけど……」
リョウはそこで一度言葉を切る。
「リョウ、ありがとう。でも……」
ザイラが間髪入れずに答える。
「ここの患者さんを差し置いて私一人だけ守ってもらうわけにはいかないでしょう? それに私は今ここでやらなきゃいけないことがあるのよ」
毅然とした、態度だ。
一度、リガトルに襲われて死にそうな目に遭った者の態度とは思えない。でも、ザイラらしい。
そうリョウは思った。
「しかしザイラ。ヴァニタスに狙われているというのは穏やかじゃありませんよ」
軍医が眉間にしわを寄せながらザイラに目をやる。
「でもね、アル。このリョウの様子からしたらあたしが囮になってどこかに奴らを誘き寄せるなんていう事ができるほど、時間的に余裕もないんでしょ? あんなのが襲ってくるのならこんな都市、あっという間に壊滅状態よ。そんな中であたし一人が生き残ってどうするのよ?」
……ザイラならそう考えるだろう、とリョウも思っていた。自分と関わるすべての人に幸せを願うような、そんなことを本気で願ってしまうような、そんな人なのだ。
それでも。
「……ザイラ。ヴァニタスがあなたを狙ってるってどういうことか分かってる?」
もし連れ去られて、利用されるようなことがあれば……。
「知ってる。あたしの血のせいなのよね。父さんから聞いてるわ。だからあたしはもう自分をどうするかは決めてるの。あなたにもこれだけは伝えたいと思って待っててよかったわ。リョウ。あなた竜族で、この都市の守護者でしょ?」
ザイラの目には迷いがない。
「だからね、リョウ。あたし個人を守る必要なんかないけど、もしもあたしがやつらの手に落ちて人としての心を失うようなことになったら、その時には、あなたは自分の役割を全うしてね」
迷いのない、よどみのない口調。
しかもそう言ったザイラはいとも美しく微笑んだのだ。
リョウが守護者としての役割を全うする、ということは、それはヴァニタスに捕らえられ、利用されるようなことがあれば自分を殺して都市を守ってほしい、ということだ。
そんなことを迷いもせずに言えるザイラにリョウは心から尊敬の念を抱く。
「……分かったわ。どうあっても一人で守ってもらう気はないのね?」
リョウは彼女の目を真っ直ぐに見て、念を押すようにそう尋ねる。
少しでも瞳に戸惑いや迷いが浮かぶなら力ずくででも、どこかにつれていって守るつもりだった。
なのに。
「当然」
にっこりと、さらに微笑まれてしまう。
なので。
「じゃあ、先生。彼女をとことんこき使ってやってください」
リョウが軍医の方に頭を下げる。
すると、リョウの下げた頭の上から大きなため息と「やれやれ」なんて声が聞こえて。
「仕方ないですね、ザイラ。あなたにはしっかり働いてもらわねば」
頭を上げたリョウに軍医が微笑む。
いつだったかザイラが「癒し系!」と誉めちぎっていた、まさにその笑顔だ。
「ああ、それと」
軍医がリョウに向き直る。
「もう『先生』はやめてください。ここでは衛生兵も皆、私と同じ仕事をしているんです、先生なんて特別な呼び方をする人なんてもういないんですよ。アル、で結構です」
「……アル?」
そういえば先程から彼はずっとそう呼ばれていた。
ザイラがくすっと笑って。
「ホントはアルフォンス、っていうのよ。呼びにくいでしょ? だから、アル」
なるほど。
リョウが微笑む。
と、その時。
外で警笛の音が鳴り響いた。




