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 切り立つ崖の下に回り込むと、崖の上で感じていた異臭はますます強くなった。

「……なんの臭いだ……これは」

 スイレンが口元を覆いながら声をあげる。

「ここにあった筈の木や水や生き物が朽ちた臭いだよ……朽ちてなお、果てることもなくこんな姿のまま存在させられているから……」

 セイリュウの言葉には怒りが込められている。

「嗅覚ってのはありがたいことに麻痺するように出来てる。耐えられないのは最初だけだ、こらえろスイレン」

 グウィンが低い声で囁く。

「うぐ……」

 スイレンが呻くように返事をすると、グウィンとセイリュウが真っ直ぐに乗り進み出し、リョウはそれについて行く。


 周りには動くものはなく、ただ黒く朽ちた樹木と黒くどろどろした地面が続いている。

 リョウが振り返ると、崖の上に小さく、まだ飛び立つことなくこちらの様子を窺っているレジーナが見える。

 遠すぎて見えないが、その背にはレンブラントがこちらに意識を集中しながら乗っている筈。


 鷲や鷹は鋭い視力を持つ生き物だ。

 はるか上空から小さな獲物をさえはっきりと捕らえられる。その視力があれば無駄に四人にぴったりついてきて敵の注意を引かずにすむ。ギリギリのタイミングまで目立たずにいてくれるつもりなのだろう。


 真っ直ぐに進めば上から見えていた黒い湖まで最短距離で行けそうなところをグウィンが迂回する。

 リョウもわざわざ説明されずとも理解できる。上から見たとき、その辺りにはうごめくヴァニタスと産み出されているリガトルが大量にいたのだ。

 ふと気付くとセイリュウがニゲルとハナの後方に回っている。確実に危険な場所に近付いていて、いつでも後ろから援護できる体勢に入ったということか。


 リョウが改めて気を引き締めたそのとき。

「グウィン!」

 リョウが名前を呼んで剣を抜くのと、セイリュウが光をまとった姿になるのはほぼ同時だった。

 振り向いたグウィンも白髪(はくはつ)に金色の目を輝かせ、スイレンも青い瞳の光が増している。


 もはや「目立たないように」する必要がなくなった。


 黒い影が前方でざわりとうごめいたのだ。

「見つかっちゃったか」

 ニヤリと笑うセイリュウ。

「ここまで見つからずに来れただけ上出来だ」

 大振りの剣を抜くグウィン。

 リョウの赤い髪は風を受けているかのようになびき、ハナは炎のように光輝く。つられるようにニゲルとテラも光と共に殺気のような気を放ちはじめた。


「走るぞ!」

 グウィンがそう言うが早いかニゲルを走らせる。ハナも遅れをとることなく同じタイミングで走り出した。


 リョウは先頭をグウィンに任せてその少し後ろを同じ速度で走る。

 左右からどっと、黒い影が押し寄せてくる。

 産み出されたばかりのリガトルが初仕事とばかりに襲いかかってきたのだ。


 それを。

「うわ……なんだそれ……!」

 スイレンが呆気にとられるように声をあげている。

「土の竜の力を甘く見るなよ!」

 スイレンに答えるようなそんな声と共に。


 地面から無数の植物が生え出す。それはありとあらゆる種類の樹木の若枝、蔓性の植物。

 それらが勢いよく、まるで生きた触手のように、押し寄せてくる黒い影に向かって一斉攻撃を仕掛けている。


 同時に上がる物凄い、奇声。

 体の至るところに物凄い勢いで植物が突き刺さり引き裂かれるリガトルが消える直前まで奇声を発し続けるのだ。

 そうはいっても一体一体はあっという間に消えてしまっているので上がる奇声なんてほんの一瞬だ。

 ただ、なにしろ数が尋常じゃない。


 リョウとグウィンが走るその両側でかなりの奇声が同時に巻き起こっていく。

 リガトルの押し寄せるなかを駆け抜けながら、植物の触手を逃れて来るものをリョウの燃える剣の刃と、グウィンの大きな剣の刃が効率よく一刀両断にしていく。



 そんな二人を見つめつつセイリュウは自分の力の及ぶ範囲に目を凝らしていた。


 あの三人をとにかくこの地の中程まで無事に行かせなければ。

 生え出させる植物は役目を終えると力尽きたように朽ちていく。

 やはり、この地の影響は強い。土の竜の単独の力では植物を繁らせることすらできないようだ。


 ……やっぱり、一度全てを焼き払って、浄化しなければ僕の力は本当の意味では役に立たないってことか……。

 そう思うと前を行く三人に対する思いが強まる。


 もともと失敗させる気なんかないけどね。でも。

 何があっても、成功してもらわないと……!


 そう。何があっても、だ。

 今からやるのはまず破壊。そしてそれに伴う浄化。そのあとこの地を再生させる必要がある。

 でも。

 たとえ今、この僕の力が尽き果てるとしても、この地を焼き払い、完全に浄化させるところまではこぎ着けなければならない。

 そこまでで僕の命が果てたとしても……ああ、その場合、この地の再生には時間がかかるかもしれないけど……次の代の土の竜が必ずその仕事を引き継ぐはずだ。

 だから。

 何があっても、あの三人が、今、やろうとしていることだけは成功させなければならない。

 真っ先に、今、必要なのは徹底的な破壊だ。

 少しでも力が足りなかったなんていうことがあってはならない。


 だから……とにかく今、僕の命を懸けて出せる限りの力は出してやる……!

 

 そして。

「……!」

 馬の乗り手たちが一斉に息を呑み、馬たちがいななくと共にやはり一斉に止まる。

 その瞬間、左右から攻め込んできていたリガトルの波が収まった。


「ヴァニタスか……」

 誰ともなくそんな声が漏れる。


 前方に、ゆらりとうごめく、リガトルの比ではないサイズの影。

 恐らく、リガトルをこちらにけしかけていた者達がしびれを切らして自らやって来たのだろう。その数は……何体いるんだ……? というもはや大群。


「……まあ、予想はしていたがな」

 グウィンは不敵な笑みを浮かべて剣を握り直す。

「気休めにしかならないかも知れないから、十分気を付けてね」

 リョウはそう言うと自分だけでなく、ニゲルとテラ、そしてその乗り手たちにも結界を張る。

「……これ……大丈夫なの?」

 セイリュウがその結界を感じ取ってリョウに囁く。

「一度にこんなに幾つもは、やったことがないからどこまで威力があるかは保証できないけどね」

 そう言うとリョウはにやっと笑う。「無いよりはましでしょ」なんて付け足して。

「おいリョウ、限界を感じたらさっさと解けよ。あの爪に気を付ければいいってだけだろ?」

 グウィンが前方に目を向けたままそう言うとニゲルを走らせる。

「はいはい」

 くすり、と笑いを漏らしてリョウも続く。


 そして、セイリュウが一旦集中するように閉じた瞳をゆっくり開いた。


 ヴァニタスが一斉に動き出す。

 その跳躍力もリガトルの比ではない。


 同時にセイリュウの出す植物の勢いが格段に上がった。

 伸びた植物の触手が敵を見事に絡めとり、地面に叩きつける。叩きつけられたヴァニタスはまた別の触手によって貫かれ、貫いた蔓や若木はその場で一気に大きく成長するのでその体を引き裂く。それがほんの一瞬で起こり、繰り返される。


 とはいえ、ヴァニタスとリガトルの力は雲泥の差。

 息絶えるヴァニタスがいるのは事実だが、攻撃を仕掛けてくる植物を恐ろしい威力で凪ぎ払い、そのままの勢いでリョウたちに襲いかかってくるものがそれ以上に、いる。

 グウィンとリョウの剣がそれぞれに唸る。

 もう手当たり次第に、渾身の力を込めて、の、攻撃だ。


 そして。

「ぐあ!」

 リョウのすぐ後ろでヴァニタスの思わぬ奇声が上がった。

 前方から迫ってくるヴァニタスに気をとられていたことに気づいて声のした方に目をやると、地面にくずおれているヴァニタスの頭に銀の矢。

 その振り向いた勢いのままリョウが空を見上げるとレジーナの背から矢をつがえて狙いを定めているレンブラントが見える。

「リョウ! グウィン! 行け!」

 セイリュウが叫んだ。

「ここは僕たちが押さえてやる!」

 セイリュウのその言葉と共に植物の勢いがさらに増す。

 それでもそこをかいくぐろうとするヴァニタスに容赦なく銀の矢が打ち込まれる。

 ……こんなに力を一気に使って大丈夫なんだろうか。

 リョウがふと心配になり、一瞬動きを止めると。

「リョウ! 二人の誠意を無駄にするな! レンブラントの矢だって数に限りがあるんだ!」

 グウィンが叫び、リョウも我に返る。

 そして、グウィンについて駆け出す。


 とにかく、蹴りをつけなくては!



 セイリュウの力で引き留められたヴァニタスの群れの中を駆け抜けると、そこは湖だった。

 湖の縁にわずかに寄せて返すその水はタールのように黒くどろどろとして腐臭を放っている。


「スイレン、ここで大丈夫か?」

 グウィンが尋ねる。

 尋ねながらもその視線はスイレンには向いておらず、離れた位置で戦いを繰り広げていると思われる上空のレジーナの方に剣を振りかざして「離れろ」という合図を送っている辺り、可否を尋ねているわけではないのは明白。

「大丈夫でなければすべてが無駄になるだろう?」

 スイレンの声にも緊張がみなぎるが、リョウも彼女と同じ面持ちで回りをぐるっと見渡す。


 ……ここが中心地。

 確かに、湖の向こうにも同じような朽ちた地が続いている。

 その向こうに高くそびえている小高い塔のようなものは……グウィン達が言っていた「支配者に納まっているヴァニタス」がいる城なのか。

 だとしたら、向こう岸にはもっとたくさんのヴァニタスがいてもおかしくない。それが攻め寄せてくる前に片付けてしまおう。

 あの城ごと吹き飛ばしてしまえばいい。

 無言でスイレンに目をやる。

 スイレンと視線が合い、(あか)(あお)の瞳が同時にすっと細められる。

 そして、その視線がそこからはるか上空に移される。


 グウィンがまず、気流を作る。

 強力な上昇気流をつくってレジーナを飛翔させ、レジーナはそれに乗って遠くに離れる。

 更に、気流を調整してヴァニタスの地全体を覆う。この中で生じるいかなる圧力の変化も外には漏らさない、壁。

 リョウはまず、壁の中にいるセイリュウとグウィンたちに張っている結界に意識を集中する。

 これから放たれる力から守るために。


 スイレンは上空のある場所に狙いを定めて意識を集中する。

 そこに特殊な形にした「水素」を集めているのだ。

 エネルギーを物質に変換することですべての物は創造される。逆に、物質をエネルギーに変換するとなると、それは膨大なエネルギーとして放出される。そういう知識を水の部族は受け継いできた。

 そして、その手法を、石の記憶によって実際に見たのだ。

 そういう類いの知識を総動員した上で自分の内にある力を使う。

 この地の面積とそこに存在する汚れたもの。それらを的確に滅ぼし尽くすに必要な力の分量。間違えてもこの世界全てを滅ぼしてはいけない。

 ここは本来、愛すべき、優しい命にあふれる場所なのだ。


 スイレンは、自分が恐れの気持ちに動かされてリョウに呪いの(やいば)を突き立てたときのことを思う。

 リョウはそれでも、瀕死の状態になってもなお、水の中に飛び込んで自分を追って来てくれたのだ。……泳げもしないくせに。


 ふっと、心の中に温かな感情が沸く。


 ずっと、自分は一人なのだと思っていた。母親から見離され、宮殿で一人きり、誰からも関心を示されずに、この先果てしなく思えるほどの永い時を過ごしていかなければならないのかと思って、全てを放棄したくなっていた、そんな自分に。

 本当は見離されているのかもしれない母親との約束にしがみついていた自分に。

 リョウが向けてくれた関心と気遣い。そこに、母親から受けていたのと同じ、強さの伴う優しさを感じた。自分は見離されているわけではないのかもしれない、と気付かされた。


 自分を受け入れてくれる存在のありがたさ。

 そんなものに感動するなんて思わなかったが。

 それでも感動してしまったのだ。

 どうしようもないほどに。

 そして、その気持ちに応えたいと思ってしまった。


 だから、助ける。

 リョウを。

 リョウが愛するものを。

 私なんぞの力で役に立つのならいくらでも、こんな力使ってやる。


 上空の、その、場所にリョウは狙いを定める。

 瞳の奥が熱い。

 小さな炎を徐々に高温にしていくのなら簡単な作業だ。

 でもこの度は。

 一気に、物凄い熱と圧力をかける。少しでも間違えば大惨事になる。もしくは失敗したら今までの皆の努力が無駄になる。


 リョウの力をもってすれば、恐らく世界を焼き尽くすほどの炎を作り出すこともできるだろう。

 でも、石の記憶から学んだのは。決して単独で力を使わないこと。そうやって竜族は自然界のバランスを保ってきた。


 互いに補い合う力。

 互いに依存し合う力。

 お互いがそんな存在であることを認め合うこと。


 愛するがゆえに、守りたいと思うがゆえに、自分が犠牲になれば良いのではないかとさえ思えてしまうとしても。そうではない、と気付かされた。


 火の竜が持つ力は他の竜とは違う。


 過去においてそんなことを言った人がいた。

 他者に依存する、依存しなければ役目を果たさない火という力。


 最も大きな力を持つ火の竜が人を愛する傾向を持つことに意味を付そうとした人がいた。


 きっと、そういうことなのだろう。

 そうやって、この力を使わなければ、世界は容易に滅びてしまう。

 力を持つことにはそれを正しく使うための責任が伴う。


 竜族の始祖はその責任を心の傾向に植え付けてくれたのかもしれない。

 愛する気持ちは、原動力ともなり同時に抑制力ともなる。


 だからこそ、愛する水の竜の力を信じて自分の力をそこに被せていける。

 だからこそ、愛する風の竜の力を信じて自分の力を出しきることができる。

 だからこそ、愛する土の竜の力を信じてこの地を破壊し尽くすことに全力を出せる。


 そして、愛する人がいるから。

 そのために失敗してはいけないことも覚悟できる。

 決して自暴自棄になるのではない。

 決して無責任になるのではない。


 そんな感覚を、私は知ってる。




 閃光が走り、爆音と、爆風が一気に巻き起こった。


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