ヴァニタスの地
南に着くのは本当に、あっという間だった。
切り立つ崖の上に立って眼下を見下ろす。
その後ろには元は肥沃だったと思われる土地。
おそらく、南の都市のあった場所と思われるそこは瓦礫の山と化している。
そのただ中を突っ切るようにしてここまで来たが、レンブラントはその中に放置されて朽ちるに任されている遺体一つ一つについ目をやってしまっていた。
レンブラントが見たところで分かるわけもない、つい最近知り合ったばかりのルーベラの、兄。襲撃のどさくさで生き別れになったと言っていた。
そんな様子を見るリョウは、ルーベラについてはレンブラントから聞いていたので腐敗臭や無惨な遺体に顔をしかめたくなるのをこらえる。
ここは、西の都市と同様に人が生活していた場所なのだ。人が集い、笑ったり怒ったり泣いたりしながら生きることを楽しみ、築き、その証を刻み付け、受け継いできていたはずの場所。
一時のうちに滅ぼされてしまうべき場所じゃない。
都市があった場所だけではない。
南に近づくにつれ土地の荒廃は酷かった。
町や村があったと思われる場所も、人がいなくなっただけではなく、どういうわけか草さえ生えないような荒れ地になっていた。
元々南の地は深い森や湖に恵まれた潤った地であったはずなのに、人がいなくなったからといってここまで荒廃するのは不自然だ、と誰もが思っていた。
そして。
「これが……原因か……」
グウィンが呆然とした様子でそう言う。
リョウとレンブラントは言葉を失い、セイリュウは忌々しそうに息を吐く。そこにレジーナが舞い降りてきて背中のスイレンが息を飲むのが伝わってくる。
切り立つ崖、その下には。
黒い土地が広がっていた。
ここまで来ると上空には太陽の光を通さないような不思議な空が広がっている。雲があるわけではなかった。ただ、暗いのだ。太陽の光が届かない。何か目に見えないものが光を遮っているかのようにも思える。
だからといって真っ暗闇であるわけでもなく、不気味な光景。
そんな空の下だから黒く見えているのかと思っていた地面は、目を凝らすとそうではないことが分かり、全員が身の毛のよだつ感覚を覚えていた。
本来、崖の下には豊かな深い森があったはずなのだ。その中央には大きな湖があった。
その森と湖が、無くなっている。
厳密には、木だったと思えるものは、あった。
葉も枝もほとんど無い状態で痩せ細り干からび、黒く朽ちた物が至るところに残っている。
そして、湖だったと思えるものも、ある。
地面にぽっかりと空いた巨大な穴。そこには青く美しい水ではなく黒いタールのようなものがたたえられている。
そして、立ち込める腐敗臭は今しがた通ってきた都市の残骸の中のそれとは明らかに種類の異なる臭い。
その、黒く朽ちた地にうごめくものがある。
高い場所から見下ろしているせいでさほど大きくは見えないが、ヴァニタスと呼ばれる、種族。
それらが、組織的にうごめいている様子にはさすがのリョウも軽く吐き気がした。
そして、その動きは定期的に何かを生産している。
家畜のように群れをなす、ヴァニタスとはまた違うもの。リガトル。
産み出されたリガトルの軍は黒いその土地の一角に集められ、さらにどこかにつれていかれているようだ。
「さて……どうするの?」
忌々しそうに、吐き捨てるように、そう言うとセイリュウがグウィンの方を見る。
「あ……ああ、ここまで広がっていたとはさすがに思わなかったな……」
意外にもグウィンがうろたえている。
グウィンは西の都市で、ここを見てきたというようなことを言っていた。それでも、そのときとは比べ物にならないくらい事態は進展しているのだろう。
「……前に来たときはまだ森自体が残っていたんだ。でもこうなっているとなると……」
グウィンが顎に手をやって考え込んだ。
ヴァニタスの地は今やこの切り立つ崖の上からでも全貌を見渡せないほどに広がっているのだ。
一呼吸おいてからグウィンが改めて口を開く。
「まず、偵察に行った方がいいな、セイリュウ」
「はいはい、ご指名どうも。そう来ると思ったよ」
セイリュウがやれやれといった感じで、テラの向きを変える。
「え……? まさか二人で行くの?」
リョウがさっさと方向を変えるグウィンに声をかける。
「ああ。全員で動くよりこの方が身軽だ。それに……」
グウィンはちらっと一瞬だけレンブラントを見て。
「ああ……いや、二人で情報を集めてくるから、そのあと一番効果的なやり方を考えよう。三人はここで待ってろ。なに、そう時間はかからん」
心配そうな目を向けるリョウの頭をグウィンはくしゃっと撫でる。そして。
「おい、レンブラント。こいつが無茶しないように見張っとけ」
そう言ってレンブラントに目配せする。
「……分かってますよ」
レンブラントがそう言うとグウィンとセイリュウは馬を走らせる。
崖の下に回り込める場所を探して敵地に忍び込むつもりらしい。
二人が去ったあと、まず、レジーナがいつも通りのサイズに戻る。
そして、ハナとコハクも光をまとう姿からやはり普段の姿に戻った。
どうやら自分の意思で姿を変えれるようだ。
リョウがハナから降りて、辺りを見回す。
どこか身を隠せるようなところはないだろうか、と思ったので。
スイレンがそんなリョウの隣に駆け寄り、リョウの顔を心配そうに覗き込む。
「……大丈夫よ。とりあえず、グウィンたちが戻ってくるまでの間、下手に騒ぎを起こさないように身を隠せるところがあったらいいな、と思って」
そんな様子を見てレンブラントが。
「都市の城壁の瓦礫の影に行きましょうか。東側に回れば風上ですから、あの臭いもいくらかしのげますよ」
ふと上空を見上げると、スイレンを降ろして普通サイズに戻ったレジーナが空を旋回してからレンブラントの言う瓦礫の山の方に向かって降下している。
「ああ。あそこがいいという事なんだな。レジーナは本当に賢いな」
スイレンが微笑む。
「リョウ……」
瓦礫の山を背にして座り込んだまま黙り込んでいるリョウにレンブラントが声をかける。
そうはいっても黙り込んでいるのは何もリョウだけではない。スイレンも同じだ。
ただ、リョウは。
今、この段になって思いもよらなかった事で頭が一杯になっていた。
本来なら、おそらく、スイレンが黙り込んでいるのと同じ理由で考え込まなきゃいけないのだ。つまり、あのヴァニタスの地をどう攻撃するか。
スイレンはたぶん先ほどからその事で頭が一杯なようだった。
でも、リョウは。
さっきのグウィンの視線の意味を瞬時に理解していた。
グウィンは、セイリュウと偵察に行くに際してちらっとレンブラントを見たのだ。あれは明らかに、人間であるレンブラントの身を案じての視線。
この期に及んで、そんなことを気にしなくちゃいけないなんて。それは分かりきっていたことだけど。
竜族の頭として敵地に踏み込むに当たってそこに人間が同行するのは……どう考えても無謀、だろうか。
あの地を目の当たりにしてしまうと、どうしてもそんな気がしてならない。
ここまで深刻な状況になっていなかったなら、レンブラントだって十分戦力になる存在だ。
でも。今、見た限りでは、そんな生易しいものではない。そもそも、こうなるとここから一人で引き返させるのすら危ないのではないかと思われる。
ふと、頬になにか温かいものが触れてリョウが我に返る。
「……レン?」
リョウが目をあげると間近でレンブラントの優しい瞳と目が合い、隣に座っていた彼の手が頬に添えられていることに気付く。
「すみません」
なぜかレンブラントが謝罪する。
「え……? なに? なんでレンが謝るの?」
リョウが慌てる。
まるで、今、リョウが考えていたことを見透かされたみたいだった。別にレンブラントを邪魔に思っていたわけではないが、謝られるとまるで自分が彼を心の中とはいえ邪魔者扱いしたような気がしてしまう。
「……僕の存在は竜族の戦いにおいては負担ですよね」
「……!」
リョウが固まる。
「あのヴァニタスの地を見るまで考えもしなかった……本来ならもっと早く気付くべきだったのに。ただ、あなたと一緒にいたいという思いばかり強くて……考えが及ばず……恥ずかしい話です。さっきのグウィンの言葉で気付かされたんです」
「違う!」
リョウは思わず叫んでいた。
「私が! 私が一緒にいたかったの! あなたのせいじゃない! 巻き込んだのは私なの!」
ああ、もう!
今、こんな、非生産的な事を言ってる時じゃないのは分かっているのに!
そう思えば思うほどリョウの頭は申し訳なさそうなレンブラントの事で一杯になってしまう。
「リョウ、レンブラントはやはりいないといけない役割があると思うぞ」
スイレンが声をかけてきた。
リョウが目を向けると向かい側でさっきまで地面を睨み付けるように考え込んでいたスイレンが背筋を伸ばしてリョウを正面から見据えている。
「古代において守護者が都市を離れて仕事をする時はそれを監視する役を兼ねた援護者がついた筈だ」
「監視……?」
リョウが眉を寄せる。
「まぁ、私も歴史の勉強で知識として知っているにすぎないが、な」
スイレンが微笑む。
その微笑みはレンブラントにも向けられ。
「本来、守護者は都市を外からの攻撃から守る役割を果たす。でも、時にその役割は都市を離れて外部の敵と戦うことにも及んだのだ。そういうときに守護者が都市との契約通りの仕事をするか見届けるのが援護者の仕事でもあった筈だ。守護者が自分の都市を離れて命果てるならそれを見届けてその情報をいち早く都市に持ち帰らなければならない。そういう役割だ」
スイレンはそう言うとレンブラントの手を握る。
「レンブラント。お前はリョウを愛しているのだろう? そして信じてもいるのだろう? ならばこの契約が果たされるのを最後までしっかり見届けてやれ」
「スイレン……!」
言葉を失っているレンブラントの代わりにリョウがスイレンを抱き締める。
「うわぁっ! リョウ、苦しい!」
スイレンがリョウの腕の中でじたばたする。
でも、リョウはもう、お構いなしで力任せにぎゅうぎゅうと抱き締める。
もう、この子ったら!
いつの間にこんなに大人になったの!
なんて、素敵な気の遣い方するの!
「リョウ……絞め殺す気かっ……! レンブラント! 見てないで助けろ! ……笑ってる場合か!」
スイレンが本格的にじたばたしだすので。
「リョウ、そこまでにしてあげてください」
くすくすと笑いながらレンブラントの手がリョウの腕を掴む。
リョウが仕方なくその手を離すが、でも名残惜しいのでちょっと腕の中のスイレンを眺めてから。
「わぁ!」
スイレンが再び声をあげる。
リョウがその頬にキスをしたので。
唇を離したリョウがその顔を覗き込むとスイレンは嬉しそうに頬を赤く染めている。
そんな二人を見ながら。
「援護者の役割、ですか。……あの人はそこまで知っていて僕を送り込んだんですね……」
と、レンブラントが呟く。
それが都市の利益のためなのか、息子のような存在の自分を思っての事なのか……。
……あの人の事だ。両方、なんだろうな。
なんて思うと、レンブラントは苦笑せざるを得ない。それでも、嫌な気はしないのだ。




