聖獣
遠く見える南の空は相変わらずどんよりと不吉な空だが、東の地の上空は比較的穏やかで気候も過ごしやすい。
そんな地を数日かけて進んだあと、東の都市を見下ろす場所までたどり着く。
長く延びた道路はその昔、軍隊や商隊の便宜を図って建設されたもの。竜の住む地と呼ばれる地域に近い地域は荒れ放題だった道路もこの辺りまで来るとある程度整備されている。
今まで自分達の体力や馬の能力のお陰で道なんか無いようなところでもお構いなしで、足場になりそうな村や町に寄る以外は最短ルートで突き進んできていたリョウたちにとって、ちゃんとした道路を通っての旅というのはのんびりしすぎて若干気が抜ける。
それでもレンブラントの乗るコハクも日増しに休息の必要が減ってきており、ハナやニゲルに似てきている。
「リョウはあの都市に住んでいたことがあるのか?」
スイレンがニゲルの上からリョウの方を振り返るようにしてグウィンの体の影から顔を出す。
「うん……しばらく前の話だけどね」
なんの感情も込めずにリョウが答える。
目の前、遥か前方に見えるのは大きな都市。東で一番大きく、繁栄している都市である。
このペースで進めばおそらく、夕方になる前には着くだろう。
リョウの隣でハナに合わせるようなペースのコハクからレンブラントがちらっと一瞬、リョウに気付かれないように視線を向けた。
またあそこに行くことになるとは思わなかったな……。
なんてリョウは思う。
旅の途中の休憩だし、一泊するだけではあるのだが。
特になんの思い入れもない場所。たまたましばらくの間住んでいた、というだけの場所。
思い出すことといえば、軍の上層部の人たちの冷ややかな視線や、それに便乗する隊員の陰口。そしてその隊員たちが近所で言いふらすでっち上げられた評判ゆえに向けられるあからさまな避けるような態度。
……私、むしろよく頑張ったんじゃないかしら……。なんだか凄く自分を誉めてあげたくなってきた……!
ふと、そんな思いからリョウの口元が緩んだ。
「何か楽しい思い出でもありましたか?」
レンブラントがリョウの方を見ながらそんな声をかける。
「え? ああ、やだ。そういう訳じゃないけど……」
しまった、変ににやけた顔をしているとこを見られた! しかもたぶん今の顔って、素直な笑顔とかじゃなくて悪っそーな顔、だった気がする……!
リョウはちょっと慌てる。
「あの都市にいた頃の私って、なんかずいぶん頑張っていたなと思って。……今はこんなに恵まれた環境だから、つい、ね」
「リョウってどんだけ前向きなの? 今のこの環境のどこが恵まれてる?」
グウィンの隣で少し遅れをとるくらいのペースのテラの上のセイリュウが振り向く。
「へ? どこって……?」
リョウの間の抜けたような返事に。
「だって僕たちが目指してるのって言ってみれば決戦の場だよ? 死ぬかもしれない戦いなんだよ?」
呆れたようなセイリュウの口調。
「あ……それは……そうね。ちょっと不謹慎、だったかしら」
「戦う前から死ぬ気だったやつが何を言い出すか……」
さらに呆れたような口調でスイレンが口を挟む。
「今はそんなこと思ってないからね! 何がなんでも勝ってやるし! ……あ! 何がなんでも勝つっていえば」
セイリュウが何かを思い出したように自分の隣のグウィンとニゲルをじろじろと眺める。
「あ? なんだ?」
ぎょっとした顔でグウィンがそう返すと。
「ニゲルって風の力で寿命を延ばしてるだけなんだよね?」
「あ、ああ。まぁ、そんなところだ」
「そのサイズとかって長く生きてるうちに起きた変化?」
「まぁ、そういうことだ」
セイリュウの質問に訳がわからないと言う感じでグウィンが答えていく。
「……ふーん……。老いていかない方向に長く生きているうちに成長したって訳か……じゃあさ、特に何らかの力を発揮するって訳じゃなかったりする?」
「どういう意味だ? ニゲルなら普通の馬より断然強いぞ?」
聞いているリョウも無意識に頷く。
「あ、うん。まぁ、そりゃそうだろうけど……それこそ何がなんでも勝ちたいからね……後で一度力を使っても良いかな?……多分ね、この手の聖獣ってひとつの力を受けただけの産物じゃないと思うんだ」
セイリュウはそう言うとハナを見る。
「どういうこと?」
リョウは首をかしげながらセイリュウに目を向ける。
「うーん……言った通りの意味だよ。ここ数日ハナと他の馬の気配を気にしてみていたんだけど、ハナはずば抜けて強い気を持ってるんだよね。僕が力を付与したテラとコハクにも及ばないくらい。……で、それはこの2頭の命に僕の力がうまく溶け込むまでのもんかとも思っていたんだけどやっぱり違うみたい。言ってみればハナは聖獣としての完全な命を持っていてあとはニゲルも含めて未完成なんだ」
神妙な面持ちで話すセイリュウは一生懸命考えをまとめながら話しているようで、口調がいつもよりゆっくりだったりする。
「未完成……?」
これで?
と言わんばかりのリョウの言葉に。
「多分ね。石の記憶を見ただろ? 世界の始まりなんていう大それた仕事に当たって竜族はそれぞれの力を単独行使はしていない。あれが本来のあるべき力の使い方なんだと思うんだ。……つまり、四人全員で、とは限らないにしても常に補い合う二つ以上の力によって仕事をする、みたいな」
「なるほど、な……」
グウィンが顎の辺りをさすりながら相づちを打つ。
「都市に着いてからでもやってみるか?」
なんて言うグウィンにスイレンが。
「おい……いいのか? 仮にも命あるものをそんな風に……」
なんとなく愛着のあるニゲルが実験に使われている気がして不安になったのだろう。
「ああ、心配すんな。セイリュウの力は信頼できる。悪いようにはならん」
グウィンは軽く笑みを含んだ声でスイレンに答えている。
リョウはそんなやり取りを見ながらハナに目を落とす。
美しい赤毛の馬。
いつでもこちらの考えを読んでくれて一緒にいて心安らぐ。
このハナが聖獣の完全体。
なんとなく自分が混血であるせいか、聖獣の血が混ざっているとか、その血を引いているとか、純血種ではないことに親しみを感じていたのだが。
まさか……。と思う。
でもそう言われれば、ハナは伸び代がやたらあるように思えた。
リョウの戦い方によってはいくらでも期待に応えてくれる。怪我ひとつすることなく。もしくは怪我なんてたちどころに癒えてしまっていたのかもしれない。
そう思うと、純血ではないことに親しみを感じるというリョウの心に応えて、あえて全力を出さないようにしているのかもしれない、と思える。
だから必要になれば必要なだけ力を出してくれる。
そういうことなのだろうか。




