休養
見慣れた白いカーテンが窓辺で揺れている。
外は明るく、見たところ昼頃の明るさ。
どのくらい寝ていてのだろうか、と身を起こそうとして、リョウの左肩に痛みが走った。
「……痛っ……」
そのまま力尽きて枕の中に身を沈め、ふと周りの状況を改めて見回す。
見慣れているのは医務室の窓と窓にかけられたカーテン。
広い医務室の、一番端のベッドだ。
広い医務室には、本来戦闘時の負傷兵を収容することを見越してかなりの数のベッドが並んでいるのだが、リョウが使っているベッドの周りには簡易的に作られたと思われるカーテンの仕切りがあり、ちょっとした個室のようになっている。
ベッドの様子も少々違う。
リョウの最後の記憶にあるのは、一休みするために使った同じ位置にあるベッドだったが、枕はこんなにふかふかではなかったはず。かけられている毛布ももっと重かった。まるで体力を落とした体に負担がかからないように、視界さえも遮ってきっちり休めるように整えられているように見える。
頭上の位置には空になった点滴の瓶。
ああ、そういえば。
ザイラが重傷を負って意識がなかった時、ちょうどこんな扱いだった。あの時、カーテンの仕切りはなかったはずだけど。
なんて思い出してみて。
ふと、軽いはずの毛布に妙な重さを感じて足の方に視線を移す。
「……!」
そこには、リョウの体に触れないようにベッドの端に寄りながらも突っ伏したまま動かない一人の人。
その、明るいブラウンの癖のある髪に一旦目を見開いたリョウの顔につい笑みが浮かんだ。
ちょっと前にも軍医が「ずっと付き添っていた」と告げてくれたことを思い出して、この人、今回はどのくらいここにいたんだろうかと少し呆れてしまう。
それでもなんだか、軽く寝息をたてている柔らかそうな癖毛のその人が、急にいとおしく思えてきて。
彼を起こしてしまわないように、そして自分の体にも余計な負担をかけないように、ゆっくりそっと体を起こして、右手を伸ばす。
カーテンの隙間によって出来た日だまりの中にあるその髪は思ったより温かく、そして柔らかい。
良かった。生きている。
そう思うと涙が滲んで視界が揺れる。
……そういえば怪我の方は大丈夫なんだろうか?
いや、でもこんな体勢で寝ていられるくらいだからある程度回復してはいるのだろう。
それに比べて私の傷がこの有り様ということは……やはり特殊な傷だったということか。……まぁ、自分の力をほとんど全部注ぎ出してしまったのだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。
そんなことを思っていると、ふと、彼の寝息のリズムが途切れ。
「……リョウ!」
がばっと、身を起こしたレンブラントにリョウの方が驚いて思わず手を引っ込める。
「……はい。……えーと……おはようございます」
なんと言って良いか分からず、ついそう答えてしまう。
「おはよう……って……! まったく何呑気な挨拶してるんですか! ……ああ、でも気が付いて良かった。……傷は痛みませんか?」
カタン、と音を立てて座っていた椅子から立ち上がり、起き上がったリョウに近づくレンブラントのシャツの胸元には巻き付けられた包帯が覗いている。
「大丈夫。……でも隊長の方が痛々しく見えますけど」
ふふ、と笑いながら何重にも巻かれていると思われる包帯を眺めていると。
「リョウのおかげで回復が早いんですよ。もうほとんど痛みませんし」
少し決まり悪そうにレンブラントはそう言って、リョウの枕の位置を少し変え、少し体を起こした体勢を保てるようにしてくれる。
「あまり体に負担のかかる姿勢はとらない方がいいですよ……とりあえず先生を呼んでこなくては」
あれ? これだけ話していて先生が来ないということは。
「先生って外出中ですか?」
いくら個室っぽくしているとはいえ、たかがカーテンだ。声くらい筒抜けだろう。なのに今のところ、広いはずの医務室内に物音さえもしない。
「ああ、さっき指揮官に呼ばれて出ていったんですよ。この傷の特異性について報告を求められていましたのでね」
なるほど。それならわざわざ呼び戻さなくても戻ってくるのを待っていれば良さそうなもんだ。
「私なら大丈夫ですよ。痛みといってもせいぜい腕を動かしたらちょっと響く、っていうくらいですし」
リョウはそう言うと笑顔も作って見せる。
それなら、と、レンブラントが安心して息をついた。
そして、ふと、リョウの目をまじまじと見てその手がそっとリョウの頬に触れた。
温かい、手だった。
生きている人の手。
これからも色んな事が出来るし、誰かの役に立ち、誰かに愛されて生きていく者の、手だ。
リョウは、頬に添えられたレンブラントの手に自分の手を重ねてみる。
「……あったかい。……無事で良かった」
まだ少し頭がぼうっとしているせいか、リョウはつい思ったことをそのまま口にしてしまった。
「リョウ……」
不意にレンブラントが声のトーンを落として名前を呼ぶ。
ギシ、と音がしてベッドに腰が下ろされる。
「……?」
リョウが訝しげにレンブラントの目を見上げると、レンブラントはリョウの左の頬に右手を添えたまま左手をリョウの右側につく。
軽く覆い被さるような体勢。
「あなたからは聞かせていただかなきゃいけない事があるんですよね?」
そう言いながらレンブラントがリョウの目を覗き込むようにして顔を近付ける。
……! 何事?
リョウは軽くパニックになった。
「伝えていないことがたくさんある、のでしょう?」
……!
聞こえていたのか!
それは、目を開けてくれないレンブラントに必死で語りかけたリョウの台詞。
事情を察してリョウが耳まで真っ赤になる。
「……う……あ、あれは……」
しかもこの至近距離だ。
情けなくも声が震えて、言葉になんかなってくれそうにない。
レンブラントは、リョウのそんな様子を楽しむかのようににっこり笑いながらとらえた視線を放す様子もない。
「それに、生きて、他の人を幸せにするべきだ、とあなたは言いましたけどね」
にっこり笑ったままレンブラントが言葉を続ける。
……それも聞いていたのか……!
しかも顔は笑っているけど、なぜか目が笑っていない。
「僕が幸せにしたい人は……」
レンブラントがゆっくり言葉を紡ぎだし、ほんの少し間がおかれた。
その瞳はしっかりとリョウの瞳をとらえたまま一瞬たりとも反らされることがなく、まるで「もう、分かっているのでしょう?」とでも言っているようだ。
リョウはいきなりの展開に、先程から息まで止まっているかのように硬直しており。
逃げようにも体はまだ回復しきっていないのでレンブラントの下から逃れることもできず……そもそも左の頬に添えられたレンブラントの手のせいで顔を背けることもままならず、逆側には彼の腕があるので身動きすらできない。
レンブラントがゆっくりと、リョウを見つめたまま息をついて、次の言葉のために口を開いた。
と、同時に。
ぐーう。きゅるきゅるきゅる……。
「……あ……ら」
突然の、その場に全くそぐわない音にリョウは恥ずかしさのあまり今度こそ視線をそらした。
……だいたい、私、どのくらい眠っていたんだろう。この状況でここまで盛大にお腹が鳴るとは……。
そんなことを考えながら、そろそろと視線をレンブラントに戻すと。
思いっきり、話の腰を折られたレンブラントは、がっくりとうなだれて苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ご、ごめんなさい……なんだかものすごく、お腹がすいているようで……」
レンブラントが深くため息をつき、リョウから身を離した。
「……そうですね。二日間点滴のみで飲まず食わずでしたし……何か食べられそうなものを持ってきましょう……」
「あ、あの……」
くるりと背を向けるレンブラントがあまりにしょげているのが可哀想で、リョウは思わず声をかける。
カーテンを片手で開けながら肩越しに振り返るレンブラントに、何か声をかけてあげたいと思うのだが。
「あの……えーと……ああっ! ……っく!」
忘れちゃいけないものがもうひとつあったことを思い出したところで勢いよく起き上がってしまい……衝撃で走った肩の痛みに声も出ずにそのまま肩を抱えて固まった。
「……何やってるんですか!」
呆れて駆け寄るレンブラントに。
「すみません……ハナ、どうしてますか?」
ハナ、ごめん! 忘れてたなんて! 悪気はないんだけど!
心の中で謝罪しつつ、最後の記憶を手繰り寄せる。
確か、怪我をしたように見えて結界を張った。その後、レンブラントの方に全精力を傾けて集中したからあの段階で結界は解けていたと思うけど……。姿を見た記憶がない。
「……ああ、ハナですか」
ぷっ、とレンブラントが吹き出した。
「笑い事じゃないですよ!」
リョウは痛みのせいで涙がにじんだ目でレンブラントを軽く睨み付けると。
「そうですね。あの馬は本当に賢いですよ。僕が気付いたときにはもういなくて、気を失ったあなたを抱えていたら隊員たちを連れてきてくれました。おかげですぐここまで運んでこれたんです」
「え……じゃあ、怪我をしたりは……」
「元気で厩舎にいますよ。ザイラが日に一度は顔を出してやっているみたいですし」
良かった……! 脚に怪我でもしていたらと思うと気が気ではなかった! ……いや、ちょっと忘れてはいたけど!
深く安堵するリョウの様子を見て、レンブラントが今度は微笑ましそうに息をつき、再びカーテンを開けて出ていく。
「とりあえず、何か食べ物、ですね。おとなしく寝ていないと駄目ですよ」
なんて言いながら。
やれやれ。
思わずリョウは緩くため息を漏らした。
何はともあれ、レンブラントもハナも無事だった……!
リョウはそれだけでもなんだか顔がにやける。沸々と笑いが込み上げてくる感じだ。
そして、ふと。
先程のレンブラントの台詞の続きを思う。
そんなことはないだろう、なんてずっと思ってはいたんだけど、それでもいい加減なんとなく察しがついてしまう。
それを思うとリョウの顔から笑みが一瞬で消える。
……多分、私はその思いに応えてはあげられない。
お腹……鳴ってくれて良かったなぁ……なんて不謹慎なことさえ思ってしまう。
「はぁ……お腹すいた……」
意外なほど情けない声が口をついて出た瞬間。
「あれ、意外に元気そう。……レンが慌てて出ていったと思ったら、まさか食べ物取りに行ったの?」
開いたカーテンから顔を出したのはハヤト。
「……!」
反射的にリョウが身構えた。
その反応を見てハヤトは一瞬目を丸くして、それからわずかに肩を落とし、軽くため息をついて。
「……怪我人に迫ったりしないから安心していいよ。それに……ああいうやり方は、悪かったと思ってる。ごめん」
そう言うと先程までレンブラントが座っていた椅子に腰を下ろした。
「レンが君に張り付いていたから近付けなかったんだよね。……今、そこのドア開けっぱなしで出ていったから何かあったのかと思って……一応心配して覗きに来たんだけどさ」
「あ……そうだったの……」
そういえば、ドアの音が全くしなかったな、なんて思いながらハヤトの顔を見て、リョウの視線が固定される。
「その怪我……」
ハヤトの口元にまだ新しそうな傷がある。だいぶ濃いアザになっているが……最初は相当腫れていたのではないかと思われるような傷。
「ああ、これ? ……レンのやつにやられた」
ハヤトがそっぽを向いて不満げに呟く。
リョウが思わず目を見開くと。
「……女の子にあのやり方はないだろうって。……そのせいだけじゃないとは思うけどさ」
ああ、そういうこと。
「あいつ、ああ見えて自分の気持ちとか、ちゃんと言えないやつなんだよね。……まぁ、子供の頃のこととか色々あると思うけど、ここに来た当初から主張の無いやつだったから……多分自分が欲しいものをちゃんと欲しいって言えないんだと思うよ」
リョウから目をそらしたままそう呟くハヤトに、リョウは思わず微笑む。
この人たちの関係っていつ見ても安定してていいなぁ……なんて思いながら。
「……っと。敵に塩送っちゃった。その話はここまでね。それよりさ」
ハヤトはそう言うと自分が入ってきた時のまま開けっぱなしになっているカーテンをさらに引いて大きく開け。
「入ってきなよ」
と、ドアの方に向かって声をかける。
その声は今までと明らかに違って、厳しいもの。
「……?」
何だろう?
首をかしげるリョウの目に入ったのは、ドアのところから入ってきた数人の騎士。その先頭にはカレン。
そして、なぜか皆一様に青ざめた顔をしている。
「ほら、言わなきゃいけないことがあるだろ? なんなら今ここで首を切ってあげようか?」
「ええ! 何の話? ……ハヤト、何かあったの?」
ハヤトの物騒な発言にリョウが驚く。しかもハヤトの口調はいつもの冗談めかしたものではなく、どうやら本気っぽいのだ。
「こないだ隊が襲われた時、こいつらいなかったでしょ」
「え……ああ、そうね。そういえばそうだったわね。……でも無事で良かったじゃない。私、てっきりやられちゃったのかと思って焦ったんだけど」
リョウのその台詞に、なぜかハヤトの目がさらに怒りを宿し、隊員たちが睨み付けられる。
その無言の圧力に震え上がるようにカレンがほんの少し視線をあげる。
「……ごめんなさい。あんなことになるなんて思わなかったの。……その……ちょっと困らせてやろうと思って時間より早めに上がっちゃったんだけど……あたしがその話を持ちかけたら皆便乗してくれちゃって……だってほら、ここのところ何もない日が続いていたからまさか襲撃があるなんて思わなくて……」
途切れ途切れにカレンが説明すると。
「本当に申し訳ありませんでした。あのあとリョウ殿がヴァニタスを三体も倒したと聞いて自分のしたことが恐ろしくなりました。騎士としてあるまじき行動だったと反省しております」
カレンのすぐ後ろにいた騎士がさらに言葉を足して頭を下げる。それを合図にしたように、その後ろにいる騎士たちが一斉に頭を下げ。
ああ、そうだったのか、と、リョウはようやく事情を把握した。
そして。
もしかして、と、別の事情も察する。
カレンがそんなことをしでかした理由があるとしたら、思い当たるのは。
時間をさかのぼって考えてみると。
ハヤトと剣を交えていたあの時間帯。
はじめのうちは人はいなかったが、そもそも馬を取りに行く騎士たちの通り道でもあったわけだから、そして夕方の時間帯に見張りがある騎士たちで、ちょっと早めに支度をしようなんていう「任務に忠実な」騎士であるならあの時間帯に通り掛かってもおかしくない。
そこで隊長である人と二級騎士が剣を交えるなんて派手なことが繰り広げられていたら、気付かずに通り過ぎるはずが無いのだ。
カレンはハヤトの言いつけでこの仕事を精一杯やっているわけだから、その可能性は十分考えられるし、そうなると、あの状況を目撃したカレンがどういう気持ちになるかなんて……ねぇ。
そこまで考えて、リョウは今度はハヤトに目を向ける。
この人、それを分かった上で、自分の前で私に謝らせている……?
「えっと……! 私は全然平気だから! 傷も大したこと無いし! ホントにここのところ何もなかったものね。気にしないでくださいね! 皆さんは元々違う隊からわざわざ来てくれていたわけですし。ありがたいと思っているんですよ」
この雰囲気をどうにかしなくては、とリョウがうろたえ始める。
「……ふーん。……ま、リョウが許すって言うならこいつらの処分はそこそこにしておくけどね」
ハヤトは腕を組んで座ったまま、頭を下げている騎士たちの方を見やる。
「許すも何も! 気にしてませんから!」
もう勘弁して! この状況でカレンの気持ちを考えたらいたたまれない。
そう思いながらリョウは叫ぶようにハヤトに答えていた。
それを聞いたハヤトはわざとらしくため息をついてから、騎士たちの方を見もせずに右手をあげて軽く振りつつ。
「……だってさ。……戻っていいよ」
飽くまで不機嫌そうにそう言い放ち、それに応えるようにカレンと他の騎士たちは改めて一礼をしてそそくさと出ていった。
「リョウさ、君、甘すぎるんだよね」
彼らが出ていったのを確認してから、やれやれといった風にハヤトが口を開く。
「甘すぎるって……! ハヤトだって性格悪すぎでしょ! ……カレンの気持ち、知ってるくせに」
リョウが食って掛かる。
「だから甘すぎるっていうの。……あのね、遊びで見張りやってる訳じゃないんだよ。都市の民の命がかかってるんだ。騎士の命だってかかってる。有能な騎士が一人でも欠けたら隊全体の戦力に出る影響は大きいんだよ。それをたかが一人の騎士の私情で左右されるなんて、そんなのあっちゃいけない事なんだ」
……!
ハヤトの目の真剣さに、リョウは思わず息を呑んだ。
そういえば。
そんな騎士のあり方について、自分も以前の都市で上層部と言い争った記憶がある。
そう思うと。
正論、なのだ。彼の意見は紛れもなく。そして、今どき珍しいくらい真っ直ぐな正論。
「俺はね。自分を守るために強くなろうと思っていたんだけど、それだけじゃ足りないんじゃないかって思い始めてたんだ。……前にリョウが言ってたよね、誰かのために生き抜こうっていう考え方。あれ、俺にとって欲しかった答えだったんだと思う。……昔はそんなの自分の弱味を増やす行為だって思ってたけど……守りたいものがあるとその為に強くなれるし、自分の命も粗末にしなくて済む。最後の悪あがきをしてみようって思える。……まぁ、そこまで価値のあるものを見つけなきゃいけないんだけどね。……騎士っていうのは皆、そうやって自分なりに考えながら命を懸けて戦ってるんだ。その命を個人の私情で危険にさらすなんて絶対あっちゃいけないことなんだよ」
そこまでほぼ一息に話したハヤトは一度言葉を切って、それから不機嫌そうに目を細めて視線をそらした。そしてさらに低めた声で。
「……今回は幸いにも騎士の犠牲は出ていないんだ。他の騎士たちはせいぜい軽傷で済んでるから……軍としてはまだ安心してるんだけどね。……言ってみればリョウのお陰で軍の損失はこの程度で済んだんだよ。そりゃ、組織という視点で見れば被害はほぼ皆無だよ。でもそういう問題じゃない。これでもし……君にもしもの事があったら……あいつらクビどころじゃない。二度と都市で生きていけないようにしてやる」
……正論、なだけに反論できないけど……後半は「隊長」としての意見以外の私情が混ざっていたような気がしなくも、無い。
それでも、そんな理由で剣をとるハヤトに、リョウはちょっと尊敬の目を向けてしまう。
そうね。誰も自分の命を何も考えずに投げ出したりはしない。意味のある生き方をしたいと思うはずなのだ。ただ「皆がそうしているから」という理由で戦う訳じゃない。万が一、死ぬときには自分の責任で死ぬのだから。だからこそ皆、自分なりに「生きる意味」を探りながら剣をとる。
「……少しは見直してくれた?」
にやっと笑ってハヤトがリョウの顔を覗き込んできた。
「……!」
しまった! 乗せられた!
リョウは反射的に眉をしかめた。
そんなリョウにもハヤトは笑みを崩さない。
それはどことなく満足げな笑みにも見える。
「俺はもう、自分の命を懸ける価値のあるものを見つけたからね。……騎士なんだから戦って負傷するのは仕方ないよ。でも、それ以上のことが起きないように、今後は俺がこの自分の存在をかけて君を守ってあげるからね」
真っ直ぐリョウの目を見てハヤトが言い放つ、ので。
「あの……それは……」
非常に歯切れ悪くリョウが言葉を返そうとする。
……こんな話を聞いたあとでなんと説明したらいいんだろうか。
と。
ハヤトがくすくす笑いだした。
「いいんだよ。応えようなんて思わなくて。俺は言いたいことを言っただけ。人を思うのに見返りを期待するなんて非常識だろ? ま、君にはそのくらい価値があるってことだよ」
なんともまぁ、綺麗に笑うことか。
自分という存在になんの後ろめたさもなく、自信のある人はきっとこういう笑顔を作れるのだろうな、という笑みにリョウは絶句した。
たぶん、この人は強いのだ。
芯が強いとか、精神的に強いとか、そういうのとはちょっと違う、強さ。
生きる為の大義名分を見つけたら、きっとぶれずにまっすぐ歩いていける、そういう強さを持っている人なのだろう。
自分の対局にいる存在のような気がして……そしてそれを認めてしまった途端にどことなく眩しさを感じるような気がしてリョウの、彼を見る視線に今まで無かった感情が乗る。
……これは……一種の「尊敬」だろうか。
「……惚れ直した?」
「……その一言が余計だわ!」
自分に向けられる視線を理解したのかどうなのか、ハヤトが再びニヤリと笑うのでリョウは自分の思考を力ずくで撤回しながら言葉を返す。
そんなリョウの反応をハヤトは楽しげに笑いながら眺めており。
と。
「何しているんですかハヤト」
冷ややかな声がかけられた。
「うわ、レン。……もう帰ってきたの?」
慌ててハヤトが立ち上がる。
「いけませんか?……君、そろそろ支度した方がいいんじゃないですか?」
冷ややかな口調のままレンブラントがそう告げ。
「ああ、そうだね」
ハヤトはまず、いつもの調子でそう答え、次いで、びしっと背筋を伸ばしてから。
「この度は第八部隊に多大なるご迷惑をお掛け致しました。慎んで代わりの勤務に当たらせていただきます」
そう言うと、とてもキレイな礼をしてそのまま振り返ることなくハヤトはドアに向かった。
その様子を見送ってレンブラントがふう、とため息をつく。
「……リョウ、大丈夫でしたか? 何か変なことされたりしていませんか?」
「へ、変なことって……!」
その発言にむしろリョウがうろたえた。
そして。
ぐう。きゅるる。
「……あの……何かいい匂いがするのだけど」
レンブラントがカーテンの向こうに用意しているのであろう物。
何はともあれ、それをよこせとリョウのお腹が求めている。