空白を埋める
庭に陽が直接差し込むと明るさが急に増す。
とはいえ陽が差す前からも空気は温かく、風も心地よかった。
時折、外の風景に目をやりながらもレンブラントとリョウはここまでの旅であっことを色々話した。
出逢った人、そこから感じたこと、学んだこと。
そして、ここに来て何が起こっていたのか。
「……よく、頑張りましたね。……それにまた命を助けてもらいました……」
ベッドの上に座ったまま、リョウの肩を抱いて話を聞いていたレンブラントがリョウの頬にキスをする。
顔にかかる息がくすぐったくてリョウが思わず首をすくめると、今度は額にキスが落とされる。
「ちょっと……レンてば……! キスし過ぎ!」
リョウが逃げようとするとさらに強く抱き寄せられて逃げられなくなる。
「だって、今までずっと我慢してきたんですよ。挙げ句の果てに死にかけたんですから、今くらいいいでしょう?」
そう囁くと、レンブラントの唇はリョウの耳の下辺りの首筋を這い始める。
「……ひぁ……っ!」
とっさにリョウが両手に力を込めてレンブラントの体をぐいっと押しのける。
「レンっ!……お願い、これ以上は……ダメっ!」
唇の当たった辺りを手で押さえながらリョウが真っ赤になって、若干涙目の視線を泳がせる。
……ほ、ほんとに気を許したらこんなもんじゃ済まなくなりそう……!
「残念ですねぇ。今のリョウ、最高に可愛いんですけど」
くすくすと笑いながらそんなことを言ってくるレンブラントは名残惜しそうに右手をリョウの顎にかけてその親指でそっとリョウの唇をなぞる。
「あああ、あのね、レン! こういうことはちゃんと、その……夫婦になってから……!」
言いながらリョウはますます赤くなる。
そんなリョウを眺めるレンブラントは楽しそうにさらにくすくすと笑いだし。
「おや、夫婦になってから……って……今、何を期待してたんですか? 僕はただキスをしただけですけど?」
「レ、レンブラントっっっ!」
リョウは半ば叫ぶくらいの勢いで照れ隠しをせざるを得なくなる。
こ、この人……!
こんな人だったっけ?
照れながらも慌てふためくリョウを見つめてレンブラントはふと真顔になる。そして。
「……わ! わわわっ! 何っ!」
いきなりリョウを抱き寄せてそのまま力任せに抱き締めたのでリョウが改めて慌てふためきその腕を振りほどこうとし始める。
「リョウ。……大丈夫、何もしないから。……ちょっとだけじっとして」
そう言うとレンブラントは少しだけ腕の力を緩める。
リョウはレンブラントの真面目な声にふと動きを止め、緩んだ腕の中で声の主の顔を見上げる。
優しいブラウンの瞳がじっと自分を見下ろしている。
大好きな光景だ。その瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。
こんな色の瞳は他にもあるのに、どういうわけかこの人の瞳の色は特別に思える。そしてその瞳に自分しか映っていないのだと思うと胸が締め付けられるような、息が出来なくなるような、そして涙が出そうな、そんな気分になる。……なんて、きれいな、優しい色なんだろう。
「先に言われちゃいましたけどね……。リョウ、全部片付いたら結婚、してもらえますか?」
「……え?」
美しい、大好きな瞳に見とれすぎて、今、何て言われたのかよく分からなかった! ……結婚、て言った……?
リョウが固まっていると。
「だって、ちゃんと夫婦になってから続きをさせてくれるんでしょう?」
「……!」
悪びれもせず、くすくす笑うレンブラントをリョウは反射的に、押しのける。
顔だけじゃなく首もきっと真っ赤になっていることだろうと自覚しながら。
そしてあまりにも恥ずかしすぎてそのままくるりと背を向けてベッドの上から降りようとすると今度は背後から抱きすくめられる。
「返事は?」
うわああああああ!
リョウは、もう、完全にパニックである。
この状況で、この流れで、この台詞。しかも、耳元で囁かれるとなると。
……下手すると腰が抜けそうになる。
もう、どうにでもして! と言いかけて、いや、それは絶対ダメだ! と思い直し、後ろから回されて胸の辺りでがっちり組まれているレンブラントの腕を振りほどこうと両手で引っ張ってみる。
「あ、こら。ちゃんと返事してくれないと離しませんよ?」
レンブラントがさらに腕に力を込めた。
「だって! 絶対返事したって離さない気でしょ!」
リョウは首筋にレンブラントの息がかかるだけでもう、頭が真っ白になりかける。
「それは……返事次第ですかね……」
「レンブラント! もう、いい加減にしてよ!」
リョウはそう言うとくるりと振り向きながらレンブラントの腕を振りほどき、ベッドから降りて数歩後ずさる。
とたんにレンブラントの顔に一瞬寂しそうな色が浮かんだような気がしてちょっと気が咎め。
「分かった! 分かったわよ! 結婚でもなんでもするから今迫ってくるのはよして!」
ついそう叫んでいた。
「リョウ……なんか……ものっすごい勢いで取り込み中だったみたいだな……」
「わああああああ!」
部屋の開口部にかけられている薄織物の辺りまで後ずさりしていたリョウが不意にすぐ後ろから声をかけられて飛び上がらんばかりに驚く。
「えっ? あ、ああ、スイレンっ? びっくりした!な、な、何か用っ?」
気が付けばちょうど仕切りをめくり上げたところでスイレンが固まったようにこちらを凝視しており、レンブラントは相変わらず悪びれる風もなくそんなリョウを見ながらくすくす笑っている。
「あ、えーっと……昼食の支度が出来たから呼びに来たんだが……」
スイレンがリョウとレンブラントの顔を交互に見ながらそう言うと。
「えっ? 昼食っ? あっ、昼食ね! そりゃ食べに行かなきゃね!」
リョウはそう言うなりそのまま外に出て行こうとする。
「え?リョウ、どこで食べるかまだ話してないぞ! どこにいくのだ! ……それに……」
スイレンはレンブラントの方をちらりと見て廊下に座って靴を履こうとしているリョウの上着の背中をつかむ。
「起きているならレンブラントだって食べるだろう? 置いていく気か?」
「え、あ。ああ、そうねっ! そうだったわねっ!」
リョウはもう、何がなんだか分からなくなっている。
そんなリョウにレンブラントはさもおかしそうに笑い続け、それを見てスイレンはベッドを横切って部屋の入り口へ向かいながら「レンブラント、頼むからリョウを丁寧に扱ってくれないか?」と、文句を言う。
レンブラントが笑いを噛み殺しながら。
「いや、かなり丁寧に扱っているつもりなんですけどね」
なんて言うと。
スイレンは部屋の入り口からレンブラントの靴を持ってきながら。
「そういう丁寧ではない。……あの状態のリョウを皆の前に連れていくのは可哀想だろう……」
ぼそっとレンブラントだけに聞こえるように小声で告げる。
レンブラントが薄織物越しに廊下に座っているリョウに目をやると、リョウはこちらに背は向けているが両手で頬を包んで顔の火照りを冷まそうとしているようで……レンブラントとしては非常に可愛らしく微笑ましい光景なのだが、ふと言われた通りこの姿を他の者、例えばリョウを都市から連れ去った、あの風の竜と名乗ったグウィン辺りに見せるのは是非とも遠慮したい、と思えてきて。
「そうですね。……すみません。気を遣わせてしまいましたね。あなたは……水の竜、ですね。お気遣いに感謝します」
レンブラントはそう言うとベッドから降りてスイレンに向かって頭を下げた。
「まぁ……分かれば良いのだ。頭なんか下げなくて良い。私のリョウをお前に託してやるのは良いが、ちゃんと大事にしろよ? でないと私が全力で、許さないぞ」
スイレンは小声でそう言うと、付いてこいという合図と共にリョウのいる廊下に出てレンブラントの靴をその外に置く。
「リョウ、ビャッコが凄いのだ! リョウと同じでパンケーキを作れるのだ! 昼食にたくさん作ってくれたから皆で食べよう」
そう言うとリョウの顔を満面の笑みで覗き込む。
「ええ、ほんと? それは楽しみ!」
スイレンの笑顔を見たところでリョウの感情は見事にリセットされたらしく、今までの調子に完全に戻っている。
そんなリョウと、その腕を引っ張りながら歩くスイレンを見ながら、レンブラントはリョウがこれまで成し遂げてきた事を思い、静かに微笑みを浮かべた。




