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再会

 スザクの話を聞いてから、リョウは彼と別れてレンブラントの部屋の方へ向かう。


 レンブラントを取り込んだ木は瑞々しい綺麗な木だった、とスザクが言った。

 白い花の蕾までつけていた、とも。


 あの森を通ってきたときに見た木はどれも不気味な黒い木で、花をつけていた木でも毒々しい色の花だった。


 それを考えると、レンブラントがここに来るに当たってまっすぐな気持ちで、何の恐れも恨みも、後ろめたさも抱くことなく来たことが証明されているようでなんだか誇らしい気分になる。

 そんなレンブラントの心意気が彼らの心を溶かしたのかと思うとなんだか嬉しい。


 ……早く目を覚まさないかな。


 そんな事を考えながらふわふわとした心持ちだったせいか、屋敷の玄関ではなく廊下の側からレンブラントの部屋に向かって来てしまったことに気づいて、リョウは内心「しまった」と思った。


 この屋敷の造りは基本的に土足厳禁なのだ。

 玄関から入れば最初の部屋である、昨日の丸テーブルの部屋までは土足で入れるのだが、そのあとは部屋に入る前に室内履きに履き替えるようになっている。

 庭に面した廊下の側から部屋に入るにはそこで靴を脱がなければならず……室内履きに履き替えにわざわざ部屋を突っ切って部屋の入り口に行かなければならない。


 だいたい、騎士としての履き物なんて足首を固定してしっかり動けるように、敢えて脱げにくいブーツタイプの靴なんだからいちいち脱ぎ履きするのは面倒くさいのだ。

 そう思いながらも、すぐ目の前の布一枚隔てた向こうにレンブラントが寝ていると思うとわざわざ屋敷の玄関まで回るのもまどろっこしいような気がして、やはりリョウは廊下に腰を下ろす。

「うー、……めんどくさい……なっ……と」

 そんな独り言を呟きながらまず片方の靴を脱ぐ。


「……すみません……面倒な思いをさせてしまいまして……」

 中から穏やかな声がしてリョウが勢いよく振り返る。

「え……! レンブラントっ?」

 慌てて上がり込もうとするも、うまく靴が脱げずにバタバタしてしまい、ようやく両方の靴を脱ぎ捨てて薄織物の仕切りをめくりあげ、部屋の中に飛び込む。

「目が……覚めたのね……!」

 レンブラントはベッドの上に体を起こしてリョウが駆け込んでくるのを嬉しそうに見つめていたが、リョウが勢いよく部屋に飛び込みそのままベッドにポンと飛び乗って、その首に抱きついたので「おっと……!」なんて言いながらくすくす笑う。


「レンブラント! ごめんなさい! 私、あなたが目が覚めるときにはそばにいるつもりだったのに!」

 息せききってリョウが捲し立てる。

 独りであんな森で意識をなくして、きっと心細かった筈だった。

 そして知らない部屋で目が覚めて、やはり独りだったら……と思うと、絶対そばにいてあげたかったのだ。

「大丈夫ですよ。リョウ……ちゃんとそばに居てくれたじゃないですか」

 耳元に響く懐かしい声に、リョウは恐る恐る腕を緩めて愛しい人の顔を覗き込む。

 レンブラントは右手でリョウの体を支えて左手で部屋の中、ベッドの脇の椅子を指差して「ほら」と言う。

 その椅子には朝方リョウがレンブラントを見に来たときに置いていった自分の剣が立て掛けてある。

 この屋敷内にいるなら剣を持ち歩く必要もなさそうだし、またここに戻ってくると思ったので置いていったのだ。

「あなたが大事な剣をここに置いているということはすぐまた戻ってくるということだろうな、と思って外を見ていたんです。……そしたら……」

 そこまで言うとレンブラントは何かを思い出したかのようにくくっと笑い出した。

 で、リョウはふと自分の行動を思い出す。

 そうだ……!

 この織物、外から中は見えないけど中から外は見えるんだった……!

「え……! やだ! 違うわよ! あなたの様子を見るのがめんどくさいって言ったんじゃないからね! 靴を脱がなきゃいけない、この建物の構造がめんどくさいって言ったんであって……!」

 リョウは顔が赤くなるのを自覚しながら必死で言い訳をする。

 レンブラントは相変わらず笑いっぱなしだ。

「笑いすぎ!」

 リョウが困ったようにそう言うと。

「……まぁ、確かにめんどくさかったようですけど……でも……靴を脱がなかったら……こんな風にベッドの上にまで乗っかっては来なかったでしょう?」

 レンブラントは笑う息の合間でそう言う。

「あ……!」

 リョウは今度こそ耳まで真っ赤になる。

 すっかり我を忘れていたが気付けば完全にベッドの上に座り込んでレンブラントに密着するように抱き付いているのだ。慌てて離れようとするも、今度はレンブラントががっちり両腕で抱き締めるのでその腕の中から動けなくなる。

「え……っと、あの! レンブラント……ちょっと……!」

 しまった、これでは照れくさすぎて顔がまともに見られない! と、リョウが慌てふためく。

 そうこうするうちにレンブラントの右腕はリョウの腰に回り、左腕で背中から後頭部にかけてしっかり支えられてリョウはレンブラントの首辺りに顔を(うず)めたまま動けなくなってしまった。

「リョウ」

 そんなリョウの耳にレンブラントが再び囁く。

「離してほしい、ですか?」


 どかん!


 そんな音がしたんじゃないかと思うほど、リョウの心臓が跳ねた。

 ただでさえ大好きな柔らかい声。なのにこの期に及んで甘さ倍増!

 耳元で囁かれるだけでもキツいのに、そういう言い方は……ずる過ぎる……!

「……うう……離さなくていいけど……でもやっぱり離してほしい、かも」

 リョウはもう自分でも何を言っているか分からない有り様だ。

 レンブラントはくすっ、と笑って。

「じゃあ、僕が言ったことちゃんと思い出してくださいね。そんな呼び方しなくていいって言いませんでしたっけ?」

「え?」

 しっかり抱き締められた腕の力が弱まったので、レンブラントの首の辺りからリョウがそろそろと顔を離すと、そこでレンブラントの意地悪そうな目と至近距離で目が合う。

「あなたはもう、うちの隊の隊員じゃないんですよね?」

「あ……」


 夕べ、朦朧(もうろう)とするレンブラントが言った言葉を思い出す。


 そして、しばらく前、ハヤトやクリストフと打ち解けるようになったときに、「他の皆はともかく自分の上司を愛称で呼ぶなんてあり得ない!」みたいなことを言ってそれ以来仕事の時は「隊長」と呼び、それ以外ではレンブラントと呼ぶようにしていたことを思い出した。


「良かった……あれは僕の夢だったのかと思いましたよ。ちゃんと言いましたよね?」

 レンブラントが再び念をおしてくるので。

「うん……聞いた。聞いたけど……」

 なんか、こう、面と向かって改まると非常に言いにくい。

 リョウはますます赤面する。

「じゃあ、ちゃんと呼んでくれたら離してあげますよ」

 レンブラントはそう言うとわざとらしくリョウの腰に回した腕に力を入れる。

「う……あの、今じゃないとダメ?」

 多分そのうち自然に呼ぶと思うんだけどな……。

 なんて思いながら上目使いで聞いてみる。

「ダメ」

 レンブラントは相変わらず意地悪な目で笑う。

 なのでリョウは観念して。

「……じゃあ……その……レン、離してください……」

 すっと、レンブラントの腕の力が緩まった。

 リョウがほっとして体を離そうとすると。

「え?」

 リョウの腰に回されていたレンブラントの右腕が力強く引かれ、背中に回っていた左腕が肩を掴んで後ろに押した。ので。

「きゃあ……っ!」

 視界が一転して思わず小さく叫んでしまったが、その一瞬でリョウはベッドの上でレンブラントに組み敷かれていた。

 ふわり、と大好きな匂いに包まれる。

 そして。

 レンブラントはそのままリョウに覆い被さり、その唇をふさいだ。


 ほんの少しの沈黙のあと。

 ゆっくりとレンブラントがリョウから顔を離す。

 リョウはあまりにびっくりしすぎて抵抗もせずにレンブラントのキスを受け入れていたが、レンブラントが離れて初めて事態を呑み込み、今度こそ目が合わせられなくなる。

 なので。

「……離すって言ったくせに……嘘つき」

 などと食い下がってみる。

「そんなこと、言いましたっけ?」

 レンブラントが相変わらずの至近距離でにっこり笑う。

 なので、これはもはや致し方なく、リョウが潤んだ瞳で抗議の視線を向けた、のだが。

 途端にブラウンの瞳が一瞬見開かれたあと眇められ……その右手がリョウの頬に添えられて、左手はリョウの右手を押さえ込んだ。

「すみません。……ちょっと我慢できないみたいです……嫌だったら殴っていいですよ」

 レンブラントはそう囁くと再びリョウに唇を重ねてくる。

「……っ!」


 この度は、軽く唇が合わさるだけではなかった。

 絡めとるような深いキス。

 驚いてびくっと震えるリョウの体をレンブラントは自分の体で暖かく押さえ込み、頬に添えていた右手はリョウの動きを封じるように後頭部に回る。

「……んっ……ふ……ぅっ……」

 リョウの声が微かに漏れ、自由になる方の左手がレンブラントの服の胸元をぎゅっと掴んだ。


 長くて熱いキス。

 一旦、唇が離れそうになり、リョウがほっとして息をつくと次の瞬間にはまた唇が重ねられて深く熱く絡め取られて逃げ場がなくなる。

 まるで気持ちを確認されているような、本気で受け止める気があるのかと問われているような気がして、リョウはそれを受け入れる。


「……ん……ぁ……」

 リョウの声が再び漏れ、今度こそリョウはレンブラントの腕の中でその唇から解放された。

 リョウは肩で息をしながら両手でレンブラントの胸元をぎゅっと掴み、顔を(うず)める。


「……リョウ……嫌じゃ、なかったですか?」

 少しだけ息を荒くしたレンブラントが心配そうにそっと尋ねる。

 なので。

 リョウは両腕をレンブラントの首に回してしがみつきながら。

「レンが……することが嫌なわけないじゃない……」

 そう囁いていた。

 すると、レンブラントが安心したように息をつき、リョウは改めて強く抱き締められた。


 しばらくそうしていると。

「リョウ……すみません……あの……」

 なぜかレンブラントの声の調子が変わる。困ったような声。

 リョウが不思議に思って腕を緩めると。

「つい、抑えられなくて順番を間違えました。本当は先に言わなきゃいけなかったんですが」

 レンブラントの右手が再びリョウの左の頬を包む。

 真剣な眼差しをまともに受けて、訳がわからずちょっと緊張したリョウにレンブラントが言葉を続ける。

「あなたへの気持ちはもうずっと、変わっていないんです。あなたが竜族であろうともそんなことは関係ない。あなたの長い人生の一部を僕にくれませんか?」

「……!」

 リョウが一瞬言葉を失い、目を見開く。

「……知って、たの? 私の寿命のこと……」

 レンブラントが優しく微笑む。

「でも……だって、それじゃ……」

 リョウの頭は言葉と直結しなくなってしまっているようで、まともな言葉が出てこなくなっている。

「本当はあなたの口から直接聞くまでは知らなかったことにしようと思っていたんですけどね。先にあんなキスをしてしまったので……その……ちゃんと言っておこうと思いまして」

 レンブラントが少し決まり悪そうに顔を赤らめる。

「あなたを、愛している。……僕のものになってくれますか?」


 リョウの目から涙が溢れた。


 私なんかでいいの?

 そう聞きたいくらいだ。

 でも聞くまでもない、ってことも伝わってくる。

 そんな目で見据えられている。

 それでも。

 どうしても言ってしまいたいことがある。


「レン……私を……いつか私を置いて死んじゃうんだよね?」

 寿命の長さが違うということはこれは避けられないこと。そんなこと知ってるけど。でも、それが怖かったのだ。

「そうですね」

 やんわりと肯定するレンブラントの声はそれでもなぜか自信に満ちている。

「それは仕方がないことですけど……でも、僕の一生をかけて、あなたに人を愛して良かったと思わせてあげますよ。決して後悔させないし、また誰かを愛したくなるようにしてあげます」

「何それ……」

 リョウが小さく笑いを漏らす。

「じゃあ、私、レンが死んじゃったら他の男のものになる前提なの?」

 レンブラントが困ったように微笑む。

「今からそんな計画は……困りますね。だいたい僕はまだ当分死にませんからね? ちゃんとあなたを幸せにしますから」

「……分かった。じゃあ……」

 リョウは小さくため息をついて。

 それから再びレンブラントの首にきつく腕を回して。

「もし、他の人を愛したいと思えるようなことにならなかったら……あなたが死ぬ前に私を先に殺してくれる?」


 きっと何十年か先、この人を失うそのとき。

 私は、やはり私は、耐えられないような気がする。

 口約束でもいいから私より先にいなくならないと言ってほしい。


 リョウは切実にそう思った。


「リョウ……! 何てこと言うんですか!」

 リョウのしがみついている腕に両手がかけられてその腕をほどかれる。

 レンブラントはいつの間にかリョウの上に馬乗りになるような体勢で両膝をつき、屈み込んでリョウの顔を覗き込もうとしている。

 両手をレンブラントのそれぞれの手に捕まれて逃げようのないリョウは涙に濡れた顔を隠すこともできなくて、仕方がないので横を向き視線だけそらしながら。

「だって……だって怖いんだもの! あなたのこと愛してるの! 離れたくないの……だから……いつか失うと思ったら……耐えられない……!」


 どんなに自分を納得させようと思っても、考えないようにしようと思っても、その現実が怖かった。

 気持ちがはっきりしてくればしてくるほど。

 どうしようもないと分かっているのに。


「リョウ……!」

 リョウの上体がレンブラントの両腕ですくい上げられるように持ち上がり、抱き締められる。

 リョウの体の両脇に膝をついて屈み込んだ体勢のレンブラントはその腕の中にリョウを抱き締めていた。

「大丈夫。あなたの心が壊れてしまわないように、ちゃんと大事にしてあげますから。あなたの心が強くなるまで僕がちゃんと愛してあげます」

 耳元でそう囁かれる。

 リョウは両手をレンブラントの背中に回してしがみつく。


 ああ、この人は。

 出来もしないことを口約束だけでごまかすなんてことしないんだ。

 リョウはそう思うとなぜか心の奥を占めていた不安と恐怖が薄らいでいくような気がした。

 レンブラントの腕は暖かくて、涙が枯れるまでちゃんと受け止めてくれる強い腕だということも分かる、そんな腕だった。



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