土の竜の賭け
土の竜の屋敷は山の影になるので朝になっても日が差し込むのが遅い。
辺りはすっかり明るくなっているが日の光が直接差し込んでくるのはもう少し経ってからなのだろう。
リョウは、美しく造られた庭を少し歩いてからレンブラントのいる部屋に面した板張りの廊下に腰を下ろし、ぼんやりと外を眺めている。
土の竜が同行すると言ってからグウィンもスイレンも安心したようで今朝からそれぞれが思い思いに行動している。
スイレンはビャッコが気に入ったようでくっついてどこかに行ってしまった。スイレン曰く「長い黒髪がリョウに似ているから好き!」なのだそう。ビャッコもそんなスイレンを可愛がって、今日は一日連れ回すと宣言した。
グウィンは今後のことを話すと言って土の竜の部屋に向かい、それなら私もと付いていこうとするリョウに話がまとまったら伝えるからと一人で行ってしまった。
「……二人ともあからさま過ぎるのよね……」
そんな独り言がこぼれる。
あの二人の行動は明らかに自分への気遣いだ、とリョウは確信していた。
レンブラントの目が覚めた時にその場にいられるように。そして、出来るだけ邪魔が入らず二人で過ごせるように、と。
リョウにとってもそれは嬉しい気遣いで確かに出来るだけそばにいたいと思ったので……気付けばこうして彼の部屋の外にいる。
この屋敷の造りはどの部屋も共通で、美しく造られた庭に面した側には部屋に大きな開口部がありその外には廊下がある。
そして、そこから外に出られるようにもなっている。
開口部には薄織物がかけられておりその織りの特徴を上手く生かして外から中は見えず、中から外はほどよく透けて見えるようになっている。やはり、気密性を完全に無視した構造に純血の竜族ならではの住まいなのだと思わされる。
水の部族の地のように極寒ではないとはいえ、レンブラントが休息のために休んでいることを考えて、リョウは朝方にそっと部屋に入り彼の様子を確認してしまった。
部屋を背に廊下に腰掛けながらリョウは先ほどレンブラントの頬をそっと撫でた自分の右手を見つめ微笑む。
気持ち良さそうにぐっすり眠るレンブラントをほんの少し眺めて、そして、そっと部屋を出てきたのだ。
もう少し、ゆっくり休ませてあげよう。このあとまた、南へ旅をしなければならない。
「……よう! 火の竜! レンブラントはまだ眠ってんのか?」
いきなり声をかけられてリョウが顔を上げる。
「スザク……!」
全く気配がしなかったが、気付いたら目の前に両手を腰に当ててリョウの顔を覗き込むようにこちらに屈み込んでいるスザクと目が合う。
一応気を遣っているようで声のトーンは落としてくれている。
なのでリョウも後ろの部屋を気にしつつ、そっと立ち上がってスザクの方に歩み寄りながら。
「うん。……人間の体力を考えたら多分今日一日くらいは眠ってるんじゃないかと思うんだけど」
一応、声を潜めて答える。
本来なら一日休めば回復するなんていうレベルじゃないほどに体力は失われていた筈。でも土の竜が生命力を与えてくれたのでレンブラントの体力は竜族並みに回復させられていた。……まぁ、それでもやはり人間。そうすぐに起きられる筈はないだろう。
「じゃあ、少し話さねぇ?」
スザクが庭の方に行こうと合図する。ので。
リョウはにっこり笑って頷いて見せる。
スザクについて庭を歩く。
庭といっても意外に広く、広々とした手前の空間には所々に美しく磨きあげられた岩が配置され、その間をぬうように小路が造られている。
その後ろには枝を垂らして可愛らしい薄紅の花を付けた木が立ち並び、その足元には池がある。池では白や赤の魚が元気よく泳ぎ回っており、この池は昨日皆が集まった部屋からは部分的にしか見えなかったから小さな池かと思っていたのだが実は案外大きくて、奥にはちょっとした橋までかかった場所がある。
そんな橋を渡るとその先にも小路は続いており立ち並ぶ木は種類が変わって今度は白や紅の花を付けたものになる。その合間から若葉も覗いており美しい立ち姿につい目を奪われる。
いい匂いがすると思ったら足元には白や黄色の花が丁寧に植えられていて瑞々しい芳香を放っている。
そんなところを通り抜けると少し高くなった場所にちょっとした東屋があった。
つい今しがたリョウは庭を歩いたが、レンブラントが気になってこんなに奥までは来なかったし、それこそ庭を楽しもうと思って歩いたというよりレンブラントのことを考えながら歩いていたので周りをそれほど良く見ておらず、今になって改めてその美しさに見とれる。
「ここ、俺が造ったんだ」
東屋に作られた長椅子に腰掛けながらスザクが得意気にそう言う。
「……そうなんだ……って、ええ?」
周りに心を奪われながらぼんやりとしていたリョウは思わずスザクを二度見して目を見開いたままその向かいに腰を下ろした。
「俺、元々こういう庭を造るのが好きでさ。ここではこんな雑用をしてんだよ」
へへ、と笑うスザクはなんだか愛嬌があってかわいい。
「これ……雑用のレベル……?」
「どうせやるなら徹底的に! が俺の座右の銘なの」
呆然とするリョウに得意気に答えるスザク。
「ゲンブは黒の森、ああ、あの悪趣味な黒い木が繁る森な。それにビャッコは屋敷を管理するのがここでの雑用なんだ」
……だから、それは雑用の範囲なのだろうか?
そんなリョウの考えを知ってか知らずかスザクは話を続ける。
「本来はさ、代々土の竜を支える為に四つの氏族からそれぞれ一人が選ばれて、この屋敷で雑用しながらこの山と部族を守るのが俺たちの仕事でありしきたりに基づく在り方なんだ」
そういえば、土の部族の者はどこにいるのだろう。ここへ来る際にはスザクが今「黒の森」と呼んだあの森を抜けてすぐにこの屋敷だったので他の者たちの生活圏を見ていない。
「土の部族って数としては少ねぇんだ。なんせ氏族も四つしかねぇしな。この山の上の方に住んでんだぜ?人と関わらなくていいように生活圏をどんどん上に持っていって今に至るらしい。だから土の竜はこの山を守らなきゃならねぇんだ」
人間から。
おそらくその言葉を敢えてスザクは口にしない。
土の部族とは、好戦的で武力に自信のある水の部族とは違って実は保守的で穏やかな部族なのかもしれない。
リョウはそんな気がした。
だから、怒りや憎しみを抱いてもこちらから積極的に攻撃に出たりしない。その分威嚇の仕方が陰険なのか。
そして、もしかしたら本当は。
こんな風に人間を恨むようになる前は人間社会を暖かく見守るような穏やかでおおらかな気質の部族だったのではないだろうか。
今、スザクが敢えて「人間から同族を守る」と強調しなかったのはそう言うことによって人間を敵対視していることを口にしたくなかったから。そんな気がした。
「土の部族ってほんとは優しい部族なんだ?」
リョウは敢えて口に出してみた。
肯定してほしいという思いもあって。
「へへ。……俺はそう思ってるけどな。人間だって嫌いじゃねーよ」
照れくさそうにスザクが笑う。
ああ、やっぱり。
リョウはほっとして微笑む。
それでも、ということは、ある意味かわいそうな部族なのかもしれない。
人間社会を暖かく見守るような部族が、その人間と関わりたくないと思って目を背けざるを得ない現状。それゆえに生活圏を山の上に移して人里から自ら離れていかざるを得ない現状。
これって、長く続く間には……ひねくれて逆恨みして人間嫌いになる土の竜の気持ちもわからなくもない。
それでも、四つの氏族を代表する者たちと共にここでの役割を果たすために彼は力を尽くしているわけで……あれ?
「ねぇ、スザク、四つの氏族を代表する人たちがここにいるってって言った?」
数が、合わない、けど。
「ああ。俺たちホントは四人で土の竜を支えてたんだ」
スザクがふと視線をリョウから離して遠くへ向ける。
「俺とビャッコとゲンブとセイリュウの、四人。あの頃は楽しかったな。ビャッコが屋敷を管理して俺が庭を、セイリュウが森の管理をしてゲンブが森と屋敷の警護をしていたんだ。先代の土の竜は俺たちを仲間として分け隔てなく扱ってくれたから……まぁいってみれば家族みたいなもんだった。五人でテーブルを囲んでお互いの仕事をああだこうだ言い合ったりして良く笑ったもんだ」
ああ、そういえば。
丸いテーブルに五つの椅子。
リョウは昨日使った部屋の様子を思い出す。あのテーブルと椅子は使い込まれた感があった。ということはやはり、最近まで五人いたということか。
「そのセイリュウって……どうしたの?」
まさかこれだけ私たちが騒いでいて、まだどこかに隠れていて出てきていないとも思えない。それにスザクの話の感じからしてその人がいたのは先代の土の竜の頃。
もしかして……亡くなった、とかだろうか……?
「いるよ。……今の土の竜だ」
「え?……ええええっ!」
遠くを見たままそう告げるスザクにリョウが思いっきりのけぞった。
だって……あれ? ……え? なんか、おかしくない? 土の竜は世襲制では……?
「……だから、あいつ、あんなにやさぐれちまったんだよなぁ……」
リョウの顔をちらりと見てからスザクが今度は視線を落として話し出す。
「本来はさ、世襲制で土の竜の家族の者が次の代を継ぐんだよ。だから俺たち四人は変わらずにずっと仲良く土の竜を支える筈だった。新しい土の竜を迎えてもそこは変わらない筈だったんだ。それが先代が亡くなったとき、あろうことかセイリュウが力を受け継いだんだ。凄かったぜ?あいつが管理していた森の木が一斉にあいつに従い出したんだ。竜の石はあいつに反応するし、もうあいつ本気でパニクって。で……あいつ、ついにぶちギレた」
「……は?」
なぜそこでぶちギレる?
リョウの気の抜けた返事にスザクが笑う。
「な? 変なやつだろ?……そういうやつなんだよ。あいつさ、部族の上に立つとかそういう責任ある立場には元々興味がないやつだったのな。むしろ陰で働いてそういう人を支えたいってタイプなの。で、自分の代でいきなり継承者の流れが変わっちまっただろ? こんな、いっちまえば不自然きわまりない流れの原因は何だって話になって、あいつなりにたどり着いたのがさ……」
「人の社会の乱れが自然界を変えてしまった……ってこと?」
「そ! ……もー、ひねくれてやがるだろ? そこまで人間を目の敵にするかね! とか思ったけどよ、土の竜を継承したもんにたてつく訳にもいかず、仕方ねーからあいつの腹いせに付き合うようになっちまった」
そう言うとスザクはがくんと肩を落とす。
「ゲンブなんか真面目だからよ、あいつが管理していた森があんな風に変化するのに耐えられなくなっても土の竜の継承者相手じゃ意見したりなんかできねーから、今じゃ人間が入ってくるのを塞き止める役まで買って出てるし、ビャッコもあそこに散乱する人間が入り込んだ痕跡をちょいちょい掃除して回ってるんだよな。あいつも二人の気持ちは分かってるからあの森の中で二人が動きやすいように木が二人の言うことをある程度は聞くように仕込んでるんだ」
「……そうなんだ」
……うわ……なんていうか……えーと……そっかぁ……。
リョウはもう、うっかり変な意見を言ってしまわないように言葉を控える。
「で。仕方ないから賭けをしたんだ」
スザクがふと目を上げた。
リョウの方を見て、そのまま顔も上げ、背筋を伸ばしてにっと笑う。
「……賭け?」
そういえばここに来てその言葉を前にも聞いた気がする。
と、リョウは思い出す。
「そ! 何しろあいつのやり方と来たら人間の存在を全否定するところから始まってるだろ? でもよ、先代がいた頃に風の竜が来たことがあって将来のいつか四人の竜を集めて世界に災いをなす歪みを取り除くために行動する日が来るなんて話していたから、その日が来たらどうするよ? ってなってな、もちろんあいつはそんなことに手を貸す義理はないって突っぱねるし、仕方ないから俺たち三人と賭けをしようって話したわけ」
なぜかスザクは今までになく楽しそうだ。
「あの黒の森、な。あれ、あいつが木に力を付与してああなって今じゃ相当醜くなっちまったけど元々は綺麗な木なんだぜ? 竜族を恐れて討ち取る目的で来る人間ばかりを喰らっているから結局、あの木が吸い上げるのは人の怨念ってことになって……あんな姿になっちまうんだけどな。でも、もしいつか、そんな中に醜くならない木が生まれたら考えを変えて人を助けることに手を貸すのはどうだ? って持ちかけたんだ」
「醜くならない木?」
それは宿主である人間の心が醜くない、ということだろうか。
リョウがそう思って尋ねるとスザクが頷いて。
「人間が皆、竜族に対して憎しみを抱いているとは限らないだろってこと。だからもし恨みを抱いている訳じゃないものを取り込んだ木が次に風の竜が来るまでの間に見つかって、人間もそう悪いもんじゃないって分かったら賭けは俺たち三人の勝ち。その際には土の竜が考えを改める。もしそんな木が見つからなかったら賭けは土の竜の勝ちで人に手を貸すことはしないっていう賭けをしたんだ。……まぁ、その……それによってその人間の命が奪われるのは……必要な犠牲で、あの頃は仕方ないと思っていたから……火の竜には申し訳ないんだけどよ」
「え……? 私?」
今の話が私にどこで結び付いたんだ?
ここに来てリョウは話についていけなくなってきょとんとする。
「あ……? 気付かなかったか? あのレンブラントってやつの取り込まれてた木の話だぜ?」
きょとんとした顔でスザクがリョウを見つめる。
「え……?」
リョウはやはり、理解できない。
すると、次の瞬間スザクはケラケラと笑い出した。
「そうか……! まぁ、あんたも必死だったし気付かなかったか? あの木、明らかに周りとは違う木だったんだぜ?」
「え? ……そう、だったの?」
そういえば、周りの木のように朽ちかけたような黒い色ではなかったような気が、する。
「ああ、生気のある瑞々しい綺麗な木だった。俺が言うんだから間違いない! しかも真っ白な花の蕾までつけてたんだ!……あ、でも花が咲いちまってたらそれはそれで厄介なことになってたんだけどな。あれ、最初の花が咲くまで成長したら宿主の命はないからな。……あ、でも、セイリュウのやつ、あんたを追っかけて行ったときあの木が目に入るなり固まって動けなくなってたからな。あの顔は見ものだったぜ」
「そう……だったの……?」
リョウは呆然としてしまう。
その話をどう消化していいかわからない。
レンブラントの命が賭けの対象になっていて「必要な犠牲」と見なされていたことに関しては、目の前のスザクをぶん殴らないと気が済まない衝動に刈られる。
でも、それによって土の竜の考え方が変えられるきっかけとなり、その結果、レンブラントの命は助けられたということを考えると……礼を言うべきなのかもしれないし……いや、礼を言う必要はなくとも許してあげてもいいのかもしれない。……という気が、しなくも、ない。
「だからよ、俺たちとしてもあんたたちには感謝してるんだ。あのセイリュウを、あそこまでひねくれて凝り固まったあいつを元に戻してくれた訳だし。……それに、あいつ、南に行くって言っただろ? あいつがそう言うってことはよ、あいつの性格にメチャメチャ合ってるんだよな……!」
スザクは心底楽しそうに笑う。
「え? 性格?」
リョウが聞き返すと。
「言ったろ? あいつ、本来は誰かの上に立ってリーダーシップをとるタイプじゃねぇんだ。だから竜族の頭は似合わねぇ。でも、誰かを助けるために全力でサポートするとなると自分からいくらでも動けるタイプなんだよ。だからあんたたちを助けるっつー目的があればあいつ、結構本気で助けると思うぜ?」
「あ、そういうこと……」
あはは、とリョウは乾いた笑いを返した。
ここの人たちの絡み合った思いや過去を知るにつけ、やはり、リョウは温かいものを感じずにはいられない。
スザクやビャッコがあんなにも土の竜に馴れ馴れしいのにも、ゲンブが静かにことを荒立てないように土の竜を見守るのにも理由があった。
もし、これからやろうとしていることが成功して、世界に再びその始まりの頃のような均衡が戻ってきたら。
そうしたら皆が望む世界が実現するのだろうか。
全ての流れが元のようになり、人の社会だけでなく、竜族の社会も調和よく回っていくようになるのだろうか。




