剣の力
「言葉で説明するよりも、やっぱりこっちの方が早かったな」
そんな言葉にリョウが我に返るとグウィンがリョウの顔を覗き込んでいる。
「あ……うん。この剣って……」
リョウは自分の右隣に座り込んでいるスイレンに目を向ける。
「ああ。あの呪いの刃と、言ってみれば対になる存在の剣だ」
ああ、あの女がクロードに言っていたのはやはりそういう意味の話だったのか。
握りしめた剣に目を落としながらリョウがそう思っていると。
「……で」
グウィンの声にリョウがふと目をあげる。
「そろそろどかないか?……こんな状況じゃなきゃ大歓迎なんだが」
「……え?」
グウィンの言葉に改めて自分のいる場所に気付く。
先ほど掴みかかって馬乗りになったままリョウはグウィンの上におり、グウィンはそのまま起き上がっていたので物凄く至近距離。
なので。
バシッ!
「ぐ……っ!」
右手の甲を思い切り、左から右へ払う。
「……ぐーじゃなかったことを感謝するのね」
そう言ってリョウがグウィンの上からどく。
「……バカじゃないのか?」
隣でスイレンがグウィンに冷たい視線を向けつつぼそっと呟く。
「っ痛ぇ……相変わらず手加減無しか……」
呻きながら殴られた右の頬を押さえて立ち上がるグウィンの口の端には見事に血が滲んでいる。
「ふん……これで黙ってたことチャラにしてあげるわよ。……で、この剣で斬ればいいってこと?」
リョウはレンブラントの方に向き直ってすでに剣を抜いている。
あの女の言葉が真実なら、この剣で、心や精神を喰らうというこの「呪われた」木を、物理的にではなく見えない部分で切り離すことができる。
もしかしたら急がないと本当に手遅れになってしまうかもしれない。
「うわ、おい、ちょっと待て!」
グウィンがリョウの右肩をつかむ。
「何!」
振り返るリョウの目は本気だ。迷いなど一切なく、ぴんと張りつめた気が伝わってくる。下手をするとこのまま壊れてしまうのではないかと思わせるような、そんな目。
「今この状態で斬ったらこいつの心と精神がもとに戻らないかもしれん」
「なっ……! なに言い出すのよ! 私のこの剣なら切り離すことができるんじゃないのっ?」
リョウの、剣を握る手の力が一瞬抜け、ぎらっと光る目がグウィンを睨み付ける。
「だから待てってば! さっきビャッコが『もっと早ければ』って言ってたろ?」
リョウは意味が分からず無言で睨み続ける。
「俺がこの木の時間を戻してやる。一度生まれた命を何も無い状態まで戻すなんてことは不可能だが、こいつに絡み付く前まで戻せればあとはこいつの中に残って絡み付いている呪いを断ち切るだけで済む筈だろ」
「あ、それ、不可能じゃねぇかもな!」
後ろでスザクが声をあげた。
おそらくスザクやビャッコもグウィンがしようとしていることを今、理解したようだ。
「……そうね。ある程度時間を戻せば喰らわれてしまったものが吐き出されるかもしれない。風の竜、その人間の心を戻すことはできないの?」
ビャッコがゆっくり考え込むように腕組みをしながらそう訊いてくる。
グウィンは軽く首を振り。
「そこまでは……多分無理だ。人の心なんて複雑なもんを時間の概念でいじったりしたら何がどう出るか分からん。俺に出来るのは自然界の物に力を加えることくらいだ」
そんなやり取りを聞きながら、リョウは自分でもびっくりするくらい静かに思考が働くのを感じる。
確かにグウィンの力は時の流れを変えることが出来た。
この、まるで意思を持つかのように自ら枝や根を伸ばして人に絡みつき養分を吸うようにして心や精神を喰らう木の、ここまで成長してしまった時間をある程度戻せれば絡み付く力や吸い取る力ももっと弱い状態になる筈だ。
そして、もしかしたら、すでに喰われてこの木の成長に使われてしまったのかもしれないレンブラントの心や精神が再びその中に吐き出されたなら……。それで喰われてしまった部分がもとの状態に体と融合するという保証はないかもしれないけれど、今の空っぽの状態のレンブラントだけがここに残る可能性は格段に低くなる。
「分かった。じゃ、早くやって!」
リョウが低い声でそう告げるとグウィンは無言で木に近付く。
そして、その両手を幹に当て、意識を集中させ始める。
何かが蠢くような微かな音がした。
全員の視線が注がれる中、始めは地面とレンブラントに絡み付いていた根がわずかに動き、そのあとはめきめきと音を立てて、まるで本当に時間を巻き戻すかのように太さを変え、位置を変えていく。
レンブラントの胸を貫通していた枝も少しずつ細くなり短くなり、しまいには鎧の中に消えた。
「……リョウ、そろそろ限界だ。……あとはお前がやれ!」
白い髪に、稲妻を思わせるような瞳を輝かせたグウィンがリョウにその視線を向ける。
なので。
今度こそ。
リョウはゆっくりと、抜いた剣をまず正眼に構えた。
そして、力を込める。
単に握る手に力を入れる、ということではない。腹の底、心の奥深くに力を込める。
瞳の奥が熱くなり、体の隅々、髪の一本一本にまで力が行き渡る感覚。
目の前の、心から愛しい人を助けたい、という強い願い。
この人を害する全てのものからこの人を守りたい、という強い思い。
ふわり、と、心の奥が暖かくなる。
そして、それと同時に、構えた剣の柄を手の中でくるりと回す。
これは本能的に。
愛する人に刃を向けるなんて出来ないと思った。光をまとうその刃はますますその光を強め、おそらく、刃としての実態さえなくそうとしている。ただ強い光がそこに形を保っている、という状態にまで高まるのだ。そうなれば、物理的にレンブラントの体を斬るということは確かに無いだろう。でも、分かっていてもやはり彼にその刃を直接当てることは出来ないと思った。
なので、刃の付いていない方の側、峰を向ける。
本来、峰だった側というべきか。
というのも、剣全体は光を強め、そのあと強まった光は剣に吸収されるように引き込まれて、この段階で剣の刃はまるで実体を無くしたかのように透き通るうっすらとした発光体になっていたので。
リョウの目は、手元の剣を見ているわけではない。剣の状態なら感覚で分かる。例えこんな経験が初めてだとしてもだ。
リョウが見つめるのは、目の前の愛しい人。
その人のどこに剣を振り下ろせば一番効果的で、そして一番苦痛を与えずに済むかということに意識を集中していた。
間違えば、少しでも迷ってしまえば、この刃は単なる凶器として振り下ろされてしまう。
自らの手で、この人の命を奪ってしまうのだ。
そして。
意識を集中したまま剣を振り上げ、見極めた一点を狙って振り下ろす。
目をそらすこともなく。
見守る全員が息を呑んだ。




