リョウの涙
リョウのすぐ隣、グウィンが膝をついた反対側でビャッコが両膝をついてリョウの顔を覗き込む。
「……火の竜。よく聞いてね。この木は人間を生きたまま喰らうの。だから確かにこの人は死んではいないわ。でも……申し訳ないけどここまで木が成長しているとなるともう意識を保ってはいられないと思う」
静かに淡々とビャッコがそう告げる。
リョウはそんな言葉を聞いてもレンブラントから離れることなどできるはずもなく、むしろますますしがみつくように改めてその首に腕を回す。
ビャッコはそんなリョウの頭を優しく撫でながら言葉を続ける。
「……ごめんなさいね。この木はそうやって取り込んだ人間の心と精神を養分にしているのよ。……もう少し早ければ切り離してあげることも出来たでしょうけど……意識を保てなくなるほどに木が成長しているということは心や精神の奥深くまで喰われているってことだから……もう手遅れよ。こうなると本当にただ息をしているってだけだわ」
「嘘! そんなの嘘よ! 生きてるもの! ちゃんと生きてる! ……やめてよ! 変なこと言わないで! ……だってまだちゃんと温かいもの! 心臓が動いてて血が流れているのよ!」
リョウの目はまるで映る全てのものを拒絶するようにぎゅっと閉じられたままで、その腕はしっかりとレンブラントの首に巻き付き離すまいと固くしがみついている。
もっと早く見つけてあげなきゃいけなかった!
もっと早くここに着いていたら!
こんなところで独りきりにさせたのは私だ。意識を失う最後の瞬間に彼は何を思ったのだろう。その目には何が映っていたのだろう。たった独りで……!
だいたい、なんで……。
「なんで……レンブラントがここにいるのよ……!」
絞り出すような声で、リョウが呻く。
しがみついた腕をほんの少し緩めてうつむいたレンブラントの顔を覗き込みながら。その腕も体もカタカタと震えている。
「……彼は使者だった」
不意に背後で聞いたことのない声がする。
リョウが振り返るとすぐ後ろに大柄な白髪の男が立っていた。
「あなた方の来訪を告げ土の竜に同行を求めるために来た使者だったのだ……。すまない。そんなに大切な人であったのなら力ずくででも止めておくべきだったか」
「ゲンブ……」
ビャッコがその男を見上げて名前を呼んだ。ゲンブと呼ばれた男は申し訳なさそうに視線を落としたままだ。
「なぁ、火の竜。ここでは人間と竜族の間にそんな絆が存在するなんて誰も想像できねぇんだ。この地に踏み込んだ段階で、どんな奴であろうと人間であれば排除の対象になっちまう。悪いが諦めてくれよ」
スザクの言葉は乱暴だがその声にいたたまれないほどの申し訳ない気持ちが現れていたりする。
でも。
だからといって、はいそうですか、じゃあ仕方ないですね。なんて言えるわけがない!
「……諦めるってなによ!」
リョウはもう自分の気持ちにも、口をついて出る言葉にも歯止めが効かない。
「何を諦めるの! レンブラントが何をしたのよ! なんでこんなところで死ななきゃいけないの! まだ生きてるじゃない! この人がいるから今の私がいるのよ! この人がいるから全てを守ろうと思ったのよ! 私みたいな異質な存在をこの人が受け入れてくれたの! ここにいていいって、いてほしいって言ってくれたの! ……なんで……なんでそんなレンブラントを……私は守ってあげられないの……!」
悲痛な、叫び。
悲鳴のような、声。
その場にいる者が身動きすることさえ出来なくなるほどの。
そして、先程から言葉を無くしているグウィンは、リョウの悲痛な叫びに他の者とは別の種類の痛みをその胸に感じている。
「……知っていたんだ」
リョウの、予想外の反応に……いや、ある程度予想はしていて、予想できるがために考えないようにしていた反応に、ついに黙っていることができなくなったグウィンが、一度リョウの肩から離した手を再びその肩に乗せる。
「リョウ、すまん。……こいつがここに向かっているって、グリフィスから知らせを受けて知っていたんだ。……人間の足だしどうにか間に合うかと思って黙っていた。こんなことならお前だけでも先にここに向かわせてやるんだった」
「……な……に?」
グウィンの謝罪の言葉にリョウの思考が一旦止まる。
……知っていた?
……先に向かわせればよかった?
反射的にリョウは自分の肩に置かれたグウィンの手を払いのける。そしてその勢いでグウィンの方に向き直りその胸ぐらに掴みかかる。
体型の差を考えれば到底かなわない相手ではあるが、内奥から沸き上がる感情があまりに強く、もうすでにそういう常識なんて考えられなくなっている。リョウの瞳の奥はちらちらと赤い光を宿しており、渾身の力は普通の人間のそれではないのだろう。
掴みかかったとたん、音をたててグウィンの体が後ろに倒れたのだ。
「どういうことよ! 知ってたって! なんでもっと早くそれを……! だいたい私だけでも先に行かせていたらなんて、そんな選択肢があったなんて! なんで今さらそんなこと言うのよ! グウィン、あなた、彼を……レンブラントを見殺しにしたのっ? 分かってて……ここに来て、こうなるって分かってて……! なんてやつ!」
リョウはグウィンに掴みかかって馬乗りになったままそこまで叫んで右手を振り上げた。
「わぁ! リョウ!駄目だ!」
慌ててスイレンがその手にしがみつく。
リョウの目を見て彼女が本気であることを察し、惨事になることを予想したのだろう。
「……いい。スイレン。殴らせてやれ」
リョウの下敷きになりながらグウィンがスイレンを制する。
「馬鹿なこと言うな! リョウが本気で殴ったらお前の頭が吹っ飛ぶか焼け焦げる! リョウ正気になれ! グウィンを殺す気かっ!」
スイレンはリョウの右腕にしがみつき全体重をかけてぶら下がるように押さえ込む。
「……正気ってなによ……! レンブラントが死んじゃうってときになんで正気でいなきゃいけないのよ……!」
リョウの頬を伝う涙がグウィンの頬に落ち、胸元に落ち、グウィンの服を掴んでいるリョウ自身の手に落ちる。
スイレンはふと、抱え込んでいるリョウの腕から力が抜けていることに気づく。手を離しかけるとリョウの腕はそのまま下におろされる。それでも手を離す訳にいかず下におろした状態のその右腕を両手でぎゅっと抱き締めながら。
「リョウ……よく考えろ。リョウがそんな風になるって分かっていたからグウィンはリョウを独りでなんか行かせなかったってことだろう? それに私はリョウがいたからついて行こうと思ったのだ。リョウがいなかったらこんな風に一緒に旅なんかしなかった! だからみんなベストを尽くしたんだ! 後悔するようなことは誰もしていない! 誰も悪くなんかない! 誰かを責める理由なんか無いのだ!」
分かっている。
そんなこと、分かっている。
だけど、それでも。
この人を失っていい理由もまた、無いのだ。
リョウのそんな思いは言葉にならない。
泣いて「レンブラントを返せ!」と叫んでもとに戻るのならいくらだって叫ぶ。声がかれようが血を吐こうがいくらでも。
でも、何をしても状況が変わらないことも、知っているのだ。
「……くぅ……っ……!」
声にならない泣き声さえも奥歯を食いしばってこらえる。
ふわり、と握りしめた左手がグウィンの右手に包まれる。
同時にリョウの体から力が抜け、肩がわずかに落ちた。
グウィンは左腕で自分の身を支えながら起き上がり、リョウの左手を掴んだ右手に少し力をいれて抱き寄せる。
リョウの目から怒りの色が消えていることに気づいたスイレンが抱き締めていたリョウの右腕を離すと、完全に身を起こしたグウィンが両腕でしっかりとリョウを抱き締めた。
「……ちゃんと泣いて、いいんだぞ」
グウィンが優しく囁く。
おかしな話だ。と、リョウは思う。
さっきから涙が止まらない。見開いた目の、視界だってぼやけたままだ。
その私に「泣いていい」って。
今、私は泣いているんじゃないの?
それに。
ここで本格的に声をあげて泣いたら、それはレンブラントの命に私が見切りをつけたみたいじゃない。
そんなこと絶対にしたくない。
まだ、生きているんだから。
リョウはさらに歯を食いしばり、声を殺す。
奥歯がぎりっ、と低い音を立てた。
「……じゃあ、最後の可能性にかけてみるか?」
グウィンの言葉にリョウが顔をあげる。
リョウだけではない。
その一瞬でその場の全員の視線がグウィンに集まった。




