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レンブラントの道程(東の高山)

 ルーベラに別れを告げたレンブラントは、その後竜の住む地へ踏み込み、東の高山の麓にたどり着いたのは翌日だった。


 日は高く、すでに昼過ぎだ。

 一度ここに踏み込んだら、暗くなる前に土の竜に会わないと面倒なことになりそうだ……。

 そんな不安がよぎる。

 うっそうと木々が生い茂る山は踏み込んだら昼でも暗そうだし、そうなるとリガトルがいつどこから出て来るか分からない。夜になったらなおさらだ。

 そして、人間に対して良い感情を持っているわけではない土の竜がいることを考えると。

 ……一度に両方に遭遇するという恐ろしい状況も考えておかなければならないわけで、しかも来た目的を考えるなら間違っても土の竜に対して攻撃的な行動はとってはならない。

 レンブラントは、深く息を吸ってからそれをゆっくり吐き出して気持ちを整える。


 木々は予想を上回るほどに繁茂しており入り込むとまず、方向感覚が狂い始めた。

 それでも、どうにか枝の間から見える太陽の位置を頼りに一定の方向に進もうと努力するがいかんせん樹木の根や枝が邪魔でそれらを迂回しているとなかなか進めない。

 まるで木々に意思があって人が入り込むのを妨げようとしているかのようだ。

 そして、この生い茂る樹木。

 どことなく、よどんだものを感じるのは気のせいか。

 そんなことをレンブラントは思う。

 木の種類に関する知識はないが、東の森では見かけなかった樹木のような気さえする。

 

 ついにレンブラントは、馬を降りた。

 その時。

「ここは人の入り込むべき地ではない。戻られよ」

 レンブラントの耳にそんな声が響いた。

 はっとして顔をあげ辺りを見回すが、辺りは静寂に包まれたまま、今のは空耳だっただろうかと思えるほど何も変わらない、今まで通りの景色。

「……誰かいますか?」

 なるべくなら争い事に発展させたくはない。

 レンブラントは平静を保ちながら穏やかな声で問う。

 一向に返答がないのでレンブラントは仕方なく馬を引きながら歩き出す。

「……戻られよ、と、申し上げた筈だが」

 この度は、はっきりとした声が聞こえた。

 レンブラントが足場の悪い地面から目をあげると、目の前に背が高い白髪(はくはつ)の男が仁王立ちでこちらを見下ろしている。

 がっしりした体つきは戦士を思わせ、白髪や顔に刻まれたしわからはある程度年を重ねた者であることが窺えるのだがその立ち姿は老いを全く感じさせない。

 経験を重ねた壮年の現役戦士といったところだ。


「申し訳ありません。土の竜にお目にかかりたく参りました」

 レンブラントが動揺することなく穏やかにそう告げたせいか男は意外そうに一瞬眉をあげ、口元に微かな笑みを浮かべた。

「ほう……ここで動じぬ人間は珍しい。私が誰だか分かっているのか?」

「竜族の、土の部族の方とお見受けいたします。……お取りつぎをお願いできませんか?」


 この感じ、土の竜本人ではないだろう。

 レンブラントは直感的にそう思う。

 恐らく、ここから先に人間が立ち入らないように見張りのような役割をしている者。それでも、そんな見張り役にここまで隙のない戦士並みの人材が当てられるなんてこの部族の全貌のほどが少し恐ろしくなる。


「面白いことを言う人間だ。土の竜に一体なんの用があるというのか」

 そんな問いに。

「今、人の社会で災いをなすものが勢力を強めております。是非とも力を貸していただきたい」

 レンブラントは隠しだてすることもなく答える。

 とたんに響く嘲るような笑い声。

「なぜ、我らが(あるじ)土の竜が人ごときに力を貸す必要がある? 人間を助ける義理など無い筈だが?」

 予想通りの答えだった。

「承知しております。……しかし今、火の竜をはじめ他の竜族の頭もこの事のために手を組んでおります」

 取りついでもらうためには自分の知る限りの情報をうまく伝えなければならない。レンブラントに緊張が走る。

「……なに? では、彼らが来ればよかろう。なぜ人間がでしゃばる」

 男が片眉を上げた。

「勿論、まもなくこの地に訪れましょう。ただ、これは人間の社会の問題ですから人としてお願いをしに参りました」

 そう言うと、レンブラントは膝をついて頭を垂れた。


 くくっ、と喉の奥で笑うような男の声に視線を落としたレンブラントの体が更に緊張でこわばる。

 完全にこちらに戦意がない証拠として頭を垂れた。下手をしたらこのまま首を落とされても仕方がない体勢だ。


「……お願い、か。争う気はないというのだな」

 愉快そうな声にレンブラントが思わず頭をあげた。

「では、持っている武器は捨てていただこう。馬もいらぬだろう」

 少なくとも、話が少し進展しそうな雰囲気にレンブラントは馬の手綱を離して背中の銀の矢と弓を下ろす。

 馬は先程から、男の放つ人とは違う気配に怯えていたようで手綱が離されると後ずさりをはじめた。

「……ふん、一目散に逃げ出さないとは賢い馬だ。ここでそのような逃げ方をすればすぐに命を落とす。……まぁ、馬に興味はない。逃げ道を用意してやるから行くが良い」

 男はそう言うと、馬の後方に手をさしのべる。

 レンブラントの馬は男のそのしぐさに何を感じたのかくるりと方向を変えると今度は駆け出してそのまま見えなくなった。


「さて……私は武器を捨てろと言った筈だが」

 男の視線が再びレンブラントに向いた。

「その腰の物は人の社会では武器とは呼ばないのか?」

 レンブラントがはっとする。


 腰には青い石がついた剣。

 これまでの人生で最も大事にしてきたものだ。


 そして剣に付いている青い石に思わず手がのびる。

 これを……捨てる。


 一瞬のうちに脳裏に様々な思いが浮かんでは、消える。

 騎士を目指して日々鍛練を重ねていた頃、隊長だったグリフィスが家に伝わる石を持ってきて二つに割った時の光景がまざまざと浮かんだ。

 グリフィスの剣には石はついておらず家紋が彫り込まれているだけだった。彼はその石を大事にしており、自分の剣に嵌め込むことさえしなかったのだ。石は彼の部屋に大事にしまってあった。


『お前は立派な騎士になりなさい。わたしが認めることのできる騎士にだ』


 そう言ったグリフィスの真意を子供ながらに何度も一人で考えた。

 ただ単に武芸に秀でればよいということではない。

 グリフィスが認める騎士。あの、人の真価を見抜く力を持ちその使い方を熟知しているグリフィスに認められる騎士になれと言われたのだ。


 石をためらうことなく割って『わたしは子供を持つことが無い身。この家系もここで途絶える覚悟だったが、お前にこの家の歴史を半分あげよう』と言ったグリフィスの言葉に体が震えたあの時の感覚を思い出す。

 血の繋がらない子供に自分の家の歴史を渡すなど、本来なら考えられないことだ。しかも風の民の子に。

 その無条件の信頼に、何がなんでも応えようと心に決めて生きてきた。


「……これは……」

 ここで捨てたら、この剣は二度とこの手に戻ってこないかもしれない。そんな思いがよぎる。

「武器が大事か?」

 嘲笑うような男の言葉に、レンブラントの手がゆっくり動いた。そして、身からはずした剣が弓と矢と同様に地面に置かれる。


 なにかを守るために、この身を懸けること。

 そのなにかにそこまでの価値を見いだすこと。

 そういう生き方をしろということなのではないか、と思うのだ。


 子供の頃、それは騎士としての大義名分とかそんなものだろうと思っていた。

「誇り高い騎士」として生きることでグリフィスに認められる存在になればいい。


 でも、あの時。

 咄嗟に、この剣を投げつけてでも守りたいと思う人がいた。

 投げつけた剣がそのまま失われることになろうとも、そんなことはどうでもいいと一瞬のうちに判断できるくらい、彼女が大事に思えた。

 ……まさかその彼女が、この剣を真っ二つにするとは思わなかったが。

 そこまで思い出して、レンブラントの心の奥で緊張がわずかに緩んだ。

 それは戦う者にとって勝利の手応えに繋がる、緊張の緩み。

 大事なことを確信したときの、言ってみれば余裕のようなもの。


「いい心掛けだ。では、そのまま行くが良い。土の竜に会えるかどうかはお前次第だ」

 身一つとなったレンブラントに男は満足そうにそう告げる。

「……え?」

 言葉の意味が分からずレンブラントが顔をあげると。

「ここを通してやると言っている。古代よりここを通る者は数あれど戻ってくる者はおらぬ。覚悟して行かれよ。土の竜が会うかどうかはお前がそこまでたどり着く事ができた(のち)あの方がお決めになることだ」

 そう言うと、男はすっと身を引いた。


 そしてレンブラントは信じられない光景を目にする。

 周りに茂る樹木が、身を引く男の姿をレンブラントの視線から隠すようにうごめいたのだ。

 地面に互いが絡まるように張り巡らされていた根が不気味に動く様は巨大な無数の蛇がうごめくようにも見える。

 そして、視界を遮るように繁っていた木の枝もそれにともなってざわざわと不気味な音をたてて動く。

 そんな光景に息を飲むレンブラントの前に新しい道が現れた。


「この道を行けということか……」

 レンブラントはためらうことなく足を踏み出した。



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