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レンブラントの道程(それぞれの道)

 昼前。昨日送っていったから知っているルーベラの祖父母の家の前に、出発の準備を済ませたレンブラントはいた。


 本来なら、夜明けと共に出掛ける予定だった。

 一晩考えた結果、レンブラントは予定を少しずらしてルーベラがウィリディスの家から帰ってきてから少し話をすることに決めていたのだ。

 軽く家のドアをノックする。

 ルーベラのことだ、朝早くから出掛けているだろうからもしかしたらそろそろ帰ってきているかもしれない。

 中で人の気配がしてドアがゆっくり開いた。

「はい、どちらさま……? おや……」

 出てきたのはルーベラの祖父だった。

「ああ、すみません。ルーベラはもう帰ってきていますか?」

 昨日彼女を送っていった際に簡単に挨拶は済ませていたので顔は知っている。

「おや、わざわざ様子を見に来てくださったんですか。ありがとうございます。ルーベラはまだ帰ってきていないんですよ……今朝早くに出掛けましたからそろそろ戻るとは思いますが」

 老人はそう言ってから。

「中でお待ちになりませんか?」

 とドアを大きく開き直す。

「あ、いえ。外で待ちます。どうぞお構い無く」

 レンブラントはにっこりと微笑み一歩下がった。

「そうですか。……ここ数日、孫が大変お世話になったそうで私たちは本当に感謝しているんですよ」

 老人はそう言うと、目を細めた。

「あ、いえ。僕は大したことはしていません。彼女の持ち前の運の強さですよ」

 レンブラントはそう答える。

 そう、ルーベラはきっと本当に運がいいのだ。それはたまたま偶然の運ではなく自ら培った人格ゆえに引き寄せた強運。

「そうですね……あんな遠くから無事にここまで来ることができただけでも奇跡的ですね。それに騎士隊の隊長さんに護衛してもらえるなんて一般人にはあり得ない強運ですよ」

「え……」

 老人の言葉にレンブラントが一瞬言葉につまる。

「ああ、ルーベラから聞きましたよ。どこぞの都市の隊長さんだそうで。そんな方に護衛していただいた上に様子まで見に来ていただけて本当にあの子は恵まれています。本当にありがとうございます」

 話した記憶はないが、ルーベラはどうして隊長であるという自分の立場を知ったのだろうなどと考えている間に、礼を述べる老人がレンブラントの背後に向かって視線を送り心配そうな表情を向けてきた。

 レンブラントがその表情につられて振り向くと、ルーベラがその祖母と支え合うようにしてこちらに向かってくるのが目に入る。

 彼女は玄関前にいる見慣れた客人を見ると祖母に何か話しかけてからその手を離れ、駆け寄ってくる。

「レンブラント! 出発したんじゃなかったの?」

 ルーベラはいつも通りの笑顔だが、その目は泣きはらしたように赤い。

「ええ、少し予定を伸ばしました。……どうでしたか?」

 レンブラントが心配そうにルーベラの顔を覗き込むと、後ろからついてきたルーベラの祖母はレンブラントに軽く頭を下げて開いていたドアから家の中に入る。

 老夫婦は気を利かせてくれたようだ。

 ルーベラはそれを見届けると、ゆっくりと右足を引きずりながら歩き出す。

 なのでレンブラントはそのあとについていく。


「これ……」

 少し歩いて道の端の木陰に入ったルーベラはレンブラントの方に向き直り、首から下げている緑色の石を手のひらに乗せてそっとレンブラントの方に見せる。

「緑柱石、ですか?」

 確か、今までは着けていなかった筈、と思いながらレンブラントが彼女の手のひらの上に視線を落とす。

「これ、あたしが彼にプレゼントした物なの。鍛冶屋の見習い頑張ってねって、わざとらしくこんな研磨途中の半分原石みたいな石を見付けてね、首飾りにして……あの人……これ、ずっと持っていたの……ばっかじゃない? って思ったけど……そんなのいつまでも持ってるから、自分も半人前のままなんじゃないって笑ってやったこともあったけど……残された荷物の中にこれが入っていたって言われて……」

 ルーベラの言葉はそこで途切れた。

 彼女の手は、鈍い緑色の、少しごつごつした石をぎゅっと握りしめる。

 そんなしぐさを見て。

 レンブラントはかけてやれそうな言葉を探すが、今の彼女にはどんな言葉も気休めの薄っぺらい物にしかならないように思えて何も言えず、気付いたらうつむいたままのその頭に手を乗せて撫でてやっていた。


「ふふ……久しぶりに人に頭なんか撫でられた!」

 暫くの沈黙のあとルーベラが笑顔で顔をあげる。

「ねぇ、レンブラント。あなたの好きな彼女はどんな人なの?」

「え……?」

 唐突な話題にレンブラントが戸惑う。

「あなたみたいに優しい人を受け入れないって、どんな高望みをする人なんだろうと思って」

 にやり、と、意地の悪そうな笑みを浮かべてルーベラが付け足す。

「そういうことではないですよ……。彼女はとても強くて……そのくせ脆い……なのに誰かに頼ることが出来ない人なんです。……今は西の都市の守護者(ガーディアン)ですけどね」

「へ?」

 ルーベラが眉を寄せる。

「なんですか、その反応は……」

 レンブラントが不服そうな目を向けると。

「え……だって……守護者(ガーディアン)って役職……今どきあるの……?」

 ルーベラは混乱したような視線を返してくる。

 ……まぁ、そりゃそうだろう。

 そんな役職が存在していたのは竜族が人と積極的に関わっていた昔のことだ。今となっては年よりの昔話に出てくるかどうか。ほとんど伝説のようなものだ。

「……そうですね……。西の都市でもこの度新たに採用した役職ですから……」

 レンブラントがなんとも微妙な面持ちで答える。

「……その人……相当強いんだ……?」

 どことなくおどおどした目付きのルーベラに、レンブラントがなんとなくその考えを推察して軽く吹き出す。

「人間を想像していませんか?」

「……へ? 他に何があるの?」

 まぁ、その反応も当然だろう。昔の守護者(ガーディアン)そのままの竜族が実在するなんて発想は今どきの人間にはあるはずがない。

 さしずめルーベラの頭の中には人間離れした恐ろしい形相の女戦士でも描かれているのだろうと想像するとレンブラントは笑いが込み上げてくるのをこらえようと必死になってしまう。

「……竜族なんですよ、彼女。僕も初めて見たんですけどね。……戦う姿もとても美しいんですよ」

 レンブラントの脳裏にリョウの鮮やかな赤い髪と紅に輝く瞳が浮かぶ。燃える炎をまとったような姿は近寄りがたく、それでいて一歩近づくだけで小さな蝋燭の炎のように消えてしまうのではないかと思われるほどに儚い。

「……竜族……てっきり伝説上の生き物かと思ってたけど……」

 レンブラントの表情と口調から彼が冗談をいっているわけではないことが分かったらしくルーベラは真顔で自分に言い聞かせるように呟いた。

「……そっか……そういう身分の違い、なんだ……」

「……え?」

 ルーベラの呟きにレンブラントが顔を上げる。

「いや、そんな凄い立場の人なのか、と思って……そりゃ……騎士隊隊長でもふられちゃうわけだ」

「え! そういうわけでは……! ていうかルーベラ、君、僕が隊長だって知ってたんですか?」

 レンブラントが少し慌てる。

「え? ああ、知ってたっていうか……やっぱりそうだったのね。そうかな、と思って」

「……いつからですか?」

 うだつの上がらない三級騎士、と呼ばれて以来、レンブラントはそれを特に訂正していなかったのだが。

「んー、わりと最初から。だって、怪我の手当なんて凄く手際よかったじゃない? あれって下級騎士の世話をよくする人なのかなって思ったし、銀の矢の使い手が下級騎士の筈はないものね。ダリアたちの話だと今は上級騎士でも甲冑を身につけるってことだったし。ああ、それに、リガトルを一人で三体以上片付けられるなんて隊長クラスの人間じゃなきゃ無理、って……これは騎士だった兄の受け売りだけどね」

 そう言うと、ちらりと舌を出す。

 レンブラントはそんなルーベラを見て一気に力が抜ける。

「……もしかして、うだつの上がらない三級騎士って呼び名気に入ってた?」

 くすくすと笑いながらルーベラがそんなことを言い出す。

 なので。

「まぁ、嫌いじゃないですよ。なかなかそんな呼び方をする人は周りにいませんでしたので」

 レンブラントもつい人の悪い笑いを浮かべてやり返す。

「ふーん……あ、でも。ちゃんと彼女に気持ちを打ち明けないと、人間として本当にうだつが上がらないままになっちゃうんだからね?」

 ルーベラはわざとらしく腕を組んで、上から目線になってそう言い放つ。

「もう、打ち明けましたよ……」

 そう言うと、レンブラントはふいと目をそらす。そしてそのままルーベラの隣に並んで木陰を作っている木に寄りかかる。

「だーかーらー! もう一回ぶつかるの! まだ気持ちがあるんでしょ! なら何度でもぶつかっていきなさいよ! あなた、ホントにいい人なんだから自信持った方がいいわよ……あたしみたいにぶつかる相手がいなくなっちゃった訳じゃないんでしょ?」

 レンブラントが思わずルーベラに顔を向ける。

 ルーベラは真顔。まるでお説教でもしているかのようだ。

 ……確かに。

 失ってしまったら、ベストを尽くさなかったことをいつまでも後悔するだろう。

 もしも、受け入れてもらえなかったとしても、もう一度正直にきちんと気持ちを伝えられたなら、その方が自分でも納得出来るのかもしれない。

 そう思うと、思わずため息が出た。

 隣でくすり、と笑みを漏らす気配がする。

「……君はこれからどうするんですか?」

 寄りかかった木から背中を離してレンブラントが話題を切り替える。

「そうね……まずは足が治るまであの家でお世話にならなきゃいけなさそうだけど……そのあとは、東の都市辺りに行って騎士隊にでも入ろうかな。今は戦力になる人間はいくらでも必要でしょ? それに兄がね、『騎士としてやっていくのに必要なのは剣の腕は勿論だが、いい剣との出逢いも必要だ』なんて言っていたのよね。で、ほら、あたし手に入れちゃったじゃない?」

 そう言うと、腰に差している剣に手をかける。

 そういえば、彼女はその剣をいたく気に入っている様子だった。きっと鍛冶屋の多かった地域で厳選した良いものを手にいれることができたのだろう。

 そして、そんな話をするルーベラは、びっくりするくらいすっきりした顔をしていた。

「ルーベラ……」

 ウィリディスのことを持ち出そうとしてレンブラントは次の言葉を呑み込む。

 今さらむし返さない方がいいかもしれない。彼女にせっかく笑顔が戻ったのだから。

「あたし、もう後悔したくないの」

 ルーベラがきっぱりとした態度でそう告げる。

「ウィリディスに気持ちを伝え損ねたのはあたしの人生最大の失敗だわ。でも、失敗したからって生きることを諦めるのは愚かでしょ? だから、あたしの人生を意味あるものにするために、今後は自分に出来ることは諦めたり投げ出したりせずにやり遂げるつもりよ。……それにほら、あたし運がいいから!」


 やはり、ルーベラは強い子なのだ。

 と、レンブラントは思った。

 その強さは、強靭な鋼のようなものとは違う。どちらかと言うとしなやかな生きた樹木のような強さ。

 打たれてポッキリ折れてしまうのではなく、衝撃を吸収してさらに根を張り強さを蓄える。

 そんな美しさを持った強さ。


 こんな辛い経験をしなくてすむ世の中なら彼女にも違った人生があっただろうが。


 レンブラントはふと自分がこれからすべきことに意識を向けさせられる。

 土の竜を説得して、四人の竜の頭と共に南を目指す。守護者(ガーディアン)であるリョウの援護につくということは最終目的地まで運命を共にするということだ。

 自分にできることを悔いの無いようにやり遂げて……出来ることならこの世の中を変える手伝いをしなければ。

 こんなことに関わるようになろうとは夢にも思わなかったが、それでも。

 自分の行く道の先にある大きな目標と可能性について意識するのは単なる人間としては足がすくむような事ではあるが。

 レンブラントはルーベラの強さに触れて、もう目をそらしたり弱音を吐いたりしている場合ではないという気にさせられていた。





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