レンブラントの道程(彼女の目的地)
「……で、ルーベラ。君はどこまで行くんですか?」
馬を引きながらレンブラントは振り向くこともなく馬上のルーベラに声をかける。
ルーベラは先程からだいぶ機嫌が良いらしく楽しそうに鼻歌なんか歌っていたりするのだが、レンブラントの問いに歌を中断する。
「んー、とね。たぶん、あの山の麓辺りよ」
目の前に見える山を指差す。
この辺りは山地、というほどではないのだろうが幾つかの山があり、その向こうにひときわ高い「東の高山」と呼ばれる山がそびえ立っているのだ。
「……たぶん、て……目的地ははっきりしていないんですか?」
今度はレンブラントは振り返ってルーベラを見上げた。
ルーベラは軽くうーん、と唸って見せ。
「いや、なんせ初めて来るところなんだもの。あたし、生まれも育ちも南の都市なんだけどこれから行くところって両親の故郷なの」
そういえば。
今朝マダム・ルナが「探している人に巡り会えますように」と、ルーベラに言っていたことをレンブラントは思い出す。
「君のご両親は……」
「あっ、うちの親は例に漏れずリガトルに殺られちゃったんだけどね。しかもたった一人の兄も襲撃のどさくさに紛れて軽く生き別れちゃったし」
レンブラントの言葉を途中で遮って内容とは裏腹のあっけらかんとした声が返ってくる。
レンブラントもさすがに一瞬眉をしかめたが、いい加減ルーベラのこの調子に慣れてきており、先を促すように言葉を控える。
「人を、探したいの。……南の都市で仲良くしていた人がね、都市の襲撃の前にそこに行った筈なのよ」
出だしは明るかったルーベラの声のトーンがいきなり落ちる。
レンブラントが彼女の方を盗み見るとさっきまで上機嫌だった彼女の目は何かを思い詰めたように影を宿し、遠くを見るような目で過ぎていく景色を眺めている。
「……恋人、ですか?」
なんとなくそんな気がしてレンブラントが口を挟む。
「んー……正確にはまだ、友達、かな。あたし、軽く断っちゃったからね……」
ルーベラがぽつりぽつりと話し出す。
彼女は南の都市で生まれ育ち、兄が騎士だったせいで剣に興味があった。
近所にいた鍛冶屋の見習いがたまたま両親と同郷で、そんな成り行きで親しくなった、と。
とはいえ彼はなかなか一人立ちするほどの技量が身に付かず、うだつのあがらないままだし気持ちがあるのは明らかに分かるのに告白もしてくれない。
しびれを切らしたルーベラが「ハッキリしない男は嫌い!」なんて言ってしまったものだから故郷に荷物をまとめて帰ってしまったのだとか。
「この辺って、鍛冶屋が栄えていたりするじゃない? だからこっちで一からやり直すってある意味、理にかなっているんだけどね。……それに一人前になってから気持ちを打ち明けるつもりなんだろうなってのもなんとなく分かっちゃいたんだけどさ。……でもなんか、はっきりしてほしかったのよね、あたしとしては」
ルーベラが、はあああ、と重いため息をつく。
「それは……大変でしたね」
レンブラントが何と言って良いか分からず差し障りのない相づちを打つ。
何せこのルーベラだ。どちらの気持ちも分かるような気がしてどちらにも肩入れ出来ないといったところ。
「……それにしてもよく女一人でここまで来ましたね」
そんな言葉を投げ掛けるレンブラントに。
「あら、だってあたし、運だけは良いのよ! こっちに来てこんなにいい剣、手に入れちゃったし。これなら自分の身は自分で守れると思うのよね。それにあたしってば結構器用な方でさ! ある程度頑張ると大抵のものは身に付くのよね。剣もこう見えてちゃんと扱えるのよ? 歌も仕事にできる程度には歌えるし。それに荷物をなくした直後にいい保護者が見つかったわけだし! これって強運としか言いようがないでしょ?」
「保護者……」
レンブラントが言葉を失う。
勝ち誇ったような笑みを浮かべるルーベラは強運の持ち主というより恐ろしいほど前向きな人なのだろう。
親を亡くし、残るたった一人の家族とは生き別れになり、好きな男には逃げられ、旅の途中で絡まれて全財産を失い、あげくの果てに怪我をして自力で旅が続けられなくなっている。という現状をよくもそこまで積極的に考えられたものだとレンブラントは感心してしまう。
とはいえ「運がいい」というのも一理あるかもしれない。
たまたま見つけた宿での出会いは捨てたものではなかったし、楽しいひとときを過ごせてもいたようだった。客からのチップやその場でできた友達からの貰い物で必要なものは賄われた。
それに。
考えてみればレンブラントに拾われた事自体、運がいいのかもしれない。
つい、面倒を見なきゃいけないという気になってしまうのは僕の性分なんだろうか……。
言葉にこそ出さないもののレンブラントは心の中でそう呟いていた。
夕暮れが近づき、宿泊できるような町も村も見あたらず、取り敢えず脇道にそれて野宿のための準備をするとルーベラが荷物の中から一抱えありそうな量の食料を取り出した。
「酒場のみんなが色々持たせてくれたの」
それが満面の笑みでレンブラントに差し出される。
「本当に君は……運がいいんでしょうね」
いや。
人から愛される性格をしているんでしょうね。と言いたかった。
初対面ではあまり感じなかったのだが、このルーベラ、リョウに似ている気がしてならないのだ。
どことなく。
髪や瞳の色のせいかと初めは思ったが、時おり見せる何かを思い出すような目や自分の事より相手を優先するあまりとんでもないことを言い出す感じが、似ていると思えるのだろうか。
リョウは西の都市に来たばかりの頃は他人と一線置こうとしていたようだったが、その後はあっという間に皆と仲良くなった。
ああ、そういえばリョウの表情が柔らかくなっていくのを見るにつけそれに関われていることを嬉しく思ったものだった。
などと思い出す。
こんなルーベラを見ていると、リョウも今頃いろんな人に巡り会いながら旅をしているのではないかと思えてならない。
それは良いことである筈なのに、なぜか歯がゆい。
「……何? なんか食べられないものでも入ってるの?」
不意にルーベラが心配そうな声をかけてきてレンブラントが我に返る。
「え? あ、いえ。何もないですよ」
気付けばルーベラが自主的に包みを開いて中から取り出したサンドイッチをレンブラントの目の前に差し出している。
慌ててそれを受けとるレンブラントに。
「ふーん……誰か思い出す人でもいる、とか?」
にやっと笑ってルーベラがサンドイッチを頬張る。
「……!」
思わず顔が赤くなるレンブラントに。
「おお! 図星なんだ! ……でも食べ物見て思い出されちゃう彼女ってどうなの……?」
「ちっ、違いますよ!」
……君を見ていて思い出した、とは、さすがに言いにくい。
「ふーん……。で、その人はちゃんと健在なの?」
ちらり、とレンブラントの方を見やりながらルーベラが訊いてくる。
「ええ。健在ですよ。……これから合流することになっています」
「そ! よかったあ!」
安心したかのようなルーベラの一言にレンブラントの胸がわずかに痛んだ。
ああ、そういえば、彼女は待っている家族もなく、逃げてしまった思い人も確実に自分を待っていてくれているわけではない。彼女が追いかけてきていることすら知らないだろう。
そして、ある意味、自分も。
リョウと再会できたところで、本当のところはどんな反応をされるか分からないのだ。
あの日と同じように拒絶されるのかもしれない。
そんな思いがよぎった。
「……何? なんか訳ありなの? 恋人に会えるのになんで浮かない顔になっちゃうのよ!」
ルーベラが焦ったようにレンブラントの顔を覗き込む。
「え!……恋人って……! それに浮かない顔なんて……」
「してる! 思いっきり! ……なんか、あたしが『ハッキリしない男は嫌い!』って言っちゃった時のウィリディスみたいなんだけど! ……あれ? まさか、同じように言われちゃった訳じゃないわよね?」
最後の一言は恐る恐る。
レンブラントはルーベラの察しの良さについ、頭を抱えてしまう。
「……まったく……君にはかないませんね。……まぁ、僕の場合、嫌われてはいないと思いますが、そういう意味では受け入れてもらえているわけでもない、といったところです」
どうしてこんな子相手にここまで話してしまうのだろう。とは思うのだが。
下手に隠して変に誤解されたり気を回されたりしても面倒だ、という思いからなのかレンブラントは自分でもよく分からないままそう話す。
そう話してしまってから、しまった他人に言うような話でもなかったと後悔の念がわき、深いため息を派手についてしまったので、ルーベラが「あら、ずいぶん高望みしちゃう彼女なのね」なんて言いながら目を丸くしたのには気付かなかった。
夜になり。
ルーベラはマントにくるまって寝息をたてている。
レンブラントは、寝ずの番、というほどではないがルーベラが完全に眠ってしまうのを見届けてからも一応警戒を怠らないようにしていた。
剣が使える、とは言っていたがルーベラの足では今は実戦はどう考えても無理。
一人なら必要無さそうだしなるべく節約もしたいところだが、念のため銀の矢と弓を荷物から出して使えるようにしておく。
そんな状態で、焚いた火を絶やさないようにしながら後ろの木に寄り掛かりうとうとしていたレンブラントは。
不意に目の前の炎が弱まったので目が覚める。
そして。
「ルーベラ、起きなさい!」
はっきりとした声を響かせるのと同時に腰の剣を抜いて振り返る。
「……うーん……何?」
目を擦りながら起き上がったルーベラがそのままの姿勢で息を呑む。
「逃げなさい!」
完全に目を覚ましたルーベラの気配を確認してからレンブラントがそう告げる。
一瞬弱まった炎が元に戻ると同時に暗闇の中にぼんやりと照らし出されたのは一体のリガトル。
うとうとしていたせいで完全に後ろをとられるくらいに近付かれており、振り上げた両腕がレンブラントを捕まえようと思い切り降り下ろされる。
とたんに上がる奇声。
「……! しまった!」
とっさにレンブラントは剣でその腕を払い除けようとしたので致命傷を与えるのではなく、単に腕を切りつけるだけの攻撃に出てしまった。
背後で、あろうことかルーベラが剣を抜く気配がする。
彼女をこの状況で戦わせるわけにはいかない。
レンブラントは一瞬で剣を持ち直して、奇声をあげながら改めて腕を降り下ろすリガトルに向かって剣を構え、まずその腕を切り落とす。
そして、勢いで前のめりに倒れ込んできたところでその首を落とした。
「ルーベラ、そこにじっとしていなさい」
剣を構えているルーベラにレンブラントはそう言って、頼りない炎の明かりで照らされる範囲に目を凝らす。
今の奇声。
恐らく仲間が呼ばれる。
今から逃げ出させると余計に危ない。
「レンブラント! 右!」
ルーベラの声に反応して右前方に目を向けるとリガトルが二体近づいてくるのが見える。
二体か……!
一瞬の判断でレンブラントは剣を一旦地面に突き立て、弓を手に取り矢をつがえ、引き絞って、放つ。
声も出さずに一体が倒れ、闇の中にかき消える。
そしてその間に距離が縮まってしまったもう一体に向かって、地面に突き立てた剣を抜きながら走り出す。
振り上げられた腕が自分をなぎ払うように向かってくるのを身を低くして交わし、その体を両手で下から構えた剣で斜めに切りあげ、そのまま胸の辺りからは押し切るようにして胴をまっぷたつに。この度は奇声をあげる間もなくゆらりと体勢を崩したリガトルが黒い霧のようになって消えた。
「傭兵、ではなかったか」
軽く肩で息をしながらレンブラントが剣を鞘に納める。
少し離れたところに焚き火の炎がまだあり、それに照らされているルーベラが無事であることを確認するとレンブラントはゆっくり焚き火の所まで戻る。
……まずは、怖い思いをしたであろうルーベラを落ち着かせなければ。
「……ルーベラ……?」
「ねえ、これ……やっぱり本物なのね。こんなに固いの、よく引き絞れるわねぇ……」
レンブラントの予想を完全に無視したルーベラは怯えるどころかレンブラントが投げ捨てていった弓を手に取り、いじっている。
「……こら。返しなさい。それはおもちゃじゃありません」
軽くげんなりしながらルーベラの手から弓を取り上げる。
「いいじゃん、ケチ」
なんて口を尖らせるルーベラに。
「君、さっき剣を抜いていましたけど、あれはどう考えても逃げなきゃいけない状況だったんですよ?」
取り上げた弓を荷物の中にしまいながらそう言うと。
「だってレンブラントが下手に切りつけて仲間を呼ばせちゃったんじゃない。あたしだって助けてあげるくらいのことはするわよ……まぁ、その必要はなかったみたいだけど」
ルーベラが不服そうに言い返す。
「その足で、ですか?」
レンブラントがため息をつくと。
「やってみなきゃ分からないじゃない?」
ルーベラの目はいたって真面目。
どれだけ怖いもの知らずなんだ……。
レンブラントは完全に言葉を失った。




