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レンブラントの道程(歌姫)

「……村があると言いませんでしたか?」

「言ったわね……」

 レンブラントが前方に目をやりながら尋ねると、ルーベラが抑揚のない返事を寄越す。


「あれは……」

「ちょっとした、都市だわね」

 二人の行く先には城壁らしき物が見える。規模としては小さくてレンブラントがいた西の都市には及ばないが、それでも城壁に囲まれている以上、社会的には都市と呼ばれるだろう。


「あたしがいた南の都市より小さいけど。……それに城壁も……低いし脆そう……」

 ルーベラの言う通り、その城壁はあまり頑丈そうには見えなかった。近くに行けば行くほど頼りなさげにさえ見える。

 とはいえ、城壁があるということは門があり、門があるということは門衛がいて、門衛なんてものを組織できるということはある程度の軍備とそれに応じた組織があるということだろう。


 二人が城壁の入り口まで来ると、やはり門衛がいる。

「南からの難民か?」

 さすがにすんなり通す気はないようで足止めを食らうがレンブラントが身分証を取り出して見せ、ここに留まるつもりはなく先を急ぐ旅の途中であることを告げるとようやく中に入ることが出来た。

「何あれ? 感じわっるーい!」

 ルーベラが振り返りながら小声で呟く。

「難民が多すぎると都市の秩序が乱れますからね。入れたがらないのが本音なんですよ」

 レンブラントが淡々と答える。

 西の都市は今ごろどうしているだろうか。などと考えながら。

 グリフィスのことだから上手く対処はしているのだろうが。彼なら恐らく難民といえども都市にいるからには仕事をさせるだろう。今必要なのは兵士の類。肉体労働者が求められるしそういう者を支える仕事も必要だろう。上手く組織すれば難民は都市の戦力になる。そんな考え方をする人だ。

「まぁ……分かるけどさ。どこもみんなそんな感じよね。……それにしてもここ、なんだか落ち着かないわね」

 ルーベラも自分が難民として旅をしている身で、いろんな経験をしながら来たのだろう。レンブラントの意見に異議を唱える様子はない。

 それよりも都市の様子の方が気になるようだ。

「確かに。ちょっと物騒な感じはしますね」

 レンブラントが頷く。

 都市といえばある程度賑やかで老若男女が入り乱れて生活を営んでいるものだが、夕方の時間帯だからなのか女子供は全くいない。しかも外に出ている男たちは出で立ちからして野蛮そうな雰囲気だ。気を抜くと絡まれそうなくらいである。

「とにかく宿を探さないと」

 レンブラントが辺りを見回していると。

「あ! あそこは?」

 なんて馬上のルーベラが伸び上がって前方を指差す。

 狭い道を抜けた先に小さな広場があり、その向こうに酒場のような建物がある。

「……女性が泊まりたがるような所ではないと思いますが」

 レンブラントが眉を寄せるのも無理はない。

 宿泊施設は兼ねているだろうが、あの感じだと娼家だ。

「ええー! だってこの感じだとまともな宿って無さそうじゃない? お金さえ払えば泊めてくれるでしょ?」

 なんてルーベラが口を尖らせる。

「そのお金は誰が払うんですか?」

 ちらり、と後ろを見やるレンブラントにルーベラはいとも鮮やかに笑って見せ。

「あら! 荷物なら川に落としちゃったからあたしは無一文よ。なんならこれ、売ったらいいんじゃない?」

 なんて銀の矢を手に取る。

 レンブラントがあからさまなため息をついたのは言うまでもない。



「良かったわね! 部屋空いてて!」

 ルーベラは上機嫌でベッドに腰かける。

「そうですね……」

 階下からは賑やかを通り越して少し騒々しいくらいの酒場の客の声が聞こえてはいるがどうにか休める場所にたどり着いてレンブラントも一息ついた。

 酒場の二階はやはり娼家を兼ねた宿泊場所になっていたがここを切り盛りしていたのが気のいい女主人だったのだ。

 レンブラントが一応他の宿屋が近くに無いか聞いてはみたのだがやはりこんな宿しかないと言われ、女主人はルーベラが怪我をしているのを見ると快く部屋を提供してもくれた。

「あ、シャワー使わせてもらうわね。ベッド使っていいわよ。あたしはその辺の床で構わないから!」

 勢いよく立ち上がってそう言うと、ルーベラは少し右足を引きずるようにして隣のバスルームに向かう。

「……え?」

 レンブラントが聞き返すのとバスルームのドアが閉まるのは同時だった。

「まったく……困った子だな。そういうわけにはいかないでしょうが……」

 空き部屋は一つしかなく、こんな宿だ。ベッドが二つあるわけもない。

 レンブラントは鎧を外し、窓から外を見下ろす。

 ここならヴァニタスに遭遇しそうには思えないし外の広場で夜を明かしても問題無さそうだ。剣さえ身につけていれば酔っぱらい程度ならどうにでもかわせるだろうし。

 つけ心地の軽い鎧とはいえ金属製。脱げばかなり体が軽い。レンブラントはマントをはおり直してバスルームの水音を背に部屋を出る。


 下の階へ行くと客の相手をしていた女主人が顔をあげた。

「あら、騎士さん。出掛けるの?」

 気さくな雰囲気の女主人はこんなところで働いているわりには品のいい物腰に、品のいいなりをしている。きちんと結い上げた黒髪は数少ないが上品な宝石で飾られ、胸元の開いたドレスもいやらしさがなく威厳さえ感じる。

「ええ。僕は外で十分ですから」

 レンブラントがにっこり微笑んでそう告げると女主人は目を丸くする。

「あらぁ。紳士ねぇ! ちょっとあんたたち聞いた? ああいうのを本物の騎士って言うのよ」

 女主人の言葉に酒場が軽くざわつくも、レンブラントが予想したような冷やかすような空気はない。

 おや、と思いながら軽く頭を下げて外に出る。


 広場の中央には小さな水場があり、昼間なら水を汲みに来る女たちで賑わうのだろうことが予想された。

 レンブラントは石を組み上げて作られた水場の縁に腰を下ろし酒場を眺める。

 酔っぱらいがその辺をうろついているかと思っていたが意外に広場は静かだった。

「あんた、よそもんか」

 そんな声がして隣に腰を下ろす人物がいる。

 レンブラントが目を向けるとそこには小柄な老人。

「ええ。西の都市から来ました」

 酒の臭いはするが年配者は敬わねばならない。そんな一般常識が染み付いているレンブラントは背筋を伸ばすとにこやかに丁寧な返事を返す。

「いいねぇ。ちゃんとした育ちの人間は。人への接し方をよくわきまえてる」

 老人は顔をほころばせた。

「ここはな、最近まで小さな集落の集まりだったのさ。それがここ最近の敵の襲撃に備えて皆で城壁を築くことになったんだ。しかしその重労働に耐えることのできる連中はそうおらんでな。気付いたら柄の悪いもんばかりがよそから集まって来ちまって結局こんな有り様よ」

「……そうでしたか」

 レンブラントが老人を見つめて相づちを打つ。

 なるほど、それなら色々とつじつまが合う気がする。

「しかし、あんたも運がいい。マダム・ルナの店に来るなんてな」

「マダム・ルナ?」

 レンブラントが聞き返すと老人は目の前の酒場を顎で指しながら。

「あそこの女主人さ。あの人はこの街ではどんな男達からも一目置かれていてね。ああ見えて腕っぷしの強い男を簡単に黙らせたともっぱらの噂だよ。だからここに客として来る連中は無茶はしない。あそこの女の子たちだって、行くあてのない子たちをマダム・ルナが引き取って世話してるんだ。だから客はマダム・ルナに敬意を表して彼女たちを丁寧に扱う。それに……」

 老人はほう、とうっとりするようにため息を一つつくと。

「マダム・ルナの秘蔵っ子、ダリアちゃんがいるからここに来るもんはどうにか上品にして嫌われないようにと必死なのさ」

「秘蔵っ子、ですか」

 レンブラントは老人の話に合わせて目を細める。こんな酒場の秘蔵っ子、ということは娼婦だろうか。

「ダリアちゃんはそこいらの娼婦じゃねぇぞ。芸は売っても体は売らない気高い楽師だ」

 老人はまるで自分の孫娘の自慢でもしているかのように胸を張る。

「ああ、ほら始まっとる。……あんたも聞きに行かんか?」

 老人が耳をそばだてるように酒場の方に注意を向けるのでレンブラントもそれに倣う。

 そういえば先程まで聞こえていた賑やかな騒ぎ声がやんでいる。

 そして、笛の音、だろうか。

 高く澄んだ音が聞こえたかと思うと、それは次には低く穏やかな音色に変わり一定の旋律が繰り返される。なんとも心地のよい音色だ。

 レンブラントは老人につられるようにして立ち上がり、一度後にした酒場の戸を再び開ける。


 酒場の中はさっきまでとうって変わって穏やかな空気に包まれていた。

 店の真ん中に小さな席が設けられそこに美しい金髪の若い女が座っている。

 娼家であるのにその若い女に近づこうとする男はいない。誰もが一線を引いて敬意を表しているように見える。そして彼女が奏でる音色には確かに誰の邪魔も許さないという気にさせるほどの魅力があった。

 なのだが。

 レンブラントがまず息を呑んだのは。

 恐らく酒場の客たちだって最初はそうだったのではないかとも思えるのだが。

「……ルーベラ?」

 思わず音色を邪魔しそうな声量で出かかった言葉をぐっとこらえる。

 そんなレンブラントの様子に目をやった老人はすぐ隣の男に小声で囁いて二言三言話したあと目の前で繰り広げられている目新しいものにうっとりと目を細めながら、うんうんと納得したように頷いている。

 というのも。

 なんと、ルーベラが、その楽師と呼ばれるダリアの隣で美しい音色に合わせて気持ちよさそうに歌っているのだ。

 その歌声は透き通る音色を持ち、ダリアの奏でる音と溶け合ってびっくりするほど綺麗、なのだ。


 暫しの間流れる音楽は、小鳥のさえずりのようでもあり、小川のせせらぎのようでもあり、木漏れ日を思わせる穏やかさや夜空の星の瞬きを思わせる密やかな節もありその場に居合わせた全ての者をとりこにし、そして、店に静寂が訪れる。


 一瞬の静寂のあと、わあっと割れるような拍手と歓声が上がりダリアが立ち上がる。

 彼女の視線の先にはルーベラがおり、ルーベラは優雅に客にお辞儀をするとダリアに右手を差し出した。

 その手をにこやかにダリアが握り返すと客の歓声はひときわ大きくなる。

「今宵はこんな歌姫にお目にかかれて光栄です。よろしかったらもう少しお付き合いいただけない?」

 ダリアが淡いブルーの瞳を柔らかく細めてそんな言葉をルーベラにかける。

「ええ、喜んで。こんなに美しい音色に合わせて歌えるなんてこちらこそ光栄です」

 そんなやり取りに喜ぶのはもちろん酒場に居合わせている客たちだ。

「あんた、またえらい子を連れてきたなぁ! 騎士さん」

 隣でうっとりと陶酔しきっていた老人がレンブラントを見上げてそう言うと、その周りを取り巻いていた客たちがレンブラントに気づき「歌姫の連れ」に敬意を表して、なのか席を空けてくれる。

 レンブラントが「ありがとうございます」と礼を言いながら空けてもらった席につくとマダム・ルナが杯をその前にそっと置いた。

 レンブラントが目をあげると。

「ダリアが頼まれもしないのに自分から演奏するなんて滅多にないのよ。これは私のおごり」

 と、ゆったりと微笑む。


 普段、酒はほとんど飲む機会がないレンブラントだがこの時ばかりは断るのもどうかという雰囲気なので軽く頭を下げてありがたくいただくことにする。別に飲めないというわけではない。


 そんなレンブラントを見てマダム・ルナはその隣にそっと立ち。

「あの二人、ああやって並んでいると素敵な組み合わせね。まるで昼と夜みたい」

 なんて言葉を漏らす。

 確かに。

 レンブラントもそれには同意出来た。


 金髪に淡いブルーの瞳を持つダリアはさながら穏やかな昼の陽射しのよう。一方、緩やかに波打つ黒い髪に、キラキラした濃い色彩の瞳のルーベラは星の瞬く夜空を思わせる。


 そんな二人が創り出す音楽は、魔法のように心を和ませ、高揚させ、そしてその場の皆を癒していた。

 一歩外に出れば油断のならないような街で一日を過ごした者たちにとって、この上質な音楽を聴くひとときはは心を和ませ、故郷を思い出させ、暫しの安らぎを味わえる、そんな貴重な時間なのだろう。





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