レンブラントの道程(拾いもの)
「ちょっと! その手を離しなさいよ!」
凛とした女の声にレンブラントが目を覚ます。
勝手の分からない土地で、次の村か町か、そんな人の住む場所がどこにあるか見当もつかず、人通りの少ない道を見た限り近くには人の住む所はないだろうと見切りをつけて水場を見付けたので馬を休ませ、ついでに自分も休憩していたところだった。
昨夜は野宿で警戒しっぱなしだったせいであまり寝ていない。
日差しが気持ちよくて川辺の木に寄り掛かってついうとうとしてしまっていたのだが。
「なんだよ、転びそうだったから助けてあげたんじゃない。どうせ難民で行く所なんかないんだろ? 俺たちがいい働き口も世話してやるからさ!」
レンブラントが声のする方に目をやる。
……若い女が絡まれているのか。
栗毛の馬は静かに川辺で草を食んでいる。荷物はレンブラントの足元にまとめて置いたままだ。かさばるので弓と矢も荷物と一緒に置いてある。
カザミに貰った鎧はつけ心地も悪くなく、身に付けたままでもさほど邪魔にはならない。腰には青い石のついた剣を下げている。
「まぁ、この格好なら追い払うのには十分でしょうね……」
なんて一人呟きながら、ゆっくり立ち上がり声のする方に踏み出す。
レンブラントがいる場所から少し離れた所で一人の若い女が二人の男に絡まれていた。
男たちは面白半分でちょっかいを出している様子ではあるが、言葉の内容からしてたちが悪そうだ。力ずくでどこかの町にでも連れ去ってよからぬことでもしそうな雰囲気。
「……あんたたちと遊んでる暇はないんだけど」
女の様子にレンブラントの足が止まる。
「おいおい……そんなおもちゃ危ないからさ」
男がまず一人、後ずさる。
「ふーん……案外だらしないのね」
そんな言葉と共に女はにやりと笑うのだが。
「ちょっとちょっと! 平和的にいこうよー……」
残りの一人も後ずさりを始める。
……ということはあの二人、たいしたことはないな。
なんて思いながらレンブラントの気も緩む。
女は一振りの剣を持っており、それを男たちの前で抜いて見せたのだが。そして、凄んで見せる様子にちょっと迫力はあるのだが。
「あれじゃ本当に怪我をしてしまう」
レンブラントが思い直して歩き出す。
と、同時に。
「うわ! やめろよ!」
男たちの悲鳴が上がり。
ぶんっ!
と、剣が空を切る音がする。
「その辺にしておきなさい」
「ちょっと!」
一度空振りした剣を改めて振り上げる女の腕を、レンブラントがかろうじて掴んで止めると女が異議を唱えるように目を向けてくる。
「ほら、君たちも無駄に怪我をしたくなかったらとっとと行きなさい!」
女の様子にはお構いなしでレンブラントが二人の男にそう告げると慌てふためいた男たちは一目散に逃げて行く。
「離せってば! この、うだつの上がらない三級騎士!」
逃げて行く男たちを見送ってから女が悪態をつく。
「……うだつ……って……」
意外な悪態にレンブラントが唖然として女を見つめる。
軽くウェーブのかかった黒い髪を背中まで伸ばした女は、濃いブラウンの強気な瞳でレンブラントを見上げており、掴んだ腕は細いが弱々しいわけではない。
「ふん。鎧を着ているということは三級騎士なんでしょ? しかもその歳で三級って……『うだつの上がらない』って言われても仕方ないじゃない」
そう言うと女はレンブラントに掴まれた腕を振りほどく。
「……ぷっ」
レンブラントはつい吹き出してしまう。
鎧イコール三級騎士という発想があるということは、どこかの都市か騎士隊のいる大きな町出身者、もしくは騎士に知り合いがいるということだろう。そして、上級騎士に甲冑が与えられている今の軍の事情に疎いとなると、さっきの男たちが言っていたように難民だということなんだろう。自分だって旅をしていたせいで軍の通達事項についていけていなかったくらいだ。
「……何がおかしいの」
むすっとした顔でこちらを睨み付けてくる女にレンブラントは笑いを噛み殺しながら。
「ああ、いえ。……怪我がなくてよかったです。慣れないものを振り回すのはどうかと思いますよ」
「慣れないもの?」
女は思いの外、慣れた手つきで剣を鞘に納めるのだがレンブラントは笑いを噛み殺すのに必死でそこには気がつかなかった。
「重心の取り方が、だいぶずれていましたよ。そんな姿勢で剣を振ったら勢いで思わぬ怪我をします」
「よ、余計なお世話よ!」
レンブラントの指摘に女がぱっと顔を赤らめる。
……ということは自覚していたのか。ならば、筋は悪くないのかもしれない。
と、レンブラントは推測した。
「……あたしはルーベラ。あなたは?」
気まずそうに上目使いで自己紹介する彼女にレンブラントはつい微笑み返す。
「レンブラント、といいます。どちらまで行かれますか?」
「……この先にあるはずの村よ。……あれ、あなたの馬?」
ルーベラがレンブラントの後方に視線を送り顎で指すのはまさしくレンブラントの馬だ。二人のやり取りに興味を持ったのか草を食むのをやめて近付いてきていたらしい。
レンブラントが短く肯定の返事を返すとルーベラは手を腰に当ててさも偉そうに言い放つ。
「じゃ、しばらく厄介になるわ。その馬に乗せなさい」
「は?」
てっきりここで別れると思っていた女の意外な一言にレンブラントが思わず眉をしかめた。
「だーかーらー! 重心の取り方がずれてたんでしょ? 危ないじゃない、こんな乙女を置き去りにしたら」
ルーベラが、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「え、いや……でも」
参ったな、と言わんばかりのレンブラントに。
「ほんっとに鈍いわね! 足! 捻っちゃって歩けないんだってば!」
「ええ!」
レンブラントが改めてルーベラに目を向ける。
よく見ると重心どころか右足が全く動かせないように見える。
「なんで先に言わないんですか!」
レンブラントは急いでしゃがみこみ、ルーベラの右足首に触れるのだが。
「痛い! 触らないで! ……きゃ!」
ルーベラが左足だけで後ずさる、と同時にその足が草に引っかかって見事に尻餅をついた。
「意地なんか張ってる場合ですか! こういうのは放っておくとあとで大変なことになったりするんですよ」
レンブラントはそう言うとルーベラの足首の様子を確認して、急いで荷物を取りに戻り応急処置として足首を固定する。
「この程度ならしばらくすれば治るでしょう。あまり無理をしてはダメですよ」
手際よく固定されていく自分の足首を見ていたルーベラが決まり悪そうに視線をそらす。
「……礼のひとつも言えないんですか?」
レンブラントが顔をあげてルーベラの顔を覗き込む。
「う……あ、ありがと」
どうにか聞き取れる程度の声で礼を言うルーベラに。
「これから世話になろうというなら礼儀は大事ですよ」
レンブラントが立ち上がって手を差し出す。
「え……あ、じゃあ乗せてくれるの? いいのっ?」
ぱっとルーベラの瞳が輝く。
「その足で放り出すわけにはいかないでしょう」
レンブラントがそう告げると。
「あ、いや。……これ、ちゃんと固定してもらったからもう大丈夫だと思うけど。ゆっくりなら歩けそうだし。あなた、先を急ぐんじゃないの? あたし一人でも大丈夫よ?」
などととんでもない言葉が返ってくる。なので。
「……いいから乗りなさい」
レンブラントは思いっきり眉間にしわを寄せて強制的に彼女を馬に乗せることになる。
「ねぇ、この荷物あなたの物なのよね? レンブラント」
馬上から上機嫌そうなルーベラの声が聞こえてくる。
さすがに二人で乗る訳にもいかずルーベラと荷物だけを馬に乗せてレンブラントはその馬を引きながら歩いていた。
ルーベラが言うにはこの道の先に小さな村が点在するらしく、徒歩でも夕方までには着くだろうとのこと。そういえば、彼女に絡んでいた男たちは旅人風でもなかったのできっとその辺の村から来ていたのだろう。
「ええ、勿論」
振り返りもせずにレンブラントが返事を返す。
「ふーん……」
曖昧な返事と共にカチャカチャと音が聞こえて、嫌な予感がしたレンブラントが振り返ると。
「うわ! 何してるんですか!」
あろうことかルーベラが勝手に荷物から飛び出していた銀の矢を手にして、それをしげしげと眺めている。
「……こういうの、盗品とかじゃないわよね? 三級騎士さん?」
にやっと笑って矢を振って見せる。
「違います! ちゃんと戻しておいてくださいね……」
レンブラントは額の辺りを押さえながら前を向き直る。
……なんだかとんでもない女を拾ってしまった。
などと後悔しながら。
でも、まぁ、あんなところに身一つで置き去りにされたら彼女だって困るだろうし、あの足で次の村まで歩くというのは無謀にも程がある。そう考えるとこれは不可抗力で……あれ?
そこまで考えてふと、レンブラントの思考が止まる。で。
「……ルーベラ、君、この辺の人間ではないんですよね?」
振り返って尋ねてみる。
「え? ああ、そうよ。南の都市から来たの。まぁ、いわゆる難民ね」
あっけらかんとした答えに。
「荷物はどうしたんですか?」
見たところ彼女は腰に剣を差しているだけで手ぶらなのだ。南から、ということはここまでだけでもかなりの長旅だったはず。馬……は経済的に持てない者もいるだろう。でも旅に必要な荷物くらいは持っていなければ不自然だ。
「え、ああ。あれね……」
なぜか気まずそうにルーベラが視線を泳がせて。
「さっき、絡まれて川に落としちゃったの。それを拾おうとして足を捻っちゃって……」
ちらりと舌を出す。
はあああああ。
レンブラントの深いため息。
……拾ってやって良かったのかもしれない。そんな状態で放り出されたらそれこそ大変なことになっていただろう。




