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スイレンの犠牲とリョウの結界

「きゃー! スイレン! 何したの!」

 部屋に新しい服が届くまでの間、と寝室の奥にあるバスルームを使っていたスイレンが出て来るのを目にするなりリョウが叫ぶ。

「嘘だろ、おい……」

 自分の部屋でシャワーと着替えを済ませてからリョウたちの部屋に来ていたグウィンも目をむく。

 ずいぶん時間がかかっているな、とは思っていたのだけど。

「バスルームに剃刀が置いてあったからちょうど良かった。あの汚れ、落とすよりこの方が楽だったのだ。あんなものをかぶったと思ったらもう、洗うくらいじゃ気がおさまらん!」

 ふう、と疲れたように新しい服に着替えてソファーに沈み込んだスイレンの、腰まで伸びていた髪は肩の辺りで切り落とされていた。

「切っちゃった、の……? 綺麗だったのに……」

 リョウが隣に座ったスイレンの髪にそっと触れる。

 さらさらとしたまっすぐなプラチナブロンドは一思いに切り捨ててから頑張って左右を切り揃えたのか少し前下がりな感じで綺麗に整えられてはいるが。

「……変、か?」

 むすっとしたまま、視線だけリョウの方に向けながらスイレンが聞いてくる。

「え、いや……かわいい……けど」

 ……もう!

 スイレンてば!

「うわ!」

 スイレンが慌てたように声をあげた。

 リョウがとっさに髪に触れていた手をそのまま彼女の細い肩に回してぎゅっと抱き寄せたので。

 そしてそのまま両腕で抱き締める。


 きっと、相当、怖かったのだろう。

 きっと、相当、おぞましいと思ったのだろう。

 彼女の育ちを考えたらそんなことは想像がついた。

 ヴァニタス自体、外見も気配も、その存在そのものが生理的におぞましい存在だ。近付くのだって勇気がいる。

 それに向かって行って、剣を突き立て、至近距離で吹き出す体液をかぶったのだ。

 戦士でもない女の子が。


 なのに泣き言ひとつ言わずに、そのままの姿で司との話が終わるまで気丈にもあの男を睨み付けたまま竜族の頭としての威厳を保った。

「……よく、頑張ったね。ありがとう」

 リョウが抱き締めたスイレンの耳元でそっと囁く。

 スイレンは言葉こそ発しないまでも、その腕をリョウの背中に回してぎゅっとしがみついてきた。

 恐らく、グウィンもリョウの思いとスイレンが髪を切り落とした気持ちを察したのだろう。

 音もなく立ち上がり、ソファーの、スイレンが座っている向こう側のひじ掛け部分に浅く腰を下ろすとスイレンの頭をそっと撫でる。

「本当に。良くやったな。見事だったぞ」

 なんて声をかけながら。


「……リョウ」

 しばらくの時間が流れたあと。

 ゆっくりとスイレンが顔をあげた。

 リョウは心配しつつその顔を覗き込むが、意外にすっきりした表情なので安心する。

「結界を張った、と言ったか?」

 ぱっちりした青い瞳は、新たな好奇心の的を見付けたかのようにキラキラしている。

「え、ああ。そうね」

 戦いの際に。ヴァニタスの攻撃から身を守ろうと自らの体に結界を張った。

 炎がこの身を焼くことのない証ともなる結界。昔、訓練を積んだお陰で炎の中に身を置くなんていう時に本能的に張られる結界は自分でかなりコントロール出来るようになったので。

「そんなものが作れるのか?」

「へ?」

 スイレンがキラキラした目で尋ねてくることにむしろリョウは驚く。

「……あの、みんな出来ることじゃないの?」

「……たぶん、お前だけだ……」

 ふと気付くとスイレンを挟んだ向こう側でグウィンが信じられないものを見た、とでもいうかのように片手で両目を覆い深く息をついている。

「ええええ!」

 改めてリョウが本格的に驚く。

「自覚してなかったのかよ……。だいたい結界を張るって、どうやるんだ?」

 両目を覆っていた手を少し下にずらしてからリョウをまじまじと見つめてグウィンが真剣に訊いてくるので。

「……え。どう、って……えと、例えばこう……」

 リョウはなんとなくグウィンの方に片手を伸ばし、手のひらをそちらに向ける。で、軽く意識を集中して。

 ぴし。

 そんな音がする。

「え! うわ! なんだこれ!」

「……だから、結界」

 慌てふためくグウィンは自分の周り、それも自分のすぐ近くに出来た見えない壁を即座に察知して、握りこぶしで叩き始める。

 リョウがなんでもないことのように答えると同時にスイレンが唖然としながらグウィンの周りの壁にそっと触れて、閉じ込められたグウィンを見ながらくくっと笑う。


「昔、練習したら出来るようになったんだけど」

 そう言いながらリョウはその結界を解いた。

 周りの壁がなくなったのを自覚したグウィンはちょっと不機嫌そうな顔になり。

「リョウ、お前な……今の、よほどのことがない限り他のやつにやるなよ……なんかこう……凄く嫌な気分だ」

「あ……やだ、ごめん」

「見ている分には面白いけどなっ! 獣が檻に閉じ込められたみたいでスカッとするぞ!」

 スイレンはなんだか楽しそうだが。

 リョウはグウィンの言葉にちくりと胸が痛んだ。

 ……他の人に、やったことあったな……。なんて思い出してしまって。


「これってみんなできる訳じゃないのね……」

 相変わらず納得いかないような気がしてリョウが自分の手のひらを見つめながら呟く。

「まぁ……似たようなことは出来るが、リョウのそれは火を操る力の付属品みたいなもんなのか……」

 グウィンが顎の辺りをさすりながら答える。

「似たようなこと?」

 リョウがグウィンに目を向ける。

「ああ。……今日もやっただろ。気流の流れを利用して壁を作ることは出来る。それで中と外の空間を遮断するんだ。でもそれなら恐らくお前らだって火で壁を作るとか水で壁を作るとか出来るだろ?」

 あ、なるほど。

 思わずリョウはスイレンと目を見合わせて頷き合う。

「……ちなみにリョウ、あれは体に負担はないのか?」

「負担……?」

 妙なことを訊く。と思いながらリョウは首をかしげる。

「あ、いや、何ともないんならいいんだ。……さっき結界が解けたとき外の空間と内側の空間が元に戻るのに変な違和感を感じかたからなんとなく、だ」

「ああ、それ……」

 きっと、かなり些細な変化だったと思うんだけどよく気がついたな、とリョウは思う。

「たぶん、一度切り離した空間を元に戻すって単純なことじゃないんだと思うの。解いたときに反動が来るからあんまり大きな空間を切り離すような結界の張り方をしたり、長時間張りっぱなしにしたりしたら後でぐったり来るけど……まぁ、普通そんな必要はないしあの程度なら全くもって何ともないわよ」

「そうなのか? リョウ、あんまり無理をしてはダメだぞ? 実は寿命が削られてた、とかあったらどうするのだ……」

 本気で心配そうな顔をしてスイレンが腕にしがみついてくるのでリョウは思わず吹き出す。

「ええ? やだぁ! ないない! そんなの。力を使ったときと同じよ。スイレンだって今日みたいな力の使い方したら多少は疲れるでしょ? あれとおんなじよ」

 疲れる、と言ってもあっという間に回復する程度のもの。その辺を走り回るのと同じだ。

 スイレンも納得したようで「なら、よかった」とはにかみながら手を離した。


「何にしても、リョウの場合は俺たちとは少々力の使い方が違うようだしな……」

 グウィンがぼそっとそんなことを言う。

「え?」

 リョウが思わず聞き返すと。

 グウィンの視線はリョウの腰にある剣に向いていることに気付く。

 騎士としての生活のせいもあり、寝るとき以外で、自宅の自室にいるのでもなければ大抵身に付けている剣だ。自室にいたとしてもなるべく手の届く所に置いていた。

「ああ! 確かに!」

 スイレンも身を乗り出してリョウの剣に目を向ける。

「リョウのそれはかっこいいな! 石が付いているせいで剣で力が出せるなんて!」

「石に力があるっていうのとは違うと思うんだけど」

 うーん、と唸りながらリョウが自分の剣を身から外して目の前に持ってくる。

「恐らく、鍛えるにあたって力が発揮出来るように細工したんだろう。持ち主の意思をうまく取り込む力をもつ金属が昔、東方の山で採れたことがあったんだ」

「うわ……そうなの? じゃあみんながそんな武器を持てたら結構凄いことになるんじゃ……」

 リョウが思い付くままにそんな風に答えると。

「あ、いや。あれは物凄く珍しい金属だったはずだし量もやたら少なかった。そもそも剣なんていうサイズになっていること自体が奇跡的だ。そう幾つも作れるもんじゃない。それに癖が強すぎてそう簡単に成形することすら出来ない代物だ」

 うわ。そうなんだ……。

「……これ、私なんかが持っていていいのかな……」

 ついそんな独り言がこぼれる。

 とたんに隣で笑い声が起こる。

「リョウ! 何を言っているのだ! そんなすごい剣なら火の部族の頭が持たずして誰が持つ!」

 グウィンもつられて吹き出している。

「まぁ、自分がどれだけの力を持っているか自覚しとくんだな」

 笑いを噛み殺すようにしてそんな一言まで付け加え。


 そんなこと言ってもねぇ……。

 自分がそんな風に特別だなんて考えたことなかったし……。

 楽しそうに笑う二人を見ながらリョウの心中は若干、複雑だった。

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