記憶
「ねぇ、私をおいていかないで」
必死で泣き叫ぶ私がいる。
もう、声もかれて、力も尽き、握りしめたその人の服についた血痕はすでに乾ききっている。
地面に流れ出た血の跡も、もう乾ききっており。
ああ、思い出したくないあの日の光景だ、とリョウは理解する。
地面に横たわるあの人のそばで、何日もただ泣き続けた。
暗くなればそのまま眠り、日が昇れば目を開けるまで何度も呼び続け。
正気じゃなかった。
そんなものは無くなっていたのかもしれない。
その人が言った言葉を一つ一つ思い出す。
「火の竜というのはね、四つの竜の中で一番強い。ゆえに恐れられてもいる。だから自分で力をコントロールできるようにならなければいけない」
そうね。だから頑張った。
「火の力は破壊の力だ。土の竜のように命を育てる力とは違う。でも……使いようによっては」
それは可能性の話。
「それだけ大きな力を持っているのだから、自分の内に流れる力をうまく放出できれば、他者にエネルギーを注ぎ込むこともできるかもしれないね」
壊すだけではない。誰かの役に立てるかもしれないという可能性。
そんな言葉を思い出して目の前に横たわる、大好きなその人を生かそうとしてみた。
意識を集中してエネルギーを逆流させる。
それでも、自分の力を本来の使い方でようやく使いこなせるようになった程度の段階で、そんな可能性にかけただけの技術が習得できているわけもなく、彼は息絶えた。
一度息絶えた者を蘇生させるのは不可能だ。
そんなことは分かっている。
それでも。
私を庇って深傷を負い、助けを求めることもせず、ただ私が見つけに来るのを待ち、最期の一瞬に私を見て微笑んだ彼に、私はただ泣いて呼び続けることしかできなかった。
あの日から。
誰かを求めることはしなくなった。
いずれ、誰もが私を置いていなくなってしまう。
どんなに優しい人でも。
求めなければ、手に入れてしまわなければ、失うこともない。
深く愛することをしなければ、深く傷つくこともない。
人というのは儚いものなのだ。
「火というのは面白い。水も土も風も、気ままに己の存在にだけ頼っていけるのに、火は違う。人が使うから役に立つ。人に使われることによって初めて存在意義がある。……だから火の竜は人に惹かれる性質を持つのかもしれないね。真っ先に純血でなくなったのもきっとそのせいだ」
それは悪いことではないと、彼は笑ったが。
あの頃の私はその定めを恨むしかなかった。
ふと、目を覚ます。
目を覚ますということは眠っていたのか。そんなことを思いながらリョウは周りに目をやる。
大きな窓に白いカーテンがかかっている。カーテンの隙間から見える外はもう暗くなっている。
ああ、医務室か。
思い出したくない昔の夢を見た。
ハヤトにあんなことを言われたせいかもしれない。
くすっ、と、小さく皮肉な笑いが漏れる。
私が、誰かの女になる、ですって? 人間の?
それは私が何者かを本当の意味で知らないから言えることだわ。
「目が覚めましたか」
知った声にゆっくり起き上がる。
短く整えられたプラチナブロンドに濃い灰色の瞳の長身の男が、作業の片手間にリョウの方に目を向けている。医務室の主でもある軍医だ。
「ええ……すみません。お世話になりました。先生」
リョウは、ぼんやりする頭をはっきりさせるべく、まずは伸びをしてみる。
「先ほどまでレンブラントがずっと付き添っていたんですよ。勤務時間だからと出ていきましたが。……大丈夫ですか?」
軍医は、作業の手を止めてゆっくり歩み寄り、白衣のポケットに手を入れたままベッドの横に立ってリョウをしげしげと見る。
「隊長が……?そう、ですか」
妙な気分だ、とリョウは思う。
体が震えて動けなくなったリョウを抱えて、医務室まで運んできたレンブラントは、何事かと目を丸くする軍医に「少し疲れがたまっているようなので休ませてやってください」とだけ告げ、一番端にあるベッドをひとつ占領し、リョウには「今は何も考えなくていいから休みなさい」と言って誰の目にも触れなくてすむように、毛布をほとんど頭がすっぽり隠れるくらいにかぶせてくれたのだ。
そのまま暫く震えが止まらなかったリョウの頭を、レンブラントは優しく撫でてくれていた。
リョウはそのまま眠ってしまっていたらしい。
あのあと、自分の勤務時間までここにいてくれたんだ……。
情けない、という思いともうひとつ。
不思議な感情が込み上げてくるような気がしてリョウは戸惑う。忙しいスケジュールの中、そんな義務はないのに自分のそばで時間を過ごしていたというレンブラントの姿を思い浮かべるとほんの少し胸が苦しくなるのだ。
「勤務時間が夜中から朝にかけてなんだとか。体に無理を感じるようならいつもより多めに休息を取ってくださいね。いざという時に動けなくなっては困りますよ」
軍医は優しく微笑んでそう言う。
「はい……ありがとうございます」
過労、ということになっているせいか軍医はそんなアドバイスをして、一応リョウの手を取って脈拍なんかもみてくれたりする。
「勤務時間までもう少しあるようですから、もう一休みしていきなさい。何か飲み物でも入れましょうか」
「あ、いえ。お気遣いなく」
リョウは気がとがめてしまって少々慌てる。
いや、本当は過労で運び込まれた訳じゃないから。元気なんだもん、私。
「そういう遠慮がいけないんです。甘えられるときにはしっかり甘えておくべきですよ」
そう言うと軍医はくるりと背中を向けて先ほどまで作業していた事務机に向かい、手際よく新しいカップを用意すると机の上にあったポットからなにやら湯気のたつ液体を注いでリョウのところに持ってくる。
「少し冷めていますが、むしろ飲み頃でしょう。私がブレンドしたお茶です。疲労回復に効果がありますよ」
「……ありがとうございます」
リョウが差し出されたカップを受け取ると、そこからはほのかに、甘い、いい香りが立ち上っている。
「あ。いい匂い」
思わずそう呟くと、軍医は嬉しそうに微笑んでくれた。
そういえば、ザイラが「あの先生はすごく癒し系なのよ!」と話していたのを思い出す。
この先生、年はレンブラントより十は上だろうけど、こんな風に微笑むとずっと若く見える。
確かに癒し系かも。