旅路(無くしたものと得るもの)
明かりの消えた部屋の中で。
リョウがごろんと寝返りを打つ。
隣に小さな温もりを感じる。
客室は一つしかないからとグウィンにあてがわれ、リョウとスイレンはルースの部屋を借りていた。
ルースは店の仕込みがあって早くに起き出すから気にしないで、と気持ちよく部屋を貸してくれ、自分は母親の部屋で寝ることにしたようだった。
スイレン、本当に疲れていたのね。
純血の竜族でもちゃんと熟睡するんだ……。
なんてリョウが感心してしまうくらいスイレンは規則正しい寝息をたてている。
それでも考えてみたら、初めて馬に乗った子が1日の旅路で初めて休憩したのだ。人の子ならこんなに体力がもつ筈もない。
私もちゃんと休んだ方がいいんだろうな、とは思うんだけど。
ハンナとルースの言葉が引っ掛かって眠れそうにない。
愛する人を亡くした二人。
それでもあんなに、何事もなかったかのような明るさ。
あれは、強さなのだろうか。
つい、自分と重ねてしまったのだ。
自分より確実に先に死んでしまう人に思いを寄せてしまう自分に。
私だったらあんな風に笑えるのだろうか……。
そう思うとますます目が冴えてしまって。
ふと下の階で物音がするのに気づく。
まだ真夜中だというのに、人の動く気配。
リョウはルースが朝早くから店の仕込みがあると言っていたのを思い出し、ベッドをそっと抜け出した。
「おや、起こしてしまいましたか?」
リョウは階段を降りたところでまずハンナと目が合う。
店の奥と台所はつながっているようで奥の方でルースが作業をしているのが見える。
「すみません。なんだか目が冴えてしまって……」
なんとなく、降りてきてしまっただけのリョウは邪魔をしてしまったかしらと思い、つい謝ってしまう。
「あらあら。じゃあ何か温かいものでも入れましょうか」
ハンナは気を悪くする様子もなく微笑みながら、慣れた様子で棚からカップを二つ取り出して居間の方に行くようにリョウを促す。
「大変な覚悟のいる旅なのでしょうね」
手元のカップを両手で包みながらハンナが言葉を紡ぎ出す。
リョウの眠れない理由を思い巡らしたのだろう。
「ああ、そうですね……でも私たち、人間ではありませんから……」
ふふ、とリョウが笑みを漏らす。
人間離れした力を持つ者。
人間には到底理解できない力を持つ者。
実際にその目で見れば恐れをなすほどの力。
そんな力を持つ者としての、微笑み。
ハンナが首をかしげる。
予想していたのと違うリョウの反応ゆえだろう。
「……ご主人を亡くされた、とおっしゃっていましたが……」
そんなハンナにリョウが話を切り出す。
「ええ。娘婿もうちの主人も……リガトルに……」
リョウは言葉を失った。
「仕方のないことですよ。こんな時代ですから。……町では襲撃が頻発してきたここ数十年、防御に当たる人材をかき集めているんです。男は健康であれば大抵その対象です。大きな町や都市なら騎士隊や兵士がいますがこんな田舎の町や村ではなかなか……」
遠くを見るような目でハンナが静かに語る。
「男は大抵早死にします。それは誰もが仕方のないことと諦めていますよ。それでも夫も娘婿もちょっと早すぎたとは思いますけどね」
そう言ってハンナは微笑んだ。
「……お強い、ですね」
リョウがぽつりと呟く。
「それを承知の上でご結婚を?」
自分の手元で湯気をたてるカップからふと台所の奥で働いているであろうルースの方向に、視線を移す。
そんなリョウを見てハンナは何かを察したように力強く頷いて見せる。
「そうね……リョウさん。まずこれは私に関してだけど、夫が居なくなったことが私の心に大きな穴をあけたのは事実。でもあの人は私にたくさんのものをくれたのよ。それも事実」
そう言いながらハンナは部屋の中をゆっくり見回す。
その視線は時々どこかで引っ掛かり、優しく細められ、何かを追うようにさらに隣に移っていく。
きっと部屋のそこかしこに夫であった人との思い出があり、その一つ一つを鮮明に思い出すのだろう。
そんなハンナの様子を見守り、紡ぎ出される言葉に聞き入るリョウに、ハンナは語り続ける。
「人は生きていれば必ず誰かと別れなければいけないけど、誰かに出会うことも確実でしょう? 失うことを恐れて得られるはずのものまで諦めるのは愚かというものよ」
ゆっくりと優しく、教え諭すような口調でそう言うとハンナの視線がリョウのところに戻ってきた。
「あの子を見て。あんな素晴らしい宝物をくれたのはあの人なの。あの子も伴侶をなくしたからといって不幸の連鎖だなんて誰が言える? あの子、あれで町の人たちからも本当に大事にされているの。あの子の顔を見るためにわざわざ朝早くからパンを買いに来るお客までいるのよ。あんなに前向きで町の人から慕われる子は私の誇りよ」
そう言うとハンナは言葉を切って手元のカップを口に運んだ。
それから。
「あの子は子供ができなかったんだけどね、それでも幸せだったってよく言うわ。人を愛することってそれ自体が幸せなのよ。見返りを期待するものじゃないの。……不思議ね。見返りなんか期待しないのに誰かを精一杯愛したという事実があるとそれで幸せになれるのよ」
「見返り……」
リョウがハンナの言葉を反復する。
私は何か見返りを求めていたのだろうか……。
「ああ、言葉が悪いわね。そう……例えばこうあってほしいとか、こうしてもらえたらいいのにとか。若いうちは当たり前のように思っていたことが、案外些細なことだったと気付く時があるってことよ。心が通じてしまえば自分が思っていたのとは違う仕方で満たされることもあるの」
リョウは食い入るようにハンナを見つめる。
実際の年齢は自分の方がずっと上だ。それでも経験を積んでいる者の言葉は重い。
リョウは長いことそういう経験をしたくなくて人と関わらずにいたのだ。いわば成長するチャンスを逃した空白の時間。それが長かった。
ハンナはそんなリョウを優しく見つめる。
「あなたもね、人を好きになることを恐れちゃ駄目よ」
ハンナの目にいたずらっぽい輝きが加わる。
「……え、私……」
あれ?
好きな人がいる、なんてこと私言ったっけ?
リョウが我に返ってどぎまぎしているとハンナはくすくすと笑い出す。
「なんだかね、今のあなた、結婚を悩んでいた頃のルースと同じ目をしているんだもの。……それに昔グウィンに聞いたんだけど火と風の竜族は人に惹かれる傾向が強いんでしょう? ……それはきっと若いうちは辛いことでもあると思うのよ」
「あ……」
やだ。
お見通しだったんだ。
リョウは頬が熱くなるのを感じながら冷めかけたカップを口に運ぶ。
「母さん、こっちは一段落したわよ……あら、リョウ?」
ルースが台所の入り口からひょっこり顔を出した。
「あらあら、すっかり話し込んじゃったわね。朝食の支度に取りかかりましょうか」
にっこり笑いながらハンナが立ち上がる。
気付けば窓の外はうっすらと明るくなりかけている。
「あっ、すみません。私、すっかり邪魔してしまって……!」
リョウが慌てて立ち上がる。
「あら、いいのよぅ! 母さんは付き合いで起きていてくれるだけだから話し相手になってくれてむしろ助かっちゃったわ!」
ルースが明るい声を台所から返してくる。ハンナとリョウの様子を一目見て割り込まないように気を遣ってくれたようだ。
「手伝います!」
そう言うとリョウは空になったカップを持って二人に続いて台所に入る。




