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 三階の中庭、と呼ばれた場所。


 丸一日休んだリョウはようやく動けるようになり、体を慣らすためにも動き回ってみようかと自分のわかる範囲で宮殿の中を歩き回り、その場所に行き着いた。

 水の竜がいるかもしれない、という気もしていたので。


 予想外に誰もいないそこは相変わらず静かで水の流れる音がはるか下方でする程度の美しい場所だった。

「……そっか。助けに飛び込む必要もなかったのね……」

 リョウの口元に微かな笑みが浮かぶ。

 私だって炎がこの身に危害を加えることの無い身。水の竜だって同じ。

 彼女にとって、あれは単に一人になるために自分の部屋に引きこもるのと同じ行動だったのかもしれない。

 崖の縁まで行って下を覗き込むと、慣れていない者なら軽く目眩を感じるほどの高さに、リョウはよくここから飛び込んだものだと自分のことながら感心してしまう。

 下方から弱い風が吹き上がり、長い服の裾がふわりと膨らむ。

 リョウが着ていた服には見事に穴が開き、オーガが似たような代わりの服を調達するまでは、と持ってきたのが今着ている服だ。

 水の部族らしい淡い色彩の、女性用の服。裾は長くて地面すれすれ。

 着なれないデザインの服に若干の戸惑いを感じながらリョウはその裾を軽く持ち上げてみたりする。

 いつも履いている靴もブーツタイプなのにこの服には合わないとヒールの付いた華奢な靴を履かされており、なんだか少し動きにくい。

「火の竜。……無事回復しましたか」

 唐突に背後からラザネルの声がしてリョウが振り返る。

「あ。すみません。……なんだかご面倒をお掛けしちゃって」


 もう、本当に、色々と。


 休んでいた間、グウィンからラザネルが傷の縫合をしてくれたことや心底心配してくれたことを聞いていたので、リョウは思わず深々と頭を下げた。


「いえ……あなたが気にすることではありません!」

 ……本当にいい人なんだなぁ、ラザネルって。

 

 それはリョウの素直な感想だ。


 だって、いってみれば、単に面倒を持ち込んだだけの存在の私たちなのだ。

 ここで、静かに暮らしている水の部族と水の竜の生活に波風を立てに来ただけのような。

 そりゃ、オーガはああ言ったけど多分時間をかければあの子の心はいつか和らぐ素質を持っていた、と思う。

 別に私じゃなくても。

 例えばラザネルによってそうなる可能性だってあった。


「座りませんか?」

 複雑な思いでラザネルを見つめていたリョウにそんな声が掛けられた。

 促されるまま、そこにあるテーブルの椅子に座るとラザネルはリョウの向かいの椅子に腰を下ろす。

 そして。

「あなたには、お話ししておこうと思うのです」

 普段、表情のほとんど読み取れないラザネルが何かを思い出すような目をしてテーブルの上に組んだ両手に視線を落としたのでリョウは、おや、と思う。

 その目は何かを深く考え込む、憂いのようなそんな色を宿しているように思えた。


「あの短剣は……東方から持ち帰った物なのです」

「東方?」

 唐突な話題に、直感的に自分との接点を感じ取ってリョウが聞き返す。

「覚えがあるでしょう? 東方の村で作られた竜族に致命傷を与える呪いの(やいば)です」

 覚えも何も。

 リョウはつい自分の背中に意識を集中してしまう。

「でもあれは……」

 一振りしかなかったと記憶している。しかも短剣ではなかった。

「火の竜によって火の部族が滅んだときに失われた呪いの(やいば)は、あのあと刃が折れた状態で見付けられ、その短く折れた物を短剣としてここで鍛え直したのです」


 リョウは言葉を失った。

 そんな経緯があったなんて。


「それを持ち帰ったのが水の竜の母親なんですよ」

 続く言葉も、さらに意外なものだった。

「当時、彼女はここを離れて火の部族の村に住んでいました。混血種の人情味溢れる生活に憧れていたんです」

「人情味溢れる……?」

 意外な言葉が続く中でリョウは思わず聞き返した。

 リョウは自分の部族をそんな風に考えたことがなかったからだ。

「ああ、あなたは知らないかもしれませんね。……彼女がそちらに移り住んだのは恐らく、あなたが生まれる数百年前の話ですよ。先代の火の竜が若い頃は部族内の様子も違っていたと思います」

 ラザネルが静かに言葉を付け足す。

 でも、リョウはその言葉に少し引っ掛かるものを感じた。

「ラザネル、あなた、火の部族のことを知っているの?」

 リョウが火の竜の名を受け継いだ頃と、先代の時代の部族内の様子。その違いをこんな遠方の、しかも他部族の者がどうして知っているんだろう?

「そうですね。……どこから話しましょうか……」

 ラザネルは一度言葉を切って、そしてゆっくりと語り出す。



 もう、何百年か前の話。

 ラザネルが、まだもう少し若かった頃。

 北の果てのこの地に住む水の部族の元に不吉な噂が舞い込む。

 東方で、竜族の命を奪える剣が生まれたと。

 特殊な金属を呪いを込めて鍛えて作ったその剣は東方の村の一人の男によって作られ、それによって人間は竜族に敵対行動を起こすことを企み始めたと。


 その話を持ってきたのは東に住んでいた土の竜だったが他の竜族の頭と話し合いを持とうにも火の竜はまだ幼すぎたし、風の竜もまだ子供だったためその話し合いには呼ぶことができなかった。

 そして、水の竜と土の竜は双方ともに人との関わりを極力避けたがる傾向が強く、話し合った結果水の竜が浄化の力ゆえにその剣を北の地へ奪って来ることで合意に達した。


 そこで差し向けられたのがラザネルだった。


 ラザネルは東の村でその剣を探し、行き着いた火の部族の村で水の部族の女性と出逢う。

 その頃までには火の部族の人々は段々閉鎖的な気質になっており、彼女も少し居心地は悪そうだったがそれでも彼女自身その時点で数百年はそこに住んでいたので村人として扱われていた。

 聞けば彼女は火の部族の開放的な気質に惹かれてそこに住み着いたそうで、当初は人間や純血の竜族の者もちらほら村にいたらしかった。


 そして、彼女が心を痛めていたのが「火の竜の育成」だった。

 どこからか持ち込まれた剣によって酷い傷を負わされた小さな火の竜のことを涙ながらに語る彼女の優しさにラザネルは心を動かされたのだった。


 そんな話を聞くに及んで、彼はその剣こそが自分の探している物だと気付き、自分がそこに来た目的を告げると彼女はその剣を持ち出す役を申し出てくれた。


 さらには。

 彼女がそれを持ち出した事に気付いた火の部族の人々は彼女を追って山を下ろうとし、ちょうどその時、本来その剣を所有していた(ふもと)の村の人間たちが火の部族の村に夜襲をかけてきたので、あっという間に村は混乱に陥った。その混乱に乗じてラザネルは彼女と逃げたのだ。

 人と竜族の混乱が業火によって収拾がつくまでの間にも関わる人々の間で争いは酷くなり、その剣は一度彼女の手を離れてしまった。

 ようやく取り戻すことが叶ったときには剣は二つに折れてしまい、それは北の地に持ち帰られた後、鍛え直され短剣として保管されることとなり、今に至る。


 先代の水の竜はその剣に込められた呪いを浄化しようとしたが、その威力は意外に強く年を取って弱くなっていたせいかそれは叶わなかったのだという。


 そして。

 その剣を奪うのに一役買った彼女は、その氏族が部族内では疎まれてはいたものの褒美として水の竜の直系の家族に迎え入れられた。



「ラザネル……その人のこと好きだったの?」

 リョウはラザネルの話を聞きながら相づちがわりにそんなことを聞いてしまう。

 その人のことを話すラザネルの表情があまりに優しく、そして切なく見えたので。

「そう、ですね……」

 照れたようにも、そして寂しそうにも見える笑顔を見せるラザネルの顔はちょっと希少価値があるかもしれない。

「本当は私が結婚を申し込むつもりだったんです。……でもそれは許されなかった。直系の家族の、しかも私は長男でしたから、先代も部族内で疎まれている氏族の娘を私と結婚させる訳にはいかない、と。水の竜の言うことは絶対でしたから……」

「そう……なんだ」

「彼女は私の叔父に当たる人に嫁いだんですよ」

 なんとも複雑な表情で語るラザネル。


 その結婚は望まれたものだったのだろうか。それとも単に氏族に与えられた栄誉としての婚姻だったのだろうか。

 リョウの胸に、そんな口にするのははばかられるような疑問がわいた。


 そんなリョウにラザネルはふっ、と目を細める。

「スオウ、という女性を覚えてはいませんか?」

「スオウ……?」


 とたんに、リョウの脳裏に古い記憶がよみがえった。

 リョウはその名前に聞き覚えがあったのだ。


 ……彼女だ。

 と、断片的な記憶がリョウに告げる。


 小さなリョウが怪我をして弱っていると部屋の壁越しに声をかけてくれた人がいた。

 それはほんの数回だったので記憶にとどめるほどのことでもなかったように思えたが。


 そして、いくつかの記憶のつじつまが合って来る。

 村の娘が旅人と駆け落ちをした、と周りが騒いでいたこと。

 火の竜に関わる何かを持ち去られて、村人が追いかけるために(ふもと)に下る算段をしていたこと。リョウは、それは竜族に関する情報だと思っていたのだが。

 その後、(ふもと)の村の人間たちが夜襲をかけに来た際の混乱。

 それに乗じて自分が放った炎の記憶。

 自分が子供だったせいで多少の記憶違いはあったのかもしれない。

 もしくは混乱した周りの人たちから聞こえる会話からの情報だったわけだからそれ自体が正確なものばかりではなかったのかもしれないが。


 これが真相だったのか。


「彼女は東方でのその呼び名を気に入っていましてね。今でもその名前を使っているんですよ。……水の竜にも最初は東方の花の名前を付けていました」

 ラザネルが懐かしそうに言う。

「え? 水の竜って名前、あったの?」

 リョウの昔を思い出す思考が一時中断した。

「ああ、私たち純血種は頭を継ぐまでは普通に生活していますからね。彼女も頭を継ぐまでだいたい百の年を親元で過ごしていました」

「……そう、なんだ……」


 なんていう名前を持っていたんだろう。

 それはスオウが、あの優しい彼女が娘につけた大事な名前。

 きっとなにか深い思い入れのある名前だったのではないか、という気がしてならない。


 そんなリョウの思いを見透かすようにラザネルが続ける。

「ただ……頭の名を受け継ぐときに以前の名は忘れるのがしきたりです。二度と口にはしなくなります」

「え……」


 ……ああそれは。

 言葉にはせずとも、リョウは心に痛みを感じてしまう。

 そういえば、と、リョウが自分の名前について水の竜に話したとき彼女の表情が一瞬寂しげなものに変わったような気がしたことを思い出す。

 あの表情の変化は、やはり気のせいではなかったのかもしれない。


 それから。

 ふと、もうひとつ気になっていたことを思い出した。

「あの……もしかして、厨房にある食材って……」

 リョウの言葉に、ラザネルが再び目を細める。

「ああ、東方から仕入れています。スオウは嫁いでからずっと家族のために食事を作ることを続けていましてね。彼女は食材を東方から仕入れることを頑として譲らなかったんですよ。それで水の竜がここに来てからはここでも同じ東方の食材で作った料理を出すようになりました」


 ああ、そうか。

 スオウが自分の娘のために作っていたのは紛れもない、リョウの故郷の料理だったのだ。

 そう思うとなんだか不思議な気持ちになる。


「ねぇ、ラザネル。水の竜、どうしているかしら?」

 無性に、彼女に会いたくなった。


 あの、スオウの小さな娘に。


 いつも壁越しに声をかけてくれただけだったから顔は知らなかったけれど……きっと彼女は優しい人だった。

 あの頃の私はまだ幼すぎて、その優しさを認識することすらできず、受け止めることも、感謝することもできずにいたけれど。


 ……そんな、優しいスオウの、可愛い娘。


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