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拒絶

 ああ、私は。

 どんな顔をしてこんな言葉をこの子に告げているのだろう。


 リョウはこの段階で自分がどんな気持ちでいるのかすらはっきり掴めなくなっている。

 この子は、ここにいるべき存在なのだ。

 親から引き離されて、寂しさに耐えながらここに留まって。そしてようやく周りの人たちと打ち解ける取っ掛かりを見付けたばかりではないか。

 これから心安らかに、ここでゆっくり大人になるまで大事にされて楽しい毎日を過ごせる筈なのに。

 よりによって、戦いに同行するよう求めなければならないなんて。

 それは、彼女がようやく手に入れかけた安らぎを、味わいもしないうちに取り上げるような、残酷きわまりない行為。


 がたん!


 派手な音がして、水の竜が座っていた椅子から立ち上がり、その音でリョウが我に返る。

「そんなことのために火の竜が出掛けていくことなんかない! あんなやつらは放っておけ! 人間どもに相手をさせれば良いではないか! そうすればいずれ共に果て、我ら竜族の時代が来るやもしれぬ」

 水の竜はどことなく、子供らしくない表情を浮かべていた。

 その表情には狂気に似た色さえも混じっているようで、リョウは少し怖じ気づきそうにもなるが、それでも次の瞬間には思い直す。


 一度意を決したのだ。


 そう自分に言い聞かせて、立ち上がった水の竜に向き合うように静かにリョウも立ち上がる。

「いいえ。放っては置けない。人間は弱いわ。そしてとても優しいの。だから守ってあげたいのよ。世界を守ろうなんて大それたことを言うつもりはないけど……でも。……それでも、大事な人たちが愛してやまない世界ならその世界を守ってあげたいの。……それにあいつらを野放しにしておいたら人間を滅ぼすだけにとどまらず、いずれは竜族だって危ないわよ? だから今のうちに……」

「火の竜は」

 リョウの言葉が水の竜の震える小さな声によって遮られた。

「火の竜は……私をここから連れ出すために来たのか」

「……え?」


 水の竜の声は震えているが泣いているわけではない。恐れをなしているようにも見えない。なにか違う感情と戦っているかのような声。

「母さまと約束したのだ。家を離れて母さまの元を離れても、決して宮殿を離れないと。自分の役目を果たし、ここで水の部族を守り、逃げたりしないと。母さまも毎日家から宮殿を眺めて私がいることを感じながら過ごすから寂しくないと言ってくれたのだ! ……その私をここから連れ出すというのか」


 ふらり、と水の竜が動く。


 震えているのは声だけでなく小さな肩も小刻みに震えており、目の焦点は合っていないようにも見える。

 そんな状態でふらりと動いたその体は、そのままリョウの方へゆらゆら歩み寄り。


「……え?」

 すとん。

 と、リョウの胸に納まった。


 一瞬、リョウは水の竜が抱きついてきたのかと思った。

 が。次の瞬間。


「水の竜!」

「おいっ!」

 ラザネルとグウィンが同時に叫んだ。

 その声に応えるように水の竜がゆっくりとリョウから身を離す。

 身を離しながら「何か」をリョウの腹から引き抜いた。


「……だって。お前が悪いのだ、火の竜。私をここから連れ出そうとなんかするから。私はここにいなくてはならないのに、母さまとそう約束したのに」

 そう言いながら、今度こそ大粒の涙をその瞳からこぼす水の竜の両手には血がべったり付いた小振りな剣が握られている。


 リョウはさっき、彼女が近づいてくるときに一瞬、不自然に見えた光景を思い出す。


 変な動きをした、と思った。

 何か妙なものが一瞬見えた、と思った。


 彼女のローブの下には銀色の短剣があり、彼女はリョウの方へ歩み寄りながらそれを抜き、真っ直ぐに渾身の力を込めてそれをリョウに突き立てたのだ。


 事態を把握したときには鮮血がリョウの腹から噴き出しており、リョウは傷を押さえたまま地面に膝をついていた。

 ラザネルとグウィンが慌てる。

 慌ててリョウに駆け寄り、信じられない、という視線を水の竜に向ける。


「……だって、そっちが悪いのだ! そんな目で私を見るな!」

 そう叫びながら水の竜が後退りしている。

「リョウ、大丈夫かっ?」

 正面にグウィンが回り、前のめりの姿勢で傷を押さえているリョウの肩に手を置き、様子を確認するように傷を押さえている手をそっとどけさせる。


 とたんに勢いよく流れ出る血液。


「……呪いの(やいば)です……」

 リョウの後ろに回って体を支えようとしながらラザネルが苦しそうに声を絞り出した。

「なん……だって?」

「竜族にも致命傷を与える、呪いの刃、です。……こんなに傷が深いとなると……」

 怒りの入り混じったようなグウィンの問いに、ラザネルが焦ったように答えた。


 二人が慌てふためく中、リョウは自分から流れ出す鮮血を眺めながらラザネルの言葉を聞いていた。


 呪いの刃。

 そんなものがまだこの世にあったのか。

 昔、私の背中に深い傷を作ったあの剣と同じ種類のもの。

 竜族を恐れ、憎んだ人間の手によるもの。


 ……カラン。


 乾いた音がして、リョウがふと目をあげると。

 見ると、真っ青な顔をした水の竜が手にした剣を地面に落として、わなわなと震えながら後退りし続けている。

「……火の竜……死ぬのか?」

 小さな唇が頼りなげにそう動いた。


 その瞬間。


「水の竜! 駄目!」

 リョウは反射的に起き上がり、力を振り絞って駆け出していた。


 ラザネルがはっとして顔をあげ、グウィンは思いもよらぬリョウの動きにそれを止めることも忘れ、ただ目で追っている。

 後ろを見ずに後退りしていた水の竜の足元はあと一歩で崖の縁なのだ。


 そして。


 急に動き出したリョウを見て反射的に大きくもう一歩後退りした水の竜が、三人の目の前から、消えた。


 続いてはるか下方で大きな水音。


 崖の下は滝から流れ落ちた水が川を形成しており、水の竜は声をあげることもなくそこに落ちたのだ。

「リョウ!」

「火の竜!」

 次の瞬間、今度は男二人が叫ぶ。

 なぜなら、リョウがためらうこと無く水の竜を追って崖から飛び降りたので。


 リョウはといえば。

 自分の傷のことなど考えている暇はなかった。足を踏み出す度に赤い染みは広がり、押さえる片手にはとどまることなく生暖かいぬるりとした感触が伝わってくるのだが。

 目の前で落ちていった少女を何とかして助けなければ、という一心で。


 水に落ちた瞬間全身に走る衝撃と、視界が赤く染まって先が見えないことから来るパニック。

 それでも水中に小さな体を探す。

 あの見慣れたローブ。流れるプラチナブロンド。

 どこかにいるばず。

 手で水をかき、息が続く限界まで水中で目を凝らす。

 出血のせいか意識が薄れてくる。


 そんな中で、柔らかい感触が伸ばした手の先に当たった。


 ……いた!

 小さな手がリョウを掴んでおり、何か言いたげな瞳がじっとこちらを見ている。

 そして。


 リョウの意識はそこで途切れる。


 薄れていく意識の中でリョウの耳に何かが聞こえていた。

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