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心の修復

 さて厨房。

 水の竜の弾む足取りに引っ張られてリョウがそのドアまでたどり着く。

「失礼しまーす」

 と、ドアを開けると中には数人、背中まで伸ばしたプラチナブロンドをきっちり後ろでまとめて白い前掛けを身につけた若い男たちがおり、どうやら調理の後片付けをしているようだった。

「場所を空けろ。火の竜がパンケーキを作ってくれるのだ」

 水の竜がそう言い放つと、若者たちは無表情のまますっと退く。

「あの……ごめんなさいね。お仕事中でしたよね」

 リョウが見かねて一番近くにいた一人に声をかける。

「あ……いえ……」

 聞こえるか聞こえないかのささやかな声で返答があり、リョウはつい、さらに何か他にも声をかけなければという気持ちに駆られる。

「あっ……! そうそう! 昨日のお料理も今出していただいたお料理も、全部皆さんが作ってくださったんですよね? すごく美味しかったです! 味だけじゃなくて見た目も綺麗だったし、食べやすいように配慮してあって皆さんの心遣いがうかがえるお料理でした。本当にごちそうさまでした」

 そう言って軽く頭を下げると、水の竜が意外そうな顔をしているのが目に入る。

 なので。

「ほら、あなたもちゃんとお礼を言いなさい。美味しかったでしょう?」

 リョウがそう言って水の竜の背中を押すと彼女は思いの外あっさりと。

「ああ、美味しかった。……ありがとう」

 ぽそっとそう言うとリョウの後ろに隠れる。

 可愛いなぁ。

 なんてリョウが思っている矢先。

「あの! ……パンケーキというものをご存じなんですか?」

 その場にいた若者たちにリョウは取り囲まれてしまう。そしてよく見れば彼らの目はきらきらしており……リョウはほんの少し腰が引けてしまう。

「え……ええ、あの。皆さんはあれだけのご馳走を作れて……パンケーキは作れなかった、の?」

「あ、ええ……ここで作る料理は近隣の都市で評判の高いレシピをラザネル様が仕入れて来られて、その通りに作っているんです。でもどこの都市の一級レシピにもパンケーキというものはなくて……」

 あはは。

 声には出さず、リョウは心の中でこっそり笑ってしまう。

 そりゃそうだわ。パンケーキってそういう類の料理じゃない。家庭で気軽に作られるもの。しかもその家庭によって入れるものや材料の配合が違ったりするからきちんとしたレシピがあるわけでもない。

 そう。家庭によって違う。

 ……あれ?

「水の竜、さっきのあれ、ラザネルにも見せてあげたらよかったんじゃないの?」

 石の記憶。

 リョウはそれを見たので彼女の母親が何をどんな配合で作っていたのかが分かったのだ。あれを見ればかなり理解できると思うんだけど。

「なんだ。知らないのか。あれは頭の名を受け継ぐ者しか見ることは出来ないのだ」

「あ……そうなのね……」

 まぁ、もともとそういう用途で使うものでもないだろうし、そう言われればそうだろう。なんて納得する。

 そしてあの使い方。後でちゃんと聞かなくちゃ。

 そんなことを頭の片隅で考えながら。

「じゃ。パンケーキ、作りますよー」

 皆の好奇心に満ちた視線が注がれる中、リョウは厨房にあるものをざっと見渡して一通り使えそうなものを集めて作業に入る。

 基本的に、小麦粉と卵とミルクがあれば出来てしまうのだ。

 そして厨房を見渡したリョウは水の竜の母親が使っていたものも見つける。赤いベリー。

 先にそれでソースを作る。

 砂糖と一緒に小さな鍋に入れて火にかけ、水分が上がってきたところで火を弱めて煮詰めていく。ついでに粒の大きいものをいくらか潰す。全部潰してしまわないのが水の竜の母親のやり方だった。

 大人向きの味にしたいなら香りの強いお酒を少し入れるといいのだが水の竜の母親は子供のために作っていたせいかシンプルに砂糖とベリーだけだった。

 分量も全て目分量。

 そしてふと、不自然なことに気づく。

「あの……こういう食材ってどこから仕入れているんですか?」

 この北の最果てで植物系の食材がこんなに豊富に揃うなんて。

 ここまで来るに当たって、ここから一番近い町にも食料は保存食のみで生の野菜や果物は無かった。

「ええ、水の竜の食卓のために東方から定期的に仕入れているんですよ。距離はありますがあそこが一番良い品が揃うのだそうです」

 すぐ隣でリョウの手元をまじまじと観察していた若者がそう教えてくれる。

 ……東方。ふうん。だから私にも馴染みのある食材が並んでいるわけか。

 リョウが納得する。

 そんなこんなでソースは出来上がり、あとはパンケーキ。

 卵とミルクを混ぜ合わせて粉をふるい入れ、さっくり混ぜて、あとは焼くだけ。

 火の上に置いた鉄板の熱伝導を考えて火の強さを加減する。手をかざすと大体の温度の加減が分かったりするのだ。

 薄く油を敷いて、馴染んだところで生地を落としていく。馴染んだ加減だって目分量だし生地のやわらかさだって目分量。見て覚えてもらうしかないが……まぁ、こんな厨房を使いこなしている人たちならすぐに把握できることばかりだろう。

 ふつふつと表面に気泡が上がってきたところでひっくり返すと。

「わぁ……」

 隣で背伸びをしながら見ていた水の竜が小さく歓声を上げて、甘い香りを思いっきり吸い込む。

 うう、可愛い……。

 目をきらきらさせている水の竜を見てリョウは幸せな気分になり、つい周りの反応をうかがってしまう。

 おや。

 周りの若者たちときたら、今初めて可愛いものを発見したかのように驚いた顔をしている。

 なんとなくリョウにも分かってしまうのだが、水の竜自身もこういう人たちにどう接していいか分からなくて、ただただ高飛車な態度を取っていたのではないだろうか。そしてここの人たちは、あんな大層なメニューを出そうとするくらいだ。水の竜を腫れ物に触るかのように扱ってお互いに意図せず距離を広げていたのでは。

 だとしたら……これ、案外簡単に皆がもっと居心地よくなるかもしれない。

 そう思うとリョウはかなり気分が軽くなり、そのノリで、ほいっ、とパンケーキをお皿に乗せて出来立てのベリーソースをかける。

「うわぁ……!」

 水の竜が幸せそうに感嘆の声を上げてくれるので、大したものを作っているわけでもないのに、なんだか凄いことをやり遂げたような気がしてくる。

「はいどうぞ」

 そのお皿を水の竜に手渡して、同時進行で作っていた他のパンケーキもお皿に盛り付けていく。そのうちの一つはじっと見守っていた周りの若者たちの前に置く。

「良かったら少しずつ食べてみて。これって人によって作り方は違うから決まったレシピはないのよ。大体こんな風に出来ればいいって思ってね。……で、さて」

 もう一皿、隣によけてあった皿を取り上げて。

「ラザネルにも食べてもらいたいでしょ?」

「ああ、そうだなっ!」

 満面の笑みで頷く水の竜が弾むような足取りで厨房のドアから出ていく。

 見送る若者たちの視線はどう見ても、入ってきたときの視線とは明らかに異なる温かい視線だった。

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