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郷愁(水の竜)

 着いた場所は、ちょっとした広間。

 その真ん中に大きな丸い食卓があり、盛大に食事の用意がされている。

「あ、火の竜!」

 リョウとグウィンが部屋に入ると、座っていた椅子を蹴倒す勢いで水の竜が立ち上がり、とたとたと足音を立ててリョウに駆け寄ってきた。

「こんな時間まで眠っていたなんて火の竜はネボスケだな!」

「あはは。そうね……いつもそうって訳じゃないわよ? ちょっと疲れていたみたいで、つい、ね」

 言っていることとは裏腹に嬉しそうな顔でリョウを見上げる水の竜にそう答えると、リョウは彼女に手を引かれるままに昨日と同じようにやけにぴったりくっついた水の竜の隣の席に座る。

「すみませんね。水の竜がどうしても、と言うものですから同席をお願いしてしまいました」

 リョウと水の竜のちょうど向かい側当たりに座っているラザネルがそんな声を掛けてくる。

「かまわん。俺たち混血は基本的に食事が必要な体だ。それに食事をするなら大勢の方が楽しい」

 グウィンがリョウとラザネルの間辺りに用意されていた残りの席に着きながらそう答える。


 食卓に並ぶメニューは昨日とは違って、色々な種類のパンで作ったサンドイッチやスコーンといった軽食の類。さらにきれいに盛られたオードブルや数種類のサラダ、デザートや果物の盛り合わせ、といったところだ。

 昼食、のイメージなのだろうか。

 もしくは。

 リョウが休んでいるということで、熱々を楽しむようなメニューは最初から作らないようにしてくれていたのかもしれない。


「水の竜、どれを食べる? 取ってあげるけど」

 テーブルに両手をついて先の方を見ている水の竜をたしなめるようにリョウが声を掛けると彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめてサンドイッチの皿を指差した。

 リョウはそれを彼女の目の前の皿に取り分け、ついでに同じものを自分用にも取り、早速口に運ぶ。

 ここでの食事は本当に美味しい。

 いったいどんな料理人が作っているのだろうか。

 西の都市にいたときに大衆食堂で食べていた食事もかなり美味しかったが、あれはいわゆる家庭の味だった。ここの料理はどれも繊細で完璧という表現がぴったりの、格が違う料理。

 たかがサンドイッチなのに、挟んである肉や魚、野菜やクリームなど豊富な具材はそれぞれのパンとの相性を考えてあるようで、その上、食べるときに形が崩れないようにちょうど良い量が計算されているようだった。

 そう思いながらリョウは水の竜に視線を移して、その上品な食べ方にふと気づく。


 そういえば、こんな子供にしては食べ方がとても上品だ。まぁ、勿論、実年齢がリョウとさほど変わらないということだからそれはそうなのかもしれないが。

 でもこれ、料理の方に工夫がしてあるということなのかもしれない。

 大人よりも小さな手、小さな口。それでもこぼさずにきれいに食べることができるように。

 こんな風に気遣いを示す料理人がいるってことは……案外、水の竜って周りから愛されているのではないだろうか。


 じっと見つめるリョウの視線に気付いて顔をあげる水の竜にリョウはつい笑みを漏らした。

「火の竜は料理は出来るのか?」

 リョウの微笑みに応えるように水の竜がそんなことを聞いてくる。

「うーん……そうねぇ。まぁ、ある程度は出来るけど」

「何? 本当か!」

 なぜか水の竜の目がきらきらと輝いた。

 そこではたとリョウは我に返り、内心しまった、と思う。

 ここに出ているような料理を食べ慣れている子にとっての「料理」って……私が作るようなものはそもそも「料理」に入るんだろうか……?

「じゃあ……じゃあ、パンケーキは作れるのか?」

「……え? パンケーキ……?」

 水の竜はキラキラした目のままリョウを見上げており、リョウはその、あまりにも庶民的なメニューに拍子抜けするように思わず聞き返す。

 パンケーキなんていうのは、一般家庭で軽食用に作られるごく簡単な食事だし、酵母を使うパンと違ってすぐに出来るからリョウも東の都市にいた頃は朝食には大体そんな感じのものをいつも作っていた。

 西の都市でもお馴染みの食堂では、朝食メニューや午後の時間帯に友達とお喋りする人たちが頼む軽食メニューにパンケーキはあった。

「……やはりパンケーキは無理か……」

 しばらくの沈黙をどう解釈したのか、水の竜ががっかりしたようにうなだれた。

「え! いや! パンケーキでしょう? ……普通のパンケーキでよければ作れるわよ?」

 がたり、と意外な方から音がした。

「火の竜、それは本当ですか?」

 リョウが顔をあげるとラザネルがテーブルに手をついて立ち上がっていた。サンドイッチを手にしたままのグウィンが何事かと、そんなラザネルを凝視している。

「え?……ええ。私が知っているあのパンケーキで良ければ、なんですけどね」

 どうにも不安要素が残るなぁ……。

 リョウが不安を感じて目を泳がせる。

「火の竜になら見せてやれる!」

 いきなり水の竜が席を立った。

 そして首から下がっている青い石を右手ですくいあげるように取り上げてリョウの方を見上げる。

「私の記憶を見てくれぬか」

「……え? 記憶? どうやって……」

 リョウがきょとん、とすると。

「ええい、じれったい! ほら立て!」

 水の竜の言葉にとにかくリョウが立ち上がると、彼女はいきなり抱きついてきた。

 とたんにリョウの目の前に幾つかの情景が広がり始める。



 柔らかく微笑む女性がいる情景。


 それは初めて見る人であるのに、リョウには水の竜の母親なのだと瞬時に理解できた。


 これは、水の竜の視点の記憶……?

 美しいプラチナブロンドの髪を綺麗に編み込んで結い上げ、小さな家の台所で鼻歌まじりに食事の支度をしているその女性を見ていると、なんだかこちらも楽しくなる。

 周りの空気そのものが温かく、柔らかな色彩を持っているような気さえする。


 彼女の手にはぴかぴかの調理器具があり、慣れた手つきで次々に色々な料理が作られていく。

 ああ、きっと、料理することが大好きで、揃えた道具も大事に使っているんだろうな、と思える。

 白い皿に乗せられて、小さな水の竜の前に出されたパンケーキには赤いベリーのソースが添えられていて、二人は同じものが乗った皿をそれぞれ目の前に置いて微笑む。

 それを頬張る水の竜の幸せそうなことといったらない。


 そして。

 場面は一転して、恐らくそこは宮殿。


 暗く冷たい空気にリョウは思わず身震いする。

 体感温度そのものが変わったわけではない。おそらく、水の竜の感じ方の変化、だ。

 目の前に並ぶご馳走に手をつけることなく、ぷいと横を向いたまま拗ねる水の竜にラザネルが近寄る。

 ああ、ここに来たばかりの頃なのかもしれない。

 リョウはなんとなく察する。

 力ずくで家族から引き離され、連れてこられた場所に今まで周りにあったものに共通するものなどひとつもなく、ただふさぎこんでゆく心。

 困った顔をするラザネルに水の竜は。

「こんなもの食えるか! パンケーキを持ってこい!」

 目に涙を浮かべながらそう言うと、手近にある出来立ての料理が乗った皿を投げつける。


 うわ、これは……。

 その光景を見ていたリョウの胸がずきん、と痛んだ。


 母親が料理を作るのをあれだけ幸せな気持ちで見ていた水の竜にとって、誰かが作った料理に何かしらの思いが込められているのは分かりきったことで。

 その料理を、腹いせに投げつけるなんて行為は、本人にとっても胸の痛む行為であったはず。


 水の竜の主観が入ったその光景には案の定、やり場のない後悔の念が入り混じる。


 そして。

 別の日なのだろう。

 ラザネルに「パンケーキ」なるものを一生懸命説明する水の竜。

 必死にその説明を聞くラザネルの表情には微かに暖かみが感じられるのだが……おそらく水の竜本人はそれに気付いてはいない。

 しばらくして厨房に呼ばれた水の竜が目にしたものは……。



「……あれはパンケーキに対する冒涜だ」

 ふとリョウが我に返ると水の竜がリョウから身を離して眉間に深いしわをよせ、ラザネルをじっと睨んでいる。

「……確かに」

 リョウは思わずそれに便乗した。

 確かに、水の竜自身はそれを作ったことがないようで、正確にその作り方を教えることが出来ていたわけではなさそうだった。


 それにしたって。

 リョウが見たものは、この上なく上品なお皿に盛り付けられた、奇怪な物質だった。

 まず形は……ちゃんと火が通らないうちに動かしたのだろう。平たくも丸くもない。白くてベタッとした部分は……おそらく半生の状態の生地。そして残りの真っ黒な部分は火力が強すぎて炭になってしまった部分。

 そもそもパンケーキが白と黒以外の色になっていないなんて、その時点で失敗作と諦めればいいのに、力ずくで何かぶつぶつとした異物が入っているような赤黒いソースがかけられており……。


「あんな、焼け焦げた死体みたいな物……」

「……うぷ」

 ぼそりと呟いた水の竜の、あまりにも適切な表現にリョウがつい口元を押さえる。

「す、すみません……」

 ラザネルが、反射的に謝罪の言葉を口にした。

 なので。

「水の竜、厨房はどこ?」

 リョウが水の竜の手をとり。

「私が作ってあげるから!」

 続いたリョウの言葉に水の竜が目を輝かせた。


 ラザネルがあっけにとられている間に二人は駆け出し、グウィンがやれやれといった風に肩で息をつき食事を再開する。

「気になるなら行ってこいよラザネル。俺は夕べろくに食えなかったから食事を優先させるがな」

 グウィンの肩のレジーナは食卓の上の皿からグウィンがより分けてくれる肉を楽しそうについばんでいる。

「ああ、いえ。呼ばれていないのに行くと彼女のご機嫌を損ねてしまいますので」

 そう言うとラザネルは思い直したかのように座り直した。

「火の竜には、心を許せるんですね……」

 そしてどこか遠くを見るようにぽつりと呟く。

「あのなぁ……そういう遠慮がいけないんじゃないのか? リョウの態度を見ただろ? 水の竜の顔色をうかがうような態度じゃなくてちゃんと正面から見据えて対等に扱ってる。そのくらい体当たりしてやったら水の竜だって安心するんじゃないのか?」

「そういうもの、ですかね……」

 相変わらず表情は乏しいラザネルだが、ほんのわずかに感情の色が浮かんでいることをグウィンは知っているようだ。

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