旅路(北の果て)
「ついに……来たな」
グウィンが緊張の入り交じった声でそう呟く。
「うん……」
リョウが前方を見据えながら答える。
朝、目が覚めてから暗くなる前に到着できるのではないかという予想から休憩もほとんどとらずに走り続けた結果、薄暗くなりかけた頃に、昨日までは遠目にそびえ立つだけだった雪を被った連なる山の麓に辿り着いたのだ。
ここから先は馬に乗っていくには足元が危ない。
ニゲルとハナは自由にさせることにして、二頭が自分の意思で動けるようにする。つまり、ついてこられると思うならついてくるし、無理だと思うなら乗り手をおとなしく待つだろうという判断。
聖獣というのは本当に賢い生き物でそういう判断がきちんとできる。
山裾は雪を被っており、さらには半分凍りついたような樹木に覆われて見通しは悪い。しかも雪を被ったごつごつした岩が地面を覆っているので足元もかなり危ない。
初めのうちは器用に岩の上を伝いながらついてきたハナとニゲルだったがリョウが自分の足元に注意を集中し出してからふと気付くとその姿は見えなくなっていた。
二頭は違うルートで進むことにしたのか、もしくはついてくることを諦めて二人が帰ってくるのを待つことにしたのか。
どちらにしても必要になればまた戻ってくるという確信はあるのでさほど心配することでもなかった。
これまでは、日中は伝令役で近くにいなかったり、夜間は自分から姿を消していたりしたレジーナが、グウィンとリョウの様子をうかがうように近くの木の枝を伝ってついてきているのが目に留まり、リョウが微笑む。
真っ白なレジーナは雪を被った木々の間にいるとほとんど見分けがつかないのだが、グウィンが伝令役をさせるために呼び寄せたりしているのをたまに見ていたせいかリョウにもその動きが見分けられるようになってきて、視界の隅に引っ掛かると「あ、帰ってきたんだな」と思うようになっていた。
雪は進んでいくうちに次第に深くなり、ついにはリョウは腰のあたりまで埋まってしまう。
普通の森の中ならカムフラージュの役も果たす旅人特有のマントも雪の中ではかえって目立つし歩くにもかなり邪魔だ。とはいえ脱いで持ち歩くわけにもいかない。
先をいくグウィンがある程度雪を掻き分けながら進んでくれているので歩く方向はわかるのだが、視界を遮る木々のせいでどちらに向かっているのか分からなくなる。下手をすると登っているのか下っているのかさえ分からない。
この辺りは山が連なっているせいで、その間を抜けるようにしながらさらに奥に進んでいくというルートをとらざるを得ない。
そんな道なき道をかなり進んだところで。
「……リョウ、大丈夫か? 少し休んでもいいんだが」
そう言ってグウィンが振り返る。
空はすっかり暗くなっており、月が出ている。
真っ暗になるのかと思いきや、雪が月明かりを反射するので仄かに明るい。
「あ、うん。私は大丈夫よ。……この辺の地形には詳しいの?」
無理をしている訳でもなかった。
リョウは水の竜というまだ見ぬ同族に会うという緊張感からか疲れを感じていなかったのだ。そういう感覚が麻痺してしまっているのかも知れなかった。
「ああ、一応は来たことのある場所だからな。……かなりの距離を歩いたことだし、少し休んだ方がいいだろ。確かもう少し行けば洞窟があった筈だからそこへ行こう」
そういえば、元々リョウより体力があるとはいえ先頭で雪を掻き分けながら進んでいたグウィンの方がリョウよりも疲れている筈だった。
……いけない。自分の気持ちで頭が一杯になってしまっているんだ。
リョウは気を取り直してグウィンのあとに付いていく。
「ふう……」
グウィンが体についた雪を手で払い落としながら大きく息をつく。
雪を落としたところで体はすっかり濡れてしまっている。
リョウは早速焚き火を作る。
洞窟の中の何もない地面の上に炎が現れて温かい空気の流れができる。
「リョウ、ちょっとじっとしてろ」
「?」
炎のサイズを調整しているリョウの後ろからグウィンが声をかけ、リョウが、何だろう? と振り返ると。
「え? わあっ!」
炎をあおって風が吹き、その温かい風がリョウの体を包む。
で、しばらくすると風がやみ。
「……凄い! 服が乾いた!」
リョウが目を輝かせて、さっきまで濡れていた服をパタパタとさわって確かめる。
「火と風が合わさるとこんな使い方も出来るわけだ」
グウィンが得意気に笑う。
同じようにして自分も乾かしたあと、グウィンは炎の前に座ったのでリョウもその隣に座る。
「……あ? なんだ?」
グウィンが訝しげにリョウの方に目をやる。
「え? 何?」
意味が分からずに隣のグウィンを見上げるリョウに。
「今までもっと離れて座っていただろ? なんでそんなにくっつくんだ? 寒いのか?」
「……あ」
そう言われれば。
リョウはちょっと赤くなる。
でもだからといって距離をあけるのもなんだか違う気がして。
「えへへ……なんでだろうねぇ。なんか、安心するのよね。グウィンの近くって」
なんて言ってみる。
「……そう、なのか?」
微妙な面持ちでグウィンが答え、その様子が決して嫌そうではないことを確認してからリョウが言葉を続ける。
「ああ、そうだ。グウィンさ、家族がいるって言ったじゃない。私、家族なんていないけど、もし父親がいたらこんな感じなのかなぁ、とか」
その言葉と同時にグウィンが頭を抱える。
「おい……父親とか言うな……」
どうやら少しショックを受けている様子。
「あ……ごめん。お兄ちゃんか……」
いや、だって本当に父親って感じがしたんだもん。
心の中ではこっそりそう思いながらも一応訂正してみる。
父親というものをリョウも良くは知らないのだが。
例えば、ザイラとラウの関係。例えば、レンブラントと司殿の関係。
信頼関係にありつつも対等という訳ではなく、守られているという自覚がありながらも引け目を感じる訳ではない。尊敬の目を向けてはいるが親愛の情も持っている。そんな間柄をリョウは不思議な感覚で眺めていたものだった。
「……お兄ちゃん……」
なんとも複雑な表情で呟きを漏らすグウィンにリョウは。
「そんなわけだからお兄ちゃん、ご飯食べよう!」
なんて笑顔で催促してみる。
「その呼び方はよせ……調子が狂う……」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言いながらグウィンが荷物の中からパンと干した果物をしぶしぶ取り出した。
夜も更けた頃。
二人は洞窟の壁にもたれ、そして互いの体を支えるように寄り掛かり合いながら眠っていたのだが。
ごん。
「う……」
いきなり頭を打ってリョウの目が覚める。
ふと気付くとグウィンがいない。
寄り掛かっていた支えがいなくなったせいで、そのままずるりとリョウの頭は地面まで落下したようだった。
「……あれ? グウィン……?」
起き上がりながら言いかけて、寝ぼけ眼のリョウの目が一気に覚める。
久しぶりに感じる気配。
背中にぞわっと悪寒が走り、逆毛立つような気配。
今まで遭遇しなかったのがおかしいくらいだったのかもしれない。東の森だったらもっと頻繁に現れていたであろうリガトル。
この北の山地にだって出現しないという保証はないのだ。
洞窟の入り口の方で外の様子を窺っているグウィンに、音を立てないように壁づたいに近付きながらリョウも外の気配に注意を向ける。
「やばい……囲まれてる」
グウィンが、ようやく聞き取れる程度の声でささやく。
「うん……」
外を見なくてもリョウにも分かった。
そのくらいの気配が伝わってきたので。
それにしてもリガトルがこういう現れ方をするなんてこれはこれで不自然だ。複数体で現れて、しかも取り囲む、なんて。
傭兵として組織されるようになったものの特徴なのだろうか。
本来は大抵、単体で現れて、計画性もなく人を襲っていたはずだ。
「リョウ、お前は奥に隠れていろ」
「え?」
グウィンの思いもよらない一言にリョウは思わず普通の声量で聞き返してしまい、慌てて口に手を当てる。
「この現れ方、自然にわいてきたやつじゃない。傭兵として組織されてる奴等だ。ということは、近くに主人がいるかもしれないだろ」
……ヴァニタス。
リョウの脳裏にザイラを襲ったリガトルを監視するように立っていたり、騎士隊の乱闘の様子を森の入り口で監視するように立って見ていたりしたヴァニタスの姿が浮かんだ。
「お前が出ていって、ここに火の竜がいると知られたら面倒だ」
なるほど。そういうことなら。
「嫌よ」
リョウはそう言うと腰の剣に手をかける。
「それ、あなただって同じことでしょ? それに、そう言うってことは、グウィン、竜の力抜きで戦うつもりなんでしょ?」
自分が竜族の頭であることを悟られたら、その情報が南方の本陣に持ち帰られる可能性がある。
ヴァニタスもろとも全滅させるにもどれくらいの数がいるか分からないし、ただ監視しているだけならどこに潜んでいるかも分からない。
「だから! 危ないから下がってろって言ってんだろうが!」
潜めた声ではあるが、グウィンの語気が荒くなる。
「あのね。私を誰だと思ってんのよ。これでもそこそこ使い物になる騎士なのよ?」
そう言うとリョウは口元に笑みを作り、グウィンを見上げる。
そしてグウィンは、その目が先程まで無防備にはしゃいでいた者の目ではなく、しっかりとした「戦う者」の目であることに気付く。




