旅路(竜の石)
「……リョウ、大丈夫か?」
誰かの声がする。
炎の記憶、逃げ惑う人々の声と、断末魔の声が絶え間なく聞こえてくる騒ぎの中で、不自然なほど静かな声が耳のそばで聞こえる。
「リョウ、起きろ!」
頬に軽い刺激を感じてリョウは目を開ける。
「……?」
炎の明るさはどこにもない。
暗闇と、そして、温もり。
「大丈夫か?」
再び穏やかな声がする。
「……グウィン……?」
かすれそうな声が咽から出て、リョウは初めて今自分がいる場所を思い出した。
ああ、そうだ。
私はグウィンと一緒に旅に出たんだった。
私はあの後、優しい人にたくさん出逢っている。
ふと目を上げると、ものすごく近くにグウィンの顔がある。
「……え……あ。あれ? なに?」
リョウが、動こうとしても身動きがとれないことに気付く。
横になって寝ていた筈の体は抱き起こされていて、目の前にはグウィンの胸がある。右の肩はその胸にぴったりくっついていて背中から左肩には腕が回されており、その腕とグウィンの立てた左膝で背中が支えられている。
つまり、体を包んでいたマントごと、座ったグウィンの腕の中にすっぽりと抱えられているらしい。
「何じゃないだろ。……あんまり辛そうだから起こしたんだ。大丈夫か?」
グウィンの右手がリョウの左の頬に当てられている。どうやら起こすために軽く頬を叩かれていたようだ。
「うわ……ごめん。……大丈夫……ちょっと変な夢見ちゃっただけだから」
慌てて身を離そうとするが、ぐるっと巻き付いたマントが邪魔でうまく動けない。
「いい。気にするな。まだ夜中だしこのままいていいから」
グウィンはそう言うと頬に当てていた右手を下ろして改めて両腕でリョウを抱え込む。
なんだろう、この安心感。
リョウはマントの中で自分の肩を抱いてみる。さっきまで昔の事を思い出しかけて震えていた体が、今、その記憶が鮮明によみがえった後だというのに全く震えていない。
グウィンの声を聞いて心安らぐのを感じる。
「……ありがと」
ぽそっと、リョウの声がこぼれる。
と、それを聞いたグウィンがゆっくり息をつくのがリョウに伝わってくる。
「今の……夢じゃないぞ」
息をつくと同時にグウィンの静かな声がリョウの耳に届く。
「……え?」
「お前の経験してきたこと……俺にも見えた。……だからあれは夢じゃない」
グウィンの言葉にリョウの体がこわばる。
どういう、こと?
「なぁ、リョウ。今少し動けるか?」
「あ、うん」
そう言われてリョウは完全に体をグウィンに預けている体勢から、ちょっと身を起こしてみる。
「これ、お前の剣だろ? さっきからずいぶんと熱を持っているようだが……」
グウィンに抱きかかえられている体勢上、グウィンの左腕はリョウの肩に回されていて、右手はマントの上からではあるがリョウの腰の左側辺りにあり、その右手がリョウの腰にある剣の辺りで固定されている。
「え……なんで……?」
言われて自分の右手を腰にやる。
グウィンが、動きにくそうなのを見てとったのか巻き付けられたマントを少し緩めてくれて。
「あ……」
リョウが思わず声をあげる。
緩められたマントの中で腰から外した剣を目の前に持ち上げると、そこにはめ込まれた石が光を放っていた。
眩しいような光ではなく、緩やかな、仄かな光。そういえばグウィンに初めて会ったときは光りこそしなかったが熱を発していた。しばらく一緒にいるうちに元に戻っていたが。
そして、それを見たリョウは。
「記憶を封じた、石の力……だわ」
唐突に思い出した。
昔この剣をつくってもらったときに教えられたこと。
この石はただの石ではない。特別な力を持つものであり、これを持つ者は次の代に引き継ぐまでしっかり守らなければならない。
その理由のひとつが。
「……記憶?」
グウィンが聞き返す。
「うん。竜の石は、昔その力を封じ込められたと伝えられているんでしょう? ……正確には記憶、なのよ。歴代の頭たちの周りで起こったことの記憶。その時代に何が起こり、どうやって世界の均衡が保たれたのかを石の記憶として封じることによって記録しているの。……そして自分たちの石の記憶を私たちは引き出すことができるはず。世界の均衡を保つ上でその方法はそうやって必要に応じて後代に伝えられてきた、って……教わった」
「じゃ……今のはその石が記録しているお前にまつわる記憶ってことか?」
「そういうことに……なる、わね」
この石が生きたものであるという認識は間違っていなかった。
ただ、どうやってそれを引き出したのかよく分からないんだけど……。
そう思いながらリョウは剣の柄にはめ込まれた石からグウィンの方に視線を移す。
グウィンは身を起こしたリョウの目の前あたりで、右手の上に胸から下げている白い石を乗せてしげしげと見ている。
「……どうやったんだ?」
なんて呟きながら。
「ごめん。私にもよく分からなかった。……この使い方が分かったらきっと有利よね?」
「ああ……もしかしたら純血種の竜族なら、知っているかもな」
そう言うとグウィンは右手に乗せていた石を離して、その手でリョウの頭をくしゃっと撫でる。
「お前がひどい目に遭ってきたのはよく分かった。……このまま寝てまたうなされるようなら、起こしてやるからとりあえず寝てろ」
グウィンの左手がリョウの肩から少し動いてその頭を自分の胸に押し付ける。
「……うん。ありがとう」
リョウはグウィンに気を遣うことなく言われるがままに眠りにつけそうだった。
どうしてだろう。
薄れる意識の中で、リョウはその理由を考えようとする。
グウィン自身が私に気を遣わない人だからだろうか。
そして、初めて目にした同族でもある。
家族って、こういうものだったりするのかしら。
だんだんまとまらなくなっていく思考の中で、穏やかな安心感に包まれて、ゆっくりとリョウは意識を手放す。
あっという間に寝息をたて始めたリョウを見ながら、グウィンはふぅ、と息をつく。
それにしても壮絶な光景を見てしまった。
自分より百は若そうなこの子は、こんな経験をしながら正気を保ってきたというのか。
こんな仕打ちを受けながら、なお他者と関わりを持とうとしているのか。
しかも幼少期にこんな経験をしていたら正常な精神状態なんて期待できなくて当然だろう。なのに、この子にはそういう異常な気配は感じられない。
……いや。
そういえば、南方の町について知ったときの反応はちょっと異常だった。
あれは昔、自分が大量虐殺を引き起こしたということから来る反応だったのかもしれない。
石の記憶とはいえ、それはリョウの主観がかなり入った記憶でもあった。だからそれぞれの光景を目にするに当たってリョウの心境が伝わってきてもいた。
辛い仕打ちにさらされながら全てを諦めていった感覚。
燃えて滅びていく村を眺めながら、悲しみや怒りを感じるわけでもなく、喜びを感じるわけでも、解放に伴う安心感を得るわけでもない、むしろ自分を嫌悪していく感覚。
こんな経験をして、今にも崩れそうな心を抱えながら、何事もなかったように振る舞う強さ。
ほんの少し思い出すだけで震えが止まらなくなるほど脆いくせに、まっすぐ前を見据えたまま身じろぎすることもなく、自分のやるべきことに立ち向かおうとする、彼女の強さ。
「……まいったな。こんなやつに世界の運命がかかっているなんて……残酷過ぎるだろ……」
聞き取れるか聞き取れないかという程度の声でグウィンが呟く。
そして寝息をたてるリョウの肩を抱く腕に心なしか力が入る。




