旅路(傷)
ハナとニゲルはリョウの気持ちを察してくれる。
それはリョウをなんだかくすぐったい気持ちにさせる。
なにしろ、リョウが一度首を抱き締めた後はハナだけでなくニゲルまでしっかり寄り添って離れようとしないのだ。
そんな二頭の間にいると、これからの戦いで運命を共にするに当たっての覚悟が出来るような気がした。
「そろそろ戻ろうかな……」
リョウがそう呟くと、二頭は少し頭を上げてグウィンをおいてきた河原の方に目をやる。
……やっぱり分かっているのね。
そう思うとついリョウの口元に笑みが浮かんだ。
「また明日ね」
そう告げるて河原の方に歩き出す。
お風呂、ちゃんと温まれたかしら。気なんか遣わずゆっくりしてくれたらいいんだけど。
そんなことを考えながら河原に下り、川から離れたところに作っておいた焚き火に目をやる。
「……気なんか遣わず……もう寝てるわ……」
焚き火のそばにマントにくるまって横になっているグウィンの姿が見える。
……まぁ、ね。温まった体のまま眠れば疲れも取れるだろうしよく眠れるだろう。
近くまでいっても微動だにしないグウィンにちょっと呆れながら、それと同時に微笑ましいな、なんて思いつつリョウは立ち止まることなくそのままそこを通りすぎて川の方に向かう。
「私も入っちゃおっと」
水溜まりまで来て手を入れると少し温度が下がっているのが分かる。
温度調節は簡単。再び火を起こして熱した石をぬるくなったお湯の中に再投入。
ゆらゆら揺れる炎は程よく周りを明るくしてくれて、ちょっと安心できる空間を作ってくれる。
折角なので明かり代わりに火はつけっぱなしにしておこう。
ちらり、と、後方に目をやる。
後方の、離れた位置に焚き火のそばで横になっている人影。
グウィンが相変わらず眠っているらしいことを確認してからリョウは服を脱ぎ、お湯の中に入る。
「……ふぅ……気持ちいいー……」
両手と両足を伸ばして体をほぐし、ふちに積み上げた石に背中をあずける。
そして、そのまま石の上に後頭部をのせて空を仰ぐ。
空一面に広がる星。大きな月。月明かりは意外に強い光で、夜でもある程度の光源になる。
静かに光る月や星を見るのがリョウは好きだった。
自分の力で出現させる炎の光は力強く輝くので我ながら怖くなる時がある。あんな風に静かに光る光源には惹かれる。
お湯の中から右手を出して手のひらを上に向ける。
そこに小さな炎を出す。小指の先ほどの小さい赤い炎だ。炎の周りには結界をさらに張ってみて。
その小さな炎を見つめて色を調整する。赤から黄色、黄色から白、その白がだんだん強さを増し……
「おっと……」
思わず右手をお湯の中に下ろす。
火の温度を上げると光が強くなるのだが……今は夜。
そんなに明るい光源を出しちゃダメ、よね。さすがに。
炎の周りに結界を張らずにこんなことをしたら光の強さ以前にあまりの高温に周囲が大変な事になる。一応そんな気遣いはあったけど、自分の力で作る光は月や星のような静な光には……やはり程遠い気がする。
「ずいぶん器用なことが出来るんだな」
「わあああああ! グウィンっ?」
不意に背後から声がして、飛び上がる勢いのリョウは反射的に立ち上がりかけるが瞬間的に思い直してお湯の中に浸かり直しながら同時に振り向くと。
マントにくるまって寝ていた筈のグウィンが真後ろにいる。
「ななななななんで、そこにいるのよっ!? ……てゆーか何してんの!?」
立ち上がるわけにもいかず、ざばざばと派手な音を立てながらリョウが後ずさる。
「え? ……ああ。湯船の周りに火が見えたから何事かと思って来てみたんだ。……ただ普通に入っているだけだったんだな」
リョウの慌てっぷりにはまるで興味がないかのような口調でグウィンが答える。
「火? ああ、これ?……わああああ!」
そうか、これがあるから明るくて……丸見えなんじゃない! ということに気付いてリョウは慌てて火を消す。
「何をそんなに騒いでんだ?」
すっとぼけたようなグウィンの口調は……明らかにリョウの反応を面白がっているようにしか聞こえない。
「なななななにをって……!」
お湯の中で縮こまりながらリョウが言い返す。
火を消したから、火の明かりに慣れていた目が月明かりに慣れるまで時間がかかるだろうとはいえ……今、どこまで見えていたんだろう? お湯は透き通っていたからその気になれば中は見えちゃったよね? ……いや、立ち上がったりはしなかったし急いでお湯の中を移動したから波が出来て中までは見えなかった、かな……?
そんなことを考えていると。
「ああ、そんなに凹凸のない体なんか見たって欲情しないから気にするな」
くすくすと笑う声と共にグウィンの声が降ってくる。
……凹凸……?
一瞬、何を言われているのか分からずそのままおうむ返しになりそうになり、意味が分かったリョウは。
「し、失礼ね!」
遠ざかっていく足音に向かってそう叫ぶのが精一杯だった。
「まぁ、のぼせる前にあがれよ」
なんて声が少し離れたところから聞こえてくる。
「……なに考えてんのよ……」
気を落ち着けようと再び湯船の中で足を伸ばしたリョウは、その後本当にのぼせそうになり、少し体を冷ましてからグウィンがいる焚き火の方に戻った。
顔を合わせるのはなんだか気まずいと思っていたが、グウィンは先程と同じようにマントをかぶって横になっていたので、相変わらず気を遣うこともなく寝てしまったのかとリョウは少々気が抜けて軽くため息をつくとグウィンと同じようにマントをぐるっと巻いて横になってみる。
「……なぁ、リョウ、訊いていいか?」
思いもよらず聞こえてきた声にリョウの肩がビクリと跳ねた。
グウィンの声は先程のからかうような口調とはかけ離れた、真面目な低くて穏やかな声だ。
「……何?」
グウィンの方に背中を向けたままリョウは答える。
グウィンも身動きする気配はない。
「お前の背中の傷、それ、どうしたんだ?」
「え……? 傷?」
一瞬、リョウの頭の中が真っ白になった。
そうか。さっき背後から近づかれたせいで、そして声をかけられて反射的に立ち上がりかけたせいで……見られたのか。
リョウの背中にはかなり派手な傷がある。
右の肩辺りから斜めに左の脇腹の方までに続く、切られた跡。
「いくら騎士として戦う身だとはいえ、竜族の、しかも頭の力を持つ者の治癒力をもってしても傷跡が残るなんてことはまずないだろ?」
確かに。
少し前にヴァニタスに付けられた傷だって「特殊な傷」だったとはいえ今ではきれいに跡形もなく無くなっているくらいだ。
「……これは、ちゃんと覚醒する前についた傷だから……」
体に巻き付けたマントの端をぎゅっと握りしめながら、リョウが答える。
「覚醒する前って……竜の力がまだ完全じゃない頃ってことか? ……嘘だろ? それじゃまだ小さな子供の頃ってことじゃないか!」
グウィンが身を起こす気配。
「うん……まぁ、そうね。……火の竜の名前を継承するかしないかの頃だったと思うから」
「そんな子供にあそこまで大きな傷をつけるって、一体どんな奴がするんだよ。あれは事故とかそんなレベルの傷じゃないだろ? ……おい、リョウ……大丈夫か?」
リョウの答えに腹を立てたようにグウィンが身を乗り出し、そしてリョウの様子の変化に気付いてその肩に手をかける。
気付けばリョウの体は小刻みに震えている。マントをかぶっているせいでよく分からなかったが、肩に手を置いたグウィンはその体が震えていることを確認して心配そうな口調になる。
「大丈夫だから! 何でもないの。もう昔のことだし!」
震える声でそう言うリョウに、グウィンは思わず手を引っ込めた。
「ああ、悪い。……無理に聞き出す気は無いんだ……ほんとに、悪かった」
リョウはグウィンのその言葉に少し安心した。
あの時のことを詳しく説明しろなんて言われなくてよかった。
思い出すと辛くなるから、長いこと記憶の中から締め出していた日々。
それでも体の震えは止まらず、マントを握りしめた手に力が入る。
と。
ふっ、と、背中が温かくなった。
「……?」
リョウがそっと背後に顔を向けると、少し離れたところにいた筈のグウィンの背中が自分にくっついていた。
「リョウ、火は消していいぞ。このくらい近くにいれば寒くはないだろ?」
グウィンの言葉に焚き火に目をやる。
普段ならこの程度の火ならたいして意識を集中させること無く、維持することができる。眠っていたってつけっぱなしにできる。なのに今、その炎は火力もサイズも不安定で揺れ方からして心許ない。
グウィンはその炎を見て、リョウの心の傷に気付いたようだった。でもリョウがそれに触れてほしくなさそうなのも理解して、その証拠になるような炎を消すことを遠回しに勧めてくれたのだ。
そんなことに気付いたリョウは、背中に感じる温もりにほっとしながら炎に向けていたささやかな気を解いた。




