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別れ

 リョウがため息を一つ、つく。

 これから、どうしようか。

 そんなことを考えながら、なんとなく寝室のドアに目をやる。


「……?」

 ドアの向こうからわずかに明かりが漏れている。

 反射的にそろりとベッドから降りてドアの方に近づいてみる。

 え……?

 確かに人の気配がする。


 なのでそっとドアを開けてみると。

「……ああ、目が覚めましたか」

「……!」

 テーブルの向こう側の椅子にレンブラントが座っており、テーブルに両肘をついて組んだ手に額を乗せてうつむいていたが、ドアが開くと同時に顔を上げた。

 いつも通り優しく微笑むレンブラントは、リョウが寝室のドアを開けるのを確認すると立ち上がり、テーブルを回ってリョウの方に近づいてきた。

「お腹が空いているんじゃないですか? ハヤトが食堂から少し食べ物を買ってきてくれていますよ」

 そう言うと、リョウの前の椅子を引いて座るように促す。

「……ハヤトが?」

 リョウが椅子に座りながらレンブラントの顔を見上げる。

 この人、あれからずっとここにいてくれたんだ……。

 そう思うと、リョウは少し安心して、そして安心している自分に戸惑いを感じた。

「ハヤトもさっきまでいたんですけどね。勤務時間になったので出ていきました」

 レンブラントはそう言うとくるりと向きを変え、部屋についている小さな台所へ向かう。

「スープは温めた方がいいと思いまして……勝手に使わせてもらいました」

 リョウが呆気にとられている間に、レンブラントは湯気の立った小さめの鍋とリョウがいつも使っていたのでそばに置きっぱなしにしていたスープ皿とスプーンを持って来てテーブルに置き、リョウの目の前で皿に注ぐ。買ってきた後さらに煮込んだのか具材がかなり柔らかそうに煮崩れている。

「パンもありますが……食べられそうですか?」

「あ……いえ。そのスープだけいただきます」

 そういえばかなり激しく吐いちゃったんだっけ。胃がおかしい、かも。……治癒力が高いはずの体がこんなに回復力を落とすって……私、どれだけダメージ受けてたんだろ。

 そんなことを考えながら注がれたスープに目をやる。

 このくらい煮崩れたものなら食べられるだろうけど……パンはやめておこうかな。

 そう思ってリョウは、ああ、それでわざわざこんな状態になるまでスープを煮込み直してくれたのかと気付く。

 そして、自分の前だけに置かれた皿にふと。

「あの……レンブラント、食事は?」

「え……ああ。そういえば……まだ、でしたね」

 リョウの言葉に思い出したようにそう答えると、照れたようにレンブラントが笑う。

「え! じゃあ、そのお鍋のスープ、食べてください! パンも。お皿出しますから」

 リョウが新しいスープ皿を出そうと慌てて立ち上がった。

「ああ、あなたはそこに座っていなさい。……実は……少しその辺を見せてもらったので食器の場所くらいは分かります」

 ……ああ、そうか。

 今までずっとここにいたなら……そう、よね。

「ありがとうございます」

 素直に座り直したリョウを見て、動きかけたレンブラントが一瞬立ち止まった。

「あ、えーと……すみません勝手に……」

 勝手に部屋を見て回ったことを謝っているのだろう。

「いえ。……謝るのは私の方ですよ。ご迷惑をお掛けしました」

 リョウはあまりにも決まり悪そうに謝るレンブラントについ笑ってしまう。

 リョウの笑顔を見て、レンブラントはほっとしたようにスープ皿とスプーン、それにパンを持ってきてテーブルに乗せ。スープを注ぐと煮崩れた野菜がとろりと湯気を立て、それはそれで美味しそうに見えたりする。

 それを見るリョウの目がさらに温かい眼差しになる。

 煮崩れちゃったスープを食べるレンブラント……ちょっと可愛いかも。

 なんてこっそり思いながら。

 レンブラントはパンの方をしげしげと見ながら「これ……僕が食べたとハヤトにばれたら何か言われそうですね……」と眉を寄せるので、リョウは「大丈夫! 私が食べたことにします!」と請け合った。


 自分の体を気遣うハヤトとレンブラントの優しさに、リョウはうっかりすると涙が出そうで、少しでもはぐらかしたくて、元気な様子を装ってしまう。



 こんな風に誰かと二人で、自宅で食事をするなんて……一体どれくらいぶりなんだろう、なんてリョウは思う。

 ここに来てからは、大抵は賑やかな大衆食堂で誰かと食事をするか、自宅で食べるとしたら一人で済ませるという感じだった。東の都市にいたときなんか誰かと食事をすることさえなかったし。

 ザイラがたまに買ってきた物を持ち込んできて二人で食べることはあったけど、彼女が来るととても賑やかで……ゆっくり食べるという感じにはならなかった。


 こういう雰囲気は……ずっと昔「あの人」がいた頃くらいだったな。

 初めのうちはなんだか、色んなことを見透かされているようで一緒にいてやりにくいと感じたものだったが、だんだんそれに慣れてきて、むしろそれで安心できるようにさえなり、慣れない料理をして一緒に食べたりしたものだった。

 そういえば、こんな風に食事をしながら彼はよく「リョウは剣の腕が立つんだから、私がいなくなったら近くの都市に行って騎士隊に入りなさい。そうすればちゃんとした生活ができる。リョウがちゃんとした生活ができれば私も安心だ」なんて言っていたものだった。「いなくなる」なんていう悪い冗談を大抵は私が笑い飛ばして聞く耳を持たなかったんだけど……。

 なんて思い出しかけて、小さくため息をつく。


 やめておこう。今、思い出したところで何が変わるという訳じゃない。「あの人」はもういないのだ。


「……大丈夫ですか?」

 レンブラントの言葉にふと、リョウは我に返った。

 気付けば無意識のうちに、自分の皿はすっかり空にしてしまっており、レンブラントも食べ終わっている。

 リョウがこっそりついたはずのため息に気付かれていたようだ。

「ああ、ごめんなさい。なんでもないの。ちょっと……昔を思い出しただけ」

 そう言うと、リョウは空になった皿を持って立ち上がる。「洗っちゃいますね」なんて声をかけて、ついでにレンブラントの空になった皿も一緒に持って。

 レンブラントの前でこれ以上変な顔をして心配をかけたくない、と思った。

 なので、いそいそと片付けながら、何か他の話題がないかと考えてみる。

 で。

「あ、そういえば」

「はい?」

 洗い物を始めながら声をかけ。

「あの……グウィンってどうなりましたか?」

 そこまで言ってからレンブラントの方を振り返る。

「……ああ、彼ね。そういえばハヤトがさっき司殿のところに連れていかれたらしいって言ってましたね。連行した兵士を見かけて情報収集してきたみたいでしたが」

 ちょっと眉を寄せながらレンブラントが答える。

「そう……」


 司殿のところ、か。

 手元の洗い物は数が少ないのであっという間に片付く。スープを煮詰めていたせいで鍋の底が少し焦げ付いているくらいだ。

 それを擦りながらふと考える。

 グウィンは私を探しに来た、と言っていた。そして他の竜族のことも知っているようだった。

 さらに、南方でのヴァニタスの動きについても。


 ということは。彼に会う必要がある。できれば早急に。

 彼の考えを聞かなければ。


 私の勘が正しければ、恐らく、竜族の力をもってすれば災いを止めることができる。いや、止めなくちゃいけない。人間には無理なのだ。

 そして、私の、火の竜の力は、その要になるのではないだろうか。

 火は破壊の力。戦うための一番の戦力。

 水の竜や風の竜、土の竜はそれぞれの属する自然界のものを自由に操ることができて、さらにはそれに付随する他の力も持つときいたことがある。四竜が集まればほぼ無敵、なはずなのだ。

 風の竜が火の竜を探しに来たということは、つまり、戦う気があるということではないだろうか。


 そして、そうであるとしたら。


 リョウはすっかりきれいになった鍋を拭いて片付け、洗った手を拭きながら宙を見据える。

 そうであるとしたら、この戦いが私の命の捨て所になるかもしれない。


 償っても償いきれない罪。

 本当の意味で居場所なんかない存在。

 どんなに居心地の良い場所でも、人ではない以上、そこはかりそめの場所なのだ。

 人には人の場所がある。私は、自分の居場所だった村を自ら焼き払った。人のための場所に私なんかが入り込んではいけないのだ。



「リョウ」

 そこまで考えたときに不意に思考が中断した。

「……え……?」

 名前を呼ばれて顔を上げたとたん、視界が遮られた。


 後ろのテーブルで椅子に座っていると思っていたレンブラントがいつの間にか脇にいて、びっくりしてそちらに体を向けたリョウを抱き締めたので。

「ちょっと……レンブラント……苦しい……!」

 レンブラントの腕の力は思いの外強い。手を拭いていたはずの布巾は手から落ち、その両手でレンブラントの胸の辺りを押し返そうにもびくともしない。

「リョウ……どこにも行かせませんよ」

 ……!

 頭の中で考えていたことを見透かすようなレンブラントの言葉にリョウの息が一瞬止まる。

「今の、あなたの顔……前に単独行動をとらせてほしいと言ったときと同じです。……良からぬことを考えているでしょう」

 リョウには返す言葉がなかった。

 そんなに分かりやすい顔をしていたのか、私……。

 言葉を失ったリョウの反応にレンブラントが抱き締める腕の力を強める。

「あなたは、ここにいていいんだ。いなくなる必要はない、と言ったでしょう……!」

 言い聞かせるようなレンブラントの口調は語尾が少しきつくなっている。

「……レンブラント……でもね……」

 何と言ったら良いのだろう。考えがまとまらないまま言葉を紡ごうとしたものだからリョウはその先の言葉がすんなり出てこず、言葉は中途半端に途切れてしまった。

「でも、じゃありません」

 レンブラントが速攻でリョウの言葉を切り捨ててきて。

 そして、ほんの少し腕の力を緩めて、その右手がリョウの顔を少々乱暴に上を向かせる。

「……!」

 間近に見据えられてリョウが言葉を失った。

 あまりに真剣なレンブラントの瞳に気圧されて。

「僕は、あなたを失いたくないんです」

「……え?」

 ……まずい。

 リョウは、とっさに、その先の言葉を予想し、予想するがゆえに、どうにかはぐらかすことができないものかと考えるが、あまりに真剣な目に見据えられて何も言えなくなってしまった。

 ……しかも、これじゃ、単に先の言葉を促しただけになっちゃったし……!

「気付いているのでしょう……?」

 レンブラントの目にほんの少し優しさが戻ったように見えた。


 優しいブラウンの瞳は、先ほどまでの叱りつけるような咎め立てするようなものではなく、わずかに力の抜けた、それでいて強い意思を秘めた……そんな穏やかさと必死さを兼ね備えた不思議な優しさ。

 あまりにも綺麗で、そんな瞳が自分に向いているということにちょっとした怖ささえ感じてしまいながらリョウは彼に言葉の先を促してしまったという展開に、完全に頭が回らなくなり……表情が強ばり声すら出なくなっていた。


「あなたを、愛している」

 リョウの頭が真っ白に、なった。

 どうしよう……こういう状況にどう対処したら良いか、考えていなかった……!

 顔だけじゃない。自分の体がこわばるのをリョウは感じる。


 今、この状況で、こんなことを言われるなんて。

 いや、違う。

 こんな状況ではなかったとしても……きっと私の反応は同じかもしれない。

 そんな考えが意味もなく頭の中を回っている間に、目の前のブラウンの瞳は微かに色を変えた。それは……悲しみなのか、諦めなのか。

「……僕のことが好きになれませんか?」

 そうじゃない……!

 リョウは心なしか震えながら、思わず首を横に振る。

「じゃあ、他に誰か好きな人でも……ハヤト、とか……」

 ちょっと弱い口調でレンブラントがそんな言葉を口にする。

「……なっ……なんでハヤトが出てくるんですか!」

 しまった。こんなに力一杯、否定的な返事をしたらますます逃げ場がなくなるのに!

 頭では分かっているのに、あまりに素直に反応してしまう自分が憎い。

「じゃあ……僕のものになってくれますか?」

 もう駄目かもしれない。

 なんて答えたら良いのかわからない。

 そう思うと自然と目が潤んでしまう。

 そんなリョウの目を見据えたレンブラントがおもむろに顔を近づけてくる。

「……!」

 リョウは重なる唇に抵抗できなかった。



 あたたかい、と思った。


 レンブラントの唇は、前に触れたときは生気を失った冷たい唇だった。

 でもこの度は、あたたかくて強い意思のこもった唇だ。

 押し返そうと力を入れていたリョウの両手はいつの間にか、ただしがみつくようにその胸元を掴んでいた。

 レンブラントはリョウの体を左腕でしっかり抱き締めたまま唇を離そうとしてくれない。

 しかもリョウの顔を上に向けさせた右手はいつの間にか頭の後ろを支えているので、リョウの力では離れられない。

「……んっ……」

 ついリョウの声が漏れる。

 声に反応するかのように腰に回されたレンブラントの腕にさらに力が入り。

「……息、出来ない……っ!」

 リョウが思いっきり両手に力を込めてレンブラントの胸を押し、ほんの少し腕の力が弱まった隙にぐいと下を向く。

 腕の中から逃げるのはもう諦めた。そのしっかりとした腕の中はあたたかくて、すっかり体を預けてしまいたくなるほどに心地よかった。唇に残る感触があまりに切なくてやり場のない思いごと全部、レンブラントの胸に埋めてしまいたくなる。

「……どこにも行かないと、約束してくれますか?」

 肩で息をするリョウの頭の上から、強い口調のレンブラントの声。

「……レンブラント……」

 いつの間にかリョウの目から涙がこぼれている。

 リョウは自分の声が微かに震えていることに気付き、ここに至って初めて自分が泣いていることを自覚する。

 レンブラントは何も答えない。肯定の返事以外は受け付けないつもりなのだろう。

「ねぇ、レンブラント。あなたは私のこと、知らないでしょう?……私がどんな存在であるか知らないんだよ。……あなたは私のそばにずっと一緒になんていられない……」

 こんな話、したくない。

 そう思うと次の言葉が出てこなくなってしまう。

「何を馬鹿なことを! ……ずっと一緒にいますよ。離れたりなんかしない。あなたがどんな姿であろうが僕には関係ない……! 僕が……僕があなたにそばにいてほしいんです!」


 ああそうか。

 リョウは、心の中でずっと邪魔になっていた壁のようなものが壊れていくような、力が抜けていくような感覚を覚える。

 この人は、少なくとも私のことを恐れたりはしないんだ。

 あの化け物じみた姿を見ても、恐れずに私を受け止めてくれたんだから。

 それは私が一番欲しがっていたものではなかっただろうか。

 そんな考えさえ頭の中に持ち上がる。

 こんなに優しい人が私を望んでくれている。

 それは、求めてやまなかったことではなかっただろうか。

 そう思うと、戸惑いの気持ちが少し和らぐ気がする。


 そして。

「レンブラント……」

 顔を上に向けて、優しいブラウンの瞳を覗き込む。大好きな、きれいな色。

 そして、両腕をそっとその首に回して顔を埋める。

「……リョウ?」

 不安げなレンブラントの声が耳のすぐそばで聞こえる。

「大好きよ。……優しい人。あなたの言葉、すごく嬉しかったの。いつも私が一番ほしい言葉をくれる人だわ」

 そうささやいて。

「でも……ごめんなさい。私……どうしても、行かなきゃ」

 これだけは譲れない。

「……! 駄目だ、リョウ!」

 こちらから抱きついたせいでレンブラントの腕の力が弱まった隙をついて、リョウがするりとその腕を抜ける。

 ついでにレンブラントの、周りに結界を張って動きを封じる。

「……あ、おい、こら!」

 慌てふためくレンブラントを視界の隅に追いやりながら。

「ごめんなさい。後でちゃんと解いてあげるから、今は邪魔しないでね」

 リョウはそう言うと寝室に戻り、身支度を始めた。

 動きやすい服装に、剣を身に付け、マントを羽織る。ちょうどこの都市に来たときと同じ格好だ。

 その間中、隣の部屋からレンブラントの声がするが手を止めてしまわないように、耳を貸さないように、歯をくいしばる。

 その格好で部屋を出ると、結界に閉じ込めたレンブラントと目が合った。

「リョウ、行くな……!」

 声を上げるレンブラントの目をリョウは忘れることはできないだろう。

 ああ、お願いだからそんな顔して私を見ないで。そう思いながら。

「隊長。お世話に、なりました」

 きちんと一礼する。

 そのあとはもう振り返らない。

 ドアまで足を止めることはなく、ドアから出たらそのまま走り出す。


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