レンブラントの想い
レンブラントはベッドの縁に腰かけてなんとも微妙な面持ちで、リョウを見下ろしていた。
あのあと、どうにか嘔吐が止まったリョウは、それでも生気が抜けたようで目付きすらあやしかった。
その後、レンブラントとハヤトは心配してどこかで休ませようとしたが、ただひたすら「大丈夫」を繰り返すだけで足取りさえおぼつかないリョウを、レンブラントが支え、心配で離れられないハヤトと共に部屋まで送った。ところがドアを開けるや否や彼女は力尽き、とにかくベッドに運ぶこととなり。
男二人で女性の介抱というのも気が引けて、最低限、靴を脱がせて剣を身から外させ、上着を脱がせた程度でベッドに寝かせたがリョウはそれでもわずかに意識があるようで涙を流し続けていたのだ。
歯を食いしばるようにしながら泣き声を殺し続けている姿に、レンブラントはやるせない気持ちで一杯になり、ハヤトは見るに耐えないといった風で一度外に出ていった。
リョウのベッドに腰かけて彼女を見下ろしながらレンブラントは、毛布にくるまって小さく震えているその体を抱き締めてやりたいという衝動に駆られるも、それは自分に許されている行為ではないという気がして、伸ばした手で彼女の頭を優しく撫でるだけにとどまらせるのが精一杯だった。
こんなにももろいなんて正直驚きだった。
レンブラントはリョウを見下ろしながら深くため息をつく。もちろん、ある程度は予想していた。
リョウは誰かが傷付くことを本能的に恐れているように思えた。
だから心を許した相手の窮地には我を忘れるほどの反応を示す。それが前回はそれだけではなく見知らぬ町全体を救うという行為にまで及んだのだ。もちろん、上官の信頼に応えようという気持ちの表れでもあったのだろう。
ところが、それが実は、その行為こそが破壊を招く行為だったと知ったなら、相当なショックを受けるだろうということは予想していたのだ。
会議の中で、そんなことに思い当たり、この都市ではわざわざあの都市が滅んだことは騎士たちに知らせる必要は無いであろうという表向きの理由をつけて、伏せておくことにしたのだ。いずれ、流れ込む情報だとしても折を見てリョウには個人的に話せばいいのではないかと内々で話していた。
初めは単に、放っておけないという思いだったのかもしれない。
あまりに刹那的に見える生き方。
自分の命に頓着しない行為。
人と関わることを避けているくせに、いざ誰かが傷付くようなことがあれば、なりふり構わず飛び込んでいく無鉄砲さ。
危なっかしいと思って目が離せなくなった。
でも彼女の生い立ちを聞くに及んで、見方が変わった。
周りから孤立して、自分の存在を誰より自分が恐れ、誰からも愛されること無く生きてきた。
世話してくれた人というのも、あの感じでは早くに死に別れてしまっている。
そんな状況であの強さ。
誰もいない場所で一人でいるのと、周りに人が沢山いる中で孤立させられて一人でいるのとでは全く違う。そんなことは自分がよく知っている、と、レンブラントは思った。
ほんの少し、自分と重なるような気がしたのだ。
そうはいってもレンブラント自身は親から普通に愛されて子供時代を過ごした。ただ、比較的早くにその親を亡くし、親族の中で世話を受けられず、その頃部族内で必要とされた「供物」に選ばれた。
まだ子供だったので事態が把握できず、気付いたときには親がいた頃は優しかった周りの大人が急に豹変し、縛り上げられたあげく外に放り出されたことしか覚えていない。次に気付いたときには、この都市にいて騎士隊隊長の自宅に保護されていた。
そして、ここでの生活が始まり、生い立ちゆえに周りからの偏見の目にさらされたのだ。
そんな中で味わう孤独は、例えようもなく辛いものだった。
それでもレンブラントには生きていく強さがあった。
拾ってくれたその人を父のように慕い、その思いには、まるで愛する息子に対するような思いで応えてもらえたので。その信頼と愛情に応えたいという思いが、レンブラントを強くしたのだ。
でも。とレンブラントは考える。
目の前で声を殺して泣くこの子は。
そういうものが無い中でこれだけ強く生きている。
人間を憎むこともできただろう。人の社会と一線を画して人と関わることをやめ、敵対するだけの理由も力もあるのだ。
なのにその中で、人のために自分の力を使おうとする。
そういう生き方ができる時点で尊敬に値すると思った。
そんな風に生きている彼女は、恐らく変に頭がよくて、自分の感情にそれなりの理由をつけて整理してきたのかもしれない。
自分だったら、こんな風に真っ直ぐには生きてこられなかったのではないかとさえ思う。
そして、リョウの頭を撫でながら、そのもろさの伴う強さに気付いてしまってから自分の気持ちが抑えられなくなってきたことを自覚する。
この、手放しで自分を誰かにゆだねることは出来ないくせに、一度優しさを受けたなら自分の命をあっさり懸けてしまうくらいに相手に恩を返そうとしてしまう、そこまで本気でお人好しで、不器用な女の子をもう放ってはおけないのだ。
何にも執着しない彼女は、おそらく、手を離したらどこかへ行ってしまうのだろう。
人に愛されることを知らないままで、それでも愛そうとしては傷付くことを繰り返し生きていくのかもしれない。そう思うといたたまれなかった。
彼女の不器用で、体当たり的で自己犠牲的な優しさを自分のものにしたいという衝動に駆られる。
それが許されるのなら。
彼女を傷付けたくないという思いと、この衝動が両立するものであるのなら。
そんなことを考えているうちに、リョウが静かに寝息をたて始めていることに気付き、レンブラントはほんの少しほっとして立ち上がった。
さっき、一旦出ていったハヤトがリョウのために食べ物を買ってきたと、開けたままにしてあったドアの向こうから顔を出して目で合図してきた。
あれを温め直しておこうか。
……ハヤト、か。
ふと、レンブラントの胸にもやもやしたものが持ち上がる。
ハヤトはレンブラントにとっても、いい友達なのだ。
そんな認識と相容れないもやもやとした感情。
そもそもが、先日の会議の後だ。
山間の町の事が取り上げられた会議。そのあとで。
ハヤトとリョウが剣を交えていた件では……我ながら少し焦った。
事務棟の窓から見たとき、初めは単に、ハヤトが気晴らしをしているのだろうと思ったのだ。彼は子供の頃から剣術漬けで育ったせいか、むしゃくしゃするときや行き詰まったときは、手当たり次第に相手を見つけて剣の相手をさせるやつだった。リョウの腕なら十分相手が務まると、たまたま出くわしたリョウに相手をさせているのかと思った。
よりによって、ある意味「関係者」であり「当事者」でもあるリョウがハヤトの相手をしているというのは気になったのだが、いくらなんでもハヤトがリョウに会議の内容を話すとも思えなくて、ただなんとなく見守っていた。
それが剣を叩き落としても執拗に迫る様子に、ただ事ではないと感じて慌てて外に出たら、あろうことか口説こうとしていたなんて。
つい我を忘れて剣を抜いてしまったが……リョウにその気はなさそうだったからひとまずは安心したものの、ハヤトの行為そのものにショックを受けていたリョウが可哀想で……ハヤトをつい、怒りに任せて殴ってしまった。
ハヤトがリョウに対して本気なのだとしたら。
あのときはあれだけで済んだとしても、今後リョウがハヤトをどう思うようになるか……。
それを考えると正直辛くなる。
何しろ、ハヤトは本当にいいやつなのだ。そして、いつでも真っ直ぐで、思ったことをすぐに実行できる強さを持っている。
そんなことを考えながら、ため息をつく。
リョウが大ケガをした上、力を使い果たして意識が戻らなかった間だって、実のところ気が気ではなかったのだ。
いろんな意味で。
もちろん一番心配だったのは彼女の体ではあるが、少しでも目を離したらハヤトが彼女の近くに寄ってくるのではないかと思って片時も離れられなかった。リョウの意識が戻った最初にハヤトと会話するかもしれないなんて……考えただけでもゾッとした。
だから、リョウの意識が戻ったとき、その場にいられたことが嬉しかった。
それに……勤務の帰り道で毎日のように言葉を交わしていた間の様子はどう見ても嫌がっているようには見えず、むしろ疲れているのに楽しそうですらあった。さらには、彼女がその特別な力を使い果たしてしまうほどの犠牲を自分のために払ってくれたことを考えると。
それを考えると、少なからず気持ちを寄せてくれているはず、と思ってうっかり意識を取り戻した彼女に迫るようなこともしかけたが。
もしかしたら。
あれは、彼女の反応を自分に都合のいいように受け取っていただけなのかもしれない。彼女はもしかしたら、たとえあれがハヤトでも同じようにしていたのかもしれない。
そこまで考えてレンブラントは深くため息をつく。
……彼女は自分以外の、他の男のためにでも同じようにしたのだろうか。
そんなことを想像するだけで胸の奥がズキリと痛むのだ。
……いつの間にか、どうしようもないくらいに本気になってしまっている、ということか。
それでもやはり、諦める気にはならないのだ。
彼女の一番の理解者でありたいと思うし、彼女が困っていたら真っ先に助けてあげたい。もっと言えばそんなときに真っ先に頼ってもらえる存在でいたい。他の男が入り込む余地なんかないほどに。
レンブラントは、自分に向けた苦笑を浮かべると寝ているリョウに背中を向け、部屋のドアに向かう。
まだ隣の部屋にハヤトの気配があるし、心配していそうだから彼女がちゃんと眠ったことを伝えなくては。