狙われた末裔
「都市の、東側ですね」
レンブラントの言葉に。
「ねえ! ヴァニタスの軍の中に将軍っていたっ?」
リョウが掴みかからんばかりの勢いでレンブラントに尋ねる。
「……いえ……そういえば……それらしき存在は確認できなかった気がします」
ざあっ、と音をたててリョウの体から血の気が引いたような気がした。
東側。東の森。
隊を離れてそこに潜み、ほとぼりが覚めてから都市に侵入して、ザイラを狙う。
そんな手段、どうしてすぐに思い付かなかったんだろう!
勢いよく立ち上がろうとして、リョウがよろけた。
「リョウ! まだ動いちゃ駄目だ!」
レンブラントに止められるが。
「だって! ザイラが! ザイラが危ない! あいつの目的はザイラなのよ! 軍なんか全滅したって、きっと彼女さえ手に入れればそれでいいのかもしれない!」
必死に訴えるリョウはレンブラントの腕を掴んで離さない。
「……ザイラがどこにいるか分かりますか?」
レンブラントがリョウの目を真っ直ぐに見る。
「……え?」
「え、じゃありません! あなたはどう頑張ったってここからすぐには動けないでしょう! 他の誰かが先にいくにもザイラを知っているのはあなた以外では僕だけです。僕が先に行って彼女を保護します! あなたはセイリュウと一緒にいてあとから来なさい」
レンブラントはそう言うとセイリュウの腕を掴んで強引にそばに引き寄せ。
「リョウを頼みます。絶対に無理をさせないでくださいね! 彼女に何かあったら……例え竜族であろうとも……殺しますよ?」
あまりのレンブラントのすごみ方にセイリュウが気迫負けしてただ頷くしかない姿は……ちょっと見ものだ。
レンブラントはそのまま有無を言わさずセイリュウと場所を入れ替わりリョウを支えさせた。
「で? リョウ、ザイラはどこにいるか知ってますか?」
「第三駐屯所」
リョウも気圧されてつい即答する。
「レンブラント」
スイレンの声がした。
暫くの間黙り込むようにしていた彼女の声は会話に割り込んでくるのような、それでいてかき消えそうな声だった。
「これを持っていけ」
スイレンはいつになく真剣な、重々しい眼差しで懐から短剣を出して、それを両手で差し出す。
「スイレン……?」
レンブラントが首をかしげながら、それを受けとると。
「聞いているだろう? 人の手による『呪いの刃』だ。恐れや憎しみの気持ちを持つ者が使えば威力を発揮する。……リョウに聞いたのだが、そのザイラという人は一度リガトルに襲われているのだろう? ヴァニタスに対してそういう感情を持っているのではないか? だとしたら私たちが持つよりよっぽど力が強く発揮される筈だ」
そういえばスイレンには西の都市で出逢った人たちの話をしたことがあったな、とリョウが思い出す。
「なに、最終的な護身用だ。使わなくて済めばそれで良い。私はリョウと後から行く」
スイレンがそう付け足すとレンブラントはようやく微笑んでそれを受けとった。
「じゃ、急ぐぞ!」
グウィンがニゲルに飛び乗りながらそう声をかけるとレンブラントを待つ様子もなく走り出す。ついてくるタイミングはもう分かっているのだろう。
それに応えるようにレンブラントもコハクにまたがりグウィンを追いかける。
リョウはそんな二人を見送りながら「なんだ、いつのまにか仲良くなってるじゃない」と呟いた。
レンブラントとグウィンは都市に入るとすぐに異変に気付いた。
まず、城壁の門には門番がいない。
そして、城壁付近にも兵士がいない。
西の都市でこんなことはあり得ない事態だ。
都市の中でよほどのことがあり、全員がそちらに向かわざるを得なくなっているのだろう。
そして、それを裏付けるような騒然とした様子。
既に女子供は建物の中に固く引きこもっているのか、もしくは都市で組織している緊急時の避難態勢に入っているのか、外にいるのは兵士や騎士だけだ。動ける者はあちこちに向かって駆けずり回っている。
そして、それ以外の者は……。
「酷いな……こんなにあっという間に……」
グウィンが顔を背ける。
まだ、リョウが結界を解いてそんなに経っていないというのに。都市の中のあちこちに人間の無惨な死体が転がっているのだ。
体の一部が欠損した者や、宙を見つめたままこと切れている者。そして、ちょっと前までは誰かのものだった筈の、体の一部。
「第三駐屯所に向かいますよ!」
レンブラントは既に顔面蒼白だ。
都市がこんなに荒れているということは、ザイラの居場所を探すために動き回ったということ。もし、見つかっていたらあそこは既に血の海かもしれない。
駐屯所に向かう方向に馬を走らせる。
今までのように広々としたところを走るわけではないし、あちこちに物が散乱していたり死体があったりしてそれを避けながらの移動なのでニゲルもコハクも聖獣の姿ではなくもとの馬の姿だ。
「グウィン……」
コハクが警戒するように立ち止まり、レンブラントがグウィンを振り返った。
「ああ」
分かってる。そう言わんばかりにグウィンが剣を抜き、レンブラントが弓を握る。気付けば矢筒の矢は最後の一本になっている。
道に兵士の死体が急に増えたと思ったら前方が騒々しい。既に警笛を鳴らす余裕もないのだろう。
数体のリガトルが暴れているのだ。
「あいつ、リガトルを連れて来やがったのか」
グウィンが、忌々しげに呟く。
「ここを通るにはあれをまず、片付けないと」
そう言ってレンブラントは矢をつがえた。
「よくあんな動き回る的を射抜けるな……」
グウィンは軽く首を振りながらニゲルを走らせる。
矢をつがえているレンブラントの前を堂々と馬で行くあたり、グウィンは彼の腕を信頼してもいるのだろう。
兵士たちが剣を振りながら苦戦しているリガトルが、まず、頭に矢を受けてくずおれた。それが消えていくのと同時にグウィンが近くにいる別のリガトルをばっさり切り捨てる。
苦戦していた兵士は解放された事を理解してほっとした顔でレンブラントの方を振り向き……そこで青ざめた。
「え……?」
「レンブラント! 後ろ!」
建物の屋根の上から、リガトルが一体飛び降りてきたのだ。まさか上から来るとは思いもしなかったのでレンブラントが避け損ねる。
すると。
鈍い音がして、地面に着地すると同時にレンブラントに向かって腕を振り下ろす筈だったリガトルが、黒い霧になって消えた。
「……あら! 誰かと思ったらうだつの上がらない三級騎士じゃない! 生きてたのね!」
かき消えた霧の向こうで馬に乗って剣を握った女がにやりと笑っている。
「……ルーベラ?」
レンブラントが声をあげた。
意外な再会だがそんなことを喜びあっている場合でもない。
気付けば建物の屋根の上からこちらを狙っているリガトルが、まだいるのだ。
レンブラントが矢をつがえようとして、さっきのが最後の一本だったと気付き弓を放り投げて腰の剣を抜く。
「レンブラント! ここはあたしに任せていいわよ! この先にヴァニタスがいるはずなの。あれは誰にも仕留められなかったから!そっちをお願い!」
ルーベラが叫ぶ。
「おい、女一人であれは無理だろう!」
兵士がてこずっていた他のリガトルも片付けたグウィンがレンブラントの方に駆け寄ってくる。
屋根の上にいるリガトルは一体や二体ではなさそうなのだ。
「大丈夫よ! あたし、運は良いから! 何せ今じゃこの都市の二級騎士よ」
レンブラントが絶句する。
……ルーベラ、そんなに良い腕をしていたのか!
「じゃ、その運の良い子にあやかって加勢すれば俺も運良くこの戦いを生き残るかもね」
そんな声がして。
「げ、隊長っ?」
「ハヤト!」
ルーベラとレンブラントが同時に声をあげる。
……って、「隊長」?
一瞬固まるレンブラントに。
「……うちの隊員の面倒は俺が見るから、レンは早く行って!」
ハヤトに急かされてレンブラントは方向を変えて走り出す。
そうだ、早くザイラを保護しないと!
グウィンもちらりとルーベラとハヤトの様子に目をやるが飛び降りてきたリガトルを手際よく片付けている様子に安心したのかレンブラントを追いかけるようにニゲルを走らせた。
駐屯所は異様な様子だった。
レンブラントとグウィンはテントとテントの間の細い通路を、様子を窺いながらゆっくり進む。
立ち並ぶテントは身動きのとれない患者で一杯だったと思われるが、どのテントのベッドももぬけの殻だ。
かといってヴァニタスやリガトルが入り込んで暴れたというような痕跡はない。
レンブラントが馬を降りて医務室のあった部屋に行くとアルフォンスが声を限りに指示を出し続けたせいなのかすっかりかれた声で衛生兵に声をかけていた。
「アル! ここの患者はどうしたんですか?」
レンブラントが声をかける。
「ああ、レン。君も帰還していたんですね。……ということはそちらが……」
アルフォンスがすぐ後ろに付いてきたグウィンに目を向ける。
「ああ、初めまして。……風の竜だ」
こんな挨拶してる場合か? という目でグウィンがアルフォンスと目を合わせる。
「どうも。アルフォンス、といいます。アル、で結構。……で、外の患者ですね?」
アルフォンスはレンブラントに視線を戻して。
「ご安心を。建物の中に収容しています。ヴァニタスが都市に入り込んだという一報を受けたのでね。まぁ、ベッドもない部屋にすし詰め状態ですから、いつまでもそうしているわけにはいきませんが……外のテントは気休め程度とはいえバリケードになるでしょう?」
「……なるほど」
レンブラントは少し安心したように表情を和らげて。
「では、ザイラはどこにいますか?」
「レン、あたしならここよ!」
レンブラントの言葉にわりと近くで声が上がった。
レンブラントが振り向くと近くのベッドの片付けをしていたザイラが身を起こしてこちらを向いていた。
「ああ、無事でしたか! 良かった」
とたんにザイラが笑い出す。
この場に不釣り合いな陽気な笑いだ。
レンブラントとグウィンがぎょっとしたようにザイラを凝視する。
「ああ……ごめんごめん! ……だってリョウといいレンといい……入ってきてからあたしへの第一声までほとんど変わらないんだもの! ……で、きっと次も同じだわね? 『あなたはヴァニタスに狙われてる』って!」
朗らかに笑うザイラは言っていることを本当に理解しているんだろうかという口調のままだ。
「彼女は自分一人で助かる気はないんだそうですよ」
レンブラントの後ろでアルフォンスが説明を付け足す。
「リョウが来たときにそう言って守護者からの直々の保護を断ったんです」
なるほど。
レンブラントは何となく納得する。
ザイラとも付き合いは長い。彼女の性格は良くわかっている。
そういう彼女を止めることはできないだろうということもまた。
なので。
「これを、預かってきました」
レンブラントは腰に挟み込んでいた短剣を差し出した。
「何?」
ザイラは首をかしげながらそれを受けとる。
「護身用に使ってください。ヴァニタスが襲ってきたら僕たちがとにかく守りますが、どうしてもの時はあなたの手でヴァニタスに対応できるものが必要でしょう。なにもわざわざ命を差し出す必要なんかない」
「……ありがとう」
ザイラが剣とレンブラントを交互に見比べながら礼を言うと。
「それに、間もなくリョウもここに来ますよ」
レンブラントが今度はにっこり笑う。
「ほんと? 良かった! リョウ、無事なのね!」
ザイラの顔が一気にパッと明るくなった。
「では、ここのベッドもあと少し移動させましょうか。ヴァニタス相手にどこまで効くか分かりませんが多少入ってきにくくなれば時間稼ぎくらいにはなるでしょう」
アルフォンスの声がかかった。
先程から衛生兵がこの部屋にいた患者を丁寧に別の部屋に運び出していて、レンブラントたちが話している間にもう殆どのベッドが空になっていたのだ。
アルフォンスの指示で空いたベッドは庭に面した壁際にすべてが寄せられ、そちらから入り込もうとする者に対してのバリケードになりつつあった。
何をやろうとしているのかが分かったグウィンとレンブラントは指示通りに黙々と作業を手伝い始める。
確かにこれは気休めにしかならないだろう、とは思ったのだが。
動いていれば、ザイラを始め、まだ見ぬ敵に本当は怯えているここの者全てにとって気持ちを落ち着けるいい方法だとも思われたので。
そんな矢先、駐屯所の入り口辺りで大きな音がした。