最終戦
リョウが前方を見据えて体勢を整えてすぐ、遥か前方に土煙が見え始める。
……来た!
リョウは剣を抜き、握った手に一度、力を込める。
……やはり。
思っていたより、背後にそびえ立つ結界には力を費やしてしまっているらしい。剣がまとう光が心持ち、弱い気がする。
でも、それが分かっているなら普段より余計に力を込めれば良いだけのこと。リョウはそう自分に言い聞かせて改めて剣を握り込む。
……でも、この状態で力を加減するのは難しいかもしれない。必要以上に炎を燃え立たせれば川を隔てた人間の軍隊も焼き殺しかねない。
ならば……距離をおいて、ずっと先で戦えば良い、か。下手に手加減して取りこぼすよりは距離をおいたところで全力を出して確実に仕留めた方が効率が良い。
そんなことを考えながら。
「ハナ、行くよ!」
リョウがそう声をかけるとハナは走り出す。
「守護者の後に続け!」
そんな声が聞こえた次の瞬間にはハナと後続の軍の間はぐっと開き、ハナは翼を広げて速度をあげ、遠くに見えている敵の軍との距離を一気に縮める。
川を下方に見下ろしてそのまま進み、リガトルの軍の正面に着地して。
そして。
そのまま突っ込む。
例によって例のごとく、リョウの斬り込む力は尋常ではない。
リョウとハナの左右では、接触するリガトルが次々と燃え上がるか一刀両断でくずおれて消え去るかするので、行く手を阻むものはない、といった状態だ。
そして、あっという間に軍隊の中心部まで進み、リョウはそこで意図的に止まる。
力を込めた鋭い目でぐるりと周りを見回して、炎をまとった剣を凪ぎ払うように力一杯振るうと炎はその切っ先を離れて業火となって周囲に一気に広がった。
リョウの放つ炎は広がる先で火力を強めてゆき、留まることを知らないかのように次々とリガトルを呑み込み焼き尽くしていった。
「リョウ! 派手にやったな!」
そんな声が頭上に響き、リョウが目をあげる。
「……スイレン!」
まだ炎が上がっているリョウの周りを旋回するように高度を下げてくるレジーナに乗ったスイレンが満面の笑みで声をかけてきていた。
「もう、火はいらないだろう」
そう言うが早いか周囲でジュッと音がして炎が消え始める。
スイレンが器用に雨のように水を降らせたのだ。
炎の消えた、地面にレジーナが着地する。
「リョウ、この後ろからヴァニタスの軍が来ている」
スイレンが後ろを振り返りながらそう告げる。
「うん、知ってる。こっちに来るときに追い越してきたから。……みんなは?」
リョウはそう言うと一旦握っていた剣を鞘に納める。
「ああ、間もなく着くと思う。ヴァニタスの軍が思いの外大群だったから私だけレジーナと先回りしたのだ。あれを片付けるならやはり私たち二人だけでもいた方がいいかと思って」
スイレンの目は真剣そのものだ。
南の地を焼き付くしたのと同じ方法で再びあのヴァニタスの軍勢を片付けようというのだろう。
リョウも同意見だった。
「……リョウ、大丈夫か?」
不意にスイレンがそんな言葉をかけてくる。
「……え? 何が?」
リョウはつい焦って聞き返した。
結界で力を削がれていることを感づかれただろうか? いや、結界そのものから遠くに離れているしそれを見ていないのだから気づくはずもないとは思うんだけど……。と、頭の中で確認してしまう。
「いや……大丈夫ならいいんだが。……さっきの力の使い方、リョウらしくなかったから。あんなに必要以上に炎を燃え立たせるなんて無駄な力の使い方、珍しいじゃないか。……まぁ、周りに被害を受けそうなものも無いから良いのかもしれないが」
なんだか腑に落ちない、という顔でスイレンが口を尖らせる。
「え、ああ……そうね、ちょっと勢い余っちゃって……」
誤魔化しになっているか分からないようなリョウの返事に「ふぅん……」なんてスイレンが答えたところで。
「……来たわね」
リョウが再び鋭い目付きになる。
そして、スイレンも真剣な眼差しに戻り、自分が来た方向を振り返る。
その視線の先には、もうもうたる土煙。
ヴァニタスの走るスピードはリガトルの比ではない。
前哨部隊がこんなに早く全滅するなんて思ってもいなかったのかもしれない。
本来ならリガトルが前哨戦を戦っている間にゆっくりと間を詰めて、ある程度人間の軍が力をなくしたところで一気に攻め込むつもりだったのかもしれない。そのくらい二つの軍の間は開いていたのだ。
それが、あっという間にリガトルの軍が敗北、消失した。
それを何らかの形で察知したのだろう。もしくはリョウを乗せたハナが聖獣の形で空を駆け、レジーナもまた同様にその軍を飛び越して行くのを見て、竜族の動きを察したのか。
何にしても、目の前に広がる土煙は一刻の猶予もなく行動すべきことをリョウとスイレンに伝えている。
「リョウ、いけるか?」
スイレンがリョウの方に視線を向ける。
「勿論」
リョウは前を見据えたまま頷いてみせる。
「グウィンの壁がないからあまり派手にやるわけには……いかないだろうな」
スイレンがちらりとリョウの後方、西の都市に目を向ける。
「そうね。都市より手前に、万が一私が取りこぼしたものがあるなら迎え撃つつもりで軍隊が待機してもいるのよ」
リョウの言葉にスイレンがぎょっとする。
「生身の人間がいるのか!……ならば……むしろヴァニタスを絶滅させるのではなくて勢力を落とさせる程度にしないと」
「そうね」
リョウが頷く。
爆発による爆風を考えたら待機している軍の安全のためにもその方がいい。
そして多分、今のリョウの力ではどのみちその程度が精一杯だ。
リョウが頷いたのを見届けて、スイレンがやってくるヴァニタスの方向に意識を集中する。
蒼く輝く瞳の、その輝きは更に強まり。
リョウもそれに伴って同様に前方に意識を集中する。そのタイミングは先に同じようにしたときに確認している。
あとは、今のリョウにとっての精一杯の力を振り絞るだけ。
ほんの一瞬に賭けたエネルギーの放出。
その瞬間、鋭い閃光が走り、爆音がとどろき、ヴァニタスを焼いて吹き飛ばした爆風が、リョウとスイレンを包むはずだった。
リョウはスイレンを庇うために彼女の周りに結界を張ろうとして。
「……っぶねーな! 俺が来るまで待てなかったのか! ギリギリだったぞ!」
リョウが驚いて顔をあげると物凄い形相のグウィンと目が合った。
そして、受けるはずの爆風が全く感じられなかったことに、驚く。
「遅かったな、グウィン」
事情を知らないスイレンはグウィンを見上げるといつも通りの皮肉っぽい笑顔を向けた。
そして、グウィンが訝しげな目をリョウに向ける。
つまり、事情、とは。
リョウは結界でスイレンを保護するつもりだったのに、それが出来なかったのだ。土壇場で。
それは恐らく、力不足。巨大な結界を張り続けているせいでそれ以上は力が使えなくなっている。
グウィンは自分が気流の壁を作ることで二人を保護しなかったらかなり危なかったことに気づいて、どうしてリョウが結界を張らなかったのか、もしくは張れなかったのか、何か事情があるはず、という目でリョウを見ているのだ。
そんなわずかな間をおいてグウィンの背後から聖獣の姿のコハクにまたがったレンブラントとテラに乗ったセイリュウが駆けてくる。
「生き残ったヴァニタスがこちらに来ます! 体勢を整えなさい!」
そう言いながらレンブラントが背中の矢筒から銀の矢を抜き、弓につがえたところで振り返って迫ってくるヴァニタスと対峙する。同様にセイリュウもテラの向きを変えさせた。
そこでグウィンの訝しげな視線から解放されたリョウが改めて剣を抜き、構えると。
「え、うわ! ハナ?」
ハナが急に羽ばたいた。
まるでヴァニタスから逃れるように。同時にレジーナもまた飛び立つ。
レジーナの場合、接近戦で戦う術の無い背中のスイレンの安全のためというのは明白で。
リョウはそんな目でレジーナとスイレンを見てハナの行動の理由をすぐに理解した。
リョウの力の限界を感じ取ったのだ。
それで、何も言えなくなったリョウが下方を見下ろすとグウィンは剣で応戦し、レンブラントも効率よく銀の矢を使っており、セイリュウにいたっては一度焼かれた地面から勢いよく植物の触手を生え出させるという前に見たのと同じ方法でこれもまた効率よく戦っているのが見てとれてひと安心する。
残ったヴァニタスも思っていたほど多くはなく、それだけの人数がいれば、そして、それぞれの力がこれまた並大抵ではないことからすれば間もなく片がつきそうで、リョウがいなくでも大丈夫ではないかと思われた。