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 食堂の入り口を出て、少し離れてから男が立ち止まりゆっくりとリョウの方に向き直った。

 食堂で座っていた時、リョウは気付かなかったが、この男、結構背が高い。リョウは決して背が低い方ではないが、それでもリョウより頭一つ分くらい大きいのではないだろうか。しかも肩幅も結構ある。……これは見た目だけで周りから警戒されていたのも頷ける。


「あんた、もしかして『火の竜』か?」

「……!」

 いきなりの言葉にリョウは息を呑んだ。

「なんだ、何も気付いてないのか……? それでよく付いてきたな」

 男はちょっとおかしそうにくすくすと笑う。

 あ。やっぱり。

 この人、案外優しそうな目をしている。しかも髭でよくわからないけど、年もそれほどいってなさそう。今いたメンバーではレンブラントが一番年上だと思われるが彼とも恐らく十も離れていないのではないだろうか。

「どうして竜のことを知っているの?」

 リョウが率直に訊くと彼はマントの胸元を開けて見せる。

 そこには白い石の首飾りがあり、リョウはちょっと眉を寄せる。初めて見るはずの石なのになぜか本能的にリョウはその白い石を「知っている」と認識していた。


 私は、それと似たものを持っている。


「俺は『風の竜』だ。こいつがさっきからあんたに反応してるんでな。……あんたも持っているだろう?」

「風の竜……竜族?」

 リョウが目を見開く。

 自分以外の同族を初めて見たのだ。

 存在そのものは知っていた。それでも話に聞く、という程度の情報。実際に会うなどということはないと思っていた。

 知っている、と認識した石は先程から不思議な気配を発しており、それはリョウの剣にはめ込まれている石と同じ気配だ。

 無意識に剣の柄に手がのびる。石はやはり熱を帯びている。熱い、というわけではない。心地よい程度の熱だ。

「ほう、そんな形になっているのか。器用に細工したもんだな」

 風の竜、と名乗った男がリョウの剣の柄に目をやる。

 彼の首に下がっている石と、リョウの石では形状が少し違う。首飾りにするために上部にあいていた穴はなく、また、元々ごつごつしていた表面だったものは剣の柄に収めるために研磨されて滑らかになっている。

「その石については知っているのか?」

 リョウが無言で首を横に降る。

「世界の始まりにおいて、竜族の力を封じた石だそうだ。竜族は代々部族ごとの頭が四人一組でその石を守ってきたとか。だが時代は変わり、火の竜は人を愛するがゆえに、そして風の竜は……まぁ、今の俺もそうだが、ひとところにじっとしていられない性分を受け継いでいてな。自分達の種族の中ではじっとしておられず、結局それぞれの部族が決別することになり、その際に石も四つに割ったんだそうだ。それぞれの部族が持ち歩き、守るために。そのうち石はそれぞれの部族の色彩を持つようになり、別物のようになっていったが、元は一つの塊だったわけだ。自分と繋がる他の部族の石が近付けば互いが呼びあう」

 風の竜の言葉は古い言葉を紡ぐ年長者のようだった。

 リョウはそれを聞きながら複雑な思いを抱く。あまり思い出したくはない過去を、どうしても思い出してしまうので。

「まぁ、どこまで正確かはわからん。俺も伝え聞いただけだ。それに石に力がある、というのもどうかと思うぞ」

 風の竜の口調が一転して重みのないものになる。

「あんたも実感してるだろうが、竜族の力は石なんかに頼って発揮されるもんじゃない」

「……そう、ね」

 それにはリョウも同感だ。

 この力は、血なのだと思う。

 石なんかなくったって力は使えるのだ。自分の中に常に流れている力をコントロールするだけのこと。

 頭の立場を継承する竜族の血が流れている以上、当たり前のように操ることができる力。

「しかし、その剣……。東方の村、か?」

 顎の髭に手をやりながら風の竜が尋ねる。

「あ……ええ。もう昔の話だけど」

「……だろうな。竜の石に手を加えるなんて大それた事が出来る奴なんかあいつぐらいだったはずだ」

 懐かしそうに目を細める風の竜に。

「あの職人さん、知り合いだったんですか?」

 と、リョウが尋ねる。

「え……ああ。まぁ、な。俺は昔からふらふらしてたんであちこちに知り合いがいるってだけの話だ」

 まるで、本当に気まぐれな風のような人だとリョウは思う。

 ひとところにじっとしていられない、というのはそういう風の性質によると言われれば、それもうなずける。

「おかげで風と火の部族は混血なわけだ。混血というのは強いぞ。純血種の水と土は力はあるくせにいつまで経ってもひょろひょろだからな」

 そう言って風の竜は笑った。

「……そう、なの?」

 それはまるでいきなりの情報提供といったところ。

 風だけでなく水と土も健在なのか。


「で」

 ふと、風の竜が真面目な顔に戻る。

「あれは、あんたの保護者なのか?」

 風の竜の視線はリョウの背後に向けられている。

 ……え?

 リョウが振り向くと。

「あ……えーと」

 思わず頬の辺りがひきつる。

 確かにこれじゃあ、保護者、だ。

 いつの間にかレンブラントとハヤトがリョウたちの後方、ちょっと声をあげればすぐに駆けつけられそうな距離のところに待機してくれている。

 リョウが話している相手が一般的なレンジャーだと考えての行動だろう。ちなみにクリストフとザイラがいないのは、ザイラの身の安全を考えて先に帰らせたということだろうとリョウは察した。


 リョウが振り向き、二人分の視線が向けられたのでレンブラントとハヤトが二人の方に向かって歩き出す。

「おっさん、用は済んだの?」

「すみませんが彼女はうちの大事な隊員なんです。返していただきますよ」

 うわぁ……!

 リョウが冷や汗をかいてしまうほど好戦的な二人の態度。

「ちょっと待って! ……この人、悪い人じゃないから! あの……」

「ああ、騒がせてすまなかった。俺はグウィン。……風の竜だ」

 慌てて間に割って入るリョウを制したのは意外にも風の竜、本人だった。

「え?」

 とっさに聞き返したのはリョウだ。

「え……ってなんだ? 名乗っただろう、あんたには」

 リョウに対して風の竜が呆れたような顔をする。

「……だって名前。グウィンって。名前もあったの?」

「ああ、そうか。そうだな。……混血ということは人と関わってきたということだ。人間とは概してそういうものだろう。……あんた、名前は?」

 竜族の中にいるのなら。頭となる者には、立場上固有名詞をつけられることがない。必要ないのだ。でも、人間と関わってきたということは、それゆえに名前をつけてくれるような人と出逢ってしまった、ということだ。

「……リョウ」

 事情を飲み込んでリョウが名乗る。

「なるほど。東方らしい名前だな」

 風の竜、グウィンが微笑む。

 そしてレンブラントとハヤトは。

 グウィンというこの男が「風の竜」を名乗った辺りから、思いもよらなかったこの展開を、感情的に把握するのに少々の時間を必要としていた。


「で、ここへは何の用で?」

 予想していた種類の危険はない、という状況を飲み込んでもまだ相変わらず、というより更に輪をかけてグウィンに対して警戒心みえみえのレンブラントがそう尋ねる。

 ハヤトは無言だが、やはり気に入らないというメッセージを目で送り続けている。

「ああ、彼女を探しに来たんだ」

 あからさまに向けられる敵意を全く意に介せずグウィンが答える。

 え?

 それまでレンブラントとハヤトの反応をびくびくしながら見ていたリョウが、グウィンの顔を思わず見上げる。

「彼女を?」

 レンブラントが無表情の、抑揚のない声で聞き返す。

「ああ。南方の町で派手なことをやらかしただろう? あれ以来リョウは相当まずい立場だぞ。完全に狙われている」

 ええ?

 何で? ていうか、誰に?

 思わずリョウが声をあげそうになる。

「あのな……」

 グウィンがそんなリョウを察してリョウの顔を覗き込むようにして一言。そして。

「あんなに派手にやっつけたら、どう考えたって人間の仕業じゃないってことがばれるだろ。あいつら、今はとにかく力を欲しがってるんだ。伝説だと考えられていた竜族の、しかも一番力が強い『破壊の火の竜』が実在すると分かればどんな手を使ってでも欲しがるぞ」

「あいつら……って、ヴァニタスのこと?」

 ハヤトが口を挟む。とはいえ敵意はむき出しのまま。

「ああ。そういや、そんな大層な呼ばれかたしてたんだっけな。……あいつら、今、南方で自分達の帝国を築くつもりでいやがる。その第一歩として近隣の諸都市を征服して奴隷にでもしようって魂胆かもしれん。……もしくは……力を見せつけて人間を征服でもしようってのか……」

 そんなことになっていたのか。

 グウィンの深刻そうな眼差しにリョウは思わず身震いする。

 そういえば、先日遭遇したヴァニタスが自分の事を「火の竜か?」と確認した上で「土産にする」と言っていた。あの場で始末したからまだ良かったのかもしれないが、逃がしていたらこの都市に自分がいるという情報が持ち帰られてしまっていたかもしれない。

 それに、帝国……って。

 あれの残虐さや強さはリョウがよく知っている。意思を持ち理性も持っているとはいえ、殺戮や虐殺という形でしかそれを表さない存在だ。しかも、人間が太刀打ち出来るような存在ではない。

 帝国なんていうものが出来上がったら……きっと世界が滅ぶ……!

「ここも、そこそこ大きな都市だ。軍も元老院もしっかりしている。……そのくらいの情報はつかんでいるんだろ?」

「ええ……まぁ」

 グウィンの問いにレンブラントが気まずそうに答える。

 リョウはその答えにさほど驚くことはない。

 ここのところの度重なる会議。軍の上層部の会議がこれだけ頻繁にあるというのは異例なことだ。でもだからといって騎士や兵士に全ての情報が提供されるわけではないことも知っている。混乱を防ぐため、危険な情報はその対応策が出来上がってから知らせれ、そのための指示が出されるものなのだ。

「彼女が狙われる、ということは予想していたのか?」

「……ええ、でも我々が……」

 グウィンの問いかけにレンブラントが答えかけるが、言い切らないうちにグウィンが鼻で笑う。

「あのな。たかが人間の、たかが民間兵士にこいつが守れるかよ」

 この言い方にはリョウもちょっと引っ掛かる。

 都市において「騎士」というのは「兵士」より上だ。騎士隊の隊長にこの言い方はない。しかも「民間兵士」って……!

「ちょっと、おっさん。黙って聞いてりゃ言ってくれるじゃない」

 ハヤトもついに黙っていられなくなったようだ。

「現実を直視しろと言っているんだ。例えこの都市が総力をあげて彼女を守ろうとしたって結果は見えているだろうが。……あの南方の町みたいになるぜ?」

「……!」

 グウィンの言葉にレンブラントとハヤトが一気に殺気立った。


 そしてリョウは。

「南方の町がどうしたの?」

 それは、前回リョウがグウィンの言う「派手なことを」をして救った山間の町の事だろう。

「なんだ、知らないのか。町は全滅……」

 言いかけたグウィンの言葉を遮るように、ハヤトが彼に近寄り、一瞬で背の高いグウィンの体が後ろに倒れる。

「ええ! ハヤト?」

 ハヤトが凄い勢いでグウィンを殴り飛ばしたのだ。リョウが驚き、殴ったハヤトを凝視し、次いで不意打ちを食らって意味がわからないといったグウィンに駆け寄ろうとするが、レンブラントに後ろから両肩を掴まれた。

「放っておきなさい。ハヤトがやらなかったら僕がやってました」

「え、ちょっと……」

 意味がわからない。

 それに。

「え……? なに? 町が全滅したってどういう事よっ?」

 ふと言われた言葉の意味に気付いてリョウは声を荒らげて聞き返した。

「あんたをあぶり出すのが目的だったんだろうよ。やつら『火の竜』があの町にいると勘違いしたんだろ」

「おっさん、いい加減にしないと殺すよ!」

「リョウ、あなたは聞かなくていい!」

 グウィンが口元の傷からかすかににじむ血を拭いながら答えたのと、ハヤトが彼の胸ぐらをつかんで言い放つのと、レンブラントがリョウの耳元で声を強めるのはほぼ同時だった。

 でも、リョウの耳はグウィンの言葉をしっかり聞き取った。

「……うそ……そんな……!」

 リョウは思わず両手で口元を覆い、微かに声を漏らす。

 リョウの頭の中ではグウィンの言葉だけが意味あるものとして認識されていた。


 全滅。


 つまりは。

 私が助けたと思っていた、町の人たちはもう既に滅ぼされているということなのか。

 しかもそれは他ならぬ私のせいで。

 私があそこであんな力を見せつけなければ、そんなことにはならなかったのだろう。

 そんな考えが頭の中を巡る。


 あの町には、兵士だけじゃない、お年寄りも、女性も、子供もいた。あの人たち、一度の救いを喜んで、涙ながらに援軍である私たちに感謝してくれた、あの人たちに、再びの恐怖と、今度は救いの無い滅びが臨んだというのか。

「リョウ……」

 気遣わしげに名前を呼ぶレンブラントの声は、リョウの耳に届いていない。

 呆然とするリョウは、いつの間にかレンブラントに正面からしっかりと抱き締められていたが、既に目の焦点があっておらず、体ががくがくと震えていた。

「……うそ……だ!」

 否応なしに町の人々を思い出してしまったリョウの目からはいつの間にか涙が流れ、嗚咽の合間に声が漏れた。

 そして、更に、リョウの脳裏に思い描かれるひとつの光景。それは。


 町全体が滅びる光景。

 形あるものが無惨に破壊され、形ある命が失われていく時の恐ろしい光景。

 そこに慈悲や加減などという言葉は存在せず、容赦なくあるべきものが奪われていく。


 似たものを、私は知っている。


 炎の中を逃げ回る人々。断末魔の叫び。絶望の叫び。痛みと苦しみで上がる声。愛する者が息絶えたことを嘆く叫び。


 あの時、私がこの手で引き起こし、悔やんでも悔やみきれず、記憶の片隅に押しやり、正気を保つために心のどこかで正当化しようとさえしていた、あの惨劇が、再び起こったのだ。しかもまたしても私のせいで……!

 そしてそれは今度こそ、正当化なんか出来ない、いや、そんなことは出来ない程にはっきりと私自身の犯した罪として、消しようの無い事実として、目の前に突きつけられたようなもの。


 ……そして、その頃私は何をしていた?

 のうのうと生きて、笑って過ごしていたのだ!


 自分を嫌悪する感情と、自分を許せないという感情が沸々と沸き上がる。


「……うっ……」

 リョウの体の変化にレンブラントの顔色が変わる。

「リョウ……!」

 レンブラントは急いで腕の力を緩めて、リョウが地面に膝をつけるようにさせてやる。

 あまりの衝撃でリョウが嘔吐し始めたのだ。

「大丈夫。僕がちゃんと側にいますからね。……大丈夫」

 そう言って嘔吐し続けるリョウの体を支えながら背中を優しくさする。

 吐き出すものなんかほとんど無いというのに、それでも自分の中にあるもの全てを、出来ることなら自分を形作っている全てのものを吐き出そうとでもしているかのように、リョウの嘔吐は止まらなかった。


「……どういうことだ?」

 グウィンが呟く。

「あんたが余計なことをしたせいだよ」

 胸ぐらを掴まれたまま、リョウのあまりの反応にグウィンが呆然としており、ハヤトでさえ思っていた以上のリョウの反応に、グウィンに向かう怒りよりもリョウに対する心配の方が強まって彼女から目が離せなくなっていた。

「……あの子とあんたは同族なのかもしれないけどね、あの子との付き合いは俺たちの方が長いんだよ。あの事を知ったら、再起不能になるくらい自分を責めるだろうなんて事くらい予想してたんだ。だから隠してたってのに……!」

 ハヤトが掴んでいたグウィンの服を離す。

そして、レンブラントとリョウの姿を見て微かにため息を吐き。


 ……少なくとも、この事を耳にしたのがリョウ一人の時じゃなくて良かったのかもしれない。レンがちゃんと支えてやっているし。

 レンのやつが動かなかったら、俺が支えてやるつもりだったけど。その為に、俺の女にしてしまおうかと思ったんだけど。


 そんなことをハヤトが考えているうちに、数人の兵士がばたばたと駆けつける。

「そこのレンジャー、都市の中で面倒を起こされては困る。一緒に来てもらおうか」

 グウィンに剣が突きつけられた。

 騎士隊隊長が殴り付けているのを見て、誰かが通報でもしたのだろう。

「遅いんだよ」

 ハヤトが小さく愚痴り、グウィンは意外にもおとなしく連行されていった。

 駆け付けた兵士の一人が、レンブラントとリョウに心配そうに近づいたがレンブラントが「大丈夫です。うちの隊員なので僕が家まで送りますから」と告げると兵士は安心したように一礼して去っていった。


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