異世界から帰ってきた勇者達はどこか狂っている
俺の知り合いには、異世界から帰ってきた勇者が三人いる。
一人目、悠木七海。
オーソドックスな、剣と魔法の世界で魔王を倒して帰ってきた勇者。
二人目、山田隆。
悪魔が人々を支配していた世界にて、人間のために貢献し、ついには悪魔を退けることに成功した勇者。
三人目、内村光。
神と邪神が衝突する世界にて、神の使いとして世界を救った勇者。
対する俺は、一般人。
一般的な世界で生まれ、一般的な世界で育った一般的な人間。
そんな一般人の俺は、毎日元勇者達の創り出す混沌の渦に巻き込まれている。
「おらああああ!!」
「効かねえぞ!!」
放課後、茜色が地を照らす中、衝撃が静寂を切り裂いた。
俺の視線の先には、この世の物とは思えない神々しい輝きを持った黄金の剣と、月のような銀色の光を放つ剣をそれぞれ持った男達が全力で剣を交えていた。
金色と銀色の閃光が交わる度、恐らく普通の日常では絶対に聞かないようなけたたましい音が辺りに反響する。
耳を劈くようなその轟音を聞かないように耳を塞ぐも、そんなことはお構いなしと言わんばかりに、轟音は容赦なしに俺の耳に入ってくる。
「どうしてこうなったんだ!?」
心の中で静かに悪態をつこうと思ったが、我慢の限界だった。
俺は轟音に掻き消されることを知りながら、大声で叫んだ。
案の定俺の声は掻き消されたが、少しだけ心の中の靄が晴れたような気がした。
きっかけは些細なことだった。
あの二人――隆と光は、自分の持っている剣の魅力を語っていた。
最初はそれぞれただの自慢だったが、ついに自分の剣の方がずっと優れていると言い出し、喧嘩を始めた。喧嘩と言っても、普通の高校生がやるような、殴り合いだとか口喧嘩だとか、そんな平和なものではない。
剣を使って、全力で殺し合いをする。それが彼等の喧嘩らしい。
どうやら、異世界で長い事暮らしていたせいでこの世界の価値観というものをすっかり忘れてしまったようだ。
当然、俺は巻き込まれるのを避けるために早めに帰ろうとしたが異世界を救った勇者には勝てず、速攻で捕まえられてしまった。そして俺はなし崩しに、彼等の喧嘩の審判役をやらされている。
正直殺し合いの審判なんて不名誉な仕事はやりたくないが、断ったら金銀の剣の錆にされてしまいそうなので、仕方がなく審判役を引き受けたのだ。
そして、俺は現在閉鎖されているはずの屋上に無断で侵入し、校庭で殺し合いをしている物騒な奴らを見下ろしてた。
二人の剣が交わり、火薬が爆発するような音が辺りに鳴り響く度地面にクレーターができていくが、二人はお構いなしだ。
これだけ騒いでて誰にも気付かれていないのは、人避けの魔法を使っているからだ。
どうやら異世界の勇者の名は伊達ではないらしく、人避けや認識阻害等の基本的な魔法は使うことができるらしい。
さも当然のように魔法を行使する奴等に頭と胃を痛めながらしかし審判役というせいで目を離すことはできない。
「あーもう……ジーザス」
頭と胃の行方を神に任せながら、俺は屋上のフェンスに指を突っ込み静かに腰を下ろした。
相変わらず、けたたましい音は鳴りやまない。
せっかくの綺麗で幻想的な西日も、彼等には全く見えていないらしく二人とも互いに睨み合って剣を交える。
――ああ、三人が帰って来た時は本当にうれしかったのに。
俺はフェンスと指の隙間から見える太陽を見つめながら、ついこの間三人が帰ってきたことを思い出す。
一か月前、二年近く行方不明となっていた三人が帰ってきた。
彼等は皆一様にげっそりとしており、顔から生気が消えた代わりに体は鍛えられ、ただならぬオーラを発していたのは覚えている。
行方不明になる前は気弱で引っ込み思案だった七海。
彼女は異世界で強い力を得た代わりに、失ったものも多かったらしく歪んだ愛情を心の中で育ててしまっていた。俺はそんな彼女を放っておけなかったので幼馴染という立場を最大限利用して彼女に近付き、心のケアを始めた。
その結果、彼女の歪んだ愛情はある程度緩和された。
が、今度は俺が彼女の心の深い部分に入り込んでしまったらしく、彼女は所謂ヤンデレというやつになってしまい、ちょくちょく俺を監禁しようとしたり四肢をもごうとしてくるのだ。
そんな彼女を見限らないこともあってか、彼女はますます俺に惚れこんで
しまっている。正直恐ろしい、が、昔の彼女を知っている俺はどうしても彼女を見捨てることができない。
そうだな……今の俺をたとえるなら、DV夫を見限れない妻……といったところか。
自分でたとえてて、苦笑してしまう。
行方不明になる前は、優しくも厳しく、他人をよく思いやっていた隆。
彼も七海と同じく異世界で強い力を得た。しかし、その代わりに他人を思う気持ちなどは忘れてしまったらしい。どうやら隆の救った世界は、もともと崩壊していたせいか、自分勝手な人間や悪魔が多かったらしく、隆はそんな悪魔達の思想にやられてしまったらしい。
俺は帰ってきた隆を見て、目を疑ってしまった。
優しかった瞳は濁り切り、見たものを切るような鋭さを持ち、傷一つなかった体には深い傷が刻まれ、肌は白から褐色へと変化していた。
もう昔の優しかった隆は戻ってこないんだと知ったとき、俺は密かに涙したが一か月経った今となっては、彼のために流す涙はもう枯れてしまった。
そして、最後は光だ。
彼は神のいる世界で数百年を過ごしたらしく、一番変わってしまった。
昔は無口で無駄が嫌いだった彼は、今となっては傲慢の塊だ。
彼の得た力は他の人間とは隔絶したものであり、自分に殺せぬ者はいないという感情が、数百年のうちに大きくなったせいで、彼は傲慢を心に秘めてしまったのだろう。
彼曰く、「俺はもう人間じゃない」とのことだ。
まあ、普通の人間は数百年も容姿の変化なしに生き続けるなんて不可能だ。
恐らく、人間でなくなったというのも、彼の傲慢を育てる一因だったのだろう。
俺は、いつも彼等に対して何もしてやることができなかった。
彼等が行方不明になったときも、心配ではあったもののいつかは帰ってくるだろうと楽観的な事しか考えていなかったし、彼等が帰ってきた時も彼等の変化に戸惑うだけで特に何もしてやれなかった。
七海の歪んだ感情を完全になくすことはできなかったし、むしろ悪化していると言えるかもしれない。
隆や光に至っては、異世界での出来事を聞いただけで、彼等の心の傷は癒せていない。
「雄二君」
ふと、俺の後ろから名を呼ぶ声が聞こえる。
か細く、しかし轟音に掻き消されない透き通る声の主を、俺は知っている。
「七海……」
ゆっくりと立ち上がり振り向くと、よく知っている少女がそこには立っていた。
十五年を共に過ごし二年間離れ、もう一度出会った俺の幼馴染。
かつて星々にも負けない光を宿していた瞳は黒く濁り切り、どこか優しい雰囲気を醸し出していた表情は仮面を被せたかの如く凍り切っている。
気弱くもどこか気丈で、甲斐甲斐しく頑張っていた彼女の面影は――俺の自慢だった彼女の姿は――もうない。
今彼女が浮かべている笑顔は、昔の温かさが無く、冷たい。
表面だけ見れば同じ顔のはずなのに。
「一緒に帰ろう?」
「……ああ」
彼等には悪いが、俺は七海の頼みを断ることはできない。
何時の間にか俺の目の前に接近していた彼女は、俺の手を握る。
――冷たい。
おかしいな。確か七海の体温は高かったはずなのに、何故こんなに冷たいのだろう。
冬でもないのにな。
俺は体の芯まで凍らせるような彼女の体温を感じながら、華奢な体から発せられるとは思えない程の強大な力に身を任せる。
彼女は握られた俺の手に指を絡ませると、屋上の扉へと足早に歩を進めた。
あまりにも人間離れした素早さに足をもつれさせながらも、何とか彼女についていくが、俺は彼女が何故こんなにも急いでいるのかがわからない。
「そんなに急がなくても、俺は逃げないぞ」
「……嘘。皆そう言って居なくなった。
雄二君も、私がちゃんと止めておかないと、逃げちゃう。
……信じてないわけじゃないよ? ただ、怖いの」
抑揚のない、機械のような平坦な声が、彼女の小さな口から発せられる。
俺の体を片手で引き寄せられるほどの力を持っている彼女だったがその体は小刻みに震え、影の差した横顔からは表情を読み取ることができない。
しかし、きっと彼女は……先ほど言った通り、怖いのだろう。
これほどまでに歪んでしまった理由を詳しくは知らないが、彼女が極端に孤独を恐れるということはこの一か月で十分わかっている。
ならば、俺のすべきことは、一つ。
「俺は、七海の前からいなくならない。
絶対に、ずっと傍にいるから」
俺が依存させてしまったのだ。きっと、他の人間ならもっとうまくやれたはずだ。
彼女が歪んだ感情の一切を俺に向けてしまったのは、俺のせい。
俺は彼女の体を左手で抱き寄せ、そっとその場に佇んだ。
ぴくり、と微かに彼女の体が震え、やがてそっと俺に体を預けた。
「雄二……君」
「だから、安心してくれ」
俺は彼女を抱く左手にさらに力を籠め、絡められた右手にも力を籠める。
そして、彼女の耳元で囁く。すると、彼女は茜色に染まった頬をさらに赤く染め萎むように体を俺の胸に埋めた。
どうやら、震えは止まったらしい。今度こそしっかりと見えた表情は狂気を孕んでいるものの、不安という色は感じられない。
七海から香る花のような香りに胸を少しだけ高ぶらせながら、子供をあやすように左手で背中を優しく摩る。
昔も、七海が泣いていた時は泣き止むまで背中を摩ったりしていたっけか。
今の七海は流すべき涙を枯らしてしまったようだが……それでも、俺にとっては、どこか……泣いている子供に見えてしまった。
「……ごめんね」
「……大丈夫、大丈夫だ」
何に対する謝罪かは、俺にはわからなかった。
一般人の俺には、こうやって、少しの安心を与える位の事しかできない。
一般人でない、力を手に入れた彼等ですら、自分の心を、人の心を救う事はできなかったのだ。勇者ですらできなかったことを一般人ができる道理はない。
三人はきっと、力を手に入れても心の強さを手に入れることができなかったのだろう。
楽しい日々は終わりを告げた。能天気に過ごすことのできた空っぽの日常はもう帰ってこない。
優しかった七海、喧嘩嫌いだった隆、不器用だが決して悪人でなかった光――。
彼等はもう、遠い昔の記憶にしか存在していない。
「じゃあ、ちょっと二人を止めてくるね。
……ちゃんと、待っててね」
「ああ」
俺は、相変わらず暗い瞳で平坦な声を放つ七海に返事を返しながら、今から起こるであろう光景を幻視した。恐らく、あの二人は碌な目にあわない。
三人の中で一番強いのは、間違いなく七海なのだ。
あの二人の喧嘩を仲裁し、かつ二人を簡単になぎ倒すことができる
人間なんて彼女くらいなものだろう。
俺は静かに合掌し、ぼんやりと校庭を見つめた。
「――っ!」
「――――!?」
俺が一度瞬きをした頃には、密着していた冷たい感触は消え、彼女は校庭へと降り立っていた。同時に、隆と光が何かを言う声が聞こえたが何と言ったかまではわからなかった。
そして、金銀の剣は、瞬間に光の粒子へと変化した。
七海が、一瞬で剣を破壊したのだ。それも粉々に。
俺は一瞬だけ目を疑ったが、七海ならやりかねないと納得すると、屋上からでも見えるくらいに驚愕の表情を浮かべている二人を憐れに思いながらも、散っていく光の粒子に見惚れてしまっていた。
沈みゆく茜の光を反射させ、かつての七海の瞳の如く、光輝く粒子。
息を飲みながらそれが風に流されて消えるまで見つめる。少しだけ昔の事を思い出したが、三人が何かを言い合う様子を見て現実に引き戻される。
「「な、なにしやがる!?」」
「何って……邪魔だったから」
重なる声を、静かに一刀両断する七海。その表情はきっと未だ冷たいままなのだろう。二人は何か文句を言いたげな顔で七海を見たが結局声を発する事はできなかったらしく、渋々と散っていった。
自慢の剣を失った彼等を可哀想だとは思うが、喧嘩の種がなくなったのならよかった……のだろうか。
「ただいま」
「おかえり」
またも一瞬で移動してきた七海を、今度は少しも驚くことはなく迎える。
彼女にとって二人を止めることはただの作業に過ぎないのだろう。昔あれだけ喧嘩を嫌っていた彼女だったが、今となっては人の気持ちを砕くことに慣れたようで、かつての彼女だったら浮かべたであろう辛そうな表情は欠片も見せなかった。
七海は一仕事終えたような顔を浮かべながら、滑り込むように俺の胸へと吸い込まれてきた。
そして、褒めてほしいと言わんばかりに俺の両手を自分の頭へと誘導した七海。
俺は意図を察し、頭を撫でてやると、満足そうに目を細めた。
七海は狂っている。少なくとも、普通ではない。
隆も光も同様に、異世界での数年間で変わってしまった。尤も、光は数百年だが。
俺は彼等の気持ちを理解することはできない。何故なら、俺は一般人だから。
だから俺は、彼等の気持ちを理解できなくてもいいから、少しでも支えよう。
いつかこの世界における普通の人間と呼ばれるものになれる日まで。