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8.村上アキへの嫉妬

 ここ最近、長谷川沙世について、村上アキはよく考えていた。

 “彼女、性格が悪いよな……”

 そのはずだと彼は思い込もうとしていた。しかし、そう思い込もうとしても、何故かそうは思えなかったのだが。

 “けど、性格が悪いと言っても、初めの頃に思っていた程じゃないか。実は案外、純粋なような気もするし……”

 ついそんな事を思ってしまう。ただし、その後でそれを振り払うように、こう考えるのが常だったのだが。

 “いや、これは彼女の『強制ツンデレ・ヒロイン』の効果だ。まだ僕は彼女に異能で惚れさせられているから、そう思えるだけだ”

 しかし、だとすると、少しだけ腑に落ちない点もある。彼女が最後に悪口を彼に言ってから、もう随分と長い時間が過ぎているのだ。それなのに、まだ彼女に対する彼の恋慕は消えていなかったのだった。むしろ強くなっている。

 “もしかしたら、異能関係なしで本気で彼女に惚れちゃっているのかな? 僕は”

 それで、そんな風に彼は思ってしまうのだ。もちろん確証はないし、その気持ちの所為で自分の『異能察知』をいいように利用されかねないと思ってもいたから、慎重に判断しようとも考えていた。が、それは飽くまで理性での話、感情の方は彼の考え通りに動いてくれそうにもなかった。

 ――そして。

 彼がそんな悩みにとり憑かれている最中だった。あるちょっとした事件が起きてしまったのだ。

 

 「――なんか、沙世の事を聞いて回っている三十歳くらいの男がいたらしいわよ。不審者だって学校が警察に通報したみたいだけど」

 ある日、立石望がそんな事を言った。沙世はそれに「ああ、それねぇ」と、そんな返しをする。どうも、何か思い当たる節があるような口調だった。

 「何よ、なにか知っているの?」

 「いや、実はさ……」

 そこまで二人が会話したところで、村上アキが口を開く。

 「どうでも良いけど」

 二人はそんな彼に注目した。

 「どうして、二人とも、僕のクラスの僕の席に集まって来るのさ?」

 それは学校の休み時間の事だった。

 「だって、アキ君来ないでしょうよ、わたし達の教室」

 と言ったのは沙世。

 「可愛い女の子が二人も訪ねて来ているのだから、もっと喜びなさいな」

 これは立石だ。

 それを聞いて「はぁ」と、アキは軽くため息を漏らす。

 「問題は、性格なんだよねぇ」

 その言葉を無視して、立石が言った。

 「で、沙世。知っていることって何よ?」

 「いや、先日さ、ちょっとサラリーマンっぽい人に悪口を言っちゃって……。多分、その人だと思うのよね、その不審人物」

 その彼女の説明に、アキは密かに微かな反応をしていた。立石が小声で言う。

 「ああ、なるほど。あなたの異能で、その人はあなたに惚れちゃったと」

 「多分ね」

 それから、アキは言った。

 「少し迂闊過ぎるのじゃない? そのサラリーマンが危険な人だったら、どうするつもりだったの?」

 その口調はやや機嫌悪そうに響いていた。

 「おや? 村上君、嫉妬?」

 それを聞いて立石がそう言う。

 「違うよ。純粋に、心配しているんだよ。襲われていたって危険性もあったんだから、心配して当然」

 アキの苛立った様子を見ても、沙世はまったく動じなかった。こう言う。

 「いや、わたしね、むしろ襲われるかもって怖くなかったら悪口を言ったの。惚れさせれば、大丈夫かな?と思って」

 「どういう事?」

 「二日前、家を出たら、そのサラリーマンっぽい人に後をつけられたのよ。それでわたしは、怖くなって悪口を言ったの」

 それを聞くとアキは呆れた声を上げた。どうせ一般の人間に聞かれても理解できないだろうが、一応、小声でこう言う。

 「前にも言ったかもしれないけど、好きにさせたら乱暴されないってのは、間違っているからね? むしろ逆に、好きな相手に対して攻撃的になる人だっているんだから。自分の思い通りにならなかったりとかで」

 「分かっているわよ。でも、あの時は怖くって、そんな考えが浮かばなかったの。それに、ならああいう時は、どうすれば良いのよ?」

 「友達を頼るとか、すればいいじゃない」

 そのアキの言葉を聞くと、沙世は少し意地悪そうな顔を作った。そして、

 「ははーん。さては、アキ君。自分を頼って欲しかったのでしょう?」

 などと、そんな事を言った。

 「なんで、そうなるの?」とアキ。

 「ムキになっているから」

 そのやり取りを聞きながら、立石が言う。

 「なんか、あんたらすっかり恋人同士が板について来たわねぇ」

 多少、呆れた様子で。その後で、こう続ける。

 「とにかく、沙世。どうであるにせよ、気を付けた方がいいとは思うわよ。沙世の事を聞かれて、教えちゃった生徒が何人かいるんだって。村上君じゃないけど、何かあったら無理をしないで友達を頼りなさい」

 その立石からの情報を聞いて、更にアキは沙世の事が心配になった。もしも、襲われたらと思うと、不安で堪らなくなる。しかし彼はそんな自分に気が付くと、こう思い込もうとした。

 “確りしろ。彼女が恋人の振りをしてくれって頼んで来たのだって、僕を籠絡する為の計略に決まっているんだから。この気持に流されちゃ駄目だ……”

 ただ、それでもいつの間にか、彼は沙世の事をじっと見つめていたのだが。そんなアキの心配そうな視線に気付くと、沙世は少しだけ満足気かつ意地悪そうな感じで、嬉しそうにそっと微笑んだ。

 “ま、もっとも、相手を好きじゃなくても、これくらいの心配はするかもだけど…”

 その微笑みを見て、彼はそう思う。もちろん、言い訳だったのだが。

 

 通学途中の電車の中だった。

 アキは突然に、誰かが異能を使った事を察知した。電車は満員状態で、異能を使ったのが誰かまでは分からなかった。ただし、その時はまだ危機感を覚えてはいなかった。どんな異能を使ったのか、多少気になったくらいだ。

 だが、徐々に背筋に悪寒が走るような嫌な感覚を覚え始める。

 アキの勘違いでなければ、異能の効果が電車内に広がっているような気がしたのだ。そして次々に、乗客達がアキを睨んで来ているようにも思える。

 何が起こっているんだ?

 アキには何が起こっているのか、上手く把握する事ができなかった。そしてある瞬間、隣に立っていた中年くらいの男性が、いきなり彼を殴りつけてきたのだ。

 アキは驚いて言う。

 「とつぜん、何をするんですか?!」

 中年男性は怒鳴った。

 「うるさい! 何だか知らないが、お前を見ているとイライラして来るんだよ!」

 「それ、僕は何も悪くないですよね? あなたが勝手に怒っているだけだ」

 「黙れ! 口答えするな!」

 そうして中年男性は、アキに掴みかかってくる。そのやり取りを見ていた、他の乗客達は何故かそれを放置していた。いや、それどころかほとんどの乗客達は、アキが攻撃されているのを喜んでいるようにすら思えた。

 “……これは、まずくないか?”

 そこに至ってようやく激しい危機感を覚えたアキは、次の駅に電車が停車すると、慌てて電車の外に逃げ出た。逃げなければ、他の乗客達も一緒になって、アキを攻撃してくるような気がしたからだ。出た瞬間に、アキは電車の中を確認してみる。その瞬間、この異能を使ったらしき人物を少しだけ見る事ができた。人混みの影から、顔を覗かせている。それは、顔色の悪いサラリーマンだった。その異能も確認できる。

 “感情を感染させる能力か……”

 しかし、ゆっくりとは観察できなかった。アキが電車の外に逃げても、先の中年男性が彼を追いかけて来たからだ。逃げながら、アキはスマートフォンを取り出すと、教師の松田に連絡を入れる。

 「松田先生ですか? 実は今、襲われていて逃げている最中なんです。どうか、助けてください! 場所は……」

 連絡を入れ終えると、アキはそれから駅員を頼った。駅員達はアキとその中年男性との間に入り、「落ち着いてください」と言って、宥めようとしたが、中年男性は治まらなかった。

 「そいつを殴らなくちゃ、俺の気が治まらないんだよ!」

 そんな事を言っている。ただし、訳を駅員達が尋ねても、「イライラするから」としか言わない。傍目にも、中年男性が異常なのは明らかだった。

 やがて、そんなところに松田が到着した。松田は騒ぎを見ると近づいて来て、何かを掃うような仕草をした。するとその瞬間、中年男性の表情はあっという間に、平静なものに戻っていったのだった。そして、不思議そうな表情になる。

 彼にも記憶は残っていたが、どうしてそんな行動を執ってしまったのか、自分でも分からなかったのだろう。

 「落ち着きましたか?」

 そう駅員が問うと、「ええ、はい。すいません」と、そんな事を言う。

 「君、この人をどうするかな?」

 それからアキに対し、駅員はそう尋ねて来た。恐らくは、警察に通報するかどうかという事だろう。軽くとはいえ、彼は暴行を受けているのだ。

 「何もしないで大丈夫です。きっと、ストレスが溜まっていただけだと思うので」

 アキはそれにそう答えた。

 この中年男性は、感染した感情の所為で、こんな行動を執ってしまっただけだ。むしろ犠牲者。他の感染者とは違ってここまで顕著な反応が出たのは、相性の問題か、或いは精神状態が悪かったからだろう。いずれにしろ罪はない。

 それからその中年男性は、何度もアキに謝って来た。全てが無事に済んだ後で、松田が話しかけてくる。

 「よう、村上。大変だったな」

 「はい、松田先生。助かりました。ありがとうございます」

 「うん。ちょうど、俺も通勤途中で良かったよ。一本前の電車だったんだが」

 「松田先生の異能無効化の能力、凄いですね。あれだけの動作で、あんなに効果があるなんて」

 「まぁ、俺にもよく分からないんだが、効いたみたいだったな。実は初めてだよ、使うの。変なカゲロウみたいなもんがあったから、取っ払おうと思っただけなんだが。

 ところで何だったんだ、あの男は?」

 「いえ、あの人はあまり関係ありません。実は僕には心当たりがありまして……」

 

 放課後、例の空き教室。

 「で、つまり、その『感情感染』の異能を持っていたってのが、この前、沙世が惚れさせたサラリーマンっぽい人だと?」

 そう言ったのは立石望だ。村上アキはそれにこう応える。

 「そうじゃないかと僕は考えている」

 「あの人が、どうしてアキ君を狙うのよ?」

 と、自分が責められているような気分になったのか、少しだけ怒った口調で長谷川沙世はそう返した。

 「多分、嫉妬だよ」

 それにアキがそう答えると、立石が続けた。

 「あんたらは、恋人同士の振りをしている。そして、そのサラリーマンは、沙世の事を聞いて回っていた……。村上君が沙世の恋人だってそれで知ったのかもね。で、嫉妬して村上君を攻撃した。確かにそう考えると、辻褄が合っているような気がするわね」

 沙世はそれを聞くと言う。

 「それが、正しかったとして、どうするのよ? また、アキ君が狙われる可能性があるじゃない」

 アキはそれにさらっと応えた。

 「簡単だよ」

 目を軽く瞑る。それから開けると、こう続けた。

 「もう、僕らは恋人同士の振りを止めれば良いんだよ」

 沙世はその彼の言葉に、明らかにショックを受けたような表情を見せた。

 「どうしてよ?」

 「“どうして”って…… そもそも、君と僕が恋人同士の振りをしていたのって、君の『強制ツンデレ・ヒロイン』の効果が切れるまでの間、男達を追っ払う為だろう? もう、大丈夫みたいじゃないか」

 それに沙世は口ごもる。

 「それは、確かにそうだけど……」

 不服のありそうな表情。アキは続けた。

 「恋人同士の振りを止めれば、それで例のサラリーマンはもう僕を攻撃しない。後は沙世ちゃんの『強制ツンデレ・ヒロイン』の効果が切れるのを待てば、全て解決だ」

 “まずいわね……”

 それを聞いて、立石は思った。沙世とアキの関係が切れれば、村上アキを誘う為の餌がなくなると考えたのだ。それでなのか、こう言う。

 「ちょっと待って、そのサラリーマンの異能、ちょっと気にならない?」

 それから自分のスマートフォンで検索をし始めた。画面を表示させると、それを二人に見せる。

 「犯人が違う、謎の連続殺傷事件。突然、何の関わりもない人に怪我をさせられたり、殺されたりしている事件が頻発している。今までで、十件以上も起こっているそうよ。しかも、被害者は何故か“A―テクニカル”というIT企業の人が多い。

 これを起こしているのって、もしかして、そのサラリーマンじゃないの?

 『感情感染』で、自分の感情を見も知らぬ他人に感染させて、“A―テクニカル”って企業の嫌いな人を攻撃しているのかもよ。現象がピッタリ、今回の村上君の件と一致するじゃない」

 アキはそれを聞くと、淡白な様子でこう応えた。

 「かもね」

 “だから、何?”といった様子で。

 その反応を観ると、沙世はわずかに怪訝そうな顔になる。“彼の様子、何か変”と、そう思ったのだ。アキは続ける。

 「仮にそうだとしたって、流石にその件はただの高校生の僕らが手を出して良い範疇を超えているよ。しかも相手は、冗談じゃなく危険な能力を持っている。警察も頼れない。できるだけ関わらないのが最善の策だ」

 「ただの高校生じゃないでしょうが、私らは」

 それに立石はそう返したが、アキは相手にしなかった。そしてそのまま彼は、空き教室を去ってしまったのだった。

 

 ――自然科学において。天文学や物理学などに比べれば、化学には明確かつ厳密な理論が多くは存在しない。これが生物学になると、その傾向はより顕著になり、心理学や集団心理学、社会学ともなれば誰の目にも明らかだ。

 だからこそ、社会学者等は、物理学に対し羨望と嫉妬の眼差しを向ける場合も多いのだが、これは必然だとも言える。何故なら、それら学問は、そもそも多因子が複雑に相互作用し出現する現象を扱っているからだ。結果的にシンプルな法則が現れ難くなる。物理学とは訳が違う。単純な因果関係があまり存在せず、相関関係で捉えるしかない。

 これは相関関係の中から、因果関係を見出す作業を困難にもしている。例えば、「何々の原因となる遺伝子が見つかった」などという記事が躍る事があるが、これは実は、間違っている。“原因の遺伝子”ではなく、本来は“関係する遺伝子”なのだ。

 その遺伝子は、寒い環境ならば、肥る事に関係しているかもしれない。ところが、温かい環境になると、その効果がなくなる。そんなケースも想定できるのである。遺伝率というものがあるが、これは環境が同じでなければ意味のない概念なのだ。遺伝子だけが、その形質が現れる原因となる事など有り得ない。そもそも、遺伝子の情報を読み取る装置が必要で、どう読み取るかはその装置側に依存する(もっとも、この考えも単純に過ぎるのかもしれないのだが)。

 こういった話は、“交絡因子”の存在可能性の問題とも密接な繋がりがある。

 “交絡因子”とは、相関関係に観えるAとBがあった場合、同時にこの二つに影響を与える因子をいう。

 『海水浴客が増えた』、『ジュースの売り上げが増えた』という二つの現象があったとしよう。一見、まるで因果関係があるように思えるが、この二つに影響を与える『気温が上がった』という隠れた交絡因子が存在しているのかもしれない。気温が上がったから、『海水浴客が増え』、『ジュースの売り上げも増えた』のだ(もちろん、海水浴で喉が渇いた結果、ジュースの消費量が増えた可能性もあるが)。

 この交絡因子の可能性を、多因子が絡む複雑な現象は排除し難いのだ。だから、厳格に成立する法則は見出し難い。

 

 長谷川沙世と恋人同士であるという嫉妬によって、村上アキは攻撃された。今回の現象は、確かに一見はそう思える。しかし、隠れた因子の存在は否定し切れない。

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