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4.ストーキング対策

 その日、長谷川沙世はいつもとは違う変わったルートを通って帰宅していた。いや、むしろ散策していたと言った方が良いかもしれない。わざと人気のない道を選び、公園を回ったり、普段なら通らない野原を突っ切って進んだりで、一向に家に向かおうとはしない。

 放課後、彼女は普段通りに友達とくだらないお喋りをした後で、少し遅く学校を出た。夕刻といった時間帯ではないが、陽は随分と西に傾いている。そんな中を、彼女は延々と歩き続けていたのだ。彼女がなかなか家に向かおうとしないのには理由があった。

 “もう、そろそろ良いのじゃない?”

 そう思って、沙世はスマートフォンを確認してみる。だが、まだ村上アキからの連絡はない。

 少し自分が進んで来た道を顧みてみたが、野原を出たばかりであるにも拘らず、土の足跡は自分のものしかなさそうだった。

 “ま、村上君の言う通りだとするのなら、その足跡にすらも気付けないらしいけど。わたしはそれを‘見ない’そうだから”

 それから軽くため息を漏らすと、沙世は今度はどんな道を通ろうかと迷い始めた。人が少ない方が良いとは言われていた。その方が人混みに紛れない分、見つけ易いらしい。もちろんその理屈は分かるが、人気のない道は彼女にとって危険なようにも思えた。それで少なからず彼女は不安を抱いていた。

 

 “――ったく、女の子にこんな危険な事を、やらせているんじゃないわよ!”

 

 「存在感を消せる能力ぅ?」

 村上アキが戸森守の異能について説明をすると、長谷川沙世はそう驚いた声を上げた。

 「なに、そのストーカーに最適な能力は? 余裕で尾行できるじゃない!」

 アキはその予想通りの反応に、「ま、そうだねぇ」などと呑気に返す。

 長谷川沙世の悪口によって、彼女を好きになってしまった男達のうちの一人に、戸森守という男生徒がいた。アキも沙世も彼について、それほど詳しくは知らないが、印象としては、粘着質タイプのように思える。

 そして、その戸森守には何かの“存在感を消す”という能力があるというのだ。それは影がある場所でより強く効果を発揮し、それを使っている間なら足跡や彼の声、その全てに気が付き難くなるらしい。アキが名付けた異能名は『隠れ蓑』。

 「あぁ、しまった。そいつ、嫌いなタイプだったから、前の実験の時に、グループAにしちゃったわよ。悪口言ってやりたかったから」

 「グループA?」

 「便宜上の名前。グループAって事にした男共に悪口を言い続けたら、どんな反応が返って来るのかを実験してみたの」

 「ああ、なるほど」

 淡々としている村上アキに対して、沙世はこう怒鳴った。

 「何、落ち着いているのよ? それってつまりは、今までにもストーキングされていたかもしれないって事でしょう?

 しかも、下手したらプライベートがばれているかもしれないのよ? 写真とか撮られていたら、どうするのよ?」

 「だから、もう彼には悪口を言わなければ良いんだよ」

 「粘着質な性格だと影響が長期化するかもって言ったのは、村上君じゃない!」

 「長谷川さん、声が大きい。もう少し、抑えようよ」

 興奮している沙世に向けて、落ち着かせようとしてアキはそう言った。それに文句を言いかけた沙世だったが、そこでふと気が付く。声を小さくしてこう言った。

 「あっ もしかして、今も戸森君が近くいるかもってこと?」

 ところが、それにアキは自信あり気な口調でこう返すのだった。

 「いや、それはない。大丈夫だね」

 「どうして、そう言い切れるのよ?」

 それを聞くと、少しだけ言いたくなさそうにしながらアキはこう言った。

 「実は僕には、近くで誰かが能力を使っていたらそれが分かるんだよ。それも『異能察知』のうちの一つ。正確な場所までは分からないけど、これに直接の目視は必要ない」

 恐らく彼は、自分の能力を明かす事を躊躇ったのだろう。

 「そりゃ、便利ね……。でも、能力を使っていなかったら?」

 「ここに入る前に確認したけど、それらしい気配は何もなかったね。多分、彼は校門で君が出て来るのを待ち伏せしているんだよ。異能を使うのって疲れるから、帰宅の時に狙いを定めているのかもね」

 そのアキの台詞を聞いて、沙世はふと疑問に思ったのかこう尋ねた。

 「ね、そもそもさ。もしかしたら、戸森君は自分の能力に気付いていないって事も有り得るのじゃない?

 なら、今までに一度も能力を使っていないかもしれないわよね」

 ところが、それにアキはこう返すのだった。

 「確かに、その可能性はあると思う。でも多分、気付いていると思うな。少なくとも自分の異能の一部には」

 「どうして?」

 「まず、実際に僕は彼が『隠れ蓑』を使っているのを察知した事がある。もちろん、それだけなら無自覚の内に偶然、使ってしまったって可能性もあるだろう。ただ、彼が異能を使っているらしい証拠は他にもあるんだよ」

 「何よ?」

 「うん、長谷川さん。君はダイエットとかしているかな?」

 「失礼ね。そんなに太ってないわよ。それどころかむしろ痩せ気味で、お菓子とか敢えて食べていたりするんだから」

 それにアキは何度か頷いた。

 「うん、うん。だろうねえ……。でも、その痩せ始めた時期ってさ、ここ一年くらいの間だったりしない?」

 そのアキの言葉に、沙世は軽く首を傾げた。

 「そういえば、そんな気もするけど、それがどうかしたの?」

 「実は能力の種類にも因るのだけど、異能って使うのに体力が必要なみたいなんだ。僕の『異能察知』は、それほどでもないけど、それでもたくさん使えば、疲れたって感じる。長谷川さんの異能、『強制ツンデレ・ヒロイン』はけっこう疲れるはずだよ」

 「わたしの能力に変な名前を付けるな!」

 と、それに沙世はツッコミを入れた。その後でちょっと迷うと彼女は彼にこう尋ねる。

 「つまり、わたしが痩せ気味になったのって、能力を使っていたからだっての?」

 「そうだと思う」

 「だったら、能力を使うのを止めたら、太っちゃうじゃない!」

 「いや、太るのが嫌なら、犬でも猫でも草でも虫でも何でも良いから、悪口を言って異能を使えば良いよ。

 そんな事より、僕が気にしているのは、戸森君の体格の方なんだ」

 「戸森君の体格がどうしたの?」

 「彼、ここ最近で急激に痩せているんだよ。僕は彼が異能力者だと見抜いてから彼に注意をしていたもんで、直ぐに気付いた。時期的に観れば、君に恋をしてから、彼は痩せ始めてしまったと見てまず間違いない」

 「つまり、戸森君はここ最近で、能力をたくさん使っているかもしれないって事が言いたいの?」

 「その通りだね。異能を頻繁に使っていると考えた方が良いだろう」

 その説明を受けると、沙世は少し考えてからこう言った。

 「ちょっと待って。それって、確証は得られないのじゃない? もしかしたら、恋煩いで痩せたのかもしれないじゃい」

 「確かにその可能性はあるね。否定はできない……」

 

 ――この村上アキが使った推論法は、アブダクションと呼ばれるものだ。その起こっている現象を説明できる仮説を形成する推論法。これも科学的手法にとって重要だ。特に新たな発見はアブダクションによって、為される場合も多いと思われる。

 ただし、このアブダクションは、演繹的思考と帰納的思考を組み合わせたものとも捉えられる(因みに、数学的意味で数列を解くのが厳密には不可能だと言われているのは、それがアブダクションで、帰納的思考の要素が入ってしまうからだ)。

 だから、それらと同じ弱点も持っているのだ。例えば、先のアキ達の会話からだと、帰納的思考と同じ弱点がある事が読み取れる。

 “戸森守が、長谷川沙世に恋をしてから急激に痩せた”

 という事実から、“異能を使った”と“恋煩い”という二つの結論に達してしまった。このように、帰納的思考には同じ情報から複数の結論に至ってしまい特定ができないという弱点があるのだ。新たな有効な情報を得ない限り、そのうちのどれが正しいかを証明する事は不可能だ。

 “オッカムの剃刀”は、このような場合、最もシンプルな仮説を採用するという、約束事のようなものだが、もちろん、シンプルな仮説が常に正しいとは限らない。

 まだ他にも帰納的思考の弱点はある。情報の正確性を厳密に証明する事や、隠れたパラメータの可能性を否定する事も不可能なのだ。情報に対して、本当に正しいのか?と、いくらでも疑問は投げかけられるし、どれだけ情報を集めてもまだ未知の情報が隠されている可能性は否定し切れない。

 その為、自然科学においては、極論を言ってしまえば、全ての説は実は仮説に過ぎないのだ。

 もっとも、それでは不便過ぎる。だから、ある程度証拠が集まれば、それで証明された事にしてしまう。ただし、その基準は設定できないので、その判断は実は集団の印象によって決められている。科学には、このように印象に頼っている部分も少なからずあるのである。

 更に言ってしまうと、現実問題として行動を迫られるなら、例え情報不足の状況下であっても、何かしらの仮説を前提としなければいけない(複数の場合も、もちろんある)必要に迫られるのだが。

 

 「……じゃ、恋煩いかもしれない可能性を前提として、何もしないでおく? 長谷川さんが、彼に悪口を言いさえしなければ、やがては恋から醒めていくと思うよ」

 ところが、アキがそう言うと沙世はこう返すのだった。

 「冗談じゃないわよ! もし、ストーキングされていたらどうするのよ? そんな能力を使われていたら、警察に相談したって気の所為だって言われてお終いだろうし」

 「だよねぇ。なら、やっぱり悪いケースの方を想定して行動しておこうか…… もし、恋煩いか他の何かで痩せているのだったら、それだけで終わりってだけだもんね」

 「行動するって、どうするの?」

 「うん。戸森君が自分の異能を全ては分かってないだろう点を突いて、警告を与えてやるってのが良いと思う」

 

 複数の仮説が想定でき、現実問題として何かしらの対処、行動が迫られているのなら、コストとリスクとを考慮に入れ、どう行動すべきかを判断する。

 これは純粋に、学問追及としての自然科学とは言えないが、それでも自然科学的思考のうちに含めるべきだろうと思う。

 何故なら、自然科学とは、“実用性”とも深い関係があるからだ。

 

 “……まだ、見つからないの? 村上君。戸森君が能力を使っているのは、分かっているのでしょう?”

 長谷川沙世は、そろそろ歩き疲れて来たこともあって、不安になりながら多少の苛立ちを覚え始めていた。当初彼らが立てた作戦の予想では、そろそろ戸森守が発見できてもおかしくはない頃なのだ。

 アキが戸森守のストーキング対策案として出して来た作戦は単純だった。

 まず、沙世に先に学校を出てもらう。その時にアキの『異能察知』で、誰か異能を使っている人がいないかを察知する。もしも、誰も使っていなかったら、沙世に電話で連絡を入れて作戦決行の中止を伝える。

 異能を使っていると察知できた場合は、作戦を続行。充分な距離を置いてアキは沙世を追いかける。沙世は家には帰らないで、できるだけ人気のない場所を散策する。沙世の行先は、スマートフォンのメールで定期的にアキに伝え、アキが彼女を見失った場合は、アキの方から直ぐにメールを送って教えてもらう。

 そして、沙世を追いかけながら、アキは彼女の近くにいるだろう戸森守の位置を、『異能察知』で見つけ出す。正確な位置は掴み難いが、時間をかければなんとかなるだろうとそう彼は予想していた。戸森の異能でも、完全に存在感を消せる訳ではないからだ。

 戸森守の位置が分かったなら、後はそれをアキが沙世に伝え、いかにも彼女が自力で見つけた風を装って彼に警告を与える。

 以上である。

 随分と時間が流れ、辺りは既に暗くなり始めていたが、それでもアキからの連絡はなかった。

 “ちょっと、村上君。確か、影に入ると戸森君の能力は更に強くなるのでしょう? なら、暗くなっちゃったらまずいのじゃないの?”

 そう思うと、沙世の中でイメージが暴走し始めた。姿が確認できない。その恐怖が、実際の脅威以上に戸森守の存在を彼女の中で大きくさせていたのだ。電柱の影の中に、戸森守は潜んでいるかもしれない。植込みの中に潜んでいるかもしれない。実は、直ぐ目の前にいるのかもしれない。自分は後少しで襲われてしまうのかもしれない。村上アキは護ってくれるだろうか?

 しかし、そんな風に彼女が危機感を抱き始め、走って家に帰ってしまおうかと悩んだその時だった。彼女のスマートフォンが光ったのだ。メールの着信である。

 “待ってました!”

 沙世が確認すると、やはりそれは村上アキからのメールだった。瞬間、彼女は冷静さを取り戻す。

 『戸森君をやっと見つけた。すぐ後ろの公園の茂みの中にいる。灌木に囲まれて、一本木が生えている辺りの影』

 沙世が振り返ると、確かにそこには木が生えていた。恐らくは針葉樹だが、葉がやたらと繁茂していて、隠れ易くなっている。沙世はその辺りにまで近づくと、こう言った。

 「戸森君。いるのは、分かっているのよ。怒っていないから、お願いだから出て来て」

 彼女はできるだけ優しく言ったつもりだったが、その声は明らかに怒っていた。それを本人も自覚していたから、“ま、悪口じゃないから、惚れさせる効果はないわよね”などと言い訳のように思った。

 彼女が言い終えると、ちょっとの間の後で戸森が木の影から出て来た。アキの言う通り、彼はそこに隠れていたのだ。その姿を見て、沙世は安心をした。後は、作戦通りに忠告をするだけ。

 「随分と隠れるのが上手いみたいだけど、これからは誰かの後を尾行するなんて、絶対に止めた方が良いわよ。

 あなたは気付いていなかったかもしれなけど、少しコツを掴めば、あなたが何処にいるのかなんて簡単に分かるんだから」

 そから沙世はそう言った。もちろん、最後の部分は嘘である。彼は自分の異能を全ては把握していない。だからその嘘によって恐怖心を与え、大胆な行動に出られないようにするのが目的だった。沙世は更に続ける。

 「もし、これ以上、わたしをストーキングするつもりだったら、警察に言うわよ? ストーカー規制法くらい知っているでしょう? もし捕まったら、戸森君のこれからの人生、一気に暗くなるんだから」

 その言葉に、明らかに戸森守は動揺していた。「う、あ」と声を発し、「誤解だ…」と小さく言う。しかし、それでも沙世が睨み続けると、ばつが悪そうな顔をして逃げるように去って行ってしまった。その反応を観て、彼女は満足する。

 “これなら、効果充分って感じね!”

 戸森は元々、気が弱そうでもあった。だからこれで恐らくは、もうストーキングはしないだろう。後は、これからは彼に対して、沙世が悪口を言わないようにすれば、彼の恋も醒め、それで万事解決しそうだった。

 

 帰宅後、

 「ちょっと、村上君。どうして、あんなに見つけるのが遅いのよ! お蔭で、歩き疲れて足が痛いわよ!」

 と、長谷川沙世は村上アキに文句の電話をかけていた。

 「いや、ごめん。

 何処に隠れているのかを、確実に把握してからって思ってたら遅くなっちゃった。戸森君が疲れて一度『隠れ蓑』の異能効果を切ったお蔭で、確信を持てたのだけど」

 「ああ、もぅ、本当に心配性よね、村上君は。

 まぁ、上手くいったから良いけど。でも、覚えているでしょうね? 戸森君の件で有耶無耶になっちゃったけど、わたしはあの話をまだ聞かせてもらってないんだからね」

 「え? あの話って?」

 「惚けないで。

 わたしは、村上君の能力の活かし方についての話を、まだ聞かせてもらってないわ。明日、学校で聞かせてもらうからね」

 受話器の向こう側。アキの家。

 それを聞いたアキは、項垂れていた。

 「ああ、なんか厄介な事を言い出しそうだなぁ、彼女」

 そして、そんな独り言を漏らしたのだった。

 

 ――さて、どうしよう?

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