1.村上アキの異能
――SFと一口に言っても、実は様々な意味がある。“サイエンス・フィクション”だけでなく、“スペキュレイティブ・フィクション(思索的という意味らしい)”でもSFだし、“サイファイ(この言葉には、特に意味がない)”でもSFで、“少し不思議”でもSFだ。
ただし、ここでは王道に則り、SFという言葉をサイエンス・フィクションという意味で使おうと思う。つまり、空想科学だ。
ここでの科学は、もちろん、社会科学や人文科学ではなく自然科学の事だ。そして、自然科学は実は暗黙の内に、自然法則の普遍性と絶対性を前提に置いている。つまり、自然法則は時間が経っても変化しないし、世界の何処でも同じ様に成立する。そういった前提を置いているのである。
これはキリスト教圏における唯一神の絶対性と普遍性の概念を受け継いだものなのだが、法則を設定した神自身になら、それを捻じ曲げる事も可能だとかいった解釈は、ここでは考えない。だからSFの“S”を、サイエンスと解釈するのであれば、少なくとも自然法則は普遍で絶対であるという前提を受け入れなくてはいけない事になる。
だが、それを理解した上で、ここでは敢えて少しだけアマノジャクになってみようかと思う。定石、基盤を大胆に無視する。そういう事で、新たな創造性が生まれる場合もあるのだし、全く無意味な試みではないだろう。法則が一定ではない。そんな世界を想定し、それでもSF小説を成り立たせられるよう努力してみるのだ。
いや、『法則が一定ではない』というのは、言い過ぎかもしれない。『法則が一定ではない疑いがある世界』。そう表現するのが、より正確だろう。曖昧に変化しているように見えるその世界の法則に、実は隠れた普遍性が存在する可能性は、人間には否定できないのだから。
さて、では始めてみよう。自然科学が自然科学になる為の前提条件を無視した世界設定を、どう扱えばSF小説になり得るか。
取り敢えずは、そんな世界に科学的手法によって挑む態度に、それを求めてみようかと思う。
……少女達の一団が、愉快そうに談笑しながら進んでくる。既に放課後になっていたが、彼女らの向かう先には高校があった。
“一体、何の用だろう?”
彼女らの正面、反対方向から歩いて来た村上アキは、そんな彼女達を見て、そんなどうでもいい疑問を思った。因みに、彼は帰宅途中だ。見たところ彼女達は、部活をしているようにも思えないから、恐らくは教室かどこかで遊ぶつもりでいるのだろう。何をして遊ぶ気でいるのかは分からないが、どうせくだらない事に決まっている。
向かって来た少女の内の一人が口を開いた。
「どーして、わたしってば、嫌いな奴にばっかり好かれるのかしらねぇ? 好きな人には、それほど好かれないのに」
それを切っ掛けとして、アキとすれ違う前辺りから、彼女達はこんな会話をし始めた。冗談交じりの口調で、他の少女が返す。
「今日も嫌いな男子に告白されたのだっけ? 沙世って、なんか悪口を言う時、変なオーラでも出しているのじゃないの?」
沙世と呼ばれたその少女は決して不細工ではなかったが、著しい美人にも見えなかった。少し可愛い程度。しかも性格がきつく毒舌を吐く。だから、モテる理由が分からないのだろう。
「何よ、その変なオーラって」
「なんか、ツンデレっぽく見えちゃうとか、そんな感じの」
沙世という少女は、うんざりした感じでそれにこう返した。
「止めてよ。本心から、嫌いな奴ばっかりなんだから」
それに別の一人が言う。
「でも、そのお蔭で酷い毒舌のあんたが、大きな喧嘩もせずに済んで来たんだから、良いじゃない」
「わたしは別に喧嘩しても良いけどぉ?」
「喧嘩って厄介よ。疲れるだけだし。しないに越したことはないわ……」
そんなところで、アキとすれ違っていた少女達は彼の後方に遠くに離れてしまった為、もう会話は聞こえては来なくなった。村上アキは俯き加減で軽くため息を漏らすと、そっと心の中で呟く。
“ツンデレに見える変なオーラ… 当たらずとも遠からずって感じかな”
実は彼には、沙世という名の少女、フルネームは長谷川沙世というのだが、彼女の性質… いや、能力が分かっているのだ。
彼女には、“悪口を言った相手を好きにさせる”という特殊能力があるのである。これは男女の区別なく発揮される。アキが名付けたこの能力の名前は『強制ツンデレ・ヒロイン』。そしてこの能力は、アキがその影響を心配しているうちの一つでもあった。因みに、アキも彼女も同じ一年生だが、クラスは別だ。
“放っておいたら、何かしら問題を起こしちゃったりしそうだよねぇ”
今のところ、長谷川沙世自身は、自分のその能力に気付いてはいないようだった。ただし、気付かないままでも気付いても、どちらにしろ厄介事を引き起こしそうに彼には思えていたのだが。
先の会話にあった通り、長谷川沙世は毒舌家でありながら、大きな喧嘩をここ最近は経験した事がない。それは彼女が悪口を言った時、この能力によって、言われた相手が彼女に好意を抱いてしまうからだ。
ただし、そうやって相手が自分を好きになれば、沙世はそれでもう相手の悪口を言わなくなる事の方が多い。時間が経てば能力の効果は薄れ、やがては普通の関係になるのが常だった。しかし相手が男の場合は、そのパターンにならない事も、少なからずあったのである。
男の場合は、“好意”に恋愛感情が絡むケースが多いのだが、その相手が沙世の本当に嫌いなタイプだった場合、彼女の好意を得ようとして接してくるその相手に対し、沙世は更に悪口を言ってしまう。すると、相手はそれでまた沙世を好きになり、結果として、その感情が持続してしまうのだった。いや、更に強化されてしまう事すらもあった。それで、複数の嫌いな男達から言い寄られるという、大変に迷惑な事態に長谷川沙世は陥っているのだ。しかも、『どうして、あの程度の子が?』という嫉妬の目で周囲から見られる事も少なくない。
もっとも、これは長谷川沙世の自業自得とも言える。彼女が毒舌を直しさえすれば、それで問題は解決するのだから。しかし、アキにはそうも思い切れないのだった。
――仮に、長谷川さんのあの毒舌が、そもそもあの異能の所為だとしたら、どうだろう?
もしかしたら、今ほどではないにしても、幼い頃から彼女にはこの能力があったのかもしれない。それで誰かの悪口を言っても、その相手を傷つける事がなかったのではないか? そんな経験を繰り返せば、悪口を言う事に抵抗がなくなっても無理はない。結果として、彼女は毒舌家に育ってしまった、という可能性はある。だとすれば、彼女は自身の能力の犠牲者だ。
“なーんか、手は打っておいた方が良いよな、やっぱ”
そんな考えもあって、村上アキはそのように思っていた。もちろん、幼い頃に成長が早かった所為で増長してしまっていた、自身の経験をそこに重ねていたのは言うまでもない。
彼女の能力は危険でもあった。彼女の能力によって彼女を好きになる相手が、常に良心的であるとは限らない。いや、嫌な相手に対して悪口を言うだろう事を考えるのなら、問題のある相手に遭遇してしまう可能性は大きいと考えるべきだろう。その所為で、ストーカー被害に遭う事だって起こり得る。
それに。
彼女を好きになった相手に、何かしらの特殊能力がある可能性だってある。その場合、彼女の身に何が起こるかは分からない。
そう。
実は長谷川沙世のような特殊能力を持つ人間は、他にもたくさんいるのである。そして村上アキ本人もその一人だった。
ただし、アキの能力は普通は何の役にも立たないものだったのだが。彼の能力は、相手が異能力者でなければ全く意味がない。つまり対異能力者用異能… メタ異能とでも呼ぶべきものだったのだ。
“……てか、普通、特殊能力モノの物語の魅力の一つって言ったら、出てくるキャラの特殊能力が何なのかワクワクするとかじゃないのか? 徐々にそれが分かっていったりとか。
なんだよ、このワクワク感ゼロの能力は。初めから相手の能力が大体は分かっちゃうなんてさ“
彼は自身の異能について、はっきりと自覚した時にそんな事を思った。
彼には、目視したその人間がどんな異能を持つのか、瞬時に見抜き把握できるという異能力があるのだ。長谷川沙世の能力を見抜けたのも、彼にその能力があるからだった。
その異能が彼に現れたのは、高校に入学してまだ間もない頃の事で、初めは幻覚の類で単に疲れているだけだと思っていた。ところが、彼が見抜いた通りの異能を、自覚のあるなしに関わらずその異能力達は発揮してしまう。これでは、自分のその異能が本物であると判断するしかない。かなり悩んだが、村上アキは結局はそれを受け入れた。
自分には、異能を見抜く異能がある。
名前がないと不便なので、彼は自分のその異能に『異能察知』という名を付けた。
そんな能力を得られたからといって、彼は特に何もする気はなかった。色々な可能性を考えてみたのだが、面倒な事態を引き起こすパターンしか想像できなかったのだ。例えば、仮に『異能察知』を活かし、異能力で犯罪を行っている人間を見つけたとして、一体、どうすれば良い? 誰も自分の話なんか信用しないだろう。異能力の存在が社会的に認められていない以上、それを利用しての犯罪は立証できない、いや、そもそも犯罪にはなり得ない可能性だってある。しかも、彼に『異能察知』の能力があるとその犯罪者達にばれでもしたら、彼は命を狙われてしまう危険性すらあるのだ。
もちろん、他にも彼は自分の異能の活かし方について色々と考えていた。ただ、どう考えてもそれにはリスクが伴うし、労力だってかかりそうに思えた。
だから、『異能察知』で危険な異能力者を見分け、警戒するような用途以外では、彼は自分のその能力を使わないと決めていたのだ。それで彼は、学校や街中、テレビやネットで異能力者を見つけたなら、その特徴を手帳に記録していた(直接目視しなくても、彼の能力は発揮されるようだった)。
もちろん、その過程で犯罪に役立ちそうな異能にも遭遇する。そして、ニュースで不可解な事件が流れれば、その関連を想像したりもした。例えば、最近になって、謎の連続殺傷事件がこの地域一帯に起こっており、犯人は捕まっているのだが、いずれも原因不明の衝動的犯行で、そのほとんどが被害者と何の関連もなかった。更に言うのなら、加害者には関連性がないのに、被害者の多くには何故か共通点があったのだ。被害者達は、A―テクニカルという名のIT企業に所属している者が多かった。当然、何かしらの企業活動妨害が噂されたが、有用な情報は何も出ては来なかった。明らかにおかしい。異能力者が関わっているように思える。
しかし村上アキは、この手のニュースを全て無視した。気にし始めたら切りがないし、犯人逮捕がかなり難しい上に危険である点は先に説明した通りだ。それに、『異能察知』ができるだけのただの高校生には、社会の悪と戦う役割は荷が重過ぎる。それは当たり前の態度だったのかもしれない。
もっとも『異能察知』は、使い方によっては凄まじい効果を発揮する異能でもあったのだが。もしも、そのリスクと労力を彼に背負う覚悟があるのなら、彼は異能を利用して強力な力を得る事が可能かも知れない。
異能力者の存在を、手帳に記録し始めて数ヶ月が経った頃、村上アキはそのデータを簡単にまとめてみる事を思い立った。何か分かる事があるかもしれないと思ったのだ。
表計算ソフトに、その内容を入力して、ソフトの機能でグラフ化する。実はつい最近、学校の情報処理の授業でそのやり方を習ったばかりだったのだ。
すると、能力者を発見する回数は、時間と共に右肩上がりで増加し、つい一ヶ月ほど前で止まっているのが分かった。そこからは減少傾向か横ばいだ。
つまり、一ヶ月ほど前までは異能力者達は増え続け、そこで突然止まったのではないかと想像ができた。新たな異能力者が生まれているにしても、それは赤ん坊か小さな子供である可能性が大きい。
学校や街中だけならごく狭い範囲の標本調査による記録に過ぎず、信用できないが、テレビやネットの分を合わせるのなら、それなりに信頼ができそうなデータに彼には思えた。
もちろん、高度な統計処理をして分析した訳ではないから、アキのその記録が、世の中全体を観るデータとして、本当に信用できるかどうかは分からない。彼の集めたデータが母集団に対して充分な量で、かつ偏りがあるかどうかは不明なのだ。しかし、いずれにしろアキにとって判断材料となる情報は自分が集めたその記録しかないから、それを信用するしかなかったのだが。
アキがその右肩上がりのグラフに線を引き、ちょうどゼロになるまで伸ばしてみると、それは一年半くらい前となっていた。
もしかしたら、その時期に異能力者達に異能が出現し始めたのかもしれない。或いは、潜在的に持っていたそれが、より強くなっていったか……
一年半前に何があったのか?
“異能を持つ者が出現し始める”というのは、異常事態だ。世界の物理法則さえ破っている。だから何かがあってしかるべきだと彼は想像したのだ。
だが、アキはいくら考えても何も思い付かなかった。特別な事件や事故は起こってはいない。それでネットで検索してみたのだが、やはり目立った出来事は何も出てはこなかったのだった。
だが、その代わり、彼は少しだけ気になる点に気が付いたのだ。
『異能力者なり切り掲示板』
ネット上の某匿名巨大掲示板の一つに、そんなものがある。これは異能力者の振りをして、会話を楽しむといったもので、そこには(架空と思われる)異能がある所為で起こる日常生活の些細な出来事や、或いは冒険譚などが多数記述されてあった。
この『異能力者なり切り掲示板』が流行り始めたのが、ちょうど一年前くらいだったのだ。この掲示板は、マイナーながら未だに静かな人気を獲得している。
もしかしたら、初めにこの掲示板に書き込みをし始めたのは、本物の異能力者だったのかもしれない。半年のズレはあるが、それくらいのタイムラグが発生していてもおかしくはない。むしろ妥当といえる。自分だけが異能を持つという孤独に耐え切れなかったのか、密かに世間に向かって告白をしたかったのかは分からないが、その書き込みを冗談の類だと思った閲覧者達が、それを切っ掛けとして『異能力者なり切り掲示板』を作ってしまった可能性は捨て切れないだろう。
もちろん、確証は何もないのだが。
しかし、『異能力者なり切り掲示板』には更に別の噂もあった。
『異能力者なり切り掲示板』には、一般人では閲覧できないアンダーグラウンドがある。そしてそこでは、更に異常な会話が飛び交っているというのだ。
もちろん、アングラというだけあって、犯罪絡みのものも多いのだという……。




