10.村上アキの計画
ここ数日の間、村上アキは朝と午後に一回ずつ、必ず立石の教室を訪ねていた。ただし、立石に会うのが目的ではない。彼の目的は白石琴美だった。彼女と話をして、しばらくすると「サイコロを投げてみて」とお願いをする。白石がその通りにすると、大体はサイコロの目は少なかった。彼女に悪運が集まって、かつその悪運が解消された事をそれは意味していた。
「一体、何なのかしらね?」
どうしてアキがそんな行動を執るのか、不思議に思った白石は、立石にそう相談してみた。立石は「多分、厄払いみたいなもんよ」と、それにそう返す。
村上アキに運は見えないが、『異能察知』で白石の『悪運吸収』の異能が発動した事は分かる。それで自分の悪運が吸収されたと判断したら、悪運を解消させる為に白石にサイコロを振らせているのだろう。
“問題は、どうしてそんな事をしているのか?って点なのよね”
一番簡単に思い付くのは、今、狙われているだろうアキが、少しでも不安を拭い去ろうとしている、というものだが、立石は違うような気がしていた。何故なら、アキのその行動で立石の運気が上がっているからだ。仮にそんな理由だとしたら、これはおかしい。だから立石はこう考えていた。
もしかしたら、彼は例のサラリーマンの凶行を止めさせる為に密かに行動しているのかもしれない。そして、その危険を考えて、少しでも悪運を減らそうとしている。立石の運気がそれで上がっているのは、いずれ彼がその行動の結果として、立石に協力を求める事になるからなのかもしれない。そうなれば、これから彼の異能『異能察知』を利用し易くなるから、立石の運気が上がっているのだ。立石は白石琴美に言った。
「ねぇ、琴美?」
「なに? 望ちゃん」
「あなたは村上君のアドバイスで助かった訳じゃない。ほら、このサイコロのおまじないで。
だから、もし彼が何か困っていたら、その恩返しに彼に協力するくらいしても良いと思うのだけど、どう思う?」
「そりゃ、わたしにできる事があるなら、構わないけど?」
それを聞くと、立石はにやりと笑う。
「あんたが良い子で良かったわ」
そして、その後で、協力を得られそうな人にまだ声をかけておいた方が良いかと、そんな事を彼女は思ったのだった。
――道具主義。
という考え方が科学にはある。科学は何よりもまず“道具”であるというものだ。それが真理かどうかはどうでもいい。道具として役に立つのなら、認めるべきだ。社会的な実用性とも、この“道具主義”は繋がっていると捉えるべきだろう。
実は、この考え方に多くの疑似科学は耐える事ができない。疑似科学は何の成果も上げないのが普通で、だから何の役にも立たないからだ。心霊科学や超心理学が、何か実績を残した事があっただろうか? 疑似科学は何の成果も残さないのが普通なのだ。摩訶不思議な医療技術は、実は不治の病にしか生息域がないという歴史的事実がある。治療法が発見されると、そういった偽物の医療技術は駆逐されてしまうのだ。
ただし、この考え方にも問題点はある。
その理論が間違っていても裏に隠れた別の理論で、それが効果のある場合もあるのだ。社会性をその考慮に加えると、更に判断が難しくなってくる。
メスメリズムは疑似科学だが、問題点を抱えていたとはいえ、催眠効果により実際に役に立っていた。
だからもしこの考え方を、疑似科学の選別に役立てるのならば、より検証を強くする等の、他の考え方との併用が望ましい。
もっとも、実用的観点に立つのなら、それが不明の場合でも、使用しなくてはならない場合もあるだろう。
そして、ここにもそんな“準科学”とでも呼ぶべき理論があった。
『異能力者なり切り掲示板』
そこを利用する“研究者”の内の一人が、本物の“異能力者”だと判断した事例だけを集めて作ったと主張している異能、或いは異能力者の特性。それを纏めた一覧が、あるサイトに掲載されていた。
例えば、『異能力を複数持つ者はいない』、『メタ異能力には、普通の異能効果が効かない場合がある』、『異能は突然、発現する』などといった事が書かれている。このサイト及びに研究者は、基本的には馬鹿にされていたのだが、その内容は一部の利用者達からは役に立ったと感謝されてもいた。
アキを狙ったサラリーマンが、このサイトを見ていた可能性は高い。
「――実は、掲示板で戸森君らしき人の書き込みを見つけたんですよ」
そうアキは教師の松田に語った。駅で中年男性からからまれていたところを、彼に助けてもらった後の話だ。
「その戸森君らしき人の書き込みは、ある研究者を名乗る人物から注目されていましてね。詳しい内容を教えて欲しいと、交渉されていましたよ。途中までしか読む事はできなかったのですが、多分、戸森君は教えてしまったのじゃないかと思います」
松田はそれを聞くと、こう返した。
「なるほど。で、長谷川の居場所を知ったそいつは、長谷川の家の前で待ち伏せしていたってのか?」
「はい。多分、『異能察知』の異能があるかどうかを確かめようと思ったのでしょうね。
ところが、そこで沙世ちゃんはサラリーマンに対して、『強制ツンデレ・ヒロイン』を使ってしまった。それを異能だと見抜いたサラリーマンは、沙世ちゃんに『異能察知』はないと判断したのでしょう。異能力を複数持つ者はいないって、あるサイトに載っていましたから、それを信用したのだと思います」
「で、他に『異能察知』を持つ者がいるはずだと考えて、長谷川について聞き込みをしてお前を見つけ出したってか? そして、お前を狙ったと?」
戸森守の掲示板の書き込みには、沙世を尾行している男生徒の存在が書かれてあった。サラリーマンは、その男生徒が協力者で、『異能察知』の能力を持っていると考えたのだろう。そうアキは判断していた。もちろん、その男生徒がアキな訳だが。
「そうだと思います。多分、あのサラリーマンは、自分の異能『感情感染』で人を殺しているのでしょう。だから、それが発覚するのを恐れているのですよ。近くに住んでいる人間の中に僕みたいな『異能察知』を持つ者がいたら、脅威に思うはずでしょう」
それを聞き終えると、松田は腕組みをしてからこう言った。
「しかし、これからお前はどうするつもりなんだ? その話が本当なら、そいつはお前を殺そうとしているのだろう? 俺がいつもお前を助けてやれるとは限らないぞ」
松田は険しそうな表情を浮かべていたが、アキにそれほど不安そうな様子はなかった。
「いえ、多分大丈夫だと思います。もちろん、感情を接触感染させる異能を警戒して、満員電車には乗らないようにしますが、少なくとも危機的状況ではないですよ」
「どうして、そう思うんだ?」
「あのサラリーマンの異能は、感情が強くなければ何の役にも立ちません。つまり、僕への殺意が強くなければいけないんだ。ところが、あの人には僕を憎む理由がない。不安と殺意は違いますしね。多分、今回は沙世ちゃんの『強制ツンデレ・ヒロイン』がまだ残っていたから、嫉妬心で僕を憎めたのでしょうが、いずれその効果は切れます」
それを聞くと何回か頷いた後で、松田は「なるほど。一応は、理に適っているな」と、そう答えた後でこう続けた。
「しかし、そのサラリーマンを野放しにする訳にはいかないだろう? まだ、もっと殺し続けるかもしれんぞ」
「そうですね。何とかした方が良いと思います。取り敢えず、その人の住所を調べますよ。僕に考えがあります」
「立石達にも頼むのか?」
その松田の質問に、アキは首を横に振った。
「いえ、それはしません。彼女達を巻き込んだら、彼女達まであのサラリーマンに狙われてしまうかもしれない。あのサラリーマンが自分の罪を隠したいのなら、それを知っている相手全てが対象になるでしょうからね。
多分、今回の、僕が暴行を受けた件は、学校でも既に噂になっているはずですから、沙世ちゃん達も知っているでしょう。だからあのサラリーマンは、嫉妬で僕を襲ったって事にしておきますよ」
「オイオイ、俺は良いのか?」
「先生には『異能操作』があるから、大丈夫じゃないですか。異能効果を無効化してしまえば良いのだから」
「しかし、どうせなら、そのサラリーマンの『感情感染』の異能を、立石達に隠しておけば良いじゃないか。そうすれば、興味も持たんだろう」
「危険な相手だって事は伝えておきたいんですよ。警戒してもらう為に」
その後でため息を漏らすと、松田は言った。
「教師としては、お前の行動も止めたいところだ。狙われている張本人だしな。俺も協力するから、何をどうするつもりか教えろ。もっと俺を頼れよ」
それを聞くとアキは笑う。
「もちろん、頼りまくる気ですよ。扱き使ってやります」
それに、「お前な!」と、軽くツッコミを入れてから、松田は静かに言った。
「無理はするなよ」
「はい」と、それにアキは応える。
放課後。
村上アキは、街を一人で歩いていた。多少、緊張している様子。如何わしそうな店が立ち並ぶ繁華街。その裏の小道。そこに彼の目指す場所があった。その小道には“占いの館”という看板が下げられている店が出ている。“館”とは書かれているが、そこは小屋ですらないただのテントで、いかにも胡散臭そうだ。ただし、ここの占いを熱烈に信じる者もいるらしいから、あまり馬鹿にはできない。
「失礼します」
そう言って、アキはそのテントの中に顔を突っ込んだ。すると、紫のショールを頭から被った女性が、警戒心を剥きだしにした表情でアキを見ている姿が飛び込んで来た。アキはそれに笑う。テントの中に足を踏み入れた。
「今日は、何を占いましょうか?」
投げやりな口調でその占い師の女性は言った。この占い師は、アキが占いを頼みに来た訳ではない事を知っているのだ。
塚キミコ。
それが、この占い師の名前だ。そして、このキミコには『読心』という異能があるのだった。もちろん、その異能と話術を組み合わせて、彼女は占いを行っているのだが。
「そう警戒しないでください。あなたが異能を占いに使っているからといって、責める気は僕にはありません。
しかし、そんな事まで分かってしまうのですね」
キミコはそれに頷きながら、こう返す。
「まぁね。半径五十メートルくらいの範囲にいる動物なら、直接見なくても心をある程度は読めるわよ。もっとも、明確な言葉として理解できる訳じゃないのだけど。
で、ワタシの異能を知っているあなたは、ワタシに何の用かしら?」
「はい。実は、少しピンチに陥っていまして」
と、そうアキが説明をしかけたところで、キミコはそれを止めた。
「ちょっと待って。やっぱり、まずその前に、どうしてワタシの異能を知っているのかから教えて」
「『読心』で既に分かっているのでは?」
「言ったでしょう? はっきりと言葉で分かる訳ではないのよ」
それにアキは頷く。
「分かりました。では、説明します。実は僕には『異能察知』という異能があります。それでその名の通り、異能力者を見抜く事ができる。僕はこの異能に目覚めてから、街などを散策して異能力者を見つけると、その人をメモするようにしていたんです。恐ろしい異能から自分の身を護る為、或いは、何か役に立つと思って」
「ふーん。それで、ワタシの事も知っていたんだ? 街で見かけて、メモしておいたと」
「そうです。まさか、本当に役に立つ日が来るとは思っていませんでしたが」
そう答えた後、一呼吸置いてから、アキはこう続けた。
「実はあなたに依頼したいのは、あるサラリーマンの調査なんです」
「あるサラリーマン?」
「はい。ただし、顔も名前も分かりません。だからこそ、あなたにお願いするしかないと思ってここに来たのですが」
軽くため息を漏らすと、キミコはこう言った。
「分かったわ。話くらいは聞きましょう」
それからアキは最近、自分の身に起こった事を説明し始めた。『感情感染』の異能を持つサラリーマンに、自分が『異能察知』を持つ事を知られ、そのサラリーマンから、どうやら命を狙われているらしいとそんな話をする。聞き終えると、キミコは言った。
「ふん。あなたが大変だっていうのは分かったわ。で、どうやってワタシはそのサラリーマンを調べればいいの? 何にもなしじゃ、流石に無理よ」
「朝、八時前後の時間帯に駅で待伏せし、あなたの『読心』を使って、僕を狙っているだろう人を見つけて欲しいんです。きっと、僕を襲う為に、そのサラリーマンは自身の感情をたくさんの人に感染させていると思うので、多分、簡単に見つかる。
何しろ、そのサラリーマンが誰かに触れている間なら、二次感染三次感染と、等比級数的に感染者は拡がっていきますから。
で、もし見つけたら、その感染源だろうサラリーマンを確認して、住所と名前を突き止めてもらいたいのです」
「つまり、探偵の真似事をやれっての?」
「はい。あなたの異能があれば、比較的簡単だと思いますので」
それを聞くと、キミコは少し考えた。面倒臭そうな仕事だ。しかし、この少年の異能は捨てておけない。今、貸しを作っておけば後で利用できる可能性がある。
「お金は? いくら用意できるの?」
「取り敢えず、五万円持って来ました」
“五万…… まぁ、妥当な額か”
とキミコは思う。それから、こう言った。
「ん。分かったわ。その五万は、前金として貰っておく。でも、成功したら、更に追加で五万貰うわよ」
「はい。それくらいなら、何とかします」
アキはそう言うと、カバンの中から、封筒を取り出した。恐らくは、五万円が入っているのだろう。それをキミコに渡す。中身を確認すると彼女は言った。
「じゃ、契約成立って事で。そのワタシが張らなくちゃいけない、駅の場所を教えなさいな」
……実は占い師は、探偵のような行動を執る場合もあると言われている。相手の情報を気付かれないようにして手に入れ、それを占いに活用する為だ(もちろん、探偵を雇うケースもあるのだろう)。これを“ホット・リーディング”という。これに対し、“コールド・リーディング”という話術などにより相手から巧みに情報を引き出す技術も存在する。もちろん、街の占い師などの主流はこちらだろう。ただし、重要な局面では、“ホット・リーディング”を使う場合もあるはずだ。
だから、インチキ占い師でもある塚キミコにとって、このアキからの依頼は、それほど抵抗のあるものではなかったのだ。実は何度か調査の経験がある。
因みに、疑似科学にも、これら技術が活用されている場合がある。
それから数日後、塚キミコからアキに連絡があった。どうやら首尾良く彼女は、サラリーマンの名前と住所を突き止めたらしい。
「大変だったのよ? そのサラリーマンは案外、簡単に見つけられたのだけさ。ほら、朝な訳でしょう? そこから尾行して、会社を見つけて、帰宅するまで待って、更にそこから尾行して、家を突き止めるって事をしなくちゃいけなくてさ」
アキがお礼を言って、名前と住所の場所を聞くと、彼女はこう応えた。
「名前は“上無深夜”っていうらしいわ。家はマンションで、“A―テクニカル”って企業の社宅よ」
アキはそれを聞くと、密かに喜んだ。“多分、合ってる”と心の中で呟く。連続殺傷事件の犠牲者の多くが勤めている会社だったからだ。辻褄が合う。それで塚キミコが突き止めた情報は正しいと彼は判断した。
「土曜日って、学校は半日だけでしょう?
成功報酬も受け取らないといけないから、案内してあげるわよ」
それからキミコはそう言って来た。もちろんそれは単なる親切ではなく、村上アキとのコネを強くしておいて、後で利用する為のものだったのだが。