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0.能力と自己

 幼い頃、村上アキは、他の子供達よりも随分と成長が早かった。だから身体も大きかったし身体能力も高かった。そのお蔭で駆けっこでもあまり負けなかったし、取っ組み合いの喧嘩でも大体は勝っていた。そしてその所為で、幼い彼は少なからず、増長してしまっていた。

 ところが、ある時に他の子達との間で軽い諍い事があり、その時に彼はこんな事を、担任教師から言われてしまったのだった。

 「偶々、身体が大きくなっただけで、そんなに威張らないの!」

 どんな切っ掛けで、その諍いが起こったのかは既に彼は覚えていなかったのだが、教師がそんな事を言ったからには、恐らく自分が悪かったのだろうとは思っている。

 そして彼はその言葉に、甚く傷ついたのだった。

 ――僕の身体は、僕自身ではない。

 もちろん、子供の頃にそう明確に理解できた訳ではなかったのだが、言葉として表現するのなら、そういったニュアンスで、村上アキは教師の言葉を受け止めていた。そして、そう受け止めてからは、彼は他の子供に対し傲慢に接する事が少なくなった。

 身体能力の高さを誇る事が、まるで恥ずかしい事のように思えてしまっていたのだ。

 周囲の大人達は、そんな彼の心中など一切理解せず「成長した」などと言っていたが、実を言うのなら、彼は単に疑問が解けないで悩み続けていただけだった。

 そして、小学生の低学年で、彼の身体の急速な成長は止まり、高学年になる頃には他の子供達に追いつかれ、抜かされ、結局はむしろ平均よりも少し低いくらいの大きさに留まった。

 今になって振り返って思うのなら、担任教師の言葉があったお蔭で、自分はこの変化に対応できたのかもしれない。そう、高校生になった村上アキは思っていた。もし、増長したまま成長をし、身体能力の高さを自己同一性にまで組み込んでしまっていたなら、他の子供達に身長が追いつかれた辺りで、不安定な子供の精神には耐え切れない程の、強い葛藤を体験していたかもしれない。そして、もしそうなっていたなら、人格形成に大きな問題を抱えていた可能性がある。そういう意味では、運が良かったのかもしれない。叱ってくれた小学生の頃の担任教師に、感謝をしなくてはならないだろう。

 そんな事を彼が最近になって思ったのは、知り合いの双子の兄弟の身に起こったある出来事が切っ掛けだった。

 彼らの家は資産家だったが、家督を継ぐのは兄という方針を早くから決めていたらしかった。両親はそれで家督争いの原因を断とうという算段だったのだ。家督を継ぐのを明確にしておけば争う必要もないという理屈だ。もっとも子供の立場にしてみれば、良い事なのか悪い事なのか分からないが。

 結果として、兄は“家を継ぐ”という強い意志を抱くようになり、それを目標に人生を設計するようになっていた。素直に親の言う事を聞いてしまったのである。対して弟は、家の力を利用しようとは思っていたらしいが、基本的には“家と自分とは別”と意識するようになっていた。

 これで何もなければ、彼らは上手い具合に人生を送る事ができていたかもしれない。しかし、高校に入学した辺り、つまりつい最近になって事件が起こった。

 父親が事業で大きな失敗をし、家の資産のほとんどがなくなってしまったのだ。生活に困るといった程ではないが、それでも上流階級という立場からは転げ落ちてしまった。

 それでどうなったかというと、兄の方は人生の目標を見失い、酷く落ち込んでしまっているらしかった。何をすれば良いのか分からず、良かった成績も随分と下がってしまった。ところが弟は、ほとんどその影響を受けなかったのだ。

 これは聞いた話で、別の高校に進んだ彼らの事を村上アキは詳しくは知らないのだが、少なくとも弟の方には一度会い、直接話を聞いているから、弟が元気そうなのは確認をしている。もっとも、当然の事ながら、彼の内面まで分かった訳ではないのだが。

 「いや、もちろん、家の力を利用できなくなったっていうのは、でかいダメージだよ。ただそれは、楽できなくなったってくらいの事でしかない。俺は今まで通りに暮らしていくだけさ」

 これはその時の弟の言葉。その言葉通り、彼は成績をまったく落としてはいなかった。

 注釈を少し加えておくと、兄と弟の成績は以前はそれほど変わらなかった。双子だから予想はできるかもしれないが、身体能力も同じくらいだ。

 この双子の兄弟の差は、自己同一性を“家”に強固に結びつかせているかどうかだったのではないか? 家に属する事を、自己と同一化させていた兄は、家の没落と共に問題にぶつかってしまったが、家と自分とを別だと捉えていた弟は、大して影響を受けなかった。

 村上アキはそんな風に考え、そして自らの幼い頃の記憶を思い出したのだ。担任教師の言葉がなければ、“身体と自分”を同一化させていたかもしれない自分を。

 “僕も、もしかしたら、双子の兄のようになっていたかもしれないんだ”

 その時、彼はそんな感想を抱き、そして更にそこから派生させて、こんな疑問も思ったのだった。

 自身の“能力”は、果たしてどこまで“自己”と言えるのだろう?

 だが、それから直ぐにこう思い直す。

 いや、違う。自身の“能力”は、果たしてどこまで“自己”とするべきなのだろう? と、問うべきか。

 何を自己と同一化させるかは、結局は本人の意識次第。ならばこれは、それをどう決定するべきか? といった問題になるはずだ。

 どうした方が、自分にとって、或いは社会にとって役に立つのか。

 少し考えてから、村上アキは思う。

 “いや、常に正しいなんて選択があるはずないか。これは、どんな立場の人間が、何をするかで決まって来るんだ”

 例えば、スポーツ選手なら、その身体能力を自己に結びつける事には、やはりメリットがあると考えるべきかもしれない。自己と能力を同一化するからこそ、練習に励んで、それを伸ばそうとするのだろう。

 しかし、これにはその能力が失われてしまった時の喪失感が大きいというデメリットがある。高齢になって身体能力が衰えた時、或いは怪我などでその能力を失った時、その誰かは大きな問題にぶつかる事になる。

 それに、傲慢さを失くすという点に注目をするのなら、能力と自己は分けて捉えた方が良いだろう。能力に依存し、それに溺れてしまってはいけない。

 やはり、ケースバイケース。

 という事は、その時々で“自己”を変化させられるのが一番良いのだろうか。ある時は、その能力を自己に組み込み、ある時は、自己から切り離す……

 そこまでを考えて、村上アキは軽く笑った。

 “それじゃ、まるで不定型なスライムみたいじゃないか。そんな自分を、自己同一性があると呼べるはずがない”

 そんな事を思ったからだ。

 もしそんな状態が実現できるとして、村上アキには、それで真っ当に人生が送れるとは思えなかった。

 ――さて。

 と、それでまた考える。では、どんな自己の境界線を設定する事が、人にとってベストなのだろう?

 能力そのものではなく、能力を手に入れる過程で努力をできた事。それを“自己”へ組み込むのなら、なかなか具合が良さそうに彼には思えた。

 仮にその能力が失われたとしても、“努力できる自己”があるならば、その問題を乗り越える事が可能かもしれない。能力に自己を依存させていない上に、“努力できる自己”には、汎用性があるからだ。

 しかし。

 ならば、全く努力しないで能力を手に入れてしまう。そんな事がもし起こったとしたら、どうなるのだろう?

 この場合は、そもそも、その努力が存在しないのだ。

 実際、そんなケースは有り得る。幼い頃、彼の身に起こった身体の急成長は、当にそれだった。彼は特別な訓練などまったくしなかった。普通に生活していて、勝手に身体が育っただけである。

 きっと、生まれながらにして、大きな身体を持って生まれた人、或いは、美女や美男などもそんなケースなのだろう。双子のケースのように、生まれた家が金持ちというのもそうだ。“家に属する事”ではなく、そのまま“家”を自己だと思ってしまったなら、強烈に傲慢になり、そして好き勝手に家の資産を使い始めるかもしれない(そういう話を、時折、耳にする事もある)。

 それに、今はゲームの世界でだってこれは可能なのだ。チートと言われる能力数値の改ざんで、簡単にプレイヤーはスーパーマンになれる。

 ……または、何かの偶然で、奇妙な能力を、何の苦労もせずに手に入れてしまうだとか、なんとか。

 このように自己を肥大化させる傾向は、やはり危険だと言わざるを得ないように彼には思えた。だから、もしそんな傾向を、自分、或いは他の誰かが持ってしまっているようだったなら、注意が必要かもしれない。

 村上アキはさんざん思い悩んだ上で、そんな結論に辿り着いたのだった。

 

 ――そして。彼のそんな信念にも似た意識と、それに伴う行動が発端となって、この物語は始まる。

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