第1話、嘔吐の宿屋。
聳え立つ巨壁は、技術力の低さをまるで窺わせず、どれほどの年月と労力を費やして作り上げたのか、その歴史に思いを馳せてしまいそうになる程に長大だ。
飛竜に跨り上空から見下ろすと綺麗な真円を描いており、建国以来敵国から王都を守り続けてきた歴史から円環の盾と呼ばれている。
ちなみに円環の盾の内側はと言えば、王城を中心に据え、その周囲が中央区、さらにその周囲を4枚の扇を並べた様に北西、北東、南西、南東の各区画が広がっている。
大通りはもちろん王城を交点とし、十字を切るように伸びており、さらに年を重ねた樹木の年輪のように円を描く道路も整備されている。
機能美を追求した、完全に区画整理された都市であるが、これほどまでの壮大さを備えていればそれはもはや芸術品のようにすら感じれる。
一般人ではその全容を眼下に納めることはまずな無いだろうが、城壁の上に立つ兵士であればその一端に触れることは出来るだろう。
そして王都の兵士たちはその町並みを背後に警備の任に当たれる事を誇りに持ち、陽光照りつける夏の昼も、雪の降り積もる冬の夜もその任を全うするのだ。
さて、そんな王都だが、ひときわ目立つ集団がぞろぞろと歩いていた。
それもそのはず。
自らが宿す魔術の属性の色が毛髪に現れやすいこの世界で、揃いも揃って黒一色の髪の毛を一団が目の前を通り過ぎれば嫌でも周囲の視線を集める。
言うまでもなくケイを除いた1年3組の一行だ。
一行は長い列に並び城壁南門を通過して王都入りした後、まずギルド(王都南西部にフロディーレ王国本部がある)へ向かい、馬と馬車を渡し、護衛に付いてくれていた冒険者の依頼書にサインをしてから宿屋に向かったのだった。
旅の最中もだが、宿に着くまでの間、変に悪目立ちするので逆にテンプレ的に盗賊に襲われることも無く無事に到着することが出来た。
「なんとかここまで来れて一安心だねー。」
「そうね。サトシの準備が良くてほんと助かったわ。」
部屋が割り当てられて、部屋に入るとすぐサヤカとコトノはほっと息をつく。
二人が座るベッドにはマットレスなどと贅沢なものは無いが、それでも馬車や野宿に比べれば万倍マシというものだ。
なにより、道中何度か町に寄って宿に泊まったりもしたのだがやはり目的地に着くまでは本当に心休まることなど無かっただろう。
これから泊まる宿くらいは変わることもあるだろうが、当分は馬車にのっていつ襲撃に遭うかもわからないような旅をしないで済むと思えばこれほどに安心出来ることは無い。
また、30名余りの人数が事前の予約なしで纏まって止まれる宿を見つけることは難しいが、現在クラスのリーダーであるサトシが事前に宿の予約をしていたので、宿探しに時間をとられる事も無く皆休息に専念できているという訳だ。
ちなみに美少女二人に感謝されている当のサトシが、休む間も惜しいといわんばかりに旅の目的であるフロディーレ魔術貴官学校に足を運んでいるとは3組の誰一人として想像もできなかっただろう。
「ケイ、大丈夫かな。」
「大丈夫だよー、人類最強と謳われたケイ君が異世界に来たくらいでやらっれっこないよ!」
コトノが呟く様に小さくもらしたその言葉に、サヤカは耳ざとく反応する。
人類最強は言い過ぎよ、と苦笑する。
必ず強くなって王都に行くと言ったケイをもちろん信じている。
だが、向こう見ずというか猪突猛進というか、無茶をしがちなケイのことを思えば、心配するなというほうが無茶な話だとコトノは思う。
もちろんそんなことはサヤカとて十分に理解している。
だが、理解しているからこそ無駄に不安をあおるようなことは言わない。
それが気休めだとしてもだ。
「コトノもケイ君に手紙送ったら?」
「サヤカ、あんたいつの間に!」
いやらしく顔を歪めるサヤカの手に羊皮紙と筆ペンが握られているのを見て驚愕する。
ちなみにだが今は一階のトイレに行っているサクラの机の上には既に書き終えた手紙が置いてある。
「いる?」
「……っ、もらうわ。」
「えぇ~、どうしよっかな~。」
「いいから早くよこしなさいよ!」
「わっ、わっ、やぶれちゃうって!」
などと女二人でやかましく押し合いへし合いして、軍配はコトノにあがる。
「ふぅっ、最初からおとなしく渡せばいいのよ。」
「コトノはもうちょっと素直になるべきだよねー。ま、そういうとこがまた良いんだろうけど。」
「だまってなさい。」
サヤカはむきになって羊皮紙と筆ペンを強奪したコトノをみて満足げにうんうんと頷く。
コトノはと言えば、早速机に向かいこれから書く手紙の内容を考えてうんうんと唸っている。
なんとも仲良しな二人と言って良いだろう。
中学、高校ともに同じで、さらに部活も同じなのだからそれもそのはずだ。
旅の最中も基本的にこの二人はセットで行動している。
移動中の馬車内ではサクラとユウキを交えて談笑し、休憩や野宿の際にはまた同じように4人で神様にもらった力の訓練をする。
途中からは護衛の冒険者に手伝ってもらったり、他の戦闘関係のスキルをもらったクラスメイトもあわせて訓練したりもしていたが。
現代では起こりえない魔術に皆ではしゃいだりして、辛いながらもそれぞれ楽しみを探して前向きに進んでいるのだ。
コトノは羽ペンにインクすら付けずに、文面を考えているのだろうか、ただひたすらに羊皮紙を見つめ続け、サヤカは神様にもらった弓の手入れをしていた時だ。
部屋のドアからノックの音が響いた。
続いてドアが開き入ってきたのはサクラだ。
「あぁ、おかえり、サクラ。」
「うん、ただいま。」
そういうもののサクラは部屋には入ってこない。
「どしたの?」
「一緒にご飯食べに降りない?」
不思議に思ったサヤカに問われて、ようやく少し恥ずかしげにサクラは口を開く。
どうやらトイレに行こうと一階に降りたときに、食堂の匂いにやられて空腹を思い出したようだ。
一階に下りると窓際の空いた席に座り手早く注文を済ませる。
「ほんと、この世界に来てから食事と言うものの大切さが身にしみるわね。」
しみじみと言うコトノに二人も同意する。
この世界にも日持ちする食材は当然ある。
だが製氷機も冷蔵庫もなく、年間通して冬などの一部の地域を除いて、冷蔵保存という概念のないこの世界では、肉と言うのはある意味貴重だ。
ある意味というのは、この様な都市を始め、人が住む町や村でも手軽に食べることが出来るが、旅となると、必ずその日に獲物を狩る必要が出てくるからだ。
もちろん干し肉であれば多少長持ちはするのだが。
そしてこの世界は肉食動物だけでなく、魔獣もいる。
狩った獲物を持って帰る時に、血の匂いに誘われた魔獣に襲われた、などという話はこの世界ではありふれているのだ。
この一月半。
旅慣れた冒険者を雇い、サトシが入念に事前の準備をしてくれたからこそ、飢えるような事はなかったが、肉を食べれなかった日など両手の指では収まらない。
だからこそ食のありがたみがわかるのだ。
給仕の女性が料理を運んでくる。
机の上に並べられた三つのプレートにはみな同じ食材が並んでいる。
何を隠そう、オーク肉ステーキだ。
当然魔獣である。
しかしこれがまた美味なのだ。
「んー、やっぱりおいしいオーク肉!」
「最初に街道で襲われた時なんか、ケビンさん達がその場で解体してバーベキュー始めちゃって、皆気持ち悪くなってたのにね。」
「そ、そういえばそんな事もあったね……。」
コトノが言った時の事を思い出し、サクラが若干顔を引きつらせる。
現代人でも殺したばかりの牛の解体ショーを見た後に牛のステーキを出されたらなんとも言えない気持ちになるだろう。
それが二足歩行の醜悪な豚ともなればなお更というわけだ。
「ごめんごめん、ケイだってオーク肉のステーキ食べてるって思ったら悪いもんでもないでしょ!」
などと訳の分からないフォローを入れて二人は約三日ぶりの肉にありつく。
サクラもなんとかトラウマを押さえこんで無心で栄養を摂取する。
同じメニューであるのにかなり毛色の違う食事になってしまっているのも仕方のないことか。
なんにせよ弓道部コンビの肝の据わり方はそこらの男にも勝るものがあるかも知れないということだ。
「おいっす。」
「こんばんは、一緒に良いかな?」
そこで声をかけてきたのはクラスメイトのユウキとサツキとケンタ。
ちなみにサツキと聞くと女性をイメージしがちではあるが、男性だ。
本人も小学校のときにそのことでよく弄られたと自白している。
ケンタは転生直後に真っ先にケイに詰め寄った男と言えば分かるだろうか。
「いいよー、座って座ってー。」
「ありがとう。」
サヤカが陽気に答えたところでサツキが礼を言って座り、ケンタも続いてその隣に座る。
ちなみにユウキは返事を聞くまでもなくさっさと自分の席を確保していた。
すかさず給仕の女性がやってきて、三人も女性陣が食べる肉が気になっていたのか、オーク肉のステーキセットを頼んだ。
「いやー、今となってはオーク肉もご馳走だな!」
「そうだな、最初に解体ショーを見せられたときはまじできつかったぜ。」
ちょ、っとコトノがユウキの口を塞ごうとしたがとき既に遅し。
ユウキに続いてケンタが止めを刺した。
「うんうん……、あの時はほんとひどかったよね……。首を切って血を抜いて、お腹を裂いて内臓をとりだ、ウッ。」
「ちょ、ほんとばかっ!」
ついに限界に到達したのかサクラが顔を青くして口元を押さえる。
コトノが必死に背中をさすり、サヤカはあーあーと苦笑して傍観を決め込んでいる。
「えっ!?なに、なんかわりぃ!」
「すまん、配慮がたりんかった。」
ユウキは突然の事に慌て、ケンタは以外にもすぐ状況を理解して謝罪する。
「あんた達みたいに図太い奴ばっかりじゃないんだから、気をつけてよね!」
「そうそう、私たちもさっきおんなじ事しちゃったんだけどね~。ひぇっ!」
コトノにキッと睨み付けられてサヤカが顔をそらす。
お前も大概図太いんじゃねーか、などと言ったときには何をされるか分かった物じゃないので二人とも口元に笑みを張り付かせて黙り込む。
タイミング良く給仕の女性が三人のオーク肉のステーキセットを運んできたことでなんとか場の緊張感は緩む。
「大丈夫、サクラさん?」
そんな中真面目にサクラの心配をするサツキも、かなりマイペースである。
しかしやっていることは他人の心配なので人柄の良さがうかがえる。
「ありがとう、もう大丈夫そう。」
サクラもバカなやり取りに気が紛らわされたのか、まだ若干顔色は悪いが、峠は超えたようだ。
「ほんと、デリカシー無いんだから。」
もちろん、お前もな、などと絶対に言うものはいない。
そんな事は言わせないわよ、と目が物語っているのだ。
「わりぃわりぃ。ごめんな、サクラちゃん。」
「もう良いよ、ユウキくん。」
ユウキの謝罪にサクラも元気は無いが笑顔で答える。
「そういえば今日は訓練どーするんだ?」
「今日は休みよ。サトシが今日は宿から出ちゃダメって言ってたでしょ。」
「ああ、そうだったな。」
訓練と言うのは今回のたびの間、ユウキ達が自主的に行ってきていたトレーニングのことだ。
旅が始まるまでは、サツキとケンタはグループにずっといる仲ではなかったのだが、この訓練をきっかけに仲良くなったのだ。
ケンタは神様に力をもらった。
純粋な力。
筋肉といったほうが分かりやすいかもしれない。
ケンタは元の世界でラグビー部に所属していた。
なので元から体はがっしりしていたのだが、異世界で行くためにはもっと筋肉をつける必要がある、と思ったらしい。
言ってしまえば脳筋野郎だった。
しかし、努力なくして成功なし、とでも言いたいのか、神様はいささかながら意地悪でケンタも転生直後から体格が目に見えて変わった、などということは無く、ユウキの魔術の訓練の合間に一緒に筋トレしたり、冒険者に木剣を使って稽古を付けてもらったりしていくうちに仲良くなったと言うわけだ。
訓練の成果としては、どうやら常人に対して筋肉の発達スピードと出力が変わったようで、体も以前にまして分厚くなり、さらに見た目以上のパワーが出るようになったらしい。
そして訓練の際に使う道具を作っていたのがサツキだ。
現代でいう塩顔という言葉がピッタリな男。
薄い顔に白い肌、目がクリっとしていれば中性的なイケメンといったところか。
そんな彼は下の世界で所謂オタクだったそうだ。
特にプラモデルを作ったり、アニメキャラの武器を複製したりするのが趣味だったようで、神様には作りたいものを作れる器用さが欲しいと願ったという。
もちろんこの神様、万物創造等といったチートスキルを与えてくれるわけもなく、地道に木から木刀木剣を削りだしたり、コトノとサヤカに石製の鏃を付けた矢を作ったりしていた訳だ。
一度コトノとは言い合い(といってもほぼコトノに反論はできなかったが)をしたケンタや、元々オタク趣味のサツキではあるが、ユウキ達四人と仲良くなったのは至極自然な流れであった。
で、たまたまそのメンバーが集まったので訓練の話になったのだ。
「まぁ俺も今日はゆっくりしたいって思ってたしちょうど良いや。」
「筋トレは部屋の中でも出来るからな、俺はやるぞ。」
「勝手にやってろ脳筋。」
「今の言葉、忘れるなよ。」
頭にはてなマークを浮かべて首をかしげるユウキだが、この後三人の部屋に熱気と汗臭さが充満し、ユウキが一時避難する事になったのは言うまでもない。
サツキは事前に予見し、他のクラスメイトの部屋に避難していたので難を逃れたそうな。
意外と世渡り上手な男だったりする。
「やぁ、皆。僕も一緒にいいかい。」
と、そこでサトシも合流する。
「噂をすればって奴だねー。偶然偶然。」
楽しそうに笑いながらサヤカが席を勧め、サトシもそこに座る。
「ところでサトシ、あんた今外から入ってこなかった?」
「え、まぁちょっとね?」
「どこ行ってたのよ。宿から出ちゃダメってアンタが行ってたんじゃない。」
言い逃れはさせないわよ、という無言の圧力にサトシが屈して口を開く。
「いやぁ、明日行こうかなって思ってたんだけど、時間が割と空いてたから学校に話をしに行ってたんだ。」
はぁ、と全員がため息をつく。
「サトシ、なんとかお前のおかげでここまでみんな無事に来れたんだ、ちょっとは休めよ。」
「そうよ、それに一人で行くなんて危険過ぎるのよ。せめてそこの筋肉ダルマを連れていくとかあったじゃない。」
馬鹿にされているはずなのに何故か当の筋肉ダルマさんは誇らしげだ。
「皆疲れてるかと思ってね。」
平然とそう答えるサトシは本心からそう言っているのだが、
「サトシ君も疲れてるんだからあんまり無茶したらダメだよー。」
と、サヤカにまで心配される始末だ。
「そうだぞ、クラスの誰か一人でもかけたら俺は身が危険なんだ、忘れるなよ!」
ふと旅の出発前にケイからそんな事を言われていたのを思い出したユウキが語気を強める。
「ごめんよ、心配させちゃったみたいだね、次からは気をつけるよ。」
サトシも皆の気持ちを汲んでくれたようで、素直に謝罪する。
「で、どうだったの?」
「ああ、これが情けない事に門前払いだったよ。」
フロディーレ魔術貴官学校という所は、その名の通り、将来の役人、軍人を育てる場所である。
またその名前の通り、その教育カリキュラムは魔術を主軸に組み立てられている。
要するに全く魔力をもたない人間は基本的に入学できないのだ。
そして魔力を持つものは貴族の家に生まれやすい。
何故なら、魔力というものはある程度遺伝するために、貴族の結婚相手には大抵魔力を持つものが選ばれるからだ。
そして入学費も高いとなれば、多少魔力を持っていても一般庶民では入学できるような場所ではない。
つまり、フロディーレ魔術貴官学校の生徒は、基本的に貴族、商人などの富裕層の魔力を持った子供達ということになるのだ。
それはもはやこの学校の伝統ですらある。
例外で言えば、金はあるが魔力がない貴族、富裕層の子供が金を積んで入学した場合、もしくは一定以上の魔力を保持する庶民の子供が、学費の全額、または一部の免除を受けて入学した場合である。
それ以外はほぼゼロと言っていい。
だが今回、サトシが持っていった話はこうだ。
貴族ではないが金はあり、魔力も平均程には持っている約三十人を次年度から入学させたい。
とまぁ、前代未聞の突拍子もない話だ。
しかも聞いてみればその全員がつい二ヶ月ほど前に辺境の街で冒険者登録したばかり、しかもその上それ以前の記録は多分残っていないだろうと。
ここまで来ればもはや荒唐無稽にすら聞こえてくる。
という訳で不審者扱いされて追い返されてきたそうだ。
まぁ、予想はしてたんだけどね、とサトシは苦笑する。
「で、何か解決策でもあるって顔ね?」
「さすが女性の勘は鋭い。もちろんあるともさ。」
と、そこで追加で頼んでいたサトシのオーク肉のステーキセットが運ばれてくる。
「あぁ、なんだか懐かしいね、初めて――」
「サトシ、黙って。」
今度こそ言わせない、とコトノは満面の笑みを携えて、オーク肉のステーキの汁を滴らせたナイフを突きつけた。
「い、一体何事なんだい……。」
サトシは顔を引き攣らせて両手を挙げた。
サブタイトル、寒いだなんて気づいてました。
でもやらずには居られない。
王都編は三組メンバーメインでケイの出番ほぼないとか。
投稿再開します。