第14話、旅立ち前夜。
異世界製の飾り気の無い長袖長ズボンに、着心地の悪い安物の皮鎧に身を包んだ俺の胸元で、銅製のギルドタグとS字のネックレスがカチャカチャと音を鳴らす。
こちらはちょっと高価だったネジ巻き時計をズボンの横ポケットから取り出す。
このネジ巻き時計は、最大まで巻いた常態から6時間で一周するのだが、12時の鐘に合わせて巻いたこの時計がもうすぐ一週しようとしている。
つまり、目盛りどおりであるならば、後15分ほどで18時になろうとしているという事だ。
「間に合うかっ?」
今日はユウキと夜の中央広場で話をしてから6日目。
つまり明日、3組は旅立つ事になるので、最後の夜に桜とご飯を食べてゆっくり喋ろうと約束していたのだ。
集合場所と時刻は中央広場で18時と決めてある。
連絡手段がないこの世界でサクラを一人待たせるわけには行かない、と走るスピードをさらに上げる。
町の門を通る時に、おっさんがお帰りと声をかけてくれたので、軽く手を上げて返しておいた。
この世界では馬や土竜などの中長距離に用いる高価な移動手段しかないため、この三週間、依頼の受付から目的地までひたすらランニングで移動していた俺の体力はそこそこ上がってきている。
そのため森からこの町へ帰ってくるのにもそれなりのスピードを保ったまま走り続けることができている。
「あいつらは俺になんか恨みでも案のかよ。」
そもそもここまで急いで帰らなければならないのは、今回の依頼に思いの他、梃子摺った事と、例のウィンドウルフ2匹に出くわしたのが原因だ。
今回の依頼内容は、ファーラビット一匹の捕獲。
ファーラビットの毛皮は、保温性に優れ、その美しい長毛は固体によって色合いが異なるのだが、その色合いの違いが婦人たちのお洒落心をくすぐるのだそうだ。
そしてその装飾品としての需要だけでなく、肉も柔らかく臭みのない高級肉として知られているため銅ランクでは鉄板の依頼だそうだ。
そのファーラビットは魔獣ではないのだが、これが小型犬ほどの大きさなのだが、意外とすばしっこい。
用途が用途だけに、傷つけずに捕獲ということで、最初は追いかけていたのだが、発見から20分程追いかけた所で、我慢ならずに鞘に収めたままの三尺刀で殴って捕まえた。
幸い裂傷等はなく、問題なく依頼は達成できた。
その時点で時間的には急いだ方が良い時間だったのだがここで出てきたのが、2体のウィンドウルフだった。
普段から、依頼の目的地へはランニングで移動し、毎晩二時間は三尺刀をふっていたのが功をなし、今回は怪我をすることも無く余裕を持って殺せた。
元はといえば、早くランクを上げたいがためにスケジュールを詰め込んだ自分が悪いのだが、計画の邪魔をした、縄で縛られ走る俺の背中で跳ねている黒ウサギとウィンドウルフ共が恨めしい。
それにしてもこの三尺刀のなんとすばらしいことか。
俺は昔から観察力があったため、体を動かすスポーツやら格闘技なんかは上手な人を見れば、すぐに真似をしてコツをつかめていた。
今回は、実践派格闘技オタクでもあった俺が某動画サイトで見た昔のすごい人の日本刀の演舞を思い出しながらおっさんの家の庭で練習していた。
刀の長さによる遠心力もあり、まだまだ足運びが甘く実践で使うには不安ばかりだが、足を止めて、動かない空想の敵相手に刀を振るうだけなら、なんとか傍からは見れるくらいになった。
日本刀のことをまったく知らないおっさんには奇妙な刀を思うように振るえているように見えるそうだ。
だが完璧主義の俺には不安要素しかない。
そんな俺でもこの刀は実践で想像通りに敵を切り裂いてくれる。
殺生になじみの無い日本人の俺からすれば、内心では切れないくらいのほうが気持ちが楽だと思えてしまうほどに鮮やかに一太刀で獣の命を奪い去る。
首を切れば頭が宙を飛び、胴を薙げば腸(はらわた)が零れ落ちる。
強烈な獣の血臭と、夜の森では写ることの無かった惨たらしく鮮烈な光景に何度吐き気を催した事か。
要するに刀に関して全くの素人である俺がこんな光景を作り上げたこと自体が奇跡のようなものだというわけだ。
回想の間もペースを落とさず町を駆け抜けると中央広場が見えてきた。
まだ鐘は鳴っておらず、何とか定刻に間に合った事に安堵する。
サクラはすぐに見つかった。
暗くなった中央広場のさらに真ん中、噴水の前で、足をそろえ、両手を体の前で組み、背筋を伸ばしてまっすぐに立っている。
その光景はまるで映画のワンシーンのようで、サクラの存在そのものが周囲をドラマチックな雰囲気に引き込み、日本刀と黒いウサギを背負って走ってきた俺が場違いに見えるかもしれない。
だが、サクラが俺に気づいて笑顔で手を振ると、さっきまで場違いだった俺の存在までサクラの世界に巻き込まれてしまう。
サクラはいつもこうやって人を巻き込んでしまう。
サトシの計算によって人を誘導するカリスマ性とはまた別の、純粋に人の心を惹きつけるカリスマ。
あいつのことが大好きな俺だからこんな風に感じるのかもしれないが、きっとサクラの周りの人達もみんなこいつに引き付けられているに違いない。
いつまでもこちらに手を振るサクラの笑顔にこのまま癒されていたい、と立ち止まった俺だったが、18時を告げる鐘の音にすぐに現実に引き戻された。
そばに寄れるのに、傍から眺めている手は無いだろう?
「わりぃ、遅くなった。」
すぐに駆け寄って謝罪する。
「ケイくん、ちょっとだけ遅刻かな?」
「いーや、中央広場には来てたからセーフだ。」
「そうだね、ケイくん学校とか友達と遊ぶときは遅刻ばっかりなのに、私と遊ぶときは一回も遅れたことないもんね。」
いつもぎりぎりだけど、と悪戯っぽい顔で微笑んでくるサクラはどこか嬉しそうだ。
普段は時間にルーズな俺でもサクラとの約束は絶対破らないようにしている事にサクラはちゃんと気づいてくれている。
「うるせー、間にあってんだからいいだろー。」
「うん、ありがと!」
もう付き合いだして7ヶ月を過ぎているのに、いまだに約束を守るなんて当たり前のことでもサクラはちゃんとお礼を言ってくれる。
こういう律儀なところもサクラの魅力のひとつだ。
その変の女じゃあこうはいかないだろう。
コトノみたいなツンデレ女にはまず無理だな。
「ところでケイくん、なんだか血の臭いがするんだけど、もしかしてまたケンカ?」
どうやらウィンドウルフと戦ったときに血がかかっていたようで、サクラが心配そうな顔をしていた。
「森で狼に襲われただけだ、心配すんな。」
「ほんと、ケイくんは荒っぽいことばっかり。怪我あったら直すよ?」
「大丈夫、俺は怪我してねーから。そういやこのウサギ、ギルドに納品してきていいか?」
「もちろん。私も一緒についていくね?」
「悪いな。」
「今日もお仕事お疲れ様!」
この町に来た最初のころは、サクラも向こうの世界のことで悩んでばかりだったが、徐々に踏ん切りもついてきたようで、俺をねぎらってくれるサクラの笑顔はやっぱり俺の大好きな笑顔だ。
ギルドに寄り、おっさんの家で服を着替えて体を拭いてから、俺たちは予定からかなり遅れた夕食を食べにきた。
俺の支度を待っている間もサクラは文句ひとつ言うことなく、それどころかその時間すら楽しんでくれていた。
「ここの料理おいしいね!」
ちょっとおしゃれなレストランといったところだが、その外観でいえば日本のファミレスにも劣る。
だが、ギルドの酒場とは違い騒々しくなく、ランプの暖かな明かりと古風で飾り過ぎない調度が俺のリクエストどおりだ。
このアナログでファンタジーな世界ではあるが、味のほうも申し分なく、サクラも喜んでくれているようで何よりだ。
もちろんリクエストはおっさんにした。
「マリーさんの飯とどっちがうまい?」
「マリーさんのはお母さんの味、ここはレストランの味!
どっちが、とかは決めれないよ。」
「うまくかわしたな。ここって言えばマリーさんに言ってやろうと思ったのに。」
「ほんと、ケイくんは意地悪だね。マリーさんって言ったらちょっと凹んだくせに。」
「悪いな、お前の困った顔も好きなんだ。」
言いながらも少しも悪びれない俺にもいやな顔せずサクラは嬉しそうに頬を染める。
「レアだよね、ケイくんが好きって言ってくれるの。」
「言わないだけで普段から思ってるっての。」
明日の朝にサクラたちが旅立てば、長い間あえなくなるだろう。
再会するまでの最後の夕飯を一緒に食べるこの時間だけは好きでも大好きでも大放出だ。
「ケイくんは意地悪なのに優しいからずるいんだよ。」
「やさしかねーよ。」
「私には優しいよ。」
サクラはそう言い切ってから嬉しそうにレストランで鉄板と言えるステーキを頬張る。
俺も釣られて肉を頬張るが、自分が働いた金でうまい物を食べるのはやっぱり母さんが作るものとはまた違って良い。
それがサクラと一緒ならなおさらだ。
ちょっと奮発した甲斐があるって物だ。
「明日の準備はできてるのか?」
「ばっちりだよ。昨日のうちに全部馬車に積み込んだし。」
「忘れ物するなよ?」
なんで俺と同じ学校なのかわからないくらいに、サクラは真面目で優等生だったが、おっちょこちょいな所もあるので少し心配になる。
「そのときはケイくんが届けに来てくれるよね?」
「何年か後には持って行ってやるよ。」
「ケイくんは意地っ張りの頑固者だから、ほんとに何年か後になっちゃいそうだね。」
サクラといいコトノといい、俺に惚れている女どもは変に物分りがよく、俺が一緒に行かない事は納得済みで、数年会えないかもしれないという事さえ笑って受け入れてしまう。
それも俺が迎えに行くと言うことに、一切の疑問を抱かず、信頼してくれているからだと気づければ、サクラへの愛情は増すばかりだ。
「できるだけ早くいけるようにするから、待ってろよ。向こうで男作ったら許さねーからな。」
「それだけはないよー!それだったらケイくんの方がよっぽど心配だよ!」
「なんでだよ、考えても見ろ。俺は冒険者でお前は学生。俺がいないところで変な男が寄り付かないか心配でしかたねぇ。」
「私は寄り付いてきても受け付けないから大丈夫なの!ケイくんは女の子に甘いとこあるし、かっこいいからコトノちゃんみたいにライバル増えちゃいそうだよ。」
「出会いがないから大丈夫だって。」
「かわいい子と出会っちゃったら?」
「そりゃ、モテる男の宿命ってやつだな?」
俺が冗談めかして言うと、ほっぺたを膨らませて『もうっ。』と不満を訴えるサクラがまたかわいい。
「ほんとケイくんは女の子を心配させてばっかりなんだから。」
「コトノのことか?」
「そうだよ。私には言ってこないけど、サヤカちゃんがコトノちゃんもケイくんの事心配してたっていってたよ。」
「ユウキと公園で喋ってた時にコトノに出くわして直接言われたよ。」
「私が言うのもなんだけど、コトノちゃんホントに良い子だよね。」
「だから俺も突っぱねられないってのもあるんだけどな。」
「ん?」
ジト目でにらみつけてくるサクラに軽く謝罪をする。
全く、三人が三人共を認め合うだなんて奇妙な三角関係が成立するのも、こいつらの性格が良すぎるからだろうな。
「俺はそう簡単にくたばったりしねぇから。サクラも安心して学校行って来い。」
「うん、絶対だよ?」
「当たり前だ。言っただろ?俺がお前を守ってやるって。ちょっと間ユウキに預けなきゃいけねぇが、あいつじゃ役不足だからな。すぐに追いついてやるよ。」
「懐かしいね?ケイくんはすぐ危ない事するから、私はケイくんが怪我しても治してあげれるようになって待ってるね。」
俺達が付き合うことになったときの事を思い出しながら、もう一度約束をする。
サクラ達の旅立ち前、最後の夕食を一緒に過ごすことができることに感謝しながら、俺達は残りの食事に舌鼓をうった。