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第一話 リヴァーランの馬車の上にて

 

 

 少年は、馬車に揺られていた。

 初老の男が手綱を握った2頭の馬が引くその馬車の天井は吹き抜けで、まるで荷台である。

 ガタンゴトンと時折荷台を揺らすその道は、ややなおざりに地ならしがされているだけの土道だったが、少年はその乗り心地の悪さに、しかし特段の感慨を抱いてはいなかった。むしろ、この快晴の天気に若干の驚きすら感じているのだった。ウィンターフェルは常に冬のようだったからである。

 

 その荷台に乗り込んでいるのは、少年だけではなかった。そもそもそれならば、商売にならないと馬の手綱を引くあの初老の男は馬車を引くこともなかっただろう。

 それでなくても、ウィンターフェルからリヴァーランまでは、この少年しか乗る人間がいなかったので、この男はリヴァーランで客がつかめなければそれまでだと少年の足元を見たあげく、いつもの料金の2倍の料金をふんだくったのだった。

 少年は、しかしそういった商談の経験がまったくなかったこともあってまったく抵抗することなく言い値の料金を支払わされることになったし、実際少年もそういうものかと納得し、すでにそのことについては記憶の片隅においやられてしまっていた。


 少年は、やはりその集団たちには興味はなかったが、大きく分けて少年以外の集団が二つあった。ひとつは、主に男たちで構成された集団である。彼らは雑談に沸いており、ところどころ大げさな笑い声が響いてくる。その会話の内容は、主にキングズランディングの噂話や、商売や、娼館の話だったので、彼らはキングズランディングへの旅行者であると見てまず間違いなかった。

 ウィンターフェルからリヴァーランへと続き、緑荒野を越えてキングズランディングへと続くこの街道は、主にキングズランディングへと向かう旅人たちに好んで使われる。


 もうひとつの集団は、その旅人たちの集団と比べると、幾分毛色が違っていた。

 まず、その集団は7人ほどから成っていて、そのうち5人は女性だった。そういうわけだから、最初、もう片方の男たちに声をかけられていたようだったが、残る二人の男たちが腰の刀剣に手をかけてすごむと、すぐに手を引いて内輪話に移っていったのだった。


 まるで護衛の騎士のような立ち居振る舞いだったが、どうも実際に護衛の任につけられているらしく、5人の女たちの3人は侍女、いわゆるメイドであるらしいことがその言葉遣いからうかがうことができた。そしてもう二人は、その騎士とメイドにかしずかれる姉妹であった。


 キングズランディングはこの七王国を統治する王都である。男たちの旅団に比べればいくぶん珍しいことではあったが、王都に召集される名のある家の騎士や子女たちがこの道を使うということもまったくないことではない。


 それはそれで、少しかわいそうだと、少年は旅情も手伝って柄にもなくそのどこかのお嬢様たちに同情した。自分と同じような年端で、もう王政の権謀の中に足を踏み入れることになるのか。もっとも、彼女らは、王都にいけるという華やかさのほうに目が行ってしまって、そう思ってはいないかもしれないが。


「ねぇあなた。あなたはどんな目的でこの旅をしているの?」


「……」


 しばらくすると、先ほどから少年を珍しそうにチラチラ見ていた先ほどの令嬢の、大きいほうが少年に声をかけてきた。

 基本的に名家の人間に声をかけられた庶民は、それをありがたがり、へりくだるのが普通だし、またそうするのが慣例のような向きもあったが、少年はまずその少女をジロリと観察した。

 身長は少年と同じくらいで、育ちのよさそうな格好に、整った顔立ちをしていた。その腰にレイピア、小刺突剣まで差しているのだから、商人や庶民ではないのは明らかである。


「それに、その髪に肌、まるで童話の“異形人”のようだわ。あなたの故郷ではみんなそうなの?」


「……」


 お嬢様、そのような遊びはお控えくださいと、彼女の護衛の騎士が言ったが、それを聞かず、少女はさらに少年に質問した。

 少年は、白子だった。髪はこの旅を始める前に切りそろえて短かったが、しかし根元から毛先まで真っ白で、その肌もまるで陶器のように透き通るように白かった。彼女はどうもそれが興味を引いたらしく、そしてもうひとつ、


「その荷物はなに? ずいぶん大きいけど、一人旅にしては似つかわしくないじゃない?」


 と、白い少年の荷物について質問した。

 少年は、最初黙っていれば、そのうち興味を失ってしまうだろうと取り合わなかったが、少女が一向に引き下がる様子を見せなかったので、仕方なしにボソリと一言だけ言った。


「ウィザーズ・ランディングに行くんだ」


「まぁ! 本当!? 奇遇ね、私もよ」


「……」


 しまった。それが、少女の表情が明るくなったのを見て、白子の少年が思ったことだった。ウィザーズ・ランディングに行く、そういえば、普通はよくわからないがそういうものだろうとなんとなく納得して引き下がるはずだったが。これではむしろ話題を差し出してしまったようなものだ。

 

 それにしても、ウィザーズ・ランディングとは、そもそものところ。少年の見立ては外れていたのだ。

 それならば、この少女だって少年を“異形”などと言うことはできないのではないか。


「じゃぁもしかしたら同じクラスになるかもしれないわね。私はリヴァーランのターニャ・レンジット。レンジット家の長女よ。もう一人は次女のミネア。あなたの名前は?」


「……」


 少女は、彼が自分と同じウィザーズ・ランディングに向かうと知って、一層の交流をはかったが、しかし少年はまだいぶかしむようにターニャ嬢を一瞥するだけだった。

 それにかまわず少女は続けた。


「私はリヴァーランの“ナッショ・メレー”で優勝して“ナッショ・レガリアス”の称号を授かってるのよ。レイジット家の剣術指南に手ほどきを受けていたのだけれど、それにしては上達が著しいとお父様がウィザーズ・ランディングから見聞役を呼びつけたら、私にも素養があったのがわかったの」


「……へぇ」


 少年は、ターニャの話に少々聞き入り、そして少々感心したあと

 

「すごいね」


 と、率直な感想を口にした。

 “ナッショ・メレー”というのは地方国内トーナメントの名称で、リヴァーランで国内トーナメントが行われたということを意味する。もちろん、それには国中の騎士という騎士が参加し、優勝者は“ナッショ・レガリアス”の称号を与えられる。そうなれば、諸侯たちがその騎士を引っ張り合うために、八方手を尽くすことになる。また、“ナッショ・レガリアス”の称号を持つものは、七王国のすべての国の騎士を集めて行われる王都の“グラン・メレー”への優先的な出場権をも持つことになり、そしてその“グラン・メレー”で優勝したものは、“グランド・レガリアス”の称号を与えられ、“キングス・ハンズ”として“王”の直属兵士団に所属することができるのだ。おお、七王国の大いなる夢よ。

 しかし、その屈強な戦士たちが参加するナッショ・メレーに、こんな少女が優勝してしまったというのだから、それはもう異常としか言いようがなかった。

 少年が感心するのも、無理のないことだった。さぞ周囲を驚かせたことだろう。そして、彼女に“素養”があったということが、周囲を大いに納得させたに違いない。


「それで、あなたの名前は? ウィザーズ・ランディングに行けるってことは、あなたも“素養”があるのでしょう? 霊核や、仙骨や、それに並ぶものが?」


 “素養”か。これをそう呼んでもいいのだろうか。少年は、少し薄暗い気持ちになりながらそう独白した。これは“素養”というよりは“呪い”のようなものに近いのではないだろうか。


「ウィンターフェルでは、みんなに“オベリン”って呼ばれてたけどね」


「まぁ、オベリン、いい名前ね」


 ターニャは、両手をパンと合わせて、ほころぶように微笑んだ。その様子に白子の少年が少し見上げるように顔を上げた。

 淡い褐色の髪をふんわりと後ろで結わえたターニャが、ニコニコと少年を見下ろしている。

 それは、晴れた広い街道をいく馬車の上では、存外和やかな情景だったが、少年はやはり特段の感慨を抱くことはなかった。

 同時に、少年は記憶の泥をすくってもいた。なぜウィザーズ・ランディングへと向かうことになったのか、その出発が決定した日のことをである。




 #




 ガチャガチャ ガチャガチャ


 

 白子の少年は、まだまどろみながら騒音によって目を覚ました。いつものことである。

 眠気に薄めをあけながら、チクチクしたワラの感覚を知覚し始める。慣れたものである。

 そこは納屋だった。すえたにおいと、吹き抜けの窓から日差しが少年を差している。

 いつもながら、あまり眠れなかった。ウィンターフェルの鍛冶屋の納屋でのいつもどおりの起床である。

  

 ウィンターフェルの盟主、スターク家の人間でありながら、この少年が毎日城の外の鍛冶屋の納屋で目を覚ますのは、ひとえに少年がスターク家の私生児であることに端を発している。

 私生児とは、つまりこの少年が、ウィンターフェル公と、その正室以外の女性との間に生まれた人間であるということを意味する。ウィンターフェル公の正室は、情に厚く、誰にでも分け隔てなく接するともっぱら評判のよい人物だったが、しかし、この私生児の少年についてはどうしても受け入れることができなかった。そしてそれがこの少年が城からおいやられているおおよそほとんどの理由だった。

 だが、それと少年が納屋で寝起きしなければならない理由は直結したものではない、それは、単に少年が預けられている鍛冶屋の家族の裁量であった。


 この少年は、いつも夜遅くに鍛冶具の手入れを命じられ、それがやっと終わる夜更けに納屋の藁に身を沈め、そして4,5時間寝ていると朝になり、再び鍛冶屋の男が忙しく鍛冶具を取り出す音に眠りを妨げられるのだった。

 この納屋は、夏は暑く、冬は寒かった。出される食事はその家族のものと比べると明らかに貧相で、おまけに鍛冶屋の太った一人息子が、納屋で暮らすこの少年を時折手ひどく折檻した。

 出される食事は、脂身だらけで、少年には察せられなかったが、傍目には、あきらかに健康を害そうとする意思が見て取れるものだった。それは、その白子の少年が一応はウィンターフェル公の息子であるということで、城でウィンターゲル公の子供たちと一緒に教育を受けているという点におけるやっかみも幾分かまじったものである。仕方がないので、少年は時折雪の降る森に出かけ、そこで冬兔を狩って、その肉を納屋のワラの奥に押し込んで腹がなるとそれを時折かじった。


 このような白子を家の中に入れては、無用の軋轢を生み、城下町でのいじめを生んでしまうというのが、鍛冶屋の家族のウィンターフェル公の申し開きだった。それは、いくばくかの点では疑問をさしはさまざるをえなかったものの、その少年の抜けるような白い髪と肌、そしてウィンターフェル公の妻の反感によって、ウィンターフェル公自身も大きく反論することはできなかったのだった。


「すまないなオリージュ」


 ウィンターフェル城に出向いたときに、ウィンターフェル公にそういわれた少年には、それが一体なにを意味しているのかわからなかった。

 それより、少年にはウィンターフェル城で彼の兄弟たちに会えるのがうれしかった。

 彼らと彼女らは、まごうことなきウィンターフェルの正嫡子たちであったが、彼ら、彼女らは、この白子の少年を実の兄弟として迎え入れていた。彼らには、大人の事情は関係なかったからだ。幼いときより生活をともにした白子の少年は、やはり家族であるというのがウィンターフェル公の子供らの共通認識だった。特にウィンターフェル公の次女は、この白子にいたくなついた。しかしそういった事情もあって、この白子の少年が城の外でどういう扱いを受けているかは、長男のロブ以外には知らされていなかったが、それもあってこのロブという長男はこの白子の少年に愛情を抱いた振る舞いをしたのだった。


 いつもどおりの、ワラの上での起床である。

 鍛冶屋の男が、乱雑に鍛冶具を扱うガチャガチャした音が耳にこだまし、ウィンターフェルの厳しい冬の凍気が少年の肌を突き刺した。遠くからは鍛冶屋の太った一人息子の耳障りな甲高い笑い声が聞こえてくる。


 少年が体をよじって眠気を払っていると、不意に外からバシャっと冷水を浴びせられ、少年はビクリと体を震わせると、じっと動かなくなって様子を伺った。


「おいスノウ。ウィンターフェル公がお呼びだ。さっさと仕度をしろ。いいか、ちゃんとした服を着るんだぞ」


 少年は、その城下町の界隈では、その見た目からスノウと呼ばれていた。

 納屋の、白子の少年が寝ている箇所の粗末な入り口で、バケツを持って少年の様子を見て薄ら笑いを浮かべた鍛冶屋の男がそういってさっさと作業場に戻って行った。

 

 スターク公が? 一体何の用だろう?

 

 白子の少年は、そう考えながら冷水を浴びてブルブル震えるからだを起こした。




 #

 

 

 

「僕が、ウィザーズ・ランディングにですか?」 


「そうだ」


 それが白子の少年がウィンターフェル城の、ウィンターフェル公の部屋に呼ばれてからの会話の一部分だった。

 その広い部屋では、大きなガラスを背にして、執務机にスターク公、つまり白子の少年の父親、ウィンターフェルの盟主が座っていた。その後ろのガラス越しには、ウィンターフェルを覆うパウダースノウが降っている様子が見え、部屋の隅では、従者が起こした暖炉の火がパチパチと音を立てている。その暖炉の火に、少年はうらやましさではなく、このウィンターフェル城に対する懐かしさのようなものを想起するのだった。


「しかし、僕にそのような“素養”が確認されたことはありません」


「それは、オリージュ。お前の言うとおりだよ」


 白子の少年がそう質問すると、ウィンターフェル公は片眉を上げてそう少年に同意し、そして続けて言った。

 

「しかし、あるだろう? いや、お前だってそれは知っているはずだ。お前には最初からそれがあるんだ」


「……」


 少年は、このウィンターフェル公の確信が、いったいどこから来るものなのか疑問だったが、しかし、彼の指摘はまた事実であると言わざるをえなかったので


「はい」


 と、結局のところ肯定することになった。

 ウィンターフェル公は、白子の少年の様子を見て、小さくため息をついた。

 

「なぁオリージュ。お前は、ウィザーズ・ランディングに行けば、もうこの城でロブやリコン、アリアにあえなくなるからといって、悲観しているのだろう? まぁ、わかるよ。しかし、それは短期的な観点でしかない。非嫡子であるお前は、このままではこの城どころか、城下町にもいられなくなるだろう。“壁”に送られ、そこで“ノーフェイス”たちと一生を送ることになるだろう。決して家族を持たず、暖を求めず、壁に尽くすことになるだろう。それならばオリージュ。お前はウィザーズ・ランディングで学び、“専門家”として大成するべきなんだ。そうすればお前の人生はお前のものだ」


「……」


 白子の少年は、しかし、少し黙って考えるようにしていたが

 

「はい」


 と、やはり短く応えるのだった。

 それは、ウィンターフェル公の指摘は、ほぼ正しいように思われたし、また彼は少年に対する愛情を持ってそう言っているのだということが、感情の起伏に乏しいその少年にもなんとなく察せられたからである。


「ウィザーズ・ランディングでは“簡単な”生活ではないかもしれない。どこでもそれはそうだ。しかし、1年に何度かウィンターフェルに戻ってくることはできるし、私たちがキングス・ランディングに出向くこともあるだろう。ロブたちもそのときにお前と再会することができる」


「わかりました」


 それは、少年にとっては少々の救いだった。

 その少年の世界とは、薄暗い納屋と、ウィンターフェル城でのウィンターフェル公の子供たちとの日々だけだったから余計にそう思われたのである。


「では」


 ウィンターフェル公は机に目を落として、そこにある文書に羽ペンで文字を走らせて、そのままの格好で少年に告げた。

 

「早速準備にかかりなさい。鍛冶屋の家族には、私のほうから言っておこう」


「いえ、僕が伝えておきます」


「いいのか?」


 ウィンターフェル公は書面に筆を走らせていたが、白子の少年がそういったので、ちょっと気になったように顔を上げた。

 オリージュが、あの鍛冶屋の家を離れて、ウィザーズ・ランディングに行く。それを伝えれば、あの鍛冶屋の家族たちは幾ばくか憤慨する可能性があったからだ。もしかすると、それに反対してオリージュを言いくるめようとするかもしれない。彼らはオリージュを“壁”に送りたがっている向きがある。


「もちろんです」


 白子の少年は、しかし、そういったウィンターフェル公の懸念に対して、何が問題なのかわからないと言った様子で、改めて肯定して、準備にかかりなさいというウィンターフェル公の言葉のとおり、部屋をあとにしようとした。

 それと同じくして、そのウィンターフェル城の執務室の扉が開いて、ウィンターフェル公の正室の女性が入室した。


「あなた、ロブのことなのですが……」

 

「おはようございます。ケイト様」

 

 ウィンターフェル公の妻は入室してそう言ったところで、そこに白子の少年がいることに気づき言葉をさえぎり、白子の少年は、義理の母親に対して、そう言って頭を下げた。

 ケイトと呼ばれた女は、その白子の少年を見下ろしながら、

 

「おはよう」


 と短く言って

 

「ウィザーズ・ランディングに行くのですってね?」


 と、珍しく少年に質問した。

 

「はい。ついさきほど決まりました」


 そう白子の少年が応えると、ケイトは


「そう」


 と短く言って、

 

「せいせいするわ」


 と、少年の横をとおりざまに、ウィンターフェル公にも聞こえる音量でそう言い放った。


「……」


 白子の少年は、しかしそれに対してなんと言っていいかわからず

 

「では、失礼します」


 と言って執務室をあとにしたのだった。




 #




 そこで、白子の少年は再び馬車の上でターニャというリヴァーラン公の令嬢へと視点を合わせた。

 馬車は中継の宿場町へと指しかかろうというところで、先ほどこの馬車を先行していたもうひとつの馬車は、10分ほど前にすでに宿場町へと入っていったところである。そちらの馬車には、キングズランディングの軍への志願兵たちが乗り込んでいるようだった。


「まぁ、セカンドネームだけどね。ほかにもスノウと呼ばれたりもしていたけど、なんでもいいさ」


(スノウ)? それはあなたの見た目にもピッタリの名前ね」


 そんなにいい使われ方はしていなかったけどな。感心するようにそういうターニャ嬢を見ながら、白子の少年は内心でそう思って自嘲的な笑った。


「ターニャお嬢様」


 白子の少年と、リヴァーランの令嬢が、どちらかというと一方的に彼女がしゃべっているところで、後ろに控えていた彼女を護衛する騎士が声をかけてきた。


「われわれのおそばにお戻りください。少し、おかしいです」


「え?」


 ターニャが思案気に護衛の騎士に振り返った。

 さきほどまで歓談に沸いていた商人たちの集団も、今ではその異常に気づいたのか、すっかりと静かになって道の前方のほうをこわごわと言った様子でチラチラ探すように伺っていた。

 そしてその異常には、白子の少年も気づいていた。


 先ほど先行する馬車が入って行った宿場町のところどころから、煙が上がっているのである。それは、焚き木の類のような白みのある煙ではなく、黒々とした煙で、例えば家屋が燃えるような炎から巻き上がる煙である。

 そして耳を澄ませば、小さく、その宿場町から怒号や悲鳴のようなものが聞こえてくるのがわかった。

 

 リヴァーランのターニャ嬢は、その様子を見て、さきほどのフワフワとした様子からは一変して、厳しい口調で護衛の騎士たちに言った。


「二人とも、宿場が襲われてるわ。私たちで鎮圧します。ミネアは私から離れないで」


 宿場が襲われているとターニャの口から出た瞬間に、その言葉に商人たちがおびえるような声を上げ、口々にターニャたちに言った。

 

「あんたたち行っちまうのかい?」


「引き返そう」


「なぁあんたたち、俺たちを守ってくれよ。金なら出すからさ」


 商人たちの言葉に、その二人の護衛騎士がターニャのほうを見たが、ターニャは首を振った。

 

「ダメよ。というか、たぶん無理だと思うわ。向こうが馬を持っていれば、すぐに追いつかれるし、先に街に入った人たちを助けて協力すれば、そちらのほうが戦力になるもの」


「それだって、あんたたちがいるこの場所が一番安全なんじゃないのかい?」


 ターニャがそう言っていると、後ろから声が聞こえてきて、ターニャがそちらを振り返ると、それが先ほどの白子の少年の言葉だということがわかった。

 白子の少年の言うことは一理ある。リヴァーランのえり抜きの騎士が二人と、リヴァーランの“ナッショ・レガリアス”の称号を持つ女騎士がいるわけなのだから。

 逃げる? しかしそれは彼女にはありえない選択肢だった。

 

「このリヴァーラン公の娘であるターニャ・レイジットが逃げることなどあるものか。そしてウィザード・ランディングで導士を目指すものとして、七王国の混乱を見過ごせぬ!」


 白子の少年にそう言うと、ターニャは護衛騎士と、彼女の妹を伴って宿場町へと向かった。

 そしてしばらくして、白子の少年はその反対側の道から5頭の馬と、その上にまたがる刃物を掲げた5人の男たちがこちらに走ってくるのを見て、商人たちが悲鳴を上げるのが聞こえた。




 #

 



「があぁぁぁぁっ!?」


 燃える宿場町へと入ったターニャたちには、その宿場町が野党に襲われているのだとわかった。

 そして今、その野党たちに囲まれた彼女たちの護衛騎士の一人を、野党の中でも飛び切りからだの大きい男が叩ききった。

 

 その大男はまるで“(マウンテン)”だった。その顔は、覆面でよく確認できなかったが、しかし、2メートルを超えるその巨漢から繰り出される剣撃は、鎧を着た護衛騎士の鎧を肩口からそれごと切裂いたのだった。


 先に宿場町に入った兵士志願者たちは、ターニャたちが街に入ったときには、すでにほとんど皆殺しにされていた。生き残った手負いの兵士志願者たちはターニャたちの後ろで致命傷の傷に倒れてなんとか息をしているだけだった。

 屈強な兵士志願者たちである。それをものの10分もかからないうちに皆殺しにするこの野党たちは、あきらかに異常だった。どう考えても厳しく“訓練”されている

 そして、ターニャの肩口には、はるか遠方から飛来した矢が深々と突き刺さっていた。


「お嬢様、お逃げください!」


 そう叫ぶように言ったもう一人の護衛騎士に“山”のような野党の男が上から肉きり包丁のような大鉈を振り下ろし、護衛騎士は自身の剣でそのうちおろしを防いだが、もう一度うなり声とともに大鉈を打ち下ろされ、その剣もろとも破壊され鎧ごと切り裂かれて絶命した。


「ははっ……」


 その“マウンテン”は護衛騎士が絶命したのを見て、高揚したような笑い声をもらし、ギロリとターニャをねめつけて、こちらに向かってきた。

 そして、それ以外にもまわりから三人の野党がそれぞれ獲物を持ってこちらに走ってきた。

 

 ガキンッ!


 ターニャは“マウンテン”の一撃を、轟音の金属音を響かせて、手負いの体でなんとか打ち払った。

 しかしその一撃で体は宙に浮いてふきとばされ、矢が刺さった傷口からブシュっと血が滴った。


「くっ……」


 いかに“ナッショ・レガリアス”の称号を持つリヴァーランの騎士といえども、傷を受けて多人数に攻撃をされては、防戦するのでやっとだった。ターニャはギリと歯噛みしながら繰り出されるふたつの白刃をガキンガキンと一度にさばいた。

 ターニャがうめきながらほかの野党の攻撃をしのいでいると。

 ふいに妹の悲鳴が聞こえた。

 

「ミネアァァッ!!」


 ターニャが気づいたときには、あの“マウンテン”にターニャが担ぎ上げられて悲鳴を上げていた。

 “マウンテン”はこちらを一瞥して、野党たちにいった。

 

「二人は必要ない。そちらは殺せ」


「貴様ぁっ!!」


 ターニャはにくにくしげに叫んだが、しかしその大男は振り向いてその場を後にしようとしており、そしてほかの野党たちは手に獲物をもってターニャに肉薄してきていた。

 それと同時に、街の入り口のほうから聞き覚えのある叫び声がターニャの耳に聞こえてきた。

 

「おおおおっ!」


 それと同時に、そちらのほうから、血しぶきがあがっていく、

 こちらに近づいてくる何かに、野党たちが次々に切り伏せられ、腕や首が飛び、叫びと血しぶきが空に舞った。

 そしてターニャに肉薄していた3人の野党に、その影が高速で肉薄し、そのうちの二人が胴体ごと横一文字に切裂かれ、驚くもう一人の野党の胸に深々と黒い物体が突き刺さり、その野党はビクンビクンと体を震わせて絶命した。


「な、なに?」


 ターニャがその影を見ると、それは先ほどの白子の少年であるとわかった。

 そしてその手に握られているのは、黒い巨大な塊だった。

 それは、剣というにはあまりに巨大で、無骨なものだった。

 

「なんで、あなたが…… どうして……?」


 ターニャは、その白子の少年と、その手に持たれた大剣と、その状況自体に混然としながら言った。

 すると白子の少年はハァと息をついてから言った。

 

「こうなんだろ?」


「え?」


「ウィザーズ・ランディングに行く人間はこうするものなんだろ?」


 その白子の少年は、ターニャが先ほど言った、ウィザーズ・ランディングに所属する人間として混乱を制すると言ったその言葉を、真に受けてそう行動しているようだった。その言葉にターニャはにわかに目を見開いてしまった。確かにターニャはそうはいいはしたが、それは自身の騎士としての信条を大いに背景にしたものだ。


 しかし、その白子の少年ほどの大きさのある黒い大剣を、この華奢な体つきの少年が軽々とふるえるのは一体どういうことなのだろうか。ターニャがそう疑問に思っているのをよそに、白子の少年はすでに絶命した野党の胸から黒い大剣を引き抜き、その場を跡にしようとしていた大男へと疾走していた。


「弓兵がいるわ!」


 はっとしたようにターニャが叫んだのとほぼ同時に、宿場町の遠方から、走る少年に一本の矢が疾走していた。

 

 バチン

 

 少年が振るった大剣がその矢を払い。そのまま“マウンテン”に走る。

 その大男は、すでにその少年と、その少年がほかの野党を全員切り殺したことに驚愕しながらも、その状況を飲み込み、ターニャの妹を放り出して大鉈を掲げていた。


「おおおっ!!」


 “マウンテン”が大鉈を2度、3度と連続で白子の少年に切りつけると、白子の少年はその黒い大剣でそれを受けた。

 

「ぬうううんっ!!」


 次に“マウンテン”は横なぎに剣撃を見舞うと、白子の少年はそれも大剣を横にして受け、その衝撃で体を宙にうかせて地面に着地すると、黒い大剣を掲げ、目の前の大男をにらみながらふいに叫んだ。


「アリオッホ! “バーハルト”!」


 “マウンテン”には、その叫びに一体どんな意味があるのか最初わからなかった。

 しかし、白子の少年がそう叫んだ瞬間、異変が起こった。

 

 白子の少年が持つ黒い大剣から、徐々に黒い液体のようなものが白子の少年の手に滴り、それが白子の少年の顔をのぞくすべての体を覆うようにすると、それがピッタリとした衣服のように白子の少年を覆い、次にビキビキと音をたてて隆起した。


「おおおおっ!」


「!?」


 大男は、その光景に今度こそ驚愕することになった。

 白子の少年が叫んだときには、すでに少年は“マウンテン”に肉薄しており、ビキビキと隆起する黒衣に握られた黒い大剣が、すさまじい轟音をともないながら上から“マウンテン”に振り下ろされ、その大剣は上から“マウンテン”の掲げた大鉈ごと、その男を縦に真っ二つに切裂いた。

 縦に二つに裂かれた二つの“マウンテン”の体が、ズンと音をたてて地面に倒れた。

 

 白子の少年は、さらに“マウンテン”が腰にさしていた刀剣を手に取ると、はるか遠方の弓兵に対して投げつけ、高速で回転しながら疾走したその刀剣は、遠方の弓兵の首を軽々と跳ね飛ばした。


「ハァ、ハァ……」 


 そう息をつきながら一部始終を見ていたターニャは、脅威が去ったことと、その白子の少年に対する困惑で、つぶやくように言った。


「あなた。あなたは一体“何”なの?」


 白子の少年は、いまや黒衣が再び液体が滴るように黒い大剣に吸い込まれると、馬車にいたときの衣服になり、しかし何もいわずに先ほどの“マウンテン”の死骸に黒い大剣を突き刺した。


「吸え、“ストームブリンガー”」


 白子の少年が言うと、ターニャはさらに目を見開いた。その黒い大剣が突き刺された死体がブルブルと振るえ、次に液体かなにかのように一息にその大剣に吸い込まれたのである。


「あっ、あっ……」


 ターニャは、その光景にそうつぶやくだけだった。

 “マウンテン”の体がすべて消失すると、その白子の少年はやっとフゥと一度息を吐いて、ターニャのほうを見た。

 

「何って、あんたと同じウィザーズ・ランディングに行く人間だよ。ファーストネームはオリージュ。オリージュ・オベリン・レツィエだ」


 そしてちょっと思いついたように続けた言った。

 

「いや、書面で書かれていた名前だと、オリージュ・O・レツィエということになるだろうな」


 その血で濡れた宿場町の一角で、白子の少年は、思いついたように、つぶやくようにそう言ったのだった。




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