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6 手名椎ゆゆは回想する

手名椎ゆゆ この街にやってきた少女。

狼前院日中 一天のリーダー。

狼前院朝日 日中の右腕。

 これはゆゆが日中たちのスケボーに乗せられた後の話である。



 かなりのスピードで走っているスケボーの上で、ゆゆは少しびくびくしていた。

 ここにいると危険だと日中に言われて導かれるがままに乗り込んでしまったものの、初対面の人間に自宅のを告げることもできず、彼女はただただ日中と眼帯の男に彼らの目的地へと連れて行かれるだけだった。

 つまりは、半分拉致。

 

 どうしようどうしよう?なんかいい人っぽいって最初は思ってたけど知らない人についていっちゃってるの、これ?どうしよう…向こうに行った瞬間「ジャンプしろやコラァ」とか言われるのかな…。

 不安だよ。


「きゅーちゃん」


 その声にゆゆの目の前を陣取る女性――日中が、ゆゆの方を振り返った。


「…何か言ったか?」

「えっ!?あ、い、言ってまひぇん!」


 思わず舌をかんだ。極度に緊張した時のゆゆの癖だ。ゆゆが恥ずかしさと恐怖にがちがちに固まっていると、不意に誰かが彼女の肩に手を置いた。その手を視線で辿っていくと、眼帯男の隻眼と目が合う。


「大丈夫ですよ。何も怖がることはありませんから」

「…はい」


 なぜだろうか、ゆゆはその一言でいくらか緊張を和らげることができた。まるで目の前にいる男が九馬であるかのような、年上の男のみが持つ落ち着いた雰囲気。それを、彼は持っていたのだ。

 ゆゆはようやく自分の前後にいる人間をしっかりと観察できるくらいの心の余裕を取り戻すことができた。

 よく見ると、彼女の目の前にいる女性――狼前院日中は、自分が通うことになっているスクールの制服に身を包んでいた。しかし、彼女はワイシャツ一枚で、タイも何もつけていない。彼女のスカートでようやくそれが判明したくらいである。真っ白な半袖のシャツとフレースカートからそれと同じくらい白いすっきりした四肢が伸びていて、とてもスタイルがいい。さっき自分に声をかけた時に風にたなびいていた金髪といい目鼻立ちといい、まるで西洋人形のようだ。こういうきれいな人もいるんだな、とゆゆはすくなからず驚いた。

 後ろの眼帯男は――後ろにいる彼をじっくり見るためにゆゆは少し首を痛めてしまったのだが――背がすらりと高い、少し伸びたつややかな黒髪が印象的な美男子だった。細身のつくりになっているダークスーツが彼の容姿を引き立てている。その顔のつくりを見て、ゆゆはふと日中と似ているところがあるのに気がついた。この二人は兄弟なのだろうか。彼はさっき日中に向かって敬語で話していたから、もしかしたら他人の空似かもしれない。

 ゆゆが不思議そうにまじまじと見つめていると、男は視線で前を向くように促した。目で語ることのできる人がこの世にいたとは、と思いながら前を向く。

 すると、目の前にはいつの間にか廃ビルのようなものがそびえたっていた。


 え……。

 えええええええええ―――っ!


 心の中で絶叫したゆゆは、先ほどまでの安堵を一瞬で恐怖と不安に変えざるを得なくなった。やっぱりこの人たちについて来るんじゃなかった、と思いなおしてももう遅かった。そのころには彼らはすでにスケボーごとそのビルの地下へとゆゆを連れていっていたのだから。

 地下は駐車場のようになっていて、故障して捨てられた安っぽいスケボーが山と積まれていた。それらの脇をすり抜けながら、黒塗りのスケボーは速度を落としていく。一体いつ作られたんだろうと思うような錆びついたエレベーターの目の前で、それは止まった。

 ゆゆの心の中には"危険"の二文字しかなかった。降ろしてもらうすきを見て逃げ出すにしても、彼らが容易に自分を逃すとは思われない。このまま彼らにつき従っていても良くて恐喝、悪くて殺人。前門の虎後方の狼とはこのことだ。

 本当に、どうしよう。ゆゆは思わずため息交じりにつぶやいた。


「きゅーちゃん…」

「"きゅーちゃん"というのは」


 突然日中が声を発した。あまりにも唐突だったため、ゆゆはひゃい、と言って背筋をただす。日中は振り返りもせずに続ける。


「雨森九馬のことか」

「…え?」


 なぜ日中がその名を知っているのか、その時のゆゆには見当もつかなかった。だが、知っているということは彼女は彼と面識があるのだろう。つまり、自分の味方である彼の味方。そう考えると、さっきから彼女が感じていた緊張が繭から絹糸をほぐし出すかのようにとけていくのが分かった。


「あの…ここは?」

「すぐにわかる」


 ゆゆの素直な疑問に日中がぶっきらぼうに答えた時だった。


『狼前院日中、狼前院朝日、認識シマシタ。不明ナ人物、一名。オ通シシマスカ』


 すぐ近くから金属的な声が聞こえてきた。どうやら傍らの廃スケボーの山かららしい。中にスピーカーでもあるのだろうか。確かなのは、ここにきてから今の今まで自分たちは認証システムによって調べられていたということだけだった。


「私たちが不審な人物を勝手に通すとでも思うのか」

『了解シマシタ。ソノママシバラクオ待チクダサイ』


 数秒後、目の前のさびだらけのエレベーターの扉がすんなりと開いた。スケボーに乗ったまま、ゆゆたちはその中に入っていく。脇をすり抜けるとき、ゆゆは扉についていたさびがただのペインティングによるカモフラージュだったことを知った。

 そうして彼女は視線を前に向けて――。


 信じられないものを見た。


 そこは、巨大なシャンデリアの輝くロココ調のエントランスだったのだ。

 大理石でできた床は円形で、周りにいくつもの扉があった。さっきまで廃ビルの地下にいたことから察するに、それらの部屋はすべて地下に造られているものだろう。扉はすべて、大の男が斧を力いっぱい振り下ろしたところで到底割れなさそうな堅そうな木でできている。表面に塗ったニスがシャンデリアのきらびやかな光を受け、まばゆいばかりの光を放っていた。壁にも柱にも意匠が凝らされていて、ところどころに螺鈿を埋め込んだ漆塗りの飾りがはまっていた。宮殿のような部屋だ。

 唖然としているゆゆを見ながら、日中は男にスケボーのベルトをはずすように言いつけた。男がゆゆを開放するのと同時に、ゆゆは彼におずおずと声をかけた。


「えっと…ここって…?」

「…日中様。もうそろそろ説明して差し上げたほうがよろしいかと存じますが」

「手早く頼むぞ。そいつと二人で話がしたい」


 ええっ!初めてあった人と、二人で話なんて――!

 心配そうなゆゆを尻目に、男は話し始めた。


「私は狼前院朝日。日中様の付き人のようなものです。ここは単刀直入に申しますと、能力者グループ[一天イーテュン]のアジトなのです」

「…アジト?」

「意味はわかりますよね?」

「それはわかりますが…じゃあ、なんで私がここに?私、なんにもしてないですよ?」

「お前に聞きたいことがある」


 突然話に割って入った日中は、ゆゆの手首をつかんで少し引いた。初対面の人に手を握られるという経験のないゆゆは、びくりと体を震わせた。


「日中様」

「ここがどこかという説明はしただろう。十分だ」

「…そうですか。では、私はお茶の用意を」

「頼む」


 朝日に向かってぶっきらぼうに言い放ち、日中がゆゆを多くの部屋の内の一つへと連れて行く。ゆゆにはもう抵抗するだけの余裕がなかった。彼女が怖かったのではない。ただ、自分の身の回りで起こっている新しいことに心が対応しきれていなかっただけだった。

 日中は他のものよりひとまわりもふたまわりも大きい扉を開け、部屋の中へと入った。

 ゆゆはその中を見て、舌を巻いた。そこには山のようにトレーニングマシンが積まれていたのだ。薄い青で統一されている部屋の家具は、どんなに体が熱くなってもクールダウンできるようにするためだろう。ダンベルにバーベルといった見慣れたものからどうやって使うのかすら見当もつかないものまで、この世のありとあらゆるマシンをすべて兼ね備えたその部屋は、およそ人の生活する空間ではなかった。中央の背の低い机とふかふかのソファ、隅のほうに設置されているベッドとウォークインクローゼットがなければ、ここが日中の部屋だとは想像もできなかっただろう。

 日中はゆゆをソファに座らせると、クローゼットへと向かい、平然と着替え始めた。ワイシャツのボタンに手をかけるしぐさやそれを脱ぎ捨てる動作が色っぽく、とても学生とは思えない。ゆゆは気恥ずかしさを感じて下を向いた。

 しばらくすると、誰かが目の前を通って行く気配がした。ゆゆは日中が着替えを終えたのだと思い、顔を上げると――。


「え、ええ、えええ!?」

「何だ」

「いや、何だじゃないですよう…!」


 日中は露出の多いタンクトップに短いスパッツといういでたちでそこにいたのだ。およそ人前でする格好ではない。ゆゆの脳裏には「見てはだめだ」という言葉が響いていた。そんな彼女をよそに、日中はトレーニングマシンのうちの一つへと近づく。椅子のような部分に深く腰掛けると、彼女は目の前の一対のハンドルを握りしめ、前後に動かし始めた。


「いきなりこんな所へ連れ込まれて、困惑しているんだろう」


 トレーニングをやめることなく、日中ははっきりとした口調で話し始めた。そんなに負荷のかからないマシンなのだろうかと思いながら、ゆゆは彼女に答えた。


「…はい」

「お前、この街には来たばかりか」

「…はい」

「そうか、じゃあこの街における紛争のこともよくわからないと」

「…はい」

「なるほど、それであんなところにいたのか」

「…はい」


 そこで会話はいったん途切れた。日中がマシンを動かす音だけが、広い部屋にやけに響く。

 百回ほど前後運動を繰り返したのち、日中は再び口火を切った。


「手名椎ゆゆといったな」

「…はい」

「うちに入る気はないか?」

「…はい?」


 ゆゆは自分の耳に入った言葉が信じられなかった。


「あの…うち、っていうのは」

「もちろん一天のことだ」

「能力者グループ…なんじゃ」

「ああ。お前は能力者だろう?」


 ええええええええええっ!?

 ゆゆは本日三回目(推定)になる心の叫びをあげた。能力者?自分が?そんなわけがない。自分の周りで超常現象が起こったこともないし、自分はごくごく平凡な無能力者のはずだ。


「あの…」

「何だ」

「かっ、勘違いじゃないですか?」

「…は?」

「その、だから、…私能力者じゃないですよ?」

「……ちょっと、」


 日中が戸惑いがちに口を開きかけた時、誰かが部屋をノックする音がした。入れ、という声を待ってから開かれたその扉の向こう側には、銀の盆に良い香りの紅茶と山もりのプチシュークリームを乗せて持っている朝日がいた。彼は日中の格好など気にも留めないような様子でそれを机の上に置き、ゆゆの目の前に慣れた手つきで紅茶を置いた。ほとんど音のしない、美しい所作。だが、ゆゆにも日中にもそれを称賛できるほどの心の余裕がなかった。

 上司の異変に気がついた朝日が、日中に問いかける。


「日中様?どうかされましたか?」

「…ちょっと、いいか」


 日中はゆゆに断りを入れ、朝日を部屋の隅へと引っ張っていく。急に居心地の悪さを感じたゆゆは、ぎくしゃくした動作で目の前のカップを手にした。ほかほかと立ち上る湯気から香る、ほんのり甘い桃のにおい。どんなに飲むまいと精神を引き締めていても、三秒後にはつい口をつけてしまうだろう。ゆゆはためらわず、その紅茶に口をつけた。

 そして、その直後。


「…おいしいっ!」


 ゆゆが発した褒め言葉に、日中と朝日は一瞥をくれただけだった。しかし、ゆゆはそれを心から言っていたためそれでも気にならなかった。とろけるような甘さなのに、いくらでも飲めそうなさっぱりした後味。非常な鬼の心さえもとろけるような紅茶だった。

 紅茶をぐいぐいと飲みつつ何のためらいもなくシュークリームをほおばるゆゆを見ながら、日中は朝日に何やら耳打ちする。朝日はそれを聞き終えたのち、ただ一言「承知いたしました」と答えた。

 ゆゆの食欲が満たされる頃を見計らって、朝日は彼女に恭しく声をかける。


「ゆゆ様、とおっしゃいましたね」

「ふぇ?あ、はい…。」


 口の端にクリームをつけたままゆゆが答えると、朝日が滑らかな動作でハンカチを取り出しそっと彼女の口元を拭く。強引にぬぐい取るのではなく、優しくいたわるように。


「どうやら当方の手違いで、あなたを能力者と勘違いしてしまったようです。結果としてあなたにご迷惑をおかけしたこと、まことに申し訳ございません」

「え?あ!いえいえ、そんな…!」


 皮肉なくらい丁寧な態度に出られたゆゆは、顔を真っ赤にして首を横に振った。こんな扱いを受けたのは初めてだったのだ。

 彼はさらに続けた。


「つきましては、せめてものお詫びとしてあなたをご自宅までお送りさせていただけないでしょうか?」

「え…いいんですか?」

「はい。もともとご迷惑をおかけしたのは手前どもの過失でございますから」

「じゃあ…お願いします!」


 自宅の所在が知れてしまうなどということを、その時のゆゆはかけらも心配しなかった。おいしいお茶とお菓子で精神が緩み切っていたのだろう。このときのゆゆならばタイムマシンでジュラ紀へ向かってくれと言われても素直に言うことを聞いたことだろう。


 その後、ゆゆは来た時と同じ黒塗りのスケボーに乗せてもらい、十分もしないうちに家の前へとたどり着いた。


「そうだ」


 アパートのエントランス前で朝日が呟くのを、ゆゆは聞き逃さなかった。


「何でしょう?」

「ゆゆ様、お分かりのこととは存じますが――本日のことは、どうぞご内密に」

「あ、わかりました!」


 そうして彼女は朝日と別れたのだが――ゆゆは、その最後の言葉をしっかりと覚えていなかった。

 だからこそ、この日に起こった怒涛の現象を学校で話す気になってしまったのである。

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