5 林林は悔恨する
愛巣宮 アイスクウ
お菓子で当たりをだす能力者。
林林 ハヤシリン
宮の友人。
そして――手名椎ゆゆが狼前院日中との対面をはたした、その翌日。
彼女を見捨てて逃げ去った林林と愛巣宮は、いつも通りエリュオン・スクールに通い平穏を甘受していた。
「嘘だろ、狼前院日中とッ、…虎牙峰勇魚が…あそこにいたって……そんな話どこから仕入れてきたんだよ」
「まあ、狼前院日中がいたのは、あの炎でわかってたけどね。でもあの子二人に会ったのかな。大丈夫かな」
思わず叫んだ口をふさいで辺りをきょろきょろと見回す宮を意に介さず、林は淡々と事実を口にした。
もっとも宮の反応は自意識過剰というわけでもない。エリュオン・スクールはほぼ[一天]の勢力下に置かれているといっても過言ではないのだ――狼前院日中が在籍しているために。
「てか、魔女のほうならともかく、[小さな王]の情報なんて……毎回毎回、どこからそんな情報を仕入れてくるんだよ」
「リトルのほうなら結構知られてるよ。巡回もしてるらしいしさ」
「いや…それにしたってさ。俺も巡回ルートは確認してるけどさ、昨日のルートにあそこは入ってなかっただろ。たまたま通りがかっただけだろうに、よく知ってるよな」
「ま、あたしは友達が多いからね…宮と違って」
「一言余計だッ。つうか少なくねえしッ。エリュオン・スクールに来てねえダチが――」
宮がガタガタわめいているのを、林はシャットアウトした。
(やっぱり宮で遊ぶと楽しいね。ストレス解消には宮が一番)
そんな非情なことを考えながら。
林は非常に後悔していた。どうしてあの場に残らず、少女を見捨てて逃げてしまったのかと。
いや、理由はわかっている。
あの少女に飽き飽きしていたからだ。
紛争が拡大している町に住んでいるのに、宮に対して過剰に怯えていた。宮と因縁のある少女なのかとも思ったが、宮の様子を見るにそうでもないらしい。これは面白そうだと林はその時思った。
だが大した事件もなかった。ただ臆病なだけだった。
そして臆病な割には、パーカを羽織って制服を大きく改造している。
これにも理由はなかった。ぎゅっとフードを握りしめる様子からして、ただそのパーカが大事なものなだけらしかった。
くだらない、と林は内心つぶやいていた。自分の退屈を紛らわす、おもしろい子なのかと思ったのに。
それゆえ、林は少女を見捨てた。別に能力者同士の争いが怖かったわけではない。林は二年前からエリュオン・シティで紛争を間近に目にしてきたし、ある種の欲求からわざわざ見に行ったりもしたのだから。
林は、かの少女に、自分が労して助けるほどの価値を見いだせなかったのだ。友人である宮についていかず、自分の知らないところで彼が怪我でも負ったらかわいそうだという、人並みの道徳心もあった。
「退屈」。
林には悪癖がある。退屈に耐えられない、ということだ。
こんな、大して面白みもない世界ならば、いっそ死んでしまったほうがマシだ、林は半ば本気で思うこともある。
エリュオン・シティにおいて紛争が始まったときは、町に響きわたる轟音や、ふとしたときに目にはいる半壊した建物、道路に付着していうる血痕などにわくわくしたものだったが、二年も続くとそれが平常になり、すでに飽きてきていた。
そんな中で現れた今回のイレギュラー。
紛争が起こっているという現状から、狼前院日中と虎牙峰勇魚はあまり顔を合わせることがない。対面した瞬間、大将同士の対決となってしまうからだ。本人たちは勇んでそうするだろうし、周りも当然それを求めている。それが今回は同時に目撃されている。
そして、かの少女。
何が起こったか、林が話を聞いた友人も、詳しくは知らなかった。だが、林と宮が去って少女が取り残されたあとに、狼前院日中と虎牙峰勇魚が目撃されている。もしかしたらその前に少女は逃げたかもしれないが、そうでないかもしれない。もしかしたら[獄炎の魔女]の冷たい瞳と目を合わせたかもしれない。あるいは、[小さな王]と会話を交わしたかもしれない。あのびくびく怯える少女が!
そう考えるだけで、林は後悔に打ちひしがれるのだった。
その光景を見たかった、と。
「やっぱり残ればよかった…」
「林もそう思うか?」
林の小さな呟きに、宮が反応した。
「も、って、最初に逃げ出したのは宮じゃん」
「そうだけどさ……よくよく考えると、助けるべきだったなって。背負っていくぐらいできただろうにさ」
宮が遠い目をしながら言う。自戒しているのだろう。
実際のところ、この国イーストシティ連合においては、共生意識、助け合いの精神というものはあまり強くない。能力者が跋扈していて、また一方で紛争が各地で起こっている現状では、自分の身を守ることぐらい自分でしろということだ。
もっとも、怯えのあまり固まって動けない少女を放置するのは、あまり褒められたことでもないが。
林は宮の様子を眺めながら口を開いた。
「で、それ誰に言われたの?」
「ぐっ」
「お前馬鹿なことしてんじゃねえよって言われたんじゃないの?その上殴られたんでしょ?」
「ぐうっ」
宮の右頬には現在、その軟派な容姿に合わず、大きな湿布が貼ってある。誰かに殴られたのは明白だった。
「いやさ、非能力者だからこそ俺たちが助けてやらなきゃいけなんだろって。別に差別したつもりもなかったんだけどな」
「ふーん……宮に、そんな男気のあるこという能力者の知り合いがいたなんてね」
何気なく言った林の言葉に、宮は目を見開いて詰め寄ってきた。
「な、なんで能力者だって知ってるんだよ!」
「なんでって、“俺たちが”って言うってことは、その人も能力者ってことじゃないの?ま、宮みたいに腑ぬけた能力じゃないだろうけど」
「腑ぬけてねーし……[神の恩恵]は俺っちが誇る立派な能力だし……」
そうぶつぶつ呟いている。
(そういえば、どうして宮は彼女を自ら見捨てるような行動をとったんだろ?)
そのチャラい外見に反して、宮はなかなか義のある男であるはずだった。少女を見捨てて逃げるというのは、あまり彼らしくない行動だと、長年の付き合いである林は知っていた。
「ねえ宮、どうしてあのとき――」
「あッッッ!!!!」
唐突に宮が林の後ろを指さして叫んだ。驚くというより阿呆の行動だなと思った林だったが、「あ゛―――」や「う゛―――」やら、うめき続けている宮をしりめに、その指さした方向を見た。
そして納得した。
「ぅぅ……」
話題となっていた少女が、林の後ろに立っていたのだ。どうやら林たちの存在に今の今まで気付いていなかったようで、現在二人が囲んでいる机――つまり、宮の机の横の机に荷物を置いた状態で、固まっている。
昨日と同じ格好だ。林と同じくエリュオン・スクールの制服の上から、熊のフードがついたパーカを羽織っている。どうやらブレザーは着ていないようだ。エリュオン・スクールは別に校則がそれほど拘束力をもたないので、白い目でみられることもないのだが。
「はろー」
第一声は、自分でも気がぬけているなと思うものだった。
「は、はろー」
少女がどもりながらも素直に返事してくれたことに、林は少し感動した。
「お前、大丈夫だったのかよ?あの後」
「ひっ」
だがそのあと、不良面の宮に詰め寄られ、台無しになってしまったが。
「ちょっと宮、あんまり詰め寄っちゃ駄目だよ。
見かけないと思ったら…新入生だったんだ。キミ、名前は?あっ、昨日も言ったけど、あたしは林林ね」
エリュオン・スクールにおいては――イーストウェストシティにおけるスクールの大半がそうだが――クラス内での関わり合いはあまりない。そういった方面を伸ばしたいのなら、学力をのばすスクールの別に、一般の人々が通うコミュニケーション・スクールがあるからだ。
また、成績によってクラスが分けられているために、その成績の如何によって、クラスや学校全体でみても生徒の出入りは多い。そのため、新しくスクールに通う生徒が出てきても、黒板の前に立って挨拶、などといった習慣はない。
つまり、今まで空いていたはずの、宮の隣の席に座ろうとする彼女は、新しくこの学校へと来たのだ。
少女は林の質問に、伏し目がちに答えた。
「わたしは……手名椎ゆゆ、です」
「ゆゆちゃんか、可愛い名前だね」
少女は照れたようにフードを深くかぶった。
「あたしのことは気軽にりんりんって呼んでね!」
「えっ……あ…がんばり、ます…」
「で、昨日、あのあと大丈夫だった?置き去りにしちゃってごめんね?」
「あ、いえ……大丈夫だったし…」
確かに、目の前の少女に大した外傷はみられない。
「あのあと、魔女も来たらしいけど」
「魔女?」
「あ、そっか。新しくエリュオン・シティに来たのかな。魔女っていうのは通称で――」
「さらにいうと、[獄炎の魔女]っていう呼び名からついた名前な。狼前院日中っていう炎を操る能力者で、さらに恐ろしいことに――このシティで紛争が続いているのは知ってるだろ?その片方、この町を暴力で支配しようとしてる[一天]のトップだ」
「ちょっと宮、あたしが話してるところに割り込まないでよ」
林が宮をにらみつけるところで、ゆゆはぼうっと何かを思い出すように遠い目をした。
「でも…優しい人だったけどなあ」
「へ?」
「は?」
(まるで狼前院日中の人となりを知るようなことになったと聞こえるんだけど)
林は慌てて追及した。
「ちょ、ちょっと待って。それって、魔女と会話したってこと?」
「うん。たぶん、その魔女って人だったと思う……」
「はあ……まだ長男のほうだって言われたほうが真実味があるよ」
林はスーツに眼帯をした冷徹な男を脳裏に浮かべた。
「長男?」
「あ、ごめん、わからないよね。てか、それで……会話したのに大丈夫だったの?」
「大丈夫って?」
ゆゆがこてん、と首をかしげた。
可愛らしい。
だが、あえて「何が」と聞かれると困る。狼前院日中=[一天]=危険という定理が頭にこびりついているのだ。林だけではない、この町に住むものなら大抵そうだろう。
「つまり、えっと……[一天]の根城に連れ込まれたりとかしなかった?」
「根城って古くさ」
「黙れ宮」
「あの……[一天]の本部?みたいなビルには行ったんだけど……」
「嘘でしょ!」
「嘘だろ!」
再び二人の声が重なった。
「[一天]の本部に行くって!?[一天]のメンバーでも、選りすぐりのエリートしかあそこには入れないんだよ!?」
「ちょ、ビルの中がどうなってるのか教えてほしっ……じゃなくて、キミ大丈夫だったのかよ!?」
勢いの強い二人の押されつつも、少女は漠然とした不安を抱えるような目つきで、
「ん……危ないことはなかったです、よ。狼前院っていう女の人に[一天]に入らないかって誘われただけで」
「「ええええ!?」」
(狼前院っていう女――狼前院夕暮まで来てたっていうの!?)
「つまり、キミ能力者なのかよ」
「え、違います。わたし、無能力者ですよ」
宮の問いに、ゆゆはあっけなく首をふった。
「あそこは無能力者入れねえんだよ。もしかしたら、キミが気づいてねえだけかも。[一天]には、能力者を見分ける能力者がいるって噂もあるしさ」
「あ、それガセだよ。[陰の支配者]が魔女にアイツ能力者だって教えたのが、[一天]の能力者の仕業だって思われてるんだって」
「ええっ!?初耳なんだけど!」
無能力者を組織に入れるなんて。あのとき残ればよかった、と林は改めて深く後悔した。
「えっと……そんなに変なことなの?わたしに何もしないって、なんだか思えたんだけど……」
首をかしげるゆゆだが、[一天]のことを知らないから言えることだ。
「変っていうか、異例ね。まあ、詳しいことを説明してあげる前に、」
林はビシ、とゆゆを指さした。
「あたしたちと別れてから何があったのか、一から話しなさい」
「ふえっ?え、えっと……」
少女は左上の虚空にぼんやりと目をやりながら、ゆっくりと口を開いた。
手名椎ゆゆ テナヅチユユ
転校生。
狼前院日中 ロウゼンインヒナカ
[一天]のリーダー。