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零の新章  作者: ぱうぇん
序章
2/7

後編 -初めての実戦-

 私はいつものように山を駆けていた。

 生まれてこのかた、山から出たことは殆ど無く、祖父とともに何処とも知れぬ山奥で、半自給自足の生活を送っていた。

 私はその事を疑問に思ったことはない。

 物心ついた頃からそれが日常だったし、厳しいけど祖父のことも嫌いではなかったからだ。むしろ、時折見せる柔和な笑顔の祖父が大好きだった。


 一年の内、そのほとんどを梁の中で過ごしていたが、年に一度だけは祖父に連れられて山から下り、街へと出かけていた。子供の頃の私は、それが楽しみで楽しみで仕方がなかったものだ。

 初めて街に降りた時には酷くショックを受けた。

 九歳の頃だったか、私がまだ「神代流」の基礎を学ぶ前の事だった。

 家の手伝いと称しての基礎修練ばかりしていた私だったが、そのせいか体力だけは同じ年代の子供達に比べても、遥かに高かったはずである。

 しかし、初めて見る景色と物品に溢れた街に驚き、祖父を連れ回し、あれこれと動き回ったせいかすぐにダウン。

 祖父は、一日かけて街というものに触れさせようとしていたようだったが、昼を過ぎる頃には祖父の背中で寝息を立てる私がいた。

 そんな初めての街体験は、私にとって、「街は楽しいけども凄く疲れる場所」というものだった。


 初めて街に行った後からは、いつもの修練に加えて、様々な知識の勉強もさせられるようになり、それと同時に、祖父が師範を務める神代流の修行も行っていった。

 いつも厳しい祖父だったが、剣を教える祖父は一層厳しかった。

 『刀を振るうという事は、生き物を殺すという事である』というのが、その日の修行に入る前の祖父の口癖だった。

 鞘から刃を抜けば、それは命のやり取りをするということ。その刃で生き物を殺す覚悟。そして、自分は何故刃を相手に向けるのか、その理由を考える事。

 刀は殺戮道具。剣技は殺戮技術。しかし、それを振るうのは意思を持った自分なのだから、振るう意味と理由を忘れてはいけない。

 修行をしている時は、無心で刀を振るってもいいが、終わったのならその教えを忘れず、その日振るった刃の意味を考え続けろというのが祖父の基本的な教えだった。


 神代流の剣技を学ぶ日々が続き、私が十五歳になった頃、祖父が体調を崩した。

 齢七十を超えていたせいか、この日を境に、祖父はしばしば床に伏せるようになった。

 それまでの殆どの食料調達を祖父がしていたが、いつもどおりに動けなくなった祖父の代わりに、私が調達に出かけることが多くなった。

 山で生き残る術も、全て祖父から叩き込まれていたため、食料調達等に苦労する事はあまりなかったが、その日は少々予想外の出来事が起きた。


 木々に若葉が芽吹き始める春先の事だった。

 山の恵みである山菜を集め、主食は何にしようかと考えていた時、近くの茂みからガサりと熊が這い出てきたのだ。

 腹を空かせていたのか、その熊は気が立っているようで、下手に動けばすぐさま襲いかかってきそうだった。

 熊との距離はおよそ五メートルほど。それだけ離れていても、熊から発せられる獣臭に息が詰まる。

 呆然と立ち尽くす私を見てか、威嚇もせずに一歩距離を詰めてきた。その行動を見て、ハッと我に返った私は、迂闊にも腰に下げていた刀に手を伸ばしてしまう。


 不味ったと思ったときにはもう遅かった。


 私の行動に、熊は両の前足を広げて立ち上がり、大きく威嚇の体制を取った後、猛然と突進してきたのだ。

 私の目の前に振り下ろされる太い右前足。

 祖父との修行の賜物か、ただの火事場のなんとやらのせいか、寸での所でその一撃を横っ飛びに避ける。

 私が背にしていた細いブナの幹がへし折られるのを視界の端で捉えてしまい、その凶暴な一撃に戦慄する。

 当たれば即死だろうかと考え、全身の毛が総毛立つのを感じた。


 必殺の一撃を外した熊は、再度立ち上がり私を威嚇し始めた。

 改めて見た熊の姿は、とても大きく感じた。その存在感は私の身長の三倍以上あるのではないかと思わせる。

 以前に猟師にでも撃たれたのか、片目が潰れて、痛々しい傷跡がその存在感を増長していた。

 祖父曰く、私の身長は同世代のそれと比較しても小柄らしい。その小柄な体格のせいで「いつまで経ってもちんまい奴だろう」と祖父によくからかわれる材料になってしまっているが、それを差し引いても、目の前のくまの大きさは異常に感じてしまう。

 命の危機だというのに、そんな祖父とのやり取りを思い出して、幾分か冷静さを取り戻せたのは僥倖だった。

 結果がどう転ぶにせよ、パニックのままただやられるのは、今までの修行の成果を無に返すようなものだ。やれるだけやってみよう。

 その考えに至った事で、初めて私はこの状況にパニックを起こしていたのに気づいた。

 まだまだ修行不足だということを痛感し、深く三度の呼吸をして、改めて状況を鑑みる。


 状況は、自分の身の丈以上の熊との遭遇。

 冬眠明けと思われ、凄く気が立っている状態だ。

 次に自分が立っている場所を思い返す。熊から目線だけは逸らさない。視線が外れた瞬間にも襲いかかってきそうだったからだ。

 直近の記憶の中にあるこの場所は、所々に石が覗く獣道。さらに昨夜に降った雨のせいで、土がぬかるんでいる所が多々あるはずだ。

 周りは木々が密集しているほどではないが、刀を振るうには少々不都合が生じる。

 ならばここで取る行動は、ある程度は開けた場所に移動する事だ。

 熊と対峙したままジリジリと後退していき、熊から逃げるという選択も考えたが、一度攻撃されてしまっている以上、臨戦態勢の熊からは、もはや逃げることは出来ないだろう。


 自分の取るべき行動を整理し終え、自分が今、山のどの辺に居たかを思い出す。


 自分が居たのは山の中腹あたりで、食料調達の手段として川魚も視野に入れていたため、沢には近い。しかし、行こうとしていた沢には程よく開けた場所はなかったはずである。

 ならば、その沢の本流に当たる河川近くまで行くべきだろう。確かそこには、足場は良くないが、開けた岩場があったはずである。それ以外の場所となると遠くなる。

 子供の頃からの遊び場、兼修行場の山だ。迷う事はまずない。生い茂る草木を掻き分け、脱兎のごとく駆け出した私を熊は猛然と追ってきた。

 日頃から鍛えているために足には自信があったが、さすがの獣というべきか。程なくして、私は追いつかれてしまう。

 しかし、それは想定済みだった。

 瞬発力では負けずとも、そもそものスピードが違う。

 くまの攻撃を、数度避けながら尚も目的の場所を目指して移動する。

 ここまで熊の攻撃を避けられるのは、やはり厳しい修行の賜物だったのだろう。

 厳しく教えてくれた祖父に感謝し、私は駆け続けた。


 やがて、天井と目の前が開け、目的の場所へと辿り着いた。

 熊は未だに追ってきている。

 熊に疲れた様子は無いが、私の方は熊の攻撃を避けながらだったので、さすがに疲労困憊だった。

 だが、ここまで来て諦めるわけには行かない。

 素早く目的の場所の周囲に視線を走らせる。

 昨夜の雨のせいで、川が増水し岩場が幾分か狭くなっている。その上、川の流れは早い。水深は深くなかったはずだが、勢いの増した川に落ちるのはさすがに不味いだろう。

 私は、比較的しっかりとした岩を足場に、熊との何度目かの対峙をした。

 披露は溜まっているが、頭は驚く程にはっきりと澄んでいた。

 刀を鞘に納めたまま、しっかりと刀の柄を握り締め気迫を込める。

 野生の獣と仕方なく退治しなければならない時は、気迫で負けてはならない。こっちの方がお前よりも格上だと、自分自身に暗示をかけていく。

 追っていたはずの獲物の様子が変わったことを感じ取り、片目の熊は、一足飛びに飛びかかれる所で立ち止まった。

 仕留める気は十分だが、獲物の様子が変わり困惑しているという気が感じ取れた。

 私は、刀に手をかけたまま、相手の様子を注意深く観察する。

 飛びかかってこようものなら、躱し様に抜き打ちの一閃を喰らわせてやるつもりだった。

 しかし、熊は動かない。

 立ち上がり、威嚇の態勢も取らない。

 獲物を狩る気満々になっていたはずの熊が、ここまで行動を起こさないものだろうか?


 こっちから先に仕掛ける算段を思案し始めた時、ふと視界の端にもう一匹の熊を捉えた。

 なんてことだ。

 一匹だけでも手古摺りそうなのに、二匹同時だと完全に形勢が不利だ。

 片目の熊が動きを止めたのは、何も私の気迫に押されただけではなく、もう一匹の熊の気配を敏感に感じ取っていたからだろう。

 こうなってしまえば、願わくは、この二匹の熊が互を牽制しあい、この場を去ってくれる事を祈るだけだ。

 しかし運の悪いことに、現れたもう一匹の熊も、どうやら空腹で気が立っているようだった。

 遭遇した当初こそはパニックを起こしていたが、熊一匹を仕留めるのには自信があった。祖父との修行により、熊の攻撃を避け続けることが出来たのが自信の裏打ちだった。

 ならば、目の前の一匹を即座に仕留めるか……。

 私の技量でそれは無理だろう。

 二匹同時に相手取る……。

 話に聞く限り、全盛期の祖父ならばやってのけそうだが、一匹相手でも手古摺りそうな私が実行するには、愚行というものだろう。

 いちかばちか、残りの体力を全て逃走に当ててみるか……。

 私の脚力では、熊の猛追を引き離すのは不可能と実証済み。これも却下だ。

 決死の覚悟で、川に飛び込んでみるか……。

 金槌ではないが、背後の川の流れから見て、無事でいられるどころかあっさり溺れる事は目に見えている。考えるまでもないくらいの下策だった。

 そこまで考えて、やはりこのまま『二匹の熊が立ち去るのを待つ』というのが最良に思えてきた。

 しかし、そんな私の願いも虚しく、新たに現れた方の熊が、のそりのそりと距離を詰めてくる。

 それが私に対しての行動なのか、片目の熊に対しての行動なのかは分からないが、少なくとも立ち去るという選択はしなかったようだ。

 極限の精神場で見つめる熊の行動は酷く遅く感じるが、着実にその距離は詰まってきている。

 有効的な対処を思いつけないまま、しかして状況だけは悪化していく。

 焦りからか、注意が動いている熊の方ばかりにいっていた。

 目の前の獲物からの威圧が減ったのを、固めの熊は見逃さなかった。

 もとより、一足飛びに飛びかかれる距離だ。

 溜めも何も無く、強烈な爪と前足で抑える付けるかのように、私に向かって襲いかかってきた。


 「しまった」とおもった時にはもう遅い。

 何もしなければ、このまま爪に引き裂かれ、腹を空かせた熊の餌食になっていただろう。

 絶命はしないかもしれない。

 だけど、一撃で行動不能に陥ることは請け合いだ。

 絶命するまでの間、片目の熊に食われ続けるか、身動きの出来なくなった餌を前に、二匹の熊の餌争奪戦が繰り広げられるのを見続け、結局はどちらかの熊に食われるだけという違いでしかない。結末は一緒だ。

 しかし、私にはそのどちらの未来も訪れなかった。

 厳しい神代流の修行が、咄嗟の出来事に対して、反射的に行動することを選んでいたからだ。

 攻撃を受け止めるわけでもなく、ましてや後の先を取って反撃するわけでもなく、ただ単調に、素早く飛ぶ。足場のある左右ではなく、相手からの間合いを外す意味合いでの後退。

 そう、「しまった」と思った時にはもう遅かったのだ。

 私がさっきまで立っていた岩場の後方は川。

 昨夜の雨で増水し、普段の倍はあろうかという流れを持った激流の川だったのだから。

 私は重力の法則にその身を受け、激流へと飛び込む形となった。

 春先の水の冷たさを感じると同時に、凄まじい圧力を持って水流が押し寄せてくる。

 必然的に私は溺れる形になり、空気を求め水面から顔を出そうともがいた所で、運悪く流木に衝突してあっさりと意識を手放してしまっていた。

序章終わり!


・補足

この先、時系列が前後したりするので分かりづらかったら言ってください。その際は、補足説明回を挟もうかと思います。

何も無ければこのまま突き進んでいきます

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